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本編

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 自分が今何をしていて、どこにいるのか、何を食べて、何を飲んでいるのか、何一つわからなかった。
 決められたことをただこなしていく。
 授業らしい授業はもうない。
 卒業式の手順とか、卒業後の話とか。
 そういう説明みたいな授業ばかりだったはずだけど、何も覚えていない。

 頭の中では、レイとアベルが婚約した話ばかりが繰り返し繰り返し渦巻いてる。
 アベルが花籠持ちだったなんて、全然知らなかった。アベルは細身だけど、ぼくのような体格ではなかったから。
 いつから決まっていた婚約だったんだろう。どうしてぼくに教えてくれなかったんだろう。
 レイがぼくを抱かなくなったのは、アベルとの婚約が決まったから?
 公爵家令息のアベルなら、王太子のレイに釣り合う。誰もが認める良縁だろう。
 けど、なんで。

 アベルもレイのことが好きだったのかな。
 レイもアベルのことを好きだったのかな。

 胸の中が苦しくなる。
 レイが誰か別な人を選ぶよりも、アベルが誰か別な人を選ぶよりも、この方がいい……って思うのに。
 幼馴染みとして、ちゃんと祝福の言葉くらい用意しなきゃって思うのに。
 無理。

 レイがぼくじゃなくてアベルを選んだことに苦しくなっているのかな。
 アベルがぼくと同じ花籠持ちでレイを選んだことに苦しくなっているのかな。
 不完全な花籠しか持たないぼくは選んでもらえなくて、不完全でも花籠があるぼくは選んでもらえない。

 思考が滅茶苦茶になっていった。
 ベッドの中で下腹部に手を当てる。
 こんな不完全な花籠なんて、なければよかった。
 そしたら、期待することも、失望することもなかったのに。

「いらない……こんなの」

 こんな印、消えてしまえばいい。
 そしたらぼくはただのセレスティノになる。
 だから、ぼくの思いと一緒に消えてなくなってほしい。




 少なくなっていた食事の量がもっと少なくなった。でもそれを咎めたり、心配してくれる人は、ぼくの近くにいない。
 体重も体力も落ちたことには気づいていたけど、無理に食べれば吐いてしまうし、どうしようもなかった。

 冬の季節の終わり頃が卒業式。だから少し気温は上がっていて暖かく感じる。
 けどぼくは寒くて仕方なくて、夜は布団と毛布にくるまりながら、無駄に広いベッドの上で、ぽつんと一人で眠る。

 卒業式の朝、スープしか口にできなかった。
 夜には卒業記念パーティーがあるけど、ぼくは出ない。
 荷造りは終えた。持っていく衣類は少ししかない。レイとアベルが買ってくれた服は、クローゼットに残した。
 備え付け以外のもので部屋に残ったものは、学院側が寄付とかに回したり処分したりしてくれるから。
 小さめのバッグ一つ分。それだけがぼくの荷物。

 胃がきりきり痛むのを感じながら、式が行われる広間に向かった。
 ぼくのクラスは後ろの方の席。さらにその隅っこにぼくは腰掛けた。
 段々人が増えていく広間。
 暫くして、一段とざわめきが大きくなった。
 広間に入ってきたのは、微笑みあうレイとアベルだった。
 二人寄り添うように並び、レイがアベルの手を取って、エスコートしてる。
 あちこちから「おめでとうございます」って声が飛ぶ。アベルは笑顔で会釈して、レイも笑顔で「ありがとう」と答えていた。
 ぼくの方に視線は向かない。ぼくも、視線を外した。
 お腹が痛い。
 気持ち悪い。

 淡々と進んでいく式。
 最後に卒業生代表としてレイが壇上に上がって答辞を読み始めたけど、ぼくは顔をあげることができなかった。

 式が終わるとレイとアベルが所属するクラスから退室となった。
 盛大にあがる拍手は、きっとレイとアベルを祝したものだ。
 ぼくのクラスが退室になる頃には、みんなの話は今夜のパーティーのことばかりになった。
 ぼくはひたすら早足に寮に向かった。
 家族が来ていた人たちは、家族と一緒に卒業を祝っている姿があちこちにあった。
 父様たちは今日は来ていない。来なくていいって手紙で知らせている。…明日、カレスティア領に戻れば終わるのだし。

 寮の部屋について、制服を脱いでベッドに入った。体がカタカタ震える。
 昼食も夕食も摂らず、ベッドの中で震えてた。
 最後に見たレイとアベルの姿が、頭の中に浮かんではきえる。
 ……寒いよ、レイ、アベル。
 ずっと一緒、って言ったのに。傍にいるって言ったのに。
 ぼくの傍には誰もいない。
 ……でも、いい。
 もう、終わるから。




 翌朝の目覚めはひどかった。
 何度も夜中に目を覚ましてよく眠れなかった。
 運ばれてきた朝食のお茶だけを飲んでから、まだ朝早い時間に小さなカバンを持って部屋を出た。
 寮監室に寄って鍵を返却して、馬車が待つ場所に行く。
 何台も馬車が並んでるけど、朝早いからぼくの他はまだ誰もいない。

「セレスティノ・カレスティア様ですか?」
「――――はい」

 まるで執持みたいな人が、ぼくに気づいて近づいてきた。

「お待ちしておりました。こちらです」
「はい」

 父様が手配してくれていたのかな。
 お礼、言わなきゃ。

 執事みたいな人に案内されたのは、外装と内装がちぐはぐな馬車だった。
 外装はいたって普通なのに、中に使われているクッションや足元のラグがかなり質のいいものだった。これから長距離移動になることを考えると、これはとてもありがたいと思う。
 荷物を足元に置いて、腰を落ち着かせてほっと息をついたら、執事みたいな人が「失礼します」って顔を出してきた。

「こちらをどうぞ。気分が落ち着くお茶です」
「ありがとうございます」

 湯気の上がるマグカップを渡された。
 ぼくの好きな香りで、飲むと体の中がぽかぽかしてくる。

「――――ありがとうございました。行き先は」
「存じております。安心してお寛ぎください」
「……はい」

 ニコリと微笑んだ執事みたいな人は、ぼくからマグカップを受け取ると、馬車の扉を閉めた。
 それから間もなくして、それほど揺れることなく走り出す馬車。
 穏やかに揺られてるうちに、どんどん眠くなっていった。
 昨夜はあまり眠れなかったから。
 はしたないかな…と思いながら、ふかふかの座席にクッションを枕にして横になった。
 ……心地良い。
 ぼくはすぐに眠りに落ちた。


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