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件の怪
件 中編
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その日は満月の夜だった。草木も眠る丑三つ時。一匹の牛が牛舎を逃げ出した。その牛は身篭っており、出産を間近に控えていた。
気づいた農夫が慌てて探すと牛は山中の神社の中にいた。
牛は鳥居の下で身を強張らせる。農夫は正に今、牛が出産しようとしている事に気づいた。
牛は仔を産み落とした。それを見て農夫は悲鳴を上げた。
産まれたものには牛とは違う顔がついていたのだ。産まれたてだというのに恐ろしく整った少女の顔だ。
「私を件と名付けろ」
件はそう言って二本足で立ち上がった。
高校二年の夏。
俺は誘拐された。下校中、一人の時だった。突然後ろから羽交い締めにされ車の中に連れ込まれた。
目隠しをされ長時間車で運ばれた。誘拐犯は複数だったのに、車の中では話し声一つ聞こえて来なかった。車が止まった頃には夜になっていて虫の声があちこちから聞こえた。
俺は小屋の中に連れ込まれると漸く目隠しを外された。誘拐犯はどこにでもいるような普通のおじさんだった。
鍵がかけられ外では見張りが一人。
暗い小屋の中で俺は泣いた。大声を出すと見張りのおじさんが入ってきて俺の腹を殴った。
出された食事には手を出さなかった。
コンコン。
俺が背を預ける壁の丁度、真横から音がなった。
コロン。
俺のすぐ横に何かが落ちてきた。アメだ。
「大丈夫?」
月明かりが差し込む鉄格子から少女の顔が覗いていた。
「っ?!」
一瞬、その顔が幽霊に思えて悲鳴を上げそうになった。
「しー。静かに。バレちゃうよ」
少女がヒソヒソ声で言う。俺は慌てて自分の口を塞いだ。
そうだ、表には見張りの男がいる。
「君は?」
「私は……この近くに住んでるの。声が聞こえたから誰かいるのかなって。どうして閉じ込められてるの」
「俺は……誘拐されたんだと思う。警察とか大人の人を呼んできてほしい」
「ごめんなさい。それは無理かも」
「どうして!」
「しーっ。静かに」
少女はまともに俺の話を聞いてくれたが、俺を助けられる状況に無いらしい。
ここにいる大人達は全員グルだそうだ。
少女は俺が寝るまで一緒にいてくれた。
次の日、俺は屋敷に連れられた。手には荒縄ん巻かれまるで犯罪者のような扱いだ。
屋敷には部屋がいくつもあった。キョロキョロと見回していると大人からどつかれた。
屋敷の中でも特に広い部屋に俺は通された。
「お連れしました件様」
藤色の畳で仕切られた部屋では大勢の大人達が姿勢を低くして座っていた。宗教特有の異様な空気感を感じた。
その先頭には一人の少女が座していた。布で顔を隠している。大人達がその少女を崇めている事は一目で分かった。
俺は信者達の先頭に座らされ無理やり頭を下げさせられた。
「倉橋湊」
少女が俺の名前を呼んだ。それを合図に顔を上げると立派な着物を着た少女の姿があった。
「可哀想に。怯えているじゃないか」
少女は俺から目を離し、そばに立つ男を睨みつけた。
「まさか手荒な真似をしたのではないだろうな」
「いえ、そんな事は。けしてそのような事はしておりません」
「……お前たちは席を外せ」
幹部と思われる男が少し躊躇っていたが少女が一瞥すると素直に部屋から出た。
少女は大人達が全員出ていくのを確認するとすくりと立ち上がった。
背丈に合わない長い着物を引きずって歩く。
「倉橋湊……くらはし、みなと。みなと……湊くん」
少女はぶつぶつと言いながら俺の目の前まで来た。
「湊くん! って呼んでもいい?」
