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一ヶ月前。
私たちの城に大名である高坂右衛門様がお見えになると言う話が舞い込んできた。その文が来て父上は私の顔を見ながらそわそわし始めて、悩んだ末に私の両肩を掴んで、
「よいか? 決して出てきてはならぬぞ」
と口調を強めて仰いました。いつも温和な父上が血眼になっていて私は少しびっくりしながらも、
「はい、かしこまりました」
と答えました。
一国一城の主である父上。とはいえ、小国で財政難であり、高坂右衛門様に資金援助を求めに行った。右衛門様はその場では返事をせずに、こちらの国の様子を見に来るとたけ告げてきた。援助してもらえるかは不明だが、厚いおもてなしをして迎えねばならない。私も本来であれば顔を合わせるのが礼儀だろうが、好色で名高い右衛門様。私には想い人がおり、右衛門様に会うのは不安だったので、私も父上の指示に従った。
「ほんにお前は、珠のように美しい」
そう言って、父上は私の頭を撫でてくださった。私はそれが好きで目を瞑りながら喜んだ。
「お前のような上玉であれば、将軍様のところでもいけようぞ」
「・・・はい」
別に父上が私を物扱いしているわけではない。父上は私を心底愛して、大事に育ててくださった。人によっては私は政の道具と言う人もいるかもしれないが、私自身、我一族菊池家の血を絶やしてならぬことは使命だと思っている。ただ、将来それが待っていると思うと、気持ちが曇ってしまう。
「では、これにて、失礼いたしまする」
「ああ」
私は父上と別れ、屋敷の中で彼を探す。
彼をからかえば、気持ちも晴れようぞ。
侍女や家来に彼の名を聞いて、庭にいるのを見つけた。彼、坂本龍之介は腕を組みながら、青空を見上げていた。そのすっきりとした頬に優しき細目の横顔は、ほんに見惚れてしまうのは私だけだろうか。
「私が大名の妻になったらどうする? 龍之介」
「そうなのですかっ?」
私が好色で名高い右衛門様が来ると言う話を一介の武士である龍之介に話すと、龍之介は面白いくらい顔を真っ青にした。
「もしもの話じゃ、もしも、の」
「はぁーーーっ。良かったぁ」
龍之介の顔色は戻り、とても穏やかな顔で息を吐く。まことに面白い男じゃ。
「何が良かったのじゃ? 龍之介」
私がさらにからかうと、はっとした顔をして、もじもじし出す龍之介。いつもは凛々しく他の武士にも一目置かれている龍之介のこのような一面を他の武士にも見せてやりたい。
(いいや、やはり、この顔は私だけのもの・・・)
「やえ様もおひとが悪い。私の気持ち、御存じではありませぬか」
「龍之介よ、ちゃんと言わねば私はわからぬ」
言って欲しいのだよ、龍之介。
そなたはあまり言ってはくれぬが、私は何度でもそなたの口からその言葉を聞きたいのじゃ。
龍之介は辺りを見渡し、人の気配がないことを確認する。刀を持てば、後ろの蝶の動きも気で分かると言われているそなたが、こんな時だけは目視確認するのだな。
「お慕いしております、八重様」
そう言って、優しく抱きしめる龍之介。嬉しくないと言えば嘘になる。
ただ、私をガラス細工と勘違いしているのだろうか。私の身体は無機質な物ではなく、熱を持った生身の人間じゃ。
「足りぬ」
顔が熱いが、息が苦しいわけではない。
私も恥ずかしいのじゃ。
そんなことを言わせずとも、ぎゅっと抱きしめて欲しい。私の言葉を聞いて龍之介が少し力を入れて、私を抱きしめる。
「まだ、足りぬ。そんなことでは、私の乙女心は去っていくぞ。いいのか、龍之介」
「大好きです。愛しくて、愛しくて・・・誰にも渡しとうございませぬ」
ぎゅっと抱きしめられて、想い人の甘い言葉を耳のあたりで聞く。こんな幸せなことがあろうか。
「では、決して離すのではないぞ?」
「そんな・・・ご無理を」
震える声に、少し緩んだ龍之介の腕。私は龍之介の背中に手を回し、彼の背中を優しく撫でる。一国の主の元に生まれた私はいずれはどこかの殿に嫁がねばならぬさだめ。ただその時が遅ければ、遅いほどいいと私たちは願うばかりであった―――
