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婚約者様、疑ってごめんなさい
55 笑えるくらい足が竦んでいた
しおりを挟む涙がこぼれそうになって、それを我慢するのが精一杯で、言葉がでてこない。
俺も逢いたい、って。
言えばよかった。
言葉にしてしまえばよかった。
『浩希?』
嘉貴の声はどこまでも優しくて。
――――あの人は、誰?
…って。
たった一言でいいのに。
「……嘉貴」
逢いたい。
声を聴いていたい。
抱きしめてもらいたい。
優しいキスをしてもらいたい。
『浩希……もう眠い?』
そうじゃない。
そうじゃないけど、言葉がでないんだ。
『明日は夕飯を一緒にどうですか?』
明日。
それはなんだかすごく遠い気がした。
今すぐ、じゃないと。
今すぐ逢わないとならないのに。
『……浩希?』
「あの………さ」
『はい』
「やっぱり今日部活とかで疲れてるみたいだから………、俺、もう寝るから」
嘘をついてしまった。
『………はい。それでは、おやすみなさい、浩希』
「うん」
『浩希…愛してる』
「……うん」
それから間もなくして切れた通話。
スマホを握ったまま放心状態だった。
明日の夕食の誘いにすら、ちゃんと答えていない。
「嘉貴…っ」
苦しさに耐えきれなくて、とうとう涙がこぼれおちた。
最悪な気分のまま迎えた翌日の水曜日。
ため息ばかりで午前中は過ぎて、もういい加減にしよう……と思った。
聞いてしまえばいい。きいてしまえば、きっと、すっきりする。
そう思って、昼休みに入った直後に電話をした。
初めて自分からする電話。
嘉貴はいつでもいいって言ってたし、この時間なら昼休みとか取ってるかもしれない。
……けど。
スマホから流れてきたのは、『電源が入ってないか電波の悪いところに』ってアナウンスだけだった。
それから少し時間を置いてもう一度かけても同じメッセージ。
……何故か、妙に胸騒ぎがしていた。
そりゃ、俺から電話をかけるなんてことが今まで一度もなかったことだから、嘉貴が本当にいつでも電話にでてくれるのか……っていうのはわからないけど。
でも、今は地下にいても普通に電話は繋がるし、……電源を切るなんて、嘉貴がするとは思えなくて。
…何か変だ。
おかしい。
胸の中はザワザワする一方で。
授業が終わったら、部活は休んで嘉貴の家に行こう。
夕食を誘ってたくらいだから、今日はきっと早くあがれるんだろうし。
電話して……それが駄目ならメッセージでもいい。
とにかく、はやく、どうにかしないと。
気持ちばかりが焦っていて、良一と優弥が何度も俺に声をかけてきたけど、答えたかどうか、それすら覚えてなかった。
食べたかどうかもわからないお弁当を片付けて、荷物を背負い直して次の講堂へ向かう。
講堂に入る直前にもう一度だけ電話をしてみたけれど、やっぱり繋がらない。
「尾道浩希」
「え」
入口から少し離れたところに立っていたけれど、突然フルネームを呼ばれて驚いて顔を上げた。
……何故かそこには、いつも眉間に皺を寄せた渋くて格好いいと評判の経済学の教授先生がいた。
「え、俺、ですか」
「ああ。…次の講義は出なくていい。私について来い」
「え」
その教授……合田和博教授先生は、そう言うと俺に背を向けて歩き始めた。
…や、経済学は俺も取ってるから知らない先生じゃないけど、個人的に名前を知られてるとは思ってなかったし、次の講義でなくていいとか、意味がわからなくて立ち止まったままだった。
「尾道」
振り返った合田教授は眉間の皺を濃くしながらまた俺を呼んだ。
「あ、はい」
何がなんだかわからない。
すれ違う学生は合田教授を見てから俺を見る。やめて。俺、何もしてない。
どこに行くかも聞かされないままについていった。
いつの間にか学生の姿はなくて、職員の玄関がある場所まで来ていた。
こんな閑散とした場所に一体何の用事……って思っていたら、合田教授は立ち止まり俺を改めて振り向いた。
「あの……」
合田教授は俺をじっと見てから、軽く息をついて、口を開いた。
「嘉貴が、事故にあった」
「……え?」
なんで合田教授の口から嘉貴の名前が出るんだろう…って疑問よりも、事故って言葉が頭の中を駆け巡った。
「………重体、だそうだ」
「…………重………体……?」
なに。
どういう、こと。
「今すぐ病院に行け。荷物は持ってるな?――――司」
「はい」
俺と、合田教授しかいないと思っていたのに、雷音監督の声がした。
「浩希を病院に送ってくれ。私は事後処理をしないとならない。病院と病室は……ここだ」
どうして雷音監督がすぐ近くに身をひそめるようにいたのか、とか。
……もう、とにかく、そんなことはどうでもよくなった。
重体。
嘉貴が、重体って。
「……この部屋って……」
「私もまさかと思ったんだが……母は何度も『重体だ』と言ってたからな」
「あー……まあとにかく急ぎますんで。坊ちゃん、行きますよ?外靴は持ってきたんで――――坊ちゃん?」
「え」
「歩けるか、浩希」
笑えるくらい足が竦んでいた。
感覚が遠のいていく。
背中に、冷たい汗が流れた。
「今ここでもたもたしてる場合じゃないんだ。急げ」
「………はい」
「坊ちゃん、行きましょう」
「………はい」
何度目かの促しで、ようやく一歩、踏み出すことができた。
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