そう言って笑うのは昨日見た少女の顔だった。俺は状況が掴めず、もう頭がパンクしそうだった。
「君は……一体?」
「件って呼ばれてる。変な名前でしょ?」
「件?」
少女は瞼を落として悲しそうな顔をした。
「ここの人おかしいから、私を神様みたいに扱ってるの。ありがたーい予言を授けてくれるんだって」
「予言?」
「うん。でも全部嘘、この家の大人達が勝手に言ってるだけ」
「俺は何で誘拐されたんだ?」
「うーん、何でだろう。あの人たちは私の為って言ってた……ごめんね分かんない」
そう言う件は本当に申し訳そうに目を伏せた。
「君が悪いんじゃないよ。助けとか、呼べないのか?」
「私もここから出られないの」
「なら電話は? スマホ持ってない?」
「すまほ?」
少女が首を傾げた。彼女は生まれてからずっとこの屋敷から出た事がないらしい。
「えっと電話は屋敷に無いよ。私も持ってない」
「そろそろ戻るね。怪しまれちゃう」
「待って。俺はどうなるんだ」
「大丈夫。私に任せて。私が言えば変な風にはされないと思う。家に帰れるように命令してみる」
俺は頷いた。
「きっと大丈夫。絶対帰れるようにするから今だけ我慢してね」
件は元いた席に戻りまた布を被った。信者が部屋に入ってくる。
「どうでしたか?」
「良き。しかし我は疲れた。今日はこれにて終わりにする」
「かしこまりました」
それだけのやり取りを済ますと俺は部屋から連れ出された。
その夜も小屋で寝かされた。件が何か言ってくれたのか見張りは居なくなってご飯も少し豪勢になった。
そして日が沈み切ると件がまた格子の間から顔を覗かせた。
「はい湊くん」
今日の差し入れはラムネのお菓子だった。
「俺はこれからどうなるんだ?」
「分かんないけど暫くはこのままかも。あの人たち後先考えずに湊くんを連れてきたみたい」
「そう……なんだ」
「ねぇねぇ湊くん」
「なに?」
「湊くんって高校生なんだよね。高校ってどんなところなの?」
俺は件にいろんなことを聞かせた。件と話している時は気がまぎれて不安が和らぐ。
同時に俺は件に同情し始めていた。あいつも俺と同じ被害者だからだ。
俺はもう自分だけが助かればいいとは思っていなかった。件みたいな小さい子が学校も行けず軟禁されている事に怒りさえ感じていた。
逃げる時は二人一緒だ。
ある日、件は信者達の前で一つの予言を宣託した。
「ここにいるものは一人残らず惨たらしく死ぬだろう。回避したければ倉橋湊、私と子を成せ」
別の部屋。ベットしかないその部屋で俺と件は二人きりになった。
「ごめんなさい」
件は両目に涙を浮かべていた。
「あぁ言えって言われて。私、わたし逆らえないの」
「件……」
俺は件の頭を撫でた。あいつらは初めからこれをさせるつもりで誘拐したのか。でもどうして俺なんだ。
「全部、大人達にやらされているの。だけど……湊くんなら私のこと助けてくれるよね」
はらりと件の身を包んでいた重い着物が落ちる。件は手を開きその身体を晒した。
透き通った白い肌に薄らと浮かぶ肋骨も、膨らむ前の小さな乳房についたピンク色の乳首も全てを俺に曝け出した。
「来て」
美しい。人形のような。汚れ一つない無垢な身体。だがそれは触れてはいけないものだ。
「私ね。湊くんとなら大丈夫だよ。一つになろ?」
件のその誘いを聞いた時、俺の脳裏に牛のヴァギナがフラッシュバックした。どろどろのヒダ……グロテスクなあの牛の肉壺。俺を見る二重の瞳孔。
気持ち悪い。気持ち悪い。
性的行為と異形の牛が強力に結びついている。幼い日のトラウマ。それは時間が経てば経つほど俺の中で大きくなっていた。
「うわぁぁぁぁあああああ」
「湊くん?」
取り乱した俺を件は優しく抱きしめた。俺は見っともない事に泣いていた。
