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本編

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 それから俺は、兄と、屋敷に戻った男爵から話を聞いた。
 マティが生まれつき体が弱かったこと。
 物心つく頃には毎日大量の薬を飲んでいたこと。
 食物の殆どを体が受け付けず、なんとか食べられるものを少量ずつ摂っていたこと。
 それでも体は良くならず、薬も効果がなくなったこと。
 薬を飲み続けるほうが苦痛であり、効かない薬ならもう飲まなくてもいいと、家族と主治医で話し合ったこと。
 その時点で余命は半年前後。
 せめてやりたいことを…と、一度も袖を通せなかった制服を着て、学園に行った。
 学園長も医療室の責任者も事情を把握していたらしい。
 授業にはほとんど出られず、それでも制服を着て学園の空気に触れることが、何より楽しそうだったと。
 時々休んでいたのは、栄養補給のための治療を受けていたから。
 温室を使えたのも、そんな事情を学園側が把握していたから。

「楽しそうにはしてましたが、殿下とお会いしてからのマティアスは、それまで以上に毎日が幸せそうでした。マティアスの口からは、毎日のように殿下のお話ばかりを聞いておりましたよ」

 少し疲れたように笑う男爵。

「……男爵は……、私とマティ…、マティアスのことを」
「はい。存じておりました。元々、秋を超えることはないと言われていたマティアスが、奇跡のように元気に笑い続け、なんとか生きようとしている姿に、私達はなんども救われましたし、その源が殿下の存在だということもわかっておりました。私達は奇跡を願いました。このまま殿下と想い合っていれば、生きる気力を取り戻し、病に打ち勝つのではないかと。……ですが」

 男爵は目を伏せた。

「病は治らなかった。秋に入る頃には、それまで食べることができていたものも、受け付けなくなっていったのです」

 その頃、俺に会うまでに食べ終わっていると思っていたのに。何も、食べていなかったのか。

「辛いだろうに、マティアスは笑いながら貴方のことを話し続けた。貴方に会いたがった。栄養はなんとか薬で補いました。主治医の先生はそれくらいしかできないと苦しそうにしておりましたが、マティアスは『これで学園にいけます』と笑うのですよ。『ヴィルに会える』と」

 少し眉をひそめ、困ったように笑うその顔は、マティそっくりだった。

「ですが貴方は王太子です。婚約者殿がいらして、成婚の日取りが決まったことも知っていました。……別に、そのことで貴方を恨んでいるとか、そういうことではありません。貴方には、感謝しかありませんから」
「……マティアスからは、カサンドラを、婚約者を愛せと言われました。世継ぎは私より優秀になるだろう、と。彼はいつも、カサンドラのことを気遣ってくれていたんです」
「マティアスは貴方を王太子妃様から奪い取るつもりはなかったのですよ。国に世継ぎが必要なことも、自分の命が残り少ないことも、全て理解してましたから」

 男爵は一口、紅茶を飲んだ。
 息を付き、再び私に向き直る。

「秋を超えられないと言われていたマティアスは、冬を超えることができました。春も迎えることができました。殿下のおかげだと思います。殿下にお会いしたい思いが、なんとかマティアスをこの世に繋ぎ止めていたのだと思います。……ですが、体は限界だったようです。春の終わり頃から、何日も目を覚まさない日が出てきました。高熱が出たと思えば、死人のように体が冷たくなったり。それでも少しでも体調の良い日は、殿下に会うために城へ行きました」
「送り迎えをしていたのはわたしです。帰りの馬車の中で、いつも殿下のことを話していました。……そして、最後に登城した日の帰り道に、マティアスは急変しました」

 俺が抱いた日。
 二人だけのダンスをした日。

「足は動かせず、心臓は度々止まり、呼吸も浅く、乱れました。マティアスは目が見えるうちに、手が動くうちにと、殿下に手紙を書きました」
「……この、手紙を」
「ええ。苦しいはずなのに、美しい文字を、何時間もかけて一文字、一文字。とても、幸せそうに微笑みながら」

 なんの言葉も出ない。
 そんな苦しみは、この文字からは何も感じ取れないからだ。

「書き終えてすぐ、手も動かせなくなりました。もう水も受け付けない。目が見えなくなり、赤い瞳は虚ろに一点だけを見つめるようになった」
「殿下から届いた手紙は私が読み上げました。貴方からの言葉を聞いて、マティアスの虚ろな瞳から涙が溢れ、それでも口元に笑みを浮かべ、好きだった歌を掠れる音で歌い出しました。もう話すこともできなかったのに」
「マティアスは歌い続けました。殿下からの手紙が届いたのは夕刻でしたが、それからずっと、歌い続けていました。……そして、夜明け頃、その歌声が少しずつ弱くなりました。家族も、主治医の先生も、使用人たちも、全員が彼の傍におりました。歌声が途切れ、マティアスの唇が僅かに動き、虚ろだった目が閉じました。……恐らく、最後に殿下のお名前を呼んだのだと思います。彼の死に顔は、とても幸福そうでした」

 手紙を出した日の夜に聴いた歌声。
 あれは本当にマティのものだったんだと気づいた。
 彼の想いが、俺に届いていたのか。

「貴方に遺髪を送ったのは私達の判断です。貴方の手元に、一部だけでも、と。……ご連絡が遅くなり、本当に申し訳ありません」
「……いえ。送ってくれたこと、こうして話を聞かせてもらえたこと……、ありがとうございました」

 今後も花を手向けに来ることを了承してもらった。
 城に戻ると父を筆頭に酷く叱責された。
 理由を問われれば、大切な親友が死んだと聞き、事実を確認に行ったと説明した。

 城に戻ってから涙は出なかった。
 遺髪は適度な大きさの革袋に手紙と共に入れ、常に身につけた。


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