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第4章 怪我をしたら更に溺愛されました。
5 手 ◆クリストフ
しおりを挟むアキはこの数日の間、僅かに瞳を開き、俺の姿を確認してまた眠ることを繰り返していた。
「レヴィ、ラル、すまないが、少しの間アキを頼む」
「…ああ、あれを拘束するのか」
レヴィの言葉に頷きだけで返した。
「アキ…」
離れたくない。
傍に居たい。
白い頬に手を添える。
「アキ………」
感情を抑えることができるだろうか。
あれを目の前にして、俺は己を御することができるだろうか。
不敬罪での拘束など生ぬるい。
けれど、まだ証拠は出揃わない。
宰相が気づき手を回す前に、あれの身柄だけでも確保する必要がある。魔法師長はその後だ。まずは、あれを。
「アキ……アキ」
ほんの僅かに温もりを感じる唇に、そっと己のそれを重ね合わせる。舌を潜り込ませアキの舌を絡め取っても、それが応えることはない。不安はあるが、喉が小さく鳴るのを確認できれば、それも少しは和らぐ。
「行ってくる」
最後に額を合わせた。
『いってらっしゃい』
耳元でそう言われた気がした。
思わず苦笑してしまう。
どれだけ自分が求めているのか。
アキの瞳を、声を、熱を。
「頼んだ」
アキの髪を梳きながら、付き添う2人に言えば、うなずき返してくれる。
それを確認し、離れがたく思いながらアキから手を離し、寝室を出た。
「殿下」
「出てくる。メリダ、何かあればすぐに知らせてくれ」
「ええ。心得ております」
そのまま部屋を出る。
廊下で待機していたオットーとザイルが俺を確認し、何も言わなくともオットーが俺の傍に控えた。
「…出向いた騎士からの報告が上がってます」
オットーは険しい表情で、書類を渡してきた。
それを確認し、思わず握りつぶしていた。
***************
【side:アキ】
ぐらぐらする。
上も下もわからない。
落ちてるような。
上がっているような。
気持ちよさはない。
気分が悪い。
痛い。
熱い。
寒い。
冷たい。
手が。
手が。
伸びてくる。
『――――』
聞こえない。
『――――』
聞きたくない。
『――――』
嫌い。
『――――』
嫌だ。
『死んで?』
『いなくなって?』
『喰われろ』
『死ねよ』
『死んでほしいの』
『クリストフ殿下は私のものよ』
『お前の傍にはもういないのよ』
『お前は捨てられたのよ』
「――――――――っっ!!!!」
「アキラさま?」
視界の中が、真っ赤な世界で埋め尽くされる。
「坊主」
声。
声。
声。
なに。
だれ。
真っ赤な血のようなもので塗りつぶされた顔。
ぐしゃぐしゃに。
ぐしゃぐしゃで。
「アキラさま――――」
「――――ひっ」
ちがう。
ちがう。
これは、ちがう。
手が。
手、が。
「や………ぃやだぁ…っ!!!」
「アキラさまっ」
「アキラ!!」
さわるな。
ちかづくな。
クリス。
クリス、どこ。
なんで、クリス。
どこに、いるの。
クリス、おれの。
なんで。
どうして。
「あああー!!!!!」
「アキラさまっ」
「駄目だ……っ、誰か、クリストフ呼んでこい……!!」
***************
「ヘルミーネ・デリウスでございます。このような姿で陛下の御前に立つことをお許しください」
騎士たちに囲まれ連行されてきたその女は、壇上に座る陛下と、陛下の両側後ろに立つ兄上と俺を見ると、口元に笑みを浮かべ礼を取った。
この場には俺たち以外には数名しか立ち会っていないが、彼らからも、…陛下や兄上からも、息を呑む気配を感じる。
その原因はわかっている。
公爵家の娘の服装は、明らかに身籠った女性のそれだからだ。
そして俺に纏わりつくような視線を向けてくる。
「クリストフ」
「覚えがありません」
陛下のやや焦りを含んだ小さな声に、苛立ったまま短く返答する。
「私が抱いたのはアキだけです」
報告書通りだ。
遠征に出る前の茶会で、フロレンティーナ嬢とメリダから聞かされた話とも合致する。
その事実がないというのに、誰の子を身籠ったというのか。俺の名を語るような者がいたというのか。
「ヘルミーネ嬢」
静かに響く陛下の声に、意識が現状に引き戻される。
「王族の執務を妨害したというのは間違いないか」
「妨害などしてとりませんわ、陛下。私はお疲れになっていたクリストフ殿下に、せめてもの癒やしを届けに来ただけですわ。妨害というのであれば、スギハラ様の方ではないでしょうか。所構わず殿下に甘え、邪魔をしていたかと」