「大丈夫……大丈夫だからね。……そうだよね怖かったよね。まだ何も知らなかったのに無理矢理初めてさせられて。怖いって思うのは当然だよ。湊くん可愛そう」
耳元で件は優しく囁く。
「私を見て」
件の小さな両手が俺の頬を持ち上げる。黒曜石のような透き通った瞳で件は俺を見つめている。
「私は怖い?」
「……怖くない」
「まずは私が湊くんを助けてあげる」
件が俺の股間へ手を伸ばした。
「件……なんで?」
件は俺を抱きしめたまま離さない。
「私のことは怖くないでしょ?」
いつのまにかファスナーを下されていた。取り出された俺のチンコを件は慣れた手つきで弄る。
「件……だめだ。それは……君はまだ……」
「湊くんは優しいね。分かった。今日は我慢するね。でも……」
件が俺のチンコを口に含んだ。生暖かい感触が下半身を包む。
「うわっ」
俺は思わず声をあげてしまった。
「ごめんなさい。痛かった? それとも気持ちいいの?」
悪戯っぽく笑うと再び、俺のチンコを咥えた。子供にこんな事をさせてはいけない。そう思う理性は快楽で塗りつぶされた。
「あっ……あぁ……!」
柔らかい舌がチンコを押している。件の口内と舌でチンコが圧迫されしごかれる。
あの日以来、俺はオナニーすらしてこなかった。三年ぶりの性的快感に抗う事なんてできるはずもなかった。
「うわぁぁ!」
どくんっどくんっ。
熱いものが込み上がり、それは容赦なく件の口内へ吐き出された。
久しぶりの射精は腰が抜けそうになる程気持ちよかった。
「はぁはぁ……件ごめん」
「んぐっ……べぇ」
件は口に含んだ静液を手に出した。件の唾液と俺の精液が混じった溶液が糸を引いて手の平に溜まって言った。
「いっぱい出たね」
件は吐き出した静液を自分の股へ塗りだした。
「件?」
「こうすれば大人達も誤魔化せるでしょ?」
件がやっているのはセックスした振り。その証拠作りだ。
細い指先が幼い割れ目に沿って動く。入り込んだ静液を奥へ奥へと塗り込んでいく。
「んっ……んん……」
時折り甘い声を漏らしながら件はおまんこに静液を塗りたぐる。その姿を見ていると……。
「クスクス。こーふんしちゃった?」
「え?」
結局この日、俺と件が交わる事は無かった。あくまでしたフリだ。それでもこの経験は俺のトラウマを払拭するだけの力があった。
その晩、俺は三年ぶりにオナニーした。
俺が誘拐されてから一週間が経過した。件の執務に俺は同席するようになっていた。
「件様」
「件様」
信託の間で大人達が件に助言をせがんでいる。件は厳格な態度でそれに応じる。
花瓶の柄を変えろだとか庭に紫陽花の花を植えろだとか件はそんなことを言うと大人達は泣いて喜び感謝の言葉を垂れた。
件の言っていた通りだ。この村の連中は頭がおかしい。
もう悠長に助けを待っている場合ではない。一刻も早く件を連れて外の町に逃げるべきだ。だが、肝心のその方法を思いつけなかった。
日中逃げても信者にすぐ気付かれてしまう。夜はあの小屋の鍵をどうにかしなければ逃げ出せない。
いっそ件だけでも逃がせないだろうか。俺と違って件なら夜中自由に動ける。
そんな事を考えていた時だった。
一人の男が襖を突き破って入ってきた。死装束のような白い袴を着ていて、
手には鉈のような刃物を持っている。
「この悪鬼めがぁ! 討ち取ってくれようぞぉ!」
男はそれこそ鬼と見違えるような異常な顔で叫ぶと、近くにいた信者の頭を掴みその首目掛けて鉈を振り落とした。
「貴様! 何をする!」
件の側に立っていたあの大柄な信者が怒りの形相で男へ近寄る。
ぱっくりと切り裂かれた喉から鮮血が噴き出て藤色の敷物を汚した。
「うわぁぁぁぁ?!」
悲鳴は瞬く間に伝染しパニックが広がる。逃げ出した信者を置くから現れた別の男が捕まえた。彼らは信者を皆殺しにするつもりだ。
