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第3章 遠征先でも安定の溺愛ぶりです。
56 願いの強さ ◆クリストフ
しおりを挟む天幕に薄っすらと光が差し込んできた。夜が明け始めたのだろう。
酷く身体が重く感じる。
恐らく魔力を使いすぎてるせいだろう。わかってはいるが、手を休めるわけには行かなかった。
「殿下、ラルフィンです。入ります」
返事をする前に布を押し上げラルが入り、ベッドに近づいてくる。
「アキラさまのご様子はどうですか…?」
「……2度、心臓が止まった」
生きた心地はしなかった。魔力を流し続けなければ、呼吸はすぐに浅く小さくなり、弱々しい心音は消えていく。
「すみませんでした…。僕がもっと早く来れれば…。殿下、替わります。殿下は少しでも休んでください」
アキの左肩に手をおいたラルの髪が、ふわりと揺れた。
「……殿下、手を貸してください」
左手が差し伸べられる。考えるよりも先に、その手をとっていた。ふわりと暖かな力が自分の中を過ぎていく。
アキに魔力を渡すために傷つけていた左腕から、傷が消えていく。浅い傷ならば。癒やしの力でこれほど綺麗に治るのだ。
けれど、アキの怪我は――――
「殿下、眠ってください。アキラさまの隣でも、枕元でも、どこでも。アキラさまの傍ならどこでもいいですから。アキラさまに触れて……眠ってください」
「……わかった。……だが、俺がここにいたら邪魔になるんじゃないのか」
傍を離れたくはない。
けれど、癒やしの邪魔はしたくない。
「大丈夫ですよ。殿下が眠ってる間は、僕がしっかり癒やします。それに、アキラさまだって、殿下が傍にいないと安心できないでしょう?」
ラルの笑顔を見ていると身体の力が抜ける。
「……頼んだ。ありがとう、ラル」
「僕は僕にできることを、やるだけですから」
ラルはそう頷き、アキに視線を戻した。
俺は椅子をアキの頭側に引き寄せ座り、動かせるアキの右手を握り込んだ。
冷たい指先を何度も撫でる。
少しでもぬくもりが戻ればいい。
そう願いながら、アキの枕元で突っ伏し、眠りに落ちた。
それは、確かに夢だった。
アキを抱きしめ幸福を感じていたのに、それはすぐに失意に変わる。
両腕に捕まえていたはずのアキは、するりと腕を抜け出し、どこかへ行ってしまう。
『アキ、行くな…!』
アキの足元に波紋が広がる。水など、どこにもないのに。それなのに、アキが歩を進める度に、波紋が折り重なっていく。
『アキ…!!』
俺の足が動かない。手を伸ばしても届かない。
それまで俺を見なかったアキが、不意に俺を見た。
『アキ』
アキは静かに悲しげに微笑み、唇が何かの言葉を刻む。
それが別れの言葉だと気づいたとき、頭上から光の粒が舞い降りてきた。アキはすい…っと、天に視線を流す。動かなかった俺の足は、その瞬間に時を取り戻した。
『アキ…!!』
届いた。
力の限り細い身体を抱きしめる。
アキもまた、ぼろぼろ涙を流しながら、俺の背中に右腕を回ししがみついてきた。
『アキ……アキっ、逝くな。俺を置いて逝くな…!俺の傍にいてくれ……!!』
『……………た、い』
『アキ』
『………そば、に、いた、い』
『アキ……!』
『クリスの、そばに、いたい……!!』
大粒の涙を流し続けるアキに、口付ける。舌を絡め、吐息を交わし、更に身体をきつく抱きしめた。
『クリスと一緒にいたい…。ずっと、ずっと、一緒に……!』
『ああ。ずっと、だ。俺はお前を手放さない。だから、アキ、どこにも行くな…!』
『クリス……』
アキがふわりと微笑んだ。
別れを告げたときの悲しげな微笑みではなく、嬉しそうな、幸福に満ちた微笑みだった。
「――――アキ」
意識が浮上した。
かなり陽は高くなったようで、天幕の中が明るい。
俺が握っているアキの右手から、ほんのりとぬくもりが感じられた。
身体を起こすと、アキの左手を握りしめたまま突っ伏して眠っているラルの姿が目に入る。
限界まで癒やしの力を使っていたのだろう。あの二人は外にいるのだろうから、呼べばすぐに入ってくるはずだ。
それでもなによりも、アキの鼓動を確認したかった。
体重がかからないように、左胸に耳を押し当てる。そこからは、少し力強くなった鼓動を感じることができた。
「…アキ」
右手を握ったまま、そっとアキに口づけ、舌を差し込みながら唾液を流した。コクリと飲み込む音も、前よりもしっかりしている。
その時、薄っすらとアキの目が開いた。
「っ、アキ…!!」
アキは俺を見たまま、本当に僅かに口元に笑みを浮かべ、また、瞳を閉じる。
それはまるで、夢の中のアキのようで。
俺の傍にいたい、一緒にいたいと望んでくれたアキのようで。――――逝くことを踏みとどまり、生きることを渇望しているようで。
あの夢の中で、俺の身体が動かなかったら。手が届かなかったら。アキが、別れの言葉を全て紡いでいたら。俺は、アキを失っていた。
あの光の粒は、女神の力そのものだったのだろう。
「ラル…ありがとう」
感謝の言葉しか、出てこなかった。
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