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第5章 王子サマからの溺愛は甘くて甘くて大変です。

88 糸 ◆*****

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 頭の中に糸が絡まる。
 普段はなんてことないのに、あの人を見ているとその糸は熱く脳を焦がしていくように感じた。




 私は誰よりも殿下を敬愛している。
 誰よりも、だ。
 あの腕に惚れた。
 凍りつくような瞳に心臓を射抜かれた。
 克己的で禁欲的な姿勢に欲情した。
 それと同時に、己の内に潜むドロドロとした肉欲を含む感情に辟易した。
 殿下はあれほどまでに清廉潔白だというのに。
 私が少しでも殿下に近づくために、私自身を律しなければならない。
 殿下の隣に立つにふさわしくあろうと。
 身形も、言葉も、所作も。全てを整えた。
 当然、戦いにおいても背を預けてもらえるように、剣の腕を磨くことも怠らなかった。
 戦いのあとの昂りを鎮めるため、いつ閨に呼ばれてもいいように準備も欠かさなかった。
 今日だろうか。
 明日だろうか。
 中々その日が訪れなくとも、いつか呼ばれる、そう思いながら準備はし続けた。




 けれど、その殿下はある時を境に変わられてしまった。
 ほとんどみたことのなかった笑顔。
 なのに、黒髪黒瞳の少年が現れてからというもの、殿下は笑顔でいることのほうが多くなった。
 張り詰めていたものが漸く解けた、そんな変わり方だった。
 私は知らない。
 蕩けるような笑顔も、愛しさに溢れた眼差しも、慈しむ優しさも。
 私にはどれも得られなかったもの。
 殿下の愛情は全てその少年に注がれていた。
 羨ましい、と。
 心の奥底で思いながら、殿下が選ばれた方なのだから、受け入れなければならない、と。
 無邪気で、愛想が良くて、何もできない少年。
 殿下の隣に立って戦うことも、背を預けられることもない少年。
 けれど、一心に愛される存在。
 殿下が愛し守ると言うなら、私にとっても、我々にとっても守らなければならない存在。
 少年を守ることは殿下の幸福に繋がる。
 殿下の為にも守らなければならない。

 わかっているのに。

 殿下を堕落させた存在が許せない。
 殿下はあれほどまでに高潔な存在だったのに。

 憎い。

 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。




 ――――だが、憎む気持ちと同時に。

 あの少年だったから殿下は受け入れたのだろう、と思う自分もいる。
 私でありたかった。
 それは、本心だが。




 心を隠すのは得意だ。
 いずれ、この少年に対する憎しみの心と殿下を慕う心は、どこかに消えていくのだろうと。それまでひた隠ししていればいいと。
 そう思っていた私の前に、あの男は現れた。

「憎いだろ?」

 奥に奥に押し込めた感情を顕にされる。

「奪いたいだろ?」

 下卑た笑みだ。
 駄目だとわかっているが、その声を否定することができない。

「お前が奪えばいい」

 男の言葉は私の頭の中に甘く響く。
 細い、細い、糸が、頭の中を絡め取っていく。

『黒曜石、黒の絹糸』

 震える。
 刻み込まれる。

 一瞬、意識が遠のく。

「――――期待してるよ」

 男の厭らしい笑みを含んだ声に、はっと我に返った。

「失礼します」

 あの男に気を許すのは問題だ。
 殿下の害にしかならない存在だろう。
 それでなくとも、殿下の特殊な魔力を疎んじている男だ。殿下に近づけて良い訳がない。
 もしあの男が何かを仕掛けてきたとしたら、私が殿下の盾になればいい。
 殿下を守るのは私なのだから。




 その日以降、時折記憶の欠如が起きた。
 疲れているのだろう。
 そう思い大して重要にも思わず。
 日々を過ごし。
 少年は少年なりに殿下を守ろうとしていることがよくわかり。
 少しずつ心が融解し。
 少年という存在を受け入れ始めた矢先。




 狼煙が上がった。




『黒曜石、黒の絹糸』

 頭の中に響く声。
 それは私を侵食していく。
 声に呼応するかのように、頭の中が熱く燃えていく錯覚。
 糸に絡め取られ、抜け出せない衝動。

 ぷつりと、糸が切れるようになくなる意識。

 次に目覚めたときには、ありえない光景が目の前に広がり。
 脳を焼いていた糸はどこかに消え。

 ニタリ、と、変わらない下卑た笑みを浮かべたあの男が、杖を振りかざし、まだ朦朧としている私に魔法を放った。

 衝撃は腹に。
 その勢いのまま、背後の壁に背を強かにぶつけ。

 それから――――すべてを思い出し。

「……なんて……ことを」

 自分が殿下を裏切っていたことに愕然としたまま、意識を失くした。




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