「こっち」
件が俺の手を引く。パニックにまぎれて俺の側まで来ていた。
「逃げよう」
件はそう俺に微笑んだ。件の手を取って一緒に走る。
「村の方はだめ。こっちに来て」
件は迷いなく屋敷裏の藪へと入っていった。
「ちょっと待てよ。山だぞ」
「大丈夫、私を信じて」
自信満々に言う件。その足取りは軽く件は道の無い山をすいすいと進んでいく。まるで彼女を避けるように木々の合間をすり抜ける。俺も件の後を必死になってついていく。
三十分ぐらい進むと急に足場がしっかりとし始めた。石畳だ。
どうやらちゃんとした山道に着いたみたいだ。
「後はここを進むだけだよ」
「あぁ……」
俺はちらりと後ろを見た。まだ追ってきている気配は無い。
「あっ」
その時何かを踏んだ。足元には白いしめ縄が引いてあった。手入れされているのか、古い割には綺麗なしめ縄だったがはっきりと俺の足跡がついてしまった。
ぞわりと背筋が凍る。何かが俺を覗いている。そんな気配を感じた。
「大丈夫だよ。行こう」
汚してしまったしめ縄に気を取られた俺を件は手を引いて急かす。
たしかに今はこんなもの気にしている場合じゃない。
「……」
石畳の道を俺と件は手を繋いで進んだ。
「なぁ件。この道、本当に町に続いているのか?」
「大丈夫だよ。まだちょっとかかるけどそれまで一緒に頑張ろう?」
「あぁ……」
件は黙々と前を向いて歩いている。
石畳の道は山の中にあるとは思えない程、平坦だった。
道の脇に地蔵が並んでいる。
『件様のお戻りだ』
「?!」
俺は慌てて振り向いた。今、たしかに声が聞こえた。
「湊くんどうしたの?」
「いや、今何か聞こえなかったか?」
「ううん。ここなんだかちょっと怖いね。早く先に行こうよ」
「いや、でも……」
「イテっ」
件がこけた。
「大丈夫か?」
件は顔を打ったのか俯いて手で押さえている。怪我をしてたら大変だ。俺は傷を見ようと件に手を伸ばした。
その時だった。
メロディ。俺のスマホの着信音だ。
地蔵のすぐそばに俺のスマホが落ちていた。スマホだけじゃ無い。俺が誘拐された時の荷物、学生鞄もすぐそばの茂みに転がっていた。
「なんで、俺の?」
俺は一歩、石畳の道を踏み外し、スマホを拾おうと手を伸ばした。
「湊くん!」
件が声を張り上げて俺を静止した。悲痛な声だった。
振り向いた先で俺は見た。
件の片目。
黒曜石のように澄んだ瞳が二つに増えていた。
「あー……バレタカ」
ピキッ。
件の頬、手で覆い隠された中から大きなヒビが広がった。
ぼろぼろと件の肌が崩れていく。
「みなぁとくぅん」
「くだん?」
「もうすぐ。もうすぐそこだからねぇ一緒に来てよ」
半分。まだ正常な顔で件が喋る。
「嫌だ……おかしいよ。こんなの!」
「私は湊くんが欲しいの。ずっとずっと探してようやく見つけたのに。ねぇ湊くん。ミナトくん! みなぁとくん!」
ようやく見つけた。その一言で俺は察してしまった。
「嘘だったのか? 全部」
「湊くん。私を信じテ。湊くんは騙されてるの。一緒にいこうよぉ」
その時、またスマホが鳴った。
「あぁああああもうっ! 邪魔するなよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「うわぁああああ?!」
俺は思わず件を突き飛ばした。
軽い件の体はあっけなく放り出され、重力に従って落ちる。
石畳の道はいつの間にか崖に変わっていた。俺は崖の淵に立っていてその先では件が……。
「あーあ」
崖の下は岩場だった。
大きくて平べったい石の上に件の小さな身体がぶつかり、ごちんと骨が砕ける音を響かせた。
「くだん? 件!」
「逃がさないよ……湊くん……未来永劫、件はおまえの眼前へと顕れるだろう」