私たちの城に大名である高坂右衛門様がお見えになると言う話が舞い込んできた。その文が来て父上は私の顔を見ながらそわそわし始めて、悩んだ末に私の両肩を掴んで、
「よいか? 決して出てきてはならぬぞ」
と口調を強めて仰いました。いつも温和な父上が血眼になっていて私は少しびっくりしながらも、
「はい、かしこまりました」
と答えました。
一国一城の主である父上。とはいえ、小国で財政難であり、高坂右衛門様に資金援助を求めに行った。右衛門様はその場では返事をせずに、こちらの国の様子を見に来るとたけ告げてきた。援助してもらえるかは不明だが、厚いおもてなしをして迎えねばならない。私も本来であれば顔を合わせるのが礼儀だろうが、好色で名高い右衛門様。私には想い人がおり、右衛門様に会うのは不安だったので、私も父上の指示に従った。
「ほんにお前は、珠のように美しい」
そう言って、父上は私の頭を撫でてくださった。私はそれが好きで目を瞑りながら喜んだ。
「お前のような上玉であれば、将軍様のところでもいけようぞ」
「・・・はい」
別に父上が私を物扱いしているわけではない。父上は私を心底愛して、大事に育ててくださった。人によっては私は政の道具と言う人もいるかもしれないが、私自身、我一族菊池家の血を絶やしてならぬことは使命だと思っている。ただ、将来それが待っていると思うと、気持ちが曇ってしまう。
「では、これにて、失礼いたしまする」
「ああ」
私は父上と別れ、屋敷の中で彼を探す。
彼をからかえば、気持ちも晴れようぞ。
侍女や家来に彼の名を聞いて、庭にいるのを見つけた。彼、坂本龍之介は腕を組みながら、青空を見上げていた。そのすっきりとした頬に優しき細目の横顔は、ほんに見惚れてしまうのは私だけだろうか。
「私が大名の妻になったらどうする? 龍之介」
「そうなのですかっ?」
私が好色で名高い右衛門様が来ると言う話を一介の武士である龍之介に話すと、龍之介は面白いくらい顔を真っ青にした。
「もしもの話じゃ、もしも、の」
「はぁーーーっ。良かったぁ」
龍之介の顔色は戻り、とても穏やかな顔で息を吐く。まことに面白い男じゃ。
「何が良かったのじゃ? 龍之介」
私がさらにからかうと、はっとした顔をして、もじもじし出す龍之介。いつもは凛々しく他の武士にも一目置かれている龍之介のこのような一面を他の武士にも見せてやりたい。
(いいや、やはり、この顔は私だけのもの・・・)
「やえ様もおひとが悪い。私の気持ち、御存じではありませぬか」
「龍之介よ、ちゃんと言わねば私はわからぬ」
言って欲しいのだよ、龍之介。
そなたはあまり言ってはくれぬが、私は何度でもそなたの口からその言葉を聞きたいのじゃ。
龍之介は辺りを見渡し、人の気配がないことを確認する。刀を持てば、後ろの蝶の動きも気で分かると言われているそなたが、こんな時だけは目視確認するのだな。
「お慕いしております、八重様」
そう言って、優しく抱きしめる龍之介。嬉しくないと言えば嘘になる。
ただ、私をガラス細工と勘違いしているのだろうか。私の身体は無機質な物ではなく、熱を持った生身の人間じゃ。
「足りぬ」
顔が熱いが、息が苦しいわけではない。
私も恥ずかしいのじゃ。
そんなことを言わせずとも、ぎゅっと抱きしめて欲しい。私の言葉を聞いて龍之介が少し力を入れて、私を抱きしめる。
「まだ、足りぬ。そんなことでは、私の乙女心は去っていくぞ。いいのか、龍之介」
「大好きです。愛しくて、愛しくて・・・誰にも渡しとうございませぬ」
ぎゅっと抱きしめられて、想い人の甘い言葉を耳のあたりで聞く。こんな幸せなことがあろうか。
「では、決して離すのではないぞ?」
「そんな・・・ご無理を」
震える声に、少し緩んだ龍之介の腕。私は龍之介の背中に手を回し、彼の背中を優しく撫でる。一国の主の元に生まれた私はいずれはどこかの殿に嫁がねばならぬさだめ。ただその時が遅ければ、遅いほどいいと私たちは願うばかりであった―――
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