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第4章 怪我をしたら更に溺愛されました。
35 今だけ ◆クリストフ
しおりを挟む神殿から戻り、すぐにアキに触れた。
魔力を消耗して冷たくなっていた身体は、すでに温もりを取り戻している。
ぎりぎりの理性を働かせながら、寝てしまいそうなアキを膝の上に抱えての昼食。
先程の余韻が残った頬は赤らみ、その表情も可愛らしくも艶めかしい。
祝宴で用意されていた料理の中から、比較的食べやすいものを料理長が選んでくれたらしい。いつもよりもアキの食も進んでいる。
デザートまで食べ終わる頃には、眠気がぶり返したのか、膝の上でアキの身体が揺れ始めた。
「眠い?」
「ん……、ねむい……」
「いいよ。そのまま寝て」
「ん……」
柔らかな黒髪を指で梳く。
そのうち、俺の胸元に頭をつけながら、穏やかな寝息が聞こえ始めた。
後片付けをし、紅茶を淹れて戻ったメリダは、俺の膝の上で眠るアキを見て、目を細める。
「婚姻式はいかがでしたか」
「素晴らしかったよ」
アキの魔法が。
「それはようございました」
微笑んだメリダは、テーブルの上のカップに紅茶を注ぐ。部屋の中に花の香が広がった。
「メリダにも見てもらいたかった。…アキの『祝福』は、本当に素晴らしかったから」
「『祝福』……で、ございますか?光魔法ではなくて?」
「そうだな…。あれは純然たる魔法ではなかったと思う。『祝福の光』にまで作用するとは思わなかったから」
「まぁ…」
あの時の情景をメリダに話せば、なんとも驚いた顔でアキを見つめてくる。
「大変ですね」
聞き終わったメリダは、アキと俺を交互に見ながら、しみじみとそんなことを言う。
「何が?」
「…来年の、坊っちゃんとアキラさんの婚姻式ですよ」
意図がわからず黙っていると、メリダは小さく笑い始める。
「今日の婚姻式よりも素敵なものにしないとなりませんからね。坊っちゃんの責任重大でございますよ」
くすくす笑うメリダに、俺も笑い返していた。
「違いない」
派手にし過ぎたらアキが恥ずかしがって大変なことになりそうだが。
眠ったままのアキを抱え直し、額にそっと口付ける。
「………時々」
アキを見つめたメリダの口元から、笑みが消える。
「アキラさんが消えてしまうような気がしてなりません」
その言葉に思わず息を呑んだ。
「そんなはずないのに…。駄目ですね。私も歳をとったということなんでしょうね。隠居生活は穏やかすぎて…」
「……まあ、隠居していたメリダを結局城に呼び戻して、こき使ってるのは俺なんだが……」
「あらあら。そんなことはいいのですよ、坊っちゃん。アキラさんのお世話ができることは、私の生きがいでもあるのですから。呼んでいただけたことに感謝してますよ?」
メリダの口元に、ようやく笑みが戻る。
俺の動揺は伝わらなかったようで安堵した。
「では、私は一度下がりますので。何かあればお呼びくださいな、坊っちゃん」
「ああ。ありがとう、メリダ」
メリダが部屋を出てから、こらえきれずにアキを強く抱きしめた。
自分の身体が小刻みに震えているのを感じる。
「アキ……っ」
メリダでさえ感じていた。
何も手立てのないまま過ごしている現実。
先の話をして決意を固めているというのに、不意に訪れるどうしようもない不安。
「アキ……アキ……っ」
抱きしめれば鼓動を感じる。
触れればそのぬくもりを感じる。
口付ければ吐息を感じる。
アキはここにいる。
俺の腕の中にいる。
――――今は、まだ
「………っ」
不意にこみ上げた言葉に、悪寒が背筋を走り抜けた。
違う。
今だけじゃない。
これからもずっと、だ。
俺は、アキを失わないのだから。
もう一度強く抱きしめ、アキの体温を感じた。
忙しなく動く心臓が落ち着いた頃、息を吐き、アキをベッドに横たえた。
……不安になるのは、今だけだ。
「…大丈夫、大丈夫」
弱音を吐くのは、今だけ。
「愛してる」
身体を倒し口付ける。
寝ながらも口元に浮かんだ笑みに、俺の肩からも力が抜けた。
ずっとアキの傍で過ごした。
途中、急ぎのだけ、と、オットーが書類を持ってきたが、大した量ではなかった。
日が落ちる頃、メリダが戻り、部屋のカーテンを引いていく。
ランタンに明かりを灯し、大した量ではないのに進まない書類に目を通していると、アキが身動いだ。
「俺……子供並み」
……寝言、だよな?