「産まれる子を件と……名づけ……ごほっ!」
べちゃ。
血を吐き件は息絶えた。
足元ではスマホのメロディが流れ続けている。
気づいた農夫が慌てて探すと牛は山中の神社の中にいた。
牛は鳥居の下で身を強張らせる。農夫は正に今、牛が出産しようとしている事に気づいた。
牛は仔を産み落とした。それを見て農夫は悲鳴を上げた。
産まれたものには牛とは違う顔がついていたのだ。産まれたてだというのに恐ろしく整った少女の顔だ。
「私を件と名付けろ」
件はそう言って二本足で立ち上がった。
高校二年の夏。
俺は誘拐された。下校中、一人の時だった。突然後ろから羽交い締めにされ車の中に連れ込まれた。
目隠しをされ長時間車で運ばれた。誘拐犯は複数だったのに、車の中では話し声一つ聞こえて来なかった。車が止まった頃には夜になっていて虫の声があちこちから聞こえた。
俺は小屋の中に連れ込まれると漸く目隠しを外された。誘拐犯はどこにでもいるような普通のおじさんだった。
鍵がかけられ外では見張りが一人。
暗い小屋の中で俺は泣いた。大声を出すと見張りのおじさんが入ってきて俺の腹を殴った。
出された食事には手を出さなかった。
コンコン。
俺が背を預ける壁の丁度、真横から音がなった。
コロン。
俺のすぐ横に何かが落ちてきた。アメだ。
「大丈夫?」
月明かりが差し込む鉄格子から少女の顔が覗いていた。
「っ?!」
一瞬、その顔が幽霊に思えて悲鳴を上げそうになった。
「しー。静かに。バレちゃうよ」
少女がヒソヒソ声で言う。俺は慌てて自分の口を塞いだ。
そうだ、表には見張りの男がいる。
「君は?」
「私は……この近くに住んでるの。声が聞こえたから誰かいるのかなって。どうして閉じ込められてるの」
「俺は……誘拐されたんだと思う。警察とか大人の人を呼んできてほしい」
「ごめんなさい。それは無理かも」
「どうして!」
「しーっ。静かに」
少女はまともに俺の話を聞いてくれたが、俺を助けられる状況に無いらしい。
ここにいる大人達は全員グルだそうだ。
少女は俺が寝るまで一緒にいてくれた。
次の日、俺は屋敷に連れられた。手には荒縄ん巻かれまるで犯罪者のような扱いだ。
屋敷には部屋がいくつもあった。キョロキョロと見回していると大人からどつかれた。
屋敷の中でも特に広い部屋に俺は通された。
「お連れしました件様」
藤色の畳で仕切られた部屋では大勢の大人達が姿勢を低くして座っていた。宗教特有の異様な空気感を感じた。
その先頭には一人の少女が座していた。布で顔を隠している。大人達がその少女を崇めている事は一目で分かった。
俺は信者達の先頭に座らされ無理やり頭を下げさせられた。
「倉橋湊」
少女が俺の名前を呼んだ。それを合図に顔を上げると立派な着物を着た少女の姿があった。
「可哀想に。怯えているじゃないか」
少女は俺から目を離し、そばに立つ男を睨みつけた。
「まさか手荒な真似をしたのではないだろうな」
「いえ、そんな事は。けしてそのような事はしておりません」
「……お前たちは席を外せ」
幹部と思われる男が少し躊躇っていたが少女が一瞥すると素直に部屋から出た。
少女は大人達が全員出ていくのを確認するとすくりと立ち上がった。
背丈に合わない長い着物を引きずって歩く。
「倉橋湊……くらはし、みなと。みなと……湊くん」
少女はぶつぶつと言いながら俺の目の前まで来た。
「湊くん! って呼んでもいい?」
そう言って笑うのは昨日見た少女の顔だった。俺は状況が掴めず、もう頭がパンクしそうだった。
「君は……一体?」
「件って呼ばれてる。変な名前でしょ?」
「件?」
少女は瞼を落として悲しそうな顔をした。
「ここの人おかしいから、私を神様みたいに扱ってるの。ありがたーい予言を授けてくれるんだって」
