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第3章 遠征先でも安定の溺愛ぶりです。
57 小さなかすれた声 ◆クリストフ
しおりを挟むアキの状態は安定したとは言い難かった。
オットーからの連絡を受け、兄上が到着したのは2日後の夜だった。
オットーはすぐに兄上を俺たちの天幕に案内し、団員たちには撤収の指示を出していた。
「クリストフ…、すまない。遅くなった」
「そんなことはない。…少し待ってくれ。アキの包帯を替えてしまうから」
色々と説明しなければならないことはわかっていたが、まずはアキの事を優先した。
天幕の中には、俺とラルの他に、レヴィもいる。3人がかりでできるだけ揺らさないよう包帯を解き、傷を覆っていた布を取り除いた。だいぶ、肉が盛り上がってきたように見える。
様子を見ていた兄上が、息を呑む気配がする。
「出血は……ないな。ラルフィン、左手の脈は感じるか」
レヴィがそう確認すると、ラルはアキの左の手首に軽く指を添える。
「……微かにですが、戻ってます。なんとか血管の再生も進んでいるようです」
そのことに、ホッとしたのもつかの間、アキの呼吸音が弱く少なくなっていた。
「ラル、また呼吸がとまる」
「はい。殿下はそのまま魔力を流し続けてください」
アキの右手を取り、親指の腹を噛み裂き、同じように傷を作った自分の親指と重ね合わせる。そうしながら口付け、唾液を流し込むことが、一番効果的だった。
ラルの癒やしも流れ、アキの呼吸が安定したのを見計らって、傷に清潔な布を当て、包帯を巻いていった。
そこまでの手当を終え、俺達の間に安堵のため息が漏れる。
「兄上……すまなかった。紹介する。高位神官位を持つ冒険者のラルフィンと、王都の冒険者宿統括の西の店主レヴィだ」
ラルは軽く頭を下げ、すぐにアキに向き直った。
「よろしく。王太子殿下。弟殿下にこき使われている店主のレヴィだ」
「貴殿が統括殿か。ギルベルトだ。会えて嬉しい」
兄上はレヴィと握手を交わしたあと、厳しい瞳を俺に向けてきた。
「クリストフ、オットーからの連絡ではワイバーンに襲われ、アキが大怪我を負ったと、なっていたが…」
「……まあ、間違いじゃない。大怪我というより、ほぼ致命傷みたいなものだったと思う。傷はだいぶよくなったが」
「……これ以上に悪かったのか?」
「牙で抉られ酷い状態だった。左腕がついているのが不思議なくらい、の。大量の出血で、この場にラルがいなければ……確実に死んでいた」
「そんなに………」
兄上の顔が青褪めていく。
「……大丈夫、なのか…?」
その問いに、すぐに答えることはできなかった。
「アキラさまは」
兄上の問いに答えたのはラルだった。
アキに癒やしの力を流しながら、静かに言葉にする。
「アキラさまは、生きることを諦めていません。幾度となく心臓は止まりましたが、殿下のお力に応えるように戻ってきてくれます。怪我の治癒は進んでいます。少しずつですが、確実に。……後は、僕たちがアキラさまに戻ってきてほしいと願い続けること。アキラさまが、殿下のもとに戻りたいと願うこと。……それが必要なんです。大丈夫かどうかではないんです。諦めないことが必要なんです。どちらかが諦めたとき、……アキラさまは女神さまの御下に召されます。女神さまの、慈悲によって。苦しみなく、悲しみもなく。永遠の安らぎのもとに。それは、僕にもどうすることもできません。それが女神さまの意思だから」
ラルの言葉を誰も遮らない。
「だから、アキラさまの今の状態を少しでも疑うのであれば、王太子だとしても、殿下の兄君だとしても、貴方はこの場にいてはならない。出ていってください」
兄上は、ラルの言葉をどう受け取っただろうか。不敬だと騒ぐような人ではない。冷たい心の持ち主でもない。俺が唯一敬う兄上は――――
「ラルフィン、だったね。すまなかった。もちろん、私もアキラのことを案じているよ。大切な義弟になる子だからね。彼がいなくなることなど考えたくもない。彼は必ずクリストフの元に戻ってくる。そう、願っているよ」
兄上が静かにそう告げると、ラルは兄上に振り向き、にこりと笑った。
「はい。僕も失礼なことを言ってすみませんでした。それじゃ、そろそろ移動の準備をしませんか?殿下」
いつもの雰囲気のラルに苦笑する。自分の望む答えでなければ、ラルは本当に兄上をこの天幕から追い出していたのだろう。
「王太子殿下、馬車には寝具など積まれていますか?」
「ああ。できるだけ振動を抑えられるように、用意してきたよ」
「座席は?」
「撤去してあるが…必要ならすぐに取り付けられる」
「あ、必要ありません。よかった。あまり手を入れなくてもよさそうです。殿下、僕も一緒に乗ります。いいですか?」
「もちろんだ。むしろ、ラルがいてくれないと困る。頼ってばかりですまないが」
「構いません。病は治せないけど、怪我は治せますから!」
そこから、本格的に野営地の撤去が進んだ。
俺はできるだけ静かにアキを抱き上げ、馬車に乗り込み、中に設置されていた寝具の上におろす。
馬車内には俺とラルが乗り込み、団員やレヴィ、幼馴染たちは護衛につく。
野営地の撤去が完全に終了してから、出発となった。兄上の護衛についてきている騎士団もいるため、随分と大所帯だ。
それほど速度を上げることもできず、休憩をはさみながら、城に到着したのは3日後の昼前だった。
俺たちは慌ただしくも静かに入城した。
兄上が先に人払いをかけてくれたおかげで、煩わしさはなにもなく、自室の寝室にアキを横たえることができた。
自室の扉前には、オットーとザイル。居間には、ラルの幼馴染たちと、メリダ。寝室には、俺と、兄上、ラル、レヴィ。
「体温が下がっています。店主さんと王太子殿下は傷の確認をお願いします。殿下は」
「わかっている」
「はい、お願いします」
ラルの指示の下、治癒が始まる。
そうしてしばらく慌ただしく動き、アキの様子が落ち着いたことに肩から力が抜けたとき。
「………す」
ちいさな、ちいさな、かすれた声が、俺の耳に届いた。
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