瞳はしっかりとは開いていない。
「そもそも成人してないから子供だが……。目が覚めたのか」
「ふぇ?」
声をかけてみると、不思議そうな瞳が俺を見てくる。
「くりす?」
舌っ足らずな声。
「寝ぼけてるのか?あんまり可愛くしてたら閉じ込めるぞ」
頬をくすぐりながら話しかけると、アキはしばし黙ってからふにゃりと笑った。
「……くりすになら、とじこめられてもいい」
…………なんだこれ。
可愛すぎるだろ………っ。
今すぐにでも押し倒してしまいたい衝動を抑えながら、そっと左手を持ち上げ、甲に口付けを落とした。
アキに夕食の話題を振れば、何故か「肉がいい」と主張される。…アキは、何故か肉にこだわる。確かに筋肉をつけるだとか、そういう点で言うなら正解なんだろうが、今のアキの身体が普通の肉料理を受け付けるとは思えない。
「体力付きそうじゃない?お肉食べたら」
無邪気に言われたことに、ため息は噛み殺す。
「……柔らかく煮込んだものがあればな」
「うん」
無意識なのだろうが、アキは硬いものや生の野菜は避ける。
本当に小さな一口分を口に入れて、なんとか飲み込んでいる状態。
いつになったら前のような食事に戻れるだろうか。
怪我については確実に良くなっている。ラルによれば、内臓の損傷はすでにない。
食事量が減っているわけじゃない。
怪我する前ほどではないにしろ、確実に増えた。…以前の量の半分ほどまで。
こればかりは焦っても仕方ない。
少しずつでも、回復してくれれば。
そんなことを取り留めもなく考えていると、アキの右手が服の裾を掴んできた。
視線を向けると、瞳を揺らしながら俺を見上げている。
その視線は俺の手元にも向けられているようだった。
僅かに浮かぶ不安の表情。
前髪をかき分け、額に唇を寄せた。
「いたよ」
驚いたような、アキの表情。
俺が傍にいたのか不安になったのだろ?
離れるわけがないのに。
「っ、なんで」
アキの顔が赤い。
少し狼狽えているその様子が可愛すぎて駄目だ。
「アキの考えてることはすぐわかる。…アキの寝顔を見てたほうが、捗るんだ。幸い、今日は王太子の婚姻式だったから、これ以上の仕事は回ってこなかったし」
「そうなんだ…。……じゃあ、今は?」
「ん?」
「……俺、今何考えてるか……わかる?」
試すような瞳。
袖を引っ張ってくる仕草も可愛い。
書類をテーブルの上に放り投げ、アキの上気した頬に手を添えた。
「『口付けしてほしい』」
アキの、口付けを強請るときの表情。
「うん、正解。それから?」
「…『クリスのことが好き』」
これは当然だよな?
いつだってアキから好ましい視線が送られてくるし、全身で訴えてくる。
「ふふ」
満足そうな微笑み。
自然と、俺の口元にも笑みが浮かぶ。
それから、「他には?」とでも言うように、俺をじっと見てくる。
一番ののぞみは、これか。
「……『早く抱いてほしい』かな」
「正解!」
楽しそうに笑うアキに、俺も笑う。
アキ、それは俺の願望でもあるよ。
でも今は、最初の願いを叶えようか。
重さをかけないようにアキの横に腕を付き、唇を重ねる。
柔らかく温かい唇は、そっと開いて俺を迎え入れていく。
口内は熱い。
アキの舌が触れてくる。嬉しそうに。
いつものように唾液を流し込めば、喉を鳴らして飲み込んでいく。
……欲情しないわけがない。
早く、時が過ぎればいいのに。
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