「予言?」
「うん。でも全部嘘、この家の大人達が勝手に言ってるだけ」
「俺は何で誘拐されたんだ?」
「うーん、何でだろう。あの人たちは私の為って言ってた……ごめんね分かんない」
そう言う件は本当に申し訳そうに目を伏せた。
「君が悪いんじゃないよ。助けとか、呼べないのか?」
「私もここから出られないの」
「なら電話は? スマホ持ってない?」
「すまほ?」
少女が首を傾げた。彼女は生まれてからずっとこの屋敷から出た事がないらしい。
「えっと電話は屋敷に無いよ。私も持ってない」
「そろそろ戻るね。怪しまれちゃう」
「待って。俺はどうなるんだ」
「大丈夫。私に任せて。私が言えば変な風にはされないと思う。家に帰れるように命令してみる」
俺は頷いた。
「きっと大丈夫。絶対帰れるようにするから今だけ我慢してね」
件は元いた席に戻りまた布を被った。信者が部屋に入ってくる。
「どうでしたか?」
「良き。しかし我は疲れた。今日はこれにて終わりにする」
「かしこまりました」
それだけのやり取りを済ますと俺は部屋から連れ出された。
その夜も小屋で寝かされた。件が何か言ってくれたのか見張りは居なくなってご飯も少し豪勢になった。
そして日が沈み切ると件がまた格子の間から顔を覗かせた。
「はい湊くん」
今日の差し入れはラムネのお菓子だった。
「俺はこれからどうなるんだ?」
「分かんないけど暫くはこのままかも。あの人たち後先考えずに湊くんを連れてきたみたい」
「そう……なんだ」
「ねぇねぇ湊くん」
「なに?」
「湊くんって高校生なんだよね。高校ってどんなところなの?」
俺は件にいろんなことを聞かせた。件と話している時は気がまぎれて不安が和らぐ。
同時に俺は件に同情し始めていた。あいつも俺と同じ被害者だからだ。
俺はもう自分だけが助かればいいとは思っていなかった。件みたいな小さい子が学校も行けず軟禁されている事に怒りさえ感じていた。
逃げる時は二人一緒だ。
ある日、件は信者達の前で一つの予言を宣託した。
「ここにいるものは一人残らず惨たらしく死ぬだろう。回避したければ倉橋湊、私と子を成せ」
別の部屋。ベットしかないその部屋で俺と件は二人きりになった。
「ごめんなさい」
件は両目に涙を浮かべていた。
「あぁ言えって言われて。私、わたし逆らえないの」
「件……」
俺は件の頭を撫でた。あいつらは初めからこれをさせるつもりで誘拐したのか。でもどうして俺なんだ。
「全部、大人達にやらされているの。だけど……湊くんなら私のこと助けてくれるよね」
はらりと件の身を包んでいた重い着物が落ちる。件は手を開きその身体を晒した。
透き通った白い肌に薄らと浮かぶ肋骨も、膨らむ前の小さな乳房についたピンク色の乳首も全てを俺に曝け出した。
「来て」
美しい。人形のような。汚れ一つない無垢な身体。だがそれは触れてはいけないものだ。
「私ね。湊くんとなら大丈夫だよ。一つになろ?」
件のその誘いを聞いた時、俺の脳裏に牛のヴァギナがフラッシュバックした。どろどろのヒダ……グロテスクなあの牛の肉壺。俺を見る二重の瞳孔。
気持ち悪い。気持ち悪い。
性的行為と異形の牛が強力に結びついている。幼い日のトラウマ。それは時間が経てば経つほど俺の中で大きくなっていた。
「うわぁぁぁぁあああああ」
「湊くん?」
取り乱した俺を件は優しく抱きしめた。俺は見っともない事に泣いていた。
「大丈夫……大丈夫だからね。……そうだよね怖かったよね。まだ何も知らなかったのに無理矢理初めてさせられて。怖いって思うのは当然だよ。湊くん可愛そう」
耳元で件は優しく囁く。
「私を見て」
件の小さな両手が俺の頬を持ち上げる。黒曜石のような透き通った瞳で件は俺を見つめている。
