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閑話 ③

記憶 ◆長野

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 その日は朝から何か違和感を感じていた。
 何か忘れているような、置いてきてしまったような、そんなもやもやする感じだ。
 いつも通りの朝だった。
 だいぶ暖かくなってきて、春なんだなぁとしみじみする季節。
 今年の桜はいつ頃咲くだろうかと、目に入る桜の木を見ながら思う。

 教室に入って適当に挨拶を交わしながら、釈然としない何かを感じた。
 ふと、カバンにつけられた剣のキーホルダーを見て、映画面白かったな、と、思う。も楽しんでたし。また今度誘ってみよう……と、そこまで思い、はたと気づく。
 ――――あいつ、って?
 誰だっただろう。
 映画には行った。それは間違いない。
 一人で?……いや、二人で。並んで。
 楽しそうに見てる横顔が、なんだか可愛く見えて……?

 ……わからない。
 わからないことが、気持ち悪い。
 黒と、緑がかった青色が、何故か鮮明に脳裏に浮かぶ。
 でも、それが何かがわからない。

 おいおい。
 この年から物忘れか?

 溜息を付きながら剣のキーホルダーに触れた。

 その、瞬間。

「――――っ」

 頭の中に忘れていた笑顔が浮かぶ。
 落ちてくるサイドの髪をヘアピンでとめて、サイズの合わないどう見ても大きすぎるカーディガンを羽織って、楽しそうに映画を見ていたのに時々切なそうに目を細めるすがた。

「……杉、原?」

 思い出せばたったそれだけのことだった。
 なんで忘れてたのか理解できない。

「変なの」

 それより、映画は喜んでたし。
 また行こう、って約束したし。
 次は何がいいだろう。
 タイミングよく好きなアニメ物が公開されるわけでもないし。
 なら、洋画か。
 杉原の好きそうなやつなら、アクション物か、アドベンチャー物か。
 体調戻ってるならご飯食べに行ってもいいよな。それか、お茶か?甘い物好きだから、ケーキの評判の店とか、かな。

「長野ーはよ。キーホルダー触って何ボーッとしてんの?」
「おはよ。ボーッとしてたつもりはないんだけど、杉原誘って、次どこ行こうかと思って」
「ふうん??」
「この間も映画行ったからさ。次は何か食べて帰れたらいいなと思ってさ」
「……デート?」
「は?」

 なんで杉原と出かけるのがデートになるんだよ。

「デートじゃないよ。あいつだって家にいるだけなんだし暇だろ?あ、それとさ、春休みに入ったら、杉原ん家で、セッションやろうぜ。俺、連続シナリオキャンペーン考えておくから」

 色々構想はしてあるし。
 そう考えていたら、何故か怪訝そうな顔をされた。

「杉原……って、だから、彼女なんだろ?TRPG好きなの?このガッコ?いたっけ?杉原なんて女子」
「は?」

 ……二度目の、『は?』は、一度目よりもかなり大きく響いた。

「ちょっとまって。お前こそ何言ってんの?杉原だよ。杉原瑛。春に事故に遭って、九月にようやく目を覚ました」
「いやいや、長野こそ何言ってんの?そんなやついないじゃん」
「………は?」

 なんか、クラスの皆も俺を見ていて、目を合わせると首を横に振る。
 そんなはずないだろ…って改めて教室の中を見ると、一応置かれていた杉原の机がなくなっていた。

「え……」
「なになに。夢でも見てた?駄目だよ長野。夢と現実ごっちゃにしたら」
「………嘘だろ」

 おかしい。
 こんなの、おかしい。
 だって、俺の中にはちゃんと杉原の記憶があるんだ。
 この間、映画を観に行ったときの、やり取りも、全部。
 『また行こう』って言ったときの、少し困ったような、でも、嬉しそうな顔も。全部。

 ……全、部。

 でも、待って。
 俺、忘れてたじゃないか。
 誰かといったはずの映画を、誰と行ったのか、顔も名前も何もかも思い出せなくて。
 そうだ。
 あいつからもらったキーホルダーを触ったら、いきなり、思い、出して。

「佐藤!」
「なんだよ?」
「ちょっとこれ触ってみて!」
「はぁ?」

 ゲーム仲間の佐藤に剣のキーホルダーを触らせる。眉間にシワが寄っているけど。

「な、思い出したか!?」
「何を?」
「だから、杉原のこと――――」
「ないって。長野、あんま夢を引きずるなって」
「そんな……」

 俺は愕然としたまま朝を過ごし、その日一日、杉原の痕跡を探しまくった。
 …結局、誰も杉原のことを覚えていなかった。担任の先生でさえも。
 放課後、図書室で事故のあった日と、翌日の新聞を見たけれど、そんな事故はどこにも記載がなかった。
 全て、全て消えた。

