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竜司と子猫の変わる日々

僕が元彼の為人を知った件

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 大学に進学するときに長かった前髪は切った。最初は大学のなかでも『相手』を探したけど、構内で顔を合わせる相手というのは、何かと面倒だってことに気づいた。だから、二年に上がってからは、いつもいつもフードを目深に被って顔を隠し気味にして、相手探しもマッチングアプリがメインになった。
 まあ、でも、構内で僕がビッチだとかスキモノだとか教師たちに体を売ってるだとか彼女持ちの男を寝取る専門だとか、聞いてて呆れるくらいの噂が広がってるのは知ってる。大半が偽りだけど。
 気持ちのいいことが好きで何が悪いの。セフレがいる人だって珍しくないのに。
 僕のことを一番大切にしてくれる人を構内で探すことを諦めた頃に、樋山君が声をかけてきた。
 遠巻きに見てる人はたくさんいるけど、声をかけてくる人は珍しかった。しかも、とにかくしつこくて、何度断っても引かなくて、だったら一回だけ…って前提でホテルに行った。
 それで終わると思ったのにその後もずっと声をかけられて、辟易していたから了承した。丁度、セフレも誰か一人もいなかったし。それが、およそ一ヶ月前。
 すこし強引なところもあったけれど、付き合ってみると樋山君は優しくて誠実な人だと感じた。セックスだって僕のことを気遣ってくれたのか、少ししたらガツガツしなくてじっくりと快感を引き出されるようなものになった。
 何度も『好き』と言われて、僕も『好き』って思い始めて。
 もしかしたら本当に、樋山君が僕の『唯一の人』なのかもしれない─⁠─⁠─⁠と思い始めた矢先の浮気発覚。
 高まっていた気持ちは一気に冷めた。




 開始十分前に講堂に入った。
 いつもの隅っこの席に落ち着いてから、スマホを開く。
 ……まだ運転中だろう竜司さんからは、なんの連絡も入ってない。
 一応、『ついたよ』ってスタンプを送ってみる。会社につく頃に見てくれるかな…って思っていたのに、あっという間に既読がついてスタンプが送られてきた。子猫が、耳を伏せて寂しそうにしてるやつ。
 スタンプが可愛い。
 ……というか、運転中、だよね?
 危ないなぁ…何してんだろあの人。
 そうは思うものの、僕の口元に笑みが浮かんでるのは自覚してる。どう返そうか…って指を彷徨わせていたら、また、スタンプ。

『会いたい』

 って、子猫のつぶらな瞳が僕を見てる。

「……さっき、『いってらっしゃい』って言ったばっかなのに」

 スタンプは可愛いけど、なんか竜司さん自身も可愛い。
 いつもと違って視界に陰りがない。
 フードがないから、って、ただそれだけなんだけど。
 こっちのほうがいい、って竜司さんに言われたから、両サイドをヘアピンで簡単に止めているだけ。視界がクリア。そもそも、竜司さんのカーディガンを着てるから、フード付きの服は無理だし。
 ……でも、不安も何もない。カーディガンからはまだ竜司さんの匂いがしてる。
 どうしても浮かんでくる笑みを隠しながら、『僕も』ってスタンプで返した。




 午前の講義が終わった。
 午後にバイトがある日は、お昼はなにか適当に買ってバイト先の休憩室で食べる。
 今日もその流れだからさっさと片付けて講堂を出たのだけど。

「のぞみっ」
「え」

 出た途端、腕を強く掴まれて引っ張られた。
 講堂から出てくる人波から離れるように腕を引かれる。

「ちょ」
「話がある」
「いや、僕にはないから…っ」

 僕の腕を引いたのは樋山君だった。
 あのタイミング、て。待ち伏せされてたってこと?
 ギリギリと掴んでくる手から逃れたくても、僕は非力すぎた。全然手を離せない。

「あのさ、離してくれない?」
「離したら逃げるだろ」
「逃げて悪いことないと思うんだけど」
「……俺はお前の恋人だ」

 まだ人目の多い廊下で、一体何を言い出すんだろう。

「恋人じゃない。もう別れた」
「俺は承諾してない」
「あのね……っ」

 好奇な目に晒されることは慣れてる。どんなに僕が嫌がっていても助けに入ってくれる人がいないこともわかってる。
 腕を掴まれて引きずられるように、僕は人の気配のない空き部屋に押し込められた。内側から鍵はかからない部屋らしいのが幸いだけど、逃げる間もなく壁に押さえつけられた。

「いい加減に……っ」
「なあ、拗ねてるだけだろ?」
「は?」
「俺が水斗を部屋に連れ込んでたから、お前は拗ねてあんなこと言い出しただけだろ?」
「……なに」
「俺はお前のことが一番好きなんだ。だからお前のことを壊したくない。俺の性欲に付き合ってたらお前が保たないだろ?水斗はその性欲をある程度発散させるだけの相手なんだ。だから、浮気なんかじゃない。俺は、お前のために水斗を抱いていたんだ。その何が悪い?」
「………」

 何言ってるんだろう。

「僕は……」
「電話も何も通じなくて心配してたんだ。な?お前が嫌ならもう家ではヤらない。お前のことが好きなんだ。卒業のとき言おうと思ってたけど、この先もずっとのぞみといたいんだ。マンションも買う。毎日一緒にいるのは無理でも、週のうち四日はのぞみと過ごせるようにする。それに、働かなくていいし。のぞみのことも養えるだけの稼ぎはあるから。わかってるか?今俺はお前にプロポーズしてるんだ」

 ねっとりと僕を見る目に悪寒を感じて、背筋から汗が流れ落ちる。

 意味がわからない。

 家では?
 マンションは買うのに、毎日一緒が無理?
 僕のことも養う?

 ……全部、僕以外の誰かがいる話だ。

 竜司さんは、そんな事言わなかった。
 ずっと僕が作る朝食を食べたいとか。
 これからはずっと僕一人だとか。
 僕が好きなものを揃えるだとか。

 全部、僕のために。

「卒業なんて待たなくていいか。のぞみ、今日中にマンションを用意する。明日からはそこに住んでくれ。バイトも必要ない。大学だって通う必要はないけど…、のぞみが卒業したいならそこまでは強制しない」

 コクリと、僕の喉が鳴った。
 冷や汗は止まらない。
 樋山君の目は僕を見続けている。瞳の中に昏い感情が見え隠れしてるように思う。

 怖い。

 こんな人だったなんて。
 どうして僕はこの人を好きだと思えていたんだろう。
 僕が示した付き合う条件なんて、この人にとってはなんの意味もなかった。
 僕に『好き』と言いながら、平気で別の誰かを抱ける人だったんだ。

「のぞみ」
「っ」

 上がる口角。
 薄気味悪い笑み。
 顎を掴まれて、顔を固定された。

 キス、される。

 まだほんの少し、竜司さんの唇の感触が残る唇に、他人が、触れてくる。

「いやだ……っ」

 触れそうになったとき、顔を背けた。
 それから思い切り、足を、振り上げた。

「!?…!?!?」

 声にならない呻き声をあげて、樋山君はその場に頽れた。当然、僕を拘束していた手も離れた。

「の、ぞみっ」

 股間狙いの蹴り上げは、圧倒的な力の差がある僕が、唯一逃げ出せる方法。……同じ男として死にそうなくらい痛くて辛いことはわかっているけど、自衛のために仕方ない。
 同情も何もない。
 僕に向かって伸ばされた手を無視して、僕はその空き部屋から逃げ出した。




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