「私は怖い?」
「……怖くない」
「まずは私が湊くんを助けてあげる」
件が俺の股間へ手を伸ばした。
「件……なんで?」
件は俺を抱きしめたまま離さない。
「私のことは怖くないでしょ?」
いつのまにかファスナーを下されていた。取り出された俺のチンコを件は慣れた手つきで弄る。
「件……だめだ。それは……君はまだ……」
「湊くんは優しいね。分かった。今日は我慢するね。でも……」
件が俺のチンコを口に含んだ。生暖かい感触が下半身を包む。
「うわっ」
俺は思わず声をあげてしまった。
「ごめんなさい。痛かった? それとも気持ちいいの?」
悪戯っぽく笑うと再び、俺のチンコを咥えた。子供にこんな事をさせてはいけない。そう思う理性は快楽で塗りつぶされた。
「あっ……あぁ……!」
柔らかい舌がチンコを押している。件の口内と舌でチンコが圧迫されしごかれる。
あの日以来、俺はオナニーすらしてこなかった。三年ぶりの性的快感に抗う事なんてできるはずもなかった。
「うわぁぁ!」
どくんっどくんっ。
熱いものが込み上がり、それは容赦なく件の口内へ吐き出された。
久しぶりの射精は腰が抜けそうになる程気持ちよかった。
「はぁはぁ……件ごめん」
「んぐっ……べぇ」
件は口に含んだ静液を手に出した。件の唾液と俺の精液が混じった溶液が糸を引いて手の平に溜まって言った。
「いっぱい出たね」
件は吐き出した静液を自分の股へ塗りだした。
「件?」
「こうすれば大人達も誤魔化せるでしょ?」
件がやっているのはセックスした振り。その証拠作りだ。
細い指先が幼い割れ目に沿って動く。入り込んだ静液を奥へ奥へと塗り込んでいく。
「んっ……んん……」
時折り甘い声を漏らしながら件はおまんこに静液を塗りたぐる。その姿を見ていると……。
「クスクス。こーふんしちゃった?」
「え?」
結局この日、俺と件が交わる事は無かった。あくまでしたフリだ。それでもこの経験は俺のトラウマを払拭するだけの力があった。
その晩、俺は三年ぶりにオナニーした。
俺が誘拐されてから一週間が経過した。件の執務に俺は同席するようになっていた。
「件様」
「件様」
信託の間で大人達が件に助言をせがんでいる。件は厳格な態度でそれに応じる。
花瓶の柄を変えろだとか庭に紫陽花の花を植えろだとか件はそんなことを言うと大人達は泣いて喜び感謝の言葉を垂れた。
件の言っていた通りだ。この村の連中は頭がおかしい。
もう悠長に助けを待っている場合ではない。一刻も早く件を連れて外の町に逃げるべきだ。だが、肝心のその方法を思いつけなかった。
日中逃げても信者にすぐ気付かれてしまう。夜はあの小屋の鍵をどうにかしなければ逃げ出せない。
いっそ件だけでも逃がせないだろうか。俺と違って件なら夜中自由に動ける。
そんな事を考えていた時だった。
一人の男が襖を突き破って入ってきた。死装束のような白い袴を着ていて、
手には鉈のような刃物を持っている。
「この悪鬼めがぁ! 討ち取ってくれようぞぉ!」
男はそれこそ鬼と見違えるような異常な顔で叫ぶと、近くにいた信者の頭を掴みその首目掛けて鉈を振り落とした。
「貴様! 何をする!」
件の側に立っていたあの大柄な信者が怒りの形相で男へ近寄る。
ぱっくりと切り裂かれた喉から鮮血が噴き出て藤色の敷物を汚した。
「うわぁぁぁぁ?!」
悲鳴は瞬く間に伝染しパニックが広がる。逃げ出した信者を置くから現れた別の男が捕まえた。彼らは信者を皆殺しにするつもりだ。
「こっち」
件が俺の手を引く。パニックにまぎれて俺の側まで来ていた。
「逃げよう」
件はそう俺に微笑んだ。件の手を取って一緒に走る。
「村の方はだめ。こっちに来て」
件は迷いなく屋敷裏の藪へと入っていった。