 図書室を出て、急いで向かったのは、杉原の家。
 共働きだから、もしかしたらいないかもとは思ったが、いても立ってもいられなくて、走って向かってしまった。

 荒い息を整えることもせず、インターフォンを鳴らせば、すぐにおばさんが出てくれた。

「あら、長野君――――」
「おばさん…杉原は……瑛は、どこに、いますか!?どこにも……誰も、瑛のこと覚えてなくて……、それで……っ」
「長野君……落ち着いて。中に入って。お茶を入れるから」
「………は、い」

 玄関に通された。
 そこには、杉原の靴はなかった。

「どうぞ」

 食卓テーブルに通されて、お茶をいただく。
 一口飲んだら、少し、落ちついて。

「おばさん、瑛は――――」
「あのね」

 うっすらと目元を滲ませながら、おばさんが俺に語ってくれたことは、あまりにも信じがたいことで。

「最初で最後の魔法だったんですって。皆、忘れてしまうけれど、私達にだけは、辛いかもしれないけど忘れてほしくなかった、って。きっと、その中に長野君も入っていたのね。あの子から何か貰ったものがあったなら、それがきっかけだったのかも」
「………そんな、こと」
「信じられないわよね。でもね、信じる以外なかったのよ。瑛は私達の目の前で消えた。部屋にあった瑛の私物は、ノートと机以外何もなかった。写真もね。瑛がいたはずのところは何もなくて、私達夫婦だけの写真とか、そんなのばかりなの。戸籍も調べてみたけれど、瑛の名前はどこにもなかった」

 ……今朝。
 杉原がいなくなったのは今朝。

「……そんな、魔法、みたいな……」
「だから、魔法なのよ。……引き止めても、あの子は幸せにはなれなかったのよ。あの子の心はずっと、向こうの世界にむいていたのね」

 おばさんは、溢れた涙を、ハンカチで軽く拭っていく。

「寂しくないわけないの。泣き叫びたいくらい寂しいわ。あの子と過ごした何もかもが消えてしまったんだから。……でもね、親として、見守ろうと決めたのよ。遠く離れた場所にいても、会えなくても。それでも私達は、瑛の親だから」

 そんなことを聞かされたら、もう、俺は、無理矢理にでも納得するしかなくて。
 杉原の家を出てから、放心状態で家路についた。
 ぼんやりと、この世界を眺め。
 杉原が異世界に行ってしまったなんて、やっぱりまだ、信じられなくて。
 それから――――自分が杉原のことを好きになってたのかってことを、自覚して。

「……馬鹿だなぁ」

 あの似合っていた青緑のカーディガンも、少し伸ばしていた髪も、大事そうに持っていたアクセサリーも。
 全部、杉原の大事な人に繋がっていたなんて。

「……ほんと、馬鹿だ。俺」

 妙に構いたかったのも、可愛く見えていたのも、好きになってたから。
 もっと早く気づいていたら、引き止めることができたんだろうか。
 俺のこと、意識してもらうことができたんだろうか。

 もう、今更。
 考えたって仕方ないことだ。








 四月になってそろそろ新学期が始まるという頃。
 杉原のおばさんから連絡が来た。
 家に来てほしいと言う内容で、すぐに向かう。
 丁度、おじさんも休みだったようで、妙に機嫌のいい二人に迎えられて、ソファに落ち着いたら手紙を見せられた。

「え」

 日本語で書かれた手紙。
 それから、着飾って、綺麗に化粧もして、幸せそうな笑顔で、これまたとんでもなく格好いい青年と並んだ杉原の絵。

 どうやら、隣の青年――――異世界の王子だとか――――との、結婚式の絵だそうで。

「写真はないから、絵心のある人に描いてもらった絵を、手紙と一緒に送ってくれたみたい。人は無理だけど、手紙くらいなら、ですって」
「……王子で格好いいとは聞いてたが、よすぎるだろ……」
「……でも、杉原――――瑛、凄く幸せそうですね」

 絵の中の杉原は、見たことがないほどの綺麗な笑顔だった。

 ……なんか。
 もう、色々と。

 いいか、と。

 杉原が幸せで、笑っているなら。
 もう、それで。

 告げることのなかった恋心は、静かに静かに、昇華していった。

 今はただ、お前が幸せであることを祈るよ。
 だから、どうか。
 王子様とやら。
 いつまでも、いつまでも、杉原を大切にしてくれ――――



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