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月魚
変容
しおりを挟む都心より離れた田舎とはいえ余りに活気が無い町だ。
まだ飲食店が空いている時間だというのに繁華街は不気味なほど静かですれ違う人々はゾンビのように正気が無かった。
ある意味、この町の寂しさは今回の取材対象である彼にとって都合が良いのかもしれない。
取材を終えた私は真っ直ぐホテルへと戻った。
夜風を浴びたい気分であったが落ち着けるような場所が無かったので仕方が無い。
飾り気の無い灰色のコンクリートのホテルは寂れているという表現がぴったりで仕事で無ければ泊まろうと思わないだろう。
この町にあるホテルはここだけだった。今時、カードキーではなく只の金属鍵を使っている所もがっかりさせられる。
備え付けの安っぽい椅子に腰掛けるとどっと沈むような疲れに襲われた。
仕事柄、酒の席を利用することは多いが今回かなりの量を飲む必要があった。
直ぐにでも横になりたい欲求に呑まれそうになるが、まだ休む訳にはいかない。取材の直後でしかこの作業はできないのだ。
PCの電源を入れ、取材のメモを広げる。取材で得た直観的なイメージが残っている内に、資料を作らなければならない。
私は気付の為にと買っておいたエスプレッソを一気で飲み干し、PCへと向き直った。
さぁ、まずは情報の整理からだ。
酒で麻痺した脳にもう一度、今回の案件を順を追って説明してやらなければならない。
題材名、月魚。
事の始まりは始まりは匿名の投稿で、月魚という名前と簡単な伝承の説明が書かれていた。
その伝承というのは海で出会う奇妙な魚と性交すると富を得られるが、その代わり海へ身投げしなげればならないというものだ。
それだけでは取るに足らない民族伝承といった所なのだが、証拠として一人の男の情報が添えられていた。
その男の名は近藤剛。
生年月日や血液型といったプロフィールが書かれていたが現在の住所は分からないようで、投稿内容にはこの男を探し出して欲しい胸が書かれた。
投稿者にとってこの部分が一番重要なようでこの近藤剛という男の情報は伝承以上に事細かく書かれていた。
同封された写真には当時の当時の近藤剛と思われる浅黒く日焼けした男が太い腕を組んだ格好で写っていた。人相が悪く此方を睨んでいるようにも見える。日々の仕事でついた筋肉だろう、そのがっちりとした体格はいかにも漁師といった印象を受ける。
この近藤剛こそ今回の取材対象かつ異常姦の体験者であった。現在の近藤剛は飲食店で働く後年の男で、立派なアルコール依存症となっていた。
近藤剛への取材で月魚への確信を十二分に得ることが出来た。いや、違う近藤剛本人の姿を見た瞬間、私の中で月魚は伝承から実話へと昇華された。
近藤剛を紹介してくれた人物は彼の容姿に着いては触れないよう忠告してくれた。彼は自分の容姿につて酷く敏感だ。浴びるように飲む大量のアルコールもそれを意識しない為のものだろう。
だから、写真を撮るのは一苦労させられた。頼めば取らせてくれるという事は期待できず、結局の所、私は無音カメラを使うという強硬手段に出た。
あまり褒められた手段では無かったが、私はどうしてもその証拠を記録に残したかったのだ。
PCモニターに取り込んだ写真を見る。俯き酒を啜るように飲む男の姿が写っている。
まずエラばった顎と飛び出した大きな両目が印象的だった。顔は広く膨れそこへ貼った皮は分厚く伸びていた。
よく日焼けした褐色の肌も洞窟に住う爬虫類の様な病弱な蒼白さに変容したいた。
実際にその異形めいた形相には驚かされたが、それを表に出すことは出来なかった。
これは本物だと私は確信したのだ。私は彼を煽てて酒を飲まし、貴重な体験談を聞き出そうとした。
酒が十分に回ると近藤剛は狙い通り自らの体験談を話してくれた。
漁に出た先で件の怪魚、月魚と性交を行ったと。
月魚に関する情報は知り得た伝承の中にも殆どなく、私は彼の話でようやくその姿形をイメージする事が出来た。
だが、まだ足りない。
近藤剛から聞けた体験談は、確かに貴重な情報であったが、近藤剛は重要な事を話さなかった。
伝承には続きがある筈だ。
月魚と交わった者の元へは莫大な富が運ばれるという。漁で魚が山のように獲れたり、引いた網に沈んだ財宝が引っかかって来たり。
曰く、海に愛される。
しかし、その代償は勿論ある。海に愛された者は海を愛し、海に身を捧げなければならない。
海へ還るのだ。海で待つ番の元へ、逝かなければならない。
では、もし番となった男が海への身投げを拒絶した場合どうなるのか。
近藤剛の姿がその一つなのだろう。急激な肉体の変化は祟りと形容するしか無い。
匿名であったがこの月魚の伝承を投稿した者は恐らくは近藤剛の地元の人間なのではなかろうか。
私が思うに彼らは、恐らくは近藤剛を探す為に私達の雑誌を利用した。
これは私の空想であるが、近藤剛の地元では現在なんらかの厄災が起こっているではなかろうか。
近藤剛が逃げ出したことによる罰をそこへ住む者が支払わされる。それは自然災害であったり不可解な事故の連続であったりするものだ。
この手の禁忌物にありがちな話だが、近藤剛の変容を見てしまった以上、考えずにはいられない。
そうであれば伝承の投稿者が近藤剛を探すのは彼を連れ戻す事が目的なのだろう。
ならば、記事本編とレポートに載せる情報を吟味しなくてはならない。
私は近藤剛との接触には失敗したという体で記事を書かねばならないだろう。近藤剛の居場所を私が知っていると悟られれば今後、面倒ごとに巻き込まれるかもしれない。
異常姦の情報提供は有難いが、我々の仕事は人探しでは無いのだ。あちらの要望に答えてやる道理は無い。
それに近藤剛は取材の条件として彼の情報を一切出さないことを要求してきた。
取材の際に名刺は渡してある。雑誌の存在が知られている以上、反故すれば彼は怒るだろう。場合によっては訴えかねない。
近藤剛の今に繋がるような情報は出さないのが賢明だろう。
私は元より取材先のプライバシーは守る主義だ。当然の事だが。
しかし、そうなると残念だ。
せっかく撮った写真、載せれば反響を得られるだろうがコレを出すわけにはいかない。
桑村辺りに知られれば勿体無いと嘆くだろうが致し方が無い事だ。
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