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エルフの隠れ里
1 ◆クリストフ
しおりを挟む伸ばした手の先には、もう何もなかった。
いつも感じているアキの魔力は欠片すらどこにもなく、この付近にはいないことがわかる。
「オットー!」
剣に手をかけたまま、馬車を降りて呼びつけた。
わかっている。わかっているが、それでも少しの期待は持ちたい。
「殿下?」
俺の剣幕に野営準備の指揮に回っていたオットーが、表情を強張らせて近づいてくる。
「今すぐ付近の捜索に全員向かわせろ」
「何が……」
「アキが攫われた」
全員から息を呑む音が聞こえてきた。
「アキラさんが…?馬車の中に殿下といらっしゃったのでは……」
「エルフだ」
「っ」
「御前試合に紛れ込んだだろ。……あの男が転移を使えた」
あの日、あの男は会場から、大勢の目の前から、あっさりと姿を消した。
目くらましなどではなく、完全に転移を使いこなしていた。
「すぐに探索に向かいます」
「ああ」
野営の準備は後回しだ。
見渡す限りの平地。
……この近くに潜んでいる可能性は、殆ど無いだろう。
団員を探索に向かわせながらも、考えるのは今後のことばかりだ。
自分が妙に落ち着いていると感じるのは、あの男がアキを害するとは思えないからだろう。
気まぐれなエルフのやることだ。深く考えても仕方ない。
それより、『南の森』だ。
招かれた、ということは、その付近に行けば何らかの接触はあるんだろうが……、『南』というだけでは範囲が広すぎる。まさか、国境を越えることはないだろうが。
だが、できるだけ早く移動したい。
「ヴェル」
ずっと馬車と並走させていた相棒は、呼べばすぐに近くに来た。
「アキを迎えに行こうか」
首を撫でれば目を細めて頷くように頭を振った。
夜の闇が訪れる前に、陛下と兄上に今回の視察の件とアキの誘拐についての報告を紙に書きつけた。封蝋はないが、問題はないだろう。
探索に向かっていた団員たちは、完全に暗くなる前に戻ってきた。
ランタンで照らせる範囲も限られている。
「殿下」
苦々しい表情のオットーを筆頭に、全員が同じような顔をして俺の前に膝をついた。報告を聞かなくてもわかっていたことだ。
「これから団をわける。オットー、ザイル、俺についてくれ。ここから南に移動する」
「「御意」」
「――――エアハルト」
「はっ」
「お前もだ」
「!」
オットーの表情が歪むが、必要だと呑んだのだろう。特に何も言ってこない。
「お供させていただきます…!!」
ここでアキがどうと叫ばないあたり、エアハルトもそれなりにわかっているのだろう。
「ブラントン」
「はい」
「残りの者を連れて王城へ帰還せよ。俺たちが戻るまで王太子殿下の指示の下、役割を果たせ。城に戻り次第、これを陛下と王太子殿下に」
「承りました」
用意した書状をブラントンに渡し、もう一度皆に視線を流す。
「アキのことは心配するな。あれがただ黙ってるとは思えないからな」
目を覚ませば転移で飛んでくるかもしれない。
……考えたくはないが、エルフの隠れ里で目を輝かせているかもしれない。
「南へはこれからすぐに向かう。オットー、荷物の確認を。王城への帰還組は明日早朝に出ろ」
「「御意」」
それからは普段の野営とは全く違う雰囲気で準備が進んだ。
オットーには予備の収納袋を渡し、必要なものを準備させる。
南の森が、どこを指すのかはからない。途中の村や街で食料を調達する必要はあるだろう。
外套を羽織り、鞍の後ろ側に小さめのランタンをかける。
「ヴェル、お前なら離れていてもアキの魔力を見つけることができるな?」
タリカで誰よりも早くアキの魔力に勘づいたように。
「アキがいるのは南だ。エルフの隠れ里にいる。何かに気づいたら遠慮なくそこへ向かえ」
ヴェルは低く嘶き、頭を振る。
アキと共にマシロも姿を消した。恐らくアキの傍にいるんだろう。
「殿下、準備完了です」
三人とも該当を羽織り、それぞれの愛馬にはランタンをかけている。
「行こう」
周囲を確認してからヴェルに騎乗する。そうすれば彼女は自然と馬首を南に向けた。
全員が騎乗すると、帰還組は一斉に膝をついた。
「無事のご帰還、城でお待ちしております」
「――――頼んだ」
それを合図として、走り始める。
緊急でない限り、夜間の移動は行わない。
だが、今は、少しでも早くアキの傍に近づきたい。
徐々に速度を上げながら、平原を突っ切っていく。
夜空を見上げ方角を確認し、そういえばこんな走りは久しぶりだな…と思う。以前は昼も夜も関係なく走っていた。休憩は最低限のものしか取らず。
けれどここ最近は随分ゆとりを持つようになった。それもこれも、アキがいるから。
ふ……っと、口元に自嘲の笑みが浮かんだ。
害されることはないだろうとか、余裕でもありそうな思考を繰り返していたというのに、本心では俺は焦りに苛まれているらしい。
アキを失った不安。
アキを永遠に失うかもしれない不安。
……何一つ、余裕などなかった。
「速度を上げる」
風を切りながらも張り上げた声。
俺を支配する不安を振り払うように。
アキ。
どうか、無事でありますように。
俺がすぐに迎えに行くから。
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