「ちょっと待てよ。山だぞ」
「大丈夫、私を信じて」
自信満々に言う件。その足取りは軽く件は道の無い山をすいすいと進んでいく。まるで彼女を避けるように木々の合間をすり抜ける。俺も件の後を必死になってついていく。
三十分ぐらい進むと急に足場がしっかりとし始めた。石畳だ。
どうやらちゃんとした山道に着いたみたいだ。
「後はここを進むだけだよ」
「あぁ……」
俺はちらりと後ろを見た。まだ追ってきている気配は無い。
「あっ」
その時何かを踏んだ。足元には白いしめ縄が引いてあった。手入れされているのか、古い割には綺麗なしめ縄だったがはっきりと俺の足跡がついてしまった。
ぞわりと背筋が凍る。何かが俺を覗いている。そんな気配を感じた。
「大丈夫だよ。行こう」
汚してしまったしめ縄に気を取られた俺を件は手を引いて急かす。
たしかに今はこんなもの気にしている場合じゃない。
「……」
石畳の道を俺と件は手を繋いで進んだ。
「なぁ件。この道、本当に町に続いているのか?」
「大丈夫だよ。まだちょっとかかるけどそれまで一緒に頑張ろう?」
「あぁ……」
件は黙々と前を向いて歩いている。
石畳の道は山の中にあるとは思えない程、平坦だった。
道の脇に地蔵が並んでいる。
『件様のお戻りだ』
「?!」
俺は慌てて振り向いた。今、たしかに声が聞こえた。
「湊くんどうしたの?」
「いや、今何か聞こえなかったか?」
「ううん。ここなんだかちょっと怖いね。早く先に行こうよ」
「いや、でも……」
「イテっ」
件がこけた。
「大丈夫か?」
件は顔を打ったのか俯いて手で押さえている。怪我をしてたら大変だ。俺は傷を見ようと件に手を伸ばした。
その時だった。
メロディ。俺のスマホの着信音だ。
地蔵のすぐそばに俺のスマホが落ちていた。スマホだけじゃ無い。俺が誘拐された時の荷物、学生鞄もすぐそばの茂みに転がっていた。
「なんで、俺の?」
俺は一歩、石畳の道を踏み外し、スマホを拾おうと手を伸ばした。
「湊くん!」
件が声を張り上げて俺を静止した。悲痛な声だった。
振り向いた先で俺は見た。
件の片目。
黒曜石のように澄んだ瞳が二つに増えていた。
「あー……バレタカ」
ピキッ。
件の頬、手で覆い隠された中から大きなヒビが広がった。
ぼろぼろと件の肌が崩れていく。
「みなぁとくぅん」
「くだん?」
「もうすぐ。もうすぐそこだからねぇ一緒に来てよ」
半分。まだ正常な顔で件が喋る。
「嫌だ……おかしいよ。こんなの!」
「私は湊くんが欲しいの。ずっとずっと探してようやく見つけたのに。ねぇ湊くん。ミナトくん! みなぁとくん!」
ようやく見つけた。その一言で俺は察してしまった。
「嘘だったのか? 全部」
「湊くん。私を信じテ。湊くんは騙されてるの。一緒にいこうよぉ」
その時、またスマホが鳴った。
「あぁああああもうっ! 邪魔するなよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「うわぁああああ?!」
俺は思わず件を突き飛ばした。
軽い件の体はあっけなく放り出され、重力に従って落ちる。
石畳の道はいつの間にか崖に変わっていた。俺は崖の淵に立っていてその先では件が……。
「あーあ」
崖の下は岩場だった。
大きくて平べったい石の上に件の小さな身体がぶつかり、ごちんと骨が砕ける音を響かせた。
「くだん? 件!」
「逃がさないよ……湊くん……未来永劫、件はおまえの眼前へと顕れるだろう」
「産まれる子を件と……名づけ……ごほっ!」
べちゃ。
血を吐き件は息絶えた。
足元ではスマホのメロディが流れ続けている。
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