怒りとか。
そんな生易しい感情ではなかった。
ドロドロとしたどす黒いもの。
奥底で、あの女を殺せと声がする。
無意識に剣の柄に手をかけていたらしい。
「クリストフ」
近くで響いた兄上の声に、手から力が抜ける。
「落ち着くんだ」
「……すまない」
俺の様子を見ていた陛下も、またあの女の方に向き合い、いくつかの質問を重ねていく。
その度に発せられるアキを貶める言葉に、理性など意味をなさなかった。
証拠などいらない。
今すぐにでも断罪すべきだ。
体内を流れる血液が沸騰でもしているかのような感覚。感情に揺さぶられるように魔力が高まっていくのを感じた。
もう無理だと剣の柄に再度手をかけたとき、背後の扉から気配を殺したオットーが出てきた。
オットーは俺の背後まで歩み寄ってくる。
「殿下、アキラ様の容態が」
酷く硬い声で囁かれた言葉に、全身から血の気が引いていく。
すぐに陛下と兄上に視線を向ければ、彼らにもその報告は聞こえていたのか頷き返してくれる。
「予定通りに。早く行くんだ」
「ああ」
兄上の言葉に頷き、俺はその場を後にした。
控えの間には青褪めたメリダがいた。
「アキの様子は」
「はい。突然叫ばれ混乱している様子で、皆様方の声が届いておりません。西の宿の店主様が抑えてくださってますが、魔力も暴走の兆しがあると……」
あの怪我に魔力暴走など起こしたら、アキの身体は持たない。
ほぼ駆けるような速さで廊下を進む。
自室に近づくにつれて、不気味なほどの静けさに包まれていく。
自室前で待機していたザイルは、強張った表情をしていたが、俺を見た途端相好が崩れた。
「殿下」
「このまま警護を。オットーもだ」
「はい」
室内に入っても無音。寝室の扉に手をかけたところで、メリダには主室で待機するよう声をかける。
主室には、いるはずのラルの幼馴染みたちの姿もない。
寝室の扉にかける手が震えた。
立ち止まっては駄目だ。アキが待っている。
扉を開け、ベッド周囲の人だかりを確認する。そして一歩その『領域』に足を踏み入れた瞬間、
「あ゛あ゛あ゛――――!!!!」
アキの叫び声が響いた。
「や、あ゛あアっ、いゃた゛ァ、あ゛っ」
「ラルフィン、全力で癒やしをかけ続けろ…っ」
「はいっ」
ベッドの軋む音。
アキが力が入らないはずの四肢を振り回し、ベッドを叩きつけている。
レヴィと幼馴染みの片割れであるエルフィードは、アキの額に触れながら魔力を流し、アキの高まりつつある魔力を抑えているようだった。もう一人のラルの幼馴染みディオルグは、暴れるアキの身体を緩く押さえている。
「アキ…!!」
堪らず叫び、駆け寄った。
はっとしたようにそこにいた皆の目が俺に向けられる。
「アキ…アキっ」
叫び続けていたアキの声がピタリと止んだ。
ラル以外、アキから離れ、一歩下る。
「アキ」
頬に手を当てると、膨れ上がっていたアキの魔力が落ち着いていく。
「 く り す 」
「ああ。ここにいる」
震える右手が、俺の頬に触れる。
「 くりす 」
「ああ。すまなかった。アキ、傍にいるから」
しっかりと俺を見る黒い瞳から、幾筋もの涙が流れ落ちる。
「くりす」
「もう大丈夫だ」
頬に触れていたアキの右手を取り、手のひらに口付ける。
そうして、涙が止まらない目元にも。
「……クリス」
唇を重ねる。
魔力も癒やしも、アキの中に注ぎ込めば、嬉しそうに表情を緩め飲み込んでいった。
「いかな、い、で」
「どこにも行かないよ。アキの傍にいる」
「クリス」
ふわりと、安堵の微笑みを浮かべ、アキは目を閉じた。
規則正しい呼吸音に、室内の緊張感が解れた。
「あー……焦った」
天井を仰ぎ見ながら呟いた声は、本音だろう。レヴィにしては珍しい。
「皆……すまなかった」
ラルは額に汗を浮かべながらも、笑って首を横に振る。ラルの幼馴染みたちは、そんなラルの頭に口付けを落としていた。
「クリストフ…、お前、もうアキラの傍から離れんな」
「……ああ」
やらなければならないことは山積みだ。
けれど、アキ以上に優先させなければならない事案はない。
「アキ…」
ほっそりとした右手を握る。
「アキ…愛してる」
ほんのりと浮かんだ笑み。
握っていた手が僅かに握り返された。
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