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第4章 怪我をしたら更に溺愛されました。

4 連行 ◆*****

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 その日、デリウス公爵家から、一人の娘が王城に連行された。
 腰まである艷やかな茶色の髪を緩く編み込み、慈愛に満ちた表情を浮かべ、馬車に乗るのは、デリウス公爵家の一人娘ヘルミーネだ。




 当主であるゲラルト・デリウスは宰相の勤めを果たしているため、屋敷には不在。そこへ十数名の騎士が押しかけたため、屋敷は騒然とした。
 公爵夫人でさえ狼狽え、使用人たちに指示も出せずにいた。
 そんな中、ヘルミーネだけが微笑みを見せ、騎士たちに対応していた。
 連行される側である令嬢の、落ち着き、余裕さえ伺えるその様子に、騎士たちは皆、驚愕と、言い知れぬ畏怖の念を抱いた。

「ミーネ!」
「お母様」
「何故この時期に貴女を…っ」
「お母様、私は殿下のお召に従うだけですわ」

 真っ青な顔で屋敷から出てきた夫人とは対象的に、ヘルミーネは微笑みながら母親を見ていた。夫人はヘルミーネの言葉にはっとしたように彼女の顔を見つめ、その表情に納得し、騎士達に視線を移した。

「――――ああ、ああ…。なのですね…。よかった…よかった。ミーネ」

 涙を流し始めた夫人を、騎士たちは訝しげに見ることしかできない。
 娘が連行されるというのに、何故これほど嬉しそうなのか。
 騎士たちは公爵令嬢の罪状として、『不敬罪』としか聞かされていない。公爵家の令嬢。現宰相の娘。それほどの立場を持った人物が不敬罪にて連行され投獄されようとしているのに、何故これほどまでに喜びに満ちているのか。

 ヘルミーネは騎士たちの訝しげな視線など気にもかけず、する…っと自分の腹部を撫でる。
 コルセットで締めていないややふっくらとした腹部を、愛しげに、何度も優しく撫でていた。
 今の彼女の出で立ちは、胸の下だけを締め、腹部を圧迫しない物。足元はヒールのない靴。

「では、行ってまいります、お母様」
「ええ。幸せに、ヘルミーネ。生まれたら孫の顔を見せに来てちょうだい。もちろん、殿下と一緒によ?今から楽しみね。男の子でも女の子でも…、貴女とクリストフ殿下のお子ですもの。それはそれは愛らしい子に違いないわ」
「ふふ」





 母娘の会話を聞いていた騎士たちが青褪めていく。
 第二王子が現婚約者である少年を溺愛していることは、城に仕えている者なら誰もが知っていることだ。良い噂であれ、悪い噂であれ、話題に事欠かない。
 西への遠征から帰城後、婚約者とともに部屋に籠もっていると聞いている。愛されすぎて床から起き上がれない婚約者のために、神官が何度も部屋を訪れているとも聞いている。
 当然のことだが、平民であるらしい婚約者の少年を、第二王子の相手として相応しくないと声を荒げる者たちも少なくない。多くは年頃の娘を持った貴族たちだが。

 ほぼ貴族の子息で構成されている騎士団だが、彼らのほとんどは各『家』の意向には染まらない。
 彼らは国を護ること――――他国との争いがほぼない現在では、主に魔物の驚異から国民を護ることが主軸となっているが、その任務に誇りを持って臨んでいる。
 魔力は少なくとも、剣の扱いに長けた彼らにとって、国内随一とされる剣の使い手である第二王子クリストフは、目指すべき目標であり、憧れである。
 騎士の中でも特に優秀な者しか選ばれない近衛騎士になることよりも、クリストフの直属の兵士団に所属できる方が、彼らにとって誉れなのだ。
 希望して配属される兵団ではない。クリストフ自身が、その実力を認めた者しか所属できない兵団。家柄など関係なく、現に、10名しかいない兵団の半数は平民で、団長を務める者も平民だ。完全な実力主義の集団。
 その兵団に所属できるということは、クリストフに認められたということ。自らの実力を努力を認めてもらうため、憧れに近づくため、騎士たちは日々研鑽を積んでいた。
 そのためなのか、騎士たちはクリストフが選んだ相手が平民であることに納得していた。『家』がどれほど喚こうが、彼らの考えは変わらない。むしろ、政略的に貴族の娘を娶るよりも、今のクリストフの方が、彼らは『殿下らしい』と思うのだ。

 だからこそ、今目の前で繰り広げられている母娘の会話には疑問しか持てない。
 ――――あの殿下が、この令嬢を娶るなどありえない。
 話の内容からすれば、公爵家の令嬢はクリストフの子を身籠っているということになる。
 確かに、間もなく婚約するだろうという話は出ていたが、クリストフが黒髪の少年を連れ、陛下もその少年を婚約者として認めた瞬間、公爵令嬢との婚約の話は立ち消えていることを、騎士たちでさえも理解していた。
 静かな微笑みのまま馬車に乗り込む彼女に対し、騎士たちは誰もが何も言わずに無言を貫いた。





 ――――あれは夢のような時間でした。

 馬車に揺られながら、ヘルミーネは腹部を優しく撫で、微笑む。

 ――――ああ、でも、嬉しさのあまり、はっきりと覚えていないけれど……、あの日、確かに私は殿下の腕の中にいたわ。殿下は私に愛を囁いてくれた。愛してくれた。その結晶は確かにここにある。

 細い指は、何度も腹部を擦る。

 ――――月のものがこなくなってどれだけ喜んだことか。悪阻すらも愛しいお方のお子を生む過程だと思えばどうということもなかったわ。それほど重くもなかったし。少しずつ大きくなっている。愛しい、愛しい、私達の子供。殿下、貴方の血を受け継ぐ子がここにおりますのよ?

 馬車は一定の速度で走り、それほど時を空けること無く、王城へ近づく。

 ――――そろそろ医療師の手配をお願いしようと思っておりましたから…、丁度良い時期ですわね。殿下もそれを思ってのお召でしょう。でも……、こんなに回りくどいお呼び出しをされたということは、あの忌々しい男娼は生きながらえたということかしら?あの場に神官がいたことは誤算でしたけど…、報告された怪我の内容では神官の力も及ばないはず。それでも命を繋ぎ止め、私の殿下を縛り付けるなんて…。

 窓から王城を見つめ、口元にまた笑みを浮かべる。

 ――――それも、今日まで。殿下。私の殿下。私があの男娼から殿下を解き放ちますわ。私の愛しいクリストフ殿下。クリストフ様。……クリス様。






 騎士に囲まれ、一人の令嬢を乗せた馬車は、静かに王城へ到着した。


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