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第3章 遠征先でも安定の溺愛ぶりです。

54 あの日の笑顔を ◆クリストフ

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 できるだけ振動を与えないように、天幕まで歩いた。
 俺の後ろからはザイルが付き従った。

「ザイル、水と清潔な布、包帯と…果実水の用意を頼む」
「すぐに」

 天幕に入り、ベッドの上にアキを降ろした。ぴくりとも動かない身体に不安になり、左胸に耳を押し当てる。
 弱々しいが、確かに心臓は鼓動を刻んでいる。僅かな呼吸音も聞こえてくる。

「殿下、まずは水と布と包帯をお持ちしました。……私もお手伝いしてもよろしいですか」

 手に荷物を持ったザイルが、天幕に入ってきた。
 机の上に一式置くと、俺にそう、告げてくる。

「ひどい怪我だぞ」
「……はい」

 もともとそのつもりだったのだろう。

「呼吸が弱い。あまり負担をかけたくないが、あちこち出血で酷い状態だ。少しでもきれいに拭ってやりたい」
「…はい」

 そこまで確認し、アキからマントを取り除いた。

「っ」

 ザイルですら息を呑む。
 出血自体は止まったと言っても、怪我はそのままなのだから。左胸にかけての切り裂かれたような傷に、肩は一部骨が見えていた場所があるほどに抉られ、変形している。……ラルの癒やしの力のためか、今は骨が見える場所はない。けれど、あるべきはずの肉はなく、奇妙な凹みができている。

「傷には触れなくていい」

 とにかく、手を動かした。
 ザイルは時々こみ上げてくるものがあるのか、ぐっと息を呑み、耐え、俺の指示に従う。
 抉れている傷に清潔な布を当て、包帯で巻いていく。……アキに、こんなふうに包帯を巻く日がくるなんて、思ってもみなかった。

「助かった。ありがとう、ザイル」
「いえ…。殿下、片付けてから果実水をお持ちします」
「ああ、頼む」

 ザイルは頭を下げ、天幕を出ようと出入り口の布を押し上げ、動きを止めた。

「……殿下、申し訳ありません」
「どうした?」
「私は……アキラさんに何をしてあげたらいいのでしょうか。この怪我は……あまりにも酷いものです。アキラさんは…、言葉の勉強をされていたときも、常に前向きで明るく、私達に接してくださいました。……私達は、あんなアキラさんを、また見ることはできますか?」

 声が震えていた。

「できる」

 俺に言えるのはたった一言だけだ。

「……殿下のそのお言葉が聞けてよかったです。では、一旦失礼します」
「ああ」

 ザイルが出ていくと、天幕の中は酷く静かになった。
 アキの頬に触れても体温は感じられない。

 ……ザイルに告げた言葉は俺自身の願望だ。
 これほどの怪我がどこまで綺麗になるのかはわからない。アキがいつ目覚めるかもわからない。
 唇に触れた。
 そっと押し開き、唾液を流し込む。
 アキの喉が小さく音を立てるたびに、生きていることに安堵し涙が出そうになる。

「アキ、飛竜を討伐できたのもお前の力があってこそだ。他の誰がお前と同じ速度で魔法を操れると思う?あれだけの精密さで魔法を繰り出せるものはここにはいない。あのレヴィでさえも、だ。だから……アキ、ワイバーンの討伐はお前がいてくれなきゃ成せなかった。お前の力は偽物なんかじゃない。誇っていい力だ。…目が覚めたら、たくさん、話すから。アキが恥ずかしがるまで、ずっと褒めてやる。だから、アキ…、早く」

 右手をとり、額まで掲げ上げた。
 女神よ、どうか。どうかアキをこのまま俺の元に残してくれ。アキを連れて行かないでくれ。貴女の御下には、いつか必ず行くから。その日も二人で手を取り合って行くから。だから、アキひとりを連れて行かないでほしい。



『豊穣の女神アウラリーネに願う。ただ一人を想い救う為に御力を』



 神官は、大勢のために女神の力を代行者として行使するのだと、教えられた。女神はそれを望んでいる、と。だから、ただ一人のために願うことは、本来の教えからは外れること。
 それでも、願わずにはいられない。
 俺の力、全てと引き換えてもいい。
 アキを救いたい。
 他の誰でもなく、アキだけを。
 身勝手な願いは、ふわりと舞う光が溢れ届いたことを知る。 

「殿下…失礼します」
「構わない、入れ」

 果実水を手にザイルが天幕の中に入る。
 机の上に持参したものを置くと、静かに頭を下げた。

「外におります。何かあればすぐにお声掛けください」
「ああ。オットーが戻り次第状況の報告に」
「はい」

 ザイルが天幕を出ていき、再び静かになる。
 果実水を少量口に含み、アキの口の中に流し込む。
 左手で、アキの右手を握り続けた。
 ベッドの端に腰掛け、体重をかけないように口づけを繰り返す。俺の魔力が治癒の力としてアキの中を巡るように。

「アキ、ごめん」

 握っていた右手をまた持ち上げ、親指の腹を少しだけ噛み裂いた。流れる血が乾かないうちに、己の指も噛み裂き傷口同士を重ね合わせる。これだけでも唾液よりも数倍濃い魔力が、アキの中を巡ることはわかっていることだ。
 口からも唾液を注ぐ。
 時々、果実水を含ませる。
 繰り返し、何度も。何度も。


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