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トクガワじいさん

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「殿、何をされてるんですか?」

 私、黒井太郎は夜分まで殿の部屋のろうそくの明かりが光っているのが気になって、都の部屋に入る。


「ん?あぁ、そろそろお迎えが来そうだから引継書」

「はい?」

「えっへん、わしって偉いじゃろ?」

「この日本で、あなたほど偉い人などおりませぬよ」

「そういうことじゃないんじゃがのう・・・」

 そう言って、不満そうにトクガワ様は筆を走らせる。
 どうやら、今頑張っていることを褒めてほしいようだ。

「そんなことよりも、どんどん侵略しましょうよ」

「わし、戦の才能ないし。無理」

 左手を横に振って否定するトクガワ様。

「えーーー、こんだけ勝ってるのに」

「んにゃんにゃ、優秀な武士たちのおかげだし、協力してくれた大名のおかげじゃよ。あとは・・・黒子君のおかげじゃ」

 ちょっと、胸がきゅんしてしまった。
 でも、すぐに自分の名前が違っていることに気づく。

「黒井太郎ですって・・・」

「ふぉっふぉっふぉ・・・っ。そうじゃったかのう」

 背中が小刻みに揺れながらトクガワ様が笑っているのがわかる。

「ごほっ、ごほっ、ごほっ」

「だっ、大丈夫ですか?」

 僕はトクガワ様の背中をさする。

「わしの背中はお前に任せる・・・ぐふっ」

「何バカなことを言ってるんですかっ」

 咳込んでいたトクガワ様もようやく落ち着いてくる。

「ふぅ・・・すまないのう・・・っ」

 昼間の重厚な衣装と違って、薄い生地だと歳を老いた体は本当に死期が近いかもしれない。

「ゆっくり余生を過ごされては・・・」

「いやじゃもーん」

 子供っぽく、赤んべーをするトクガワ様。

「なぜですか・・・トクガワ様」

 誰もが成し遂げられなかった全国統一。
 それを成し遂げたのにまだ働くと言うトクガワ様。

「わしにはなーんもない。なーんもじゃ。おだっちみたいに西洋の文化を取り入れて革新的なことをやったわけでも、ひできっちゃんみたいに農民からの日本人一の下克上をやったわけでもない。ただただチャンスが来たから、力を貸してちょーだいってみんなにお願いしまくって、みんなで勝ち取ったんじゃ。だから、最後までみんなのために一生懸命やりたいんじゃ」

「殿・・・っ」

 涙が出そうになった。
 寂しい背中。
 だけど、みんなを背負った背中。

「仕方ないですね・・・最後まで支えてあげますよ」

「わるいのう・・・黒子」

「黒井太郎ですって」

 ちょっと目は潤んだけれど、僕は笑った。
 すると、トクガワ様も目を細くして笑った。

「でも、漏らした話はいらないんじゃ・・・」

 僕は手に取った和紙を確認すると、怖くてうんちを漏らしてしまったことまで書いてあった」

「ふぉっふぉっふぉ、恥ずかしいじゃろ。でも、それがいいんじゃ」

「どこがいいですか、他の大名に馬鹿にされますよ」

 ちらっと、トクガワ様は僕を見る。

「少しくらい、欠点や弱みがあった方が親しみやすいじゃろ。それにな、わしは見せたいんじゃ」

「うんちをですか」

 ベシッ

「いたぁ」

 扇子で頭を叩かれる。

「わしを変態か何かとおもっているのか、黒子っ」

「すっ、すいません」

 頭をさすっていると、「ごめんちゃい」と言ってトクガワ様が頭をさすってくださる。

「この歳になっても、失敗を重ねる。おだっちは人生50年って言って死んでしもうた。わしがうんちを漏らしたのはだいたい30歳くらいの時かのう・・・っ。ちょーちょー失敗しても・・・ここまで来れた、みんなのおかげでのう」

「トクガワ様が俺すげーって言ってくれないと、みんな言えなくなってしまえますよ」

「しつこいのう・・・。ボケが始まってるんじゃないか?黒子。俺すげーって感じの武士と大名のおかげ、わしがここにいるのはそれだけじゃ」

 トクガワ様が立ち上がろうとするので、身体を支える。

「うんちですか?」

「バカタレ、月を見たくなったんじゃ」

 縁側へ一緒に見る。

「わしはあの月と一緒じゃ」

 僕は空を見るが月はない。
 
 新月だ。

「・・・寂しいこと言わないでくださいよ」

「いないわけじゃない。影で皆を見守っている。おだっちは太陽のような存在じゃった。そして、ひできっちゃんはおだっちが居なくなって、すぐに太陽に変わった。太陽はずーっといなければならん。けれど、わしは月でいい。わしとか、わしが引き継ぐ子孫たちもそう・・・。時には大声で音頭を取るときもあっても、今日みたいにみんなが輝くときを大事にしたい」

 トクガワ様は遠い目を食べた。

 次の日、天ぷら丼を美味そうに食べて、しばらくして息を引き取った。
 すでに将軍の立場は息子に引き継いで学ばせていたのもあったけれど、トクガワ様が書いた引継書のおかげで彼が死んでも政務にはまったく問題は無かった。

 けれど、僕や家族、彼と近しい人物たちはみんな、その死を悲しんだ。
 そして、遺品整理をしている中に僕宛てた手紙があった。

『みんなが輝けるのは、何といっても黒いお前のような黒子役がいるからじゃ。ありがとな。でも、口うるさいから早くこっちにくんなよ。大好きな黒い太郎へ』

 夜。
 
 月が薄っすら見えて、横を向いて眺めれば、トクガワ様が笑った細目が泣いている僕を笑っていた。
 


 




 
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