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降って湧いた自称婚約者と、初めて食事(デート)に行きました
9 ただの夢、なのに
しおりを挟む「あら、こーちゃん帰ったの?」
「あー…うん、ただいま」
「あら。こーちゃんそんなお洋服持ってたかしら?お食事どうだった?」
「うまかった。あー、ごめん。母さんこれお願いしていい?」
「あら、綺麗な薔薇じゃない!そうよね、やっぱり婚約者とのお食事なんですもの。プレゼントは薔薇の花束よね!」
「………オネガイシマス」
母さんに薔薇の花束を託して、俺は自室に戻った。
食事に行くと連れ出されたときに着てたジーンズとTシャツが入った紙袋も、そのへんに適当に放り投げる。
なんか着替えもだるくて、そのままベッドに寝転んだ。
なんだか夕方から今までの出来事が足早に過ぎてしまって、ついていけない。
帰りの車の中ではほとんど話さなかった。
ただ、手はずっとつないだまま。
離したくないって、思ってしまった。
車を降りるとき、開けられたドアから先に降りた嘉貴さんに手を引かれた。
『浩希、どうぞ』
微笑まれて渡されたのは、食事をした部屋に置かれていた薔薇の花束だった。そういやずっと嘉貴さんが持っていたなぁとか思いつつ、素直に受け取ってしまった。
『では……また今度。おやすみなさい、浩希』
嘉貴さんは微笑んだままだった。
『……おやすみなさい』
漸くそれだけを口にできた俺の頭をなでて、嘉貴さんは手を離した。
背中を軽く押されて、玄関へと促される。
俺は両手に花束を抱えて、腕には紙袋を下げて、背中に嘉貴さんの気配を感じながら家に入った。
玄関を閉めてから間もなく、車のエンジン音が聞こえてきたのに、俺は暫くその場に立ちすくんだままだったけれど。
「…今度って…、いつだろう」
天井を見上げながらなんとなく口にした言葉に、急に恥ずかしさがこみ上げてきた。
寝返りを打って枕に顔を押し付ける。
これじゃあ、『今度』を期待してるみたいだ。
…そりゃ、食事は美味しかったし、嘉貴さんと話をするのも楽しいと思う。それに、料理にだってかなり自信があるみたいだし。
一緒に食事をするのは、いい。嘉貴さんが作る料理を食べたいと言ったのは俺の方だし。
……でも。
「……」
なんとなく、唇に触れていた。
まだ感触が残っているように思えて、妙にドキドキしてくる。
抱きしめられた。キスされた。
それを、これっぽっちも嫌だと感じない自分はどうしてしまったんだろう。
優しい声だった。
優しい目だった。
「…嘉貴…さん」
次に会った時も、今日と同じように手を握って、抱きしめて、……キスを、してくれるんだろうか。
「――――っ」
自分の思考が思いっきり恥ずかしかった。
一体何考えてるんだ、自分っ。
顔が熱い。きっと真っ赤だ。
他人のことをこんなに考えて期待して…、これじゃ、まるで、嘉貴さんのことを好きになったような――――
「……俺は……」
違う。
違うんだ、絶対違う。
これは、恋じゃない。
俺はまだ、嘉貴さんのことを好きじゃ、ない。
そこまで考えて真っ白になった。
「…………まだ、って……っ!!」
まだ、ってことは、これから好きになる予定でもあるのか、俺!?
うあああああ駄目だ。
自分の思考に突っ込み入れるとか、いや、もう……ほんと勘弁……。
結局、悶々と考えていた割には緊張の糸が切れた俺は、そのまんま、いつの間にか眠っていた。
『お兄ちゃん』
『あのね、浩希。もし――――俺たちがどこか遠くに――――になっても、この――――を目印に、また――――で、会えるんだよ』
『お兄ちゃん、――――なるの?やだ、こーちゃん、そんなのやだ』
『――――いで、浩希。大丈夫。きっと――――』
『お兄ちゃん――――!!』
『浩希、――――から、はやく――――てきて…!!』
『――――だよ!この――――が』
ずるりと足元が滑った。
手に握った小さな白い花を咲かせた木の枝。
眼の前に広がる青空と舞う白い花弁と緑の葉。
『浩希……!!』
自分が落ちていく。
小さな手は白い花をつけた小枝を離さない。
自分と一緒に、小枝やそれなりに太い枝も落ちている。
遠くからの悲鳴。
全てはゆっくりと、スローモーションのように流れ――――背中に酷く熱い衝撃を受けたところで、ぷつりと、消えた――――
「――――!!」
自分の身に酷い衝撃を受けた気がして飛び起きた。
背中には冷や汗が流れていて、息をするのも苦しい。
心臓が妙に忙しなくて、胸が痛かった。
夢、夢だった。それはわかる。
けど、なんだろう、この嫌な感じ。
空色のシャツの胸元を握りしめた。どくどくと激しく打つ心臓の音が手に伝わってくるようだった。
大丈夫、夢だ。ただの夢。
「…夢、だから」
今、自分が落ちたわけじゃない。
じゃあ、落ちたのは、誰。
「…………俺………」
小さかった。
咲いていた白い花に伸ばされた手は、枝を握っていた手は、すごく小さかった。
浩希と呼ばれていた。
まだ小さかった自分。
じゃあ、呼んでいたのは、誰。
「……嘉貴、さん」
お兄ちゃん、って自分が呼んでいたのは、子供だったけど、間違いなく嘉貴さんで。
「…こんな、夢」
きっと、嘉貴さんが俺の小さいときの怪我のことを知っていたからだ。落ちたあの場所にいたって言ったから、だから、あんな夢を見たんだ。
「……」
大丈夫。ただの夢だ。
ただの夢、なのに。
頬に冷たいものが流れた。
涙。
俺は、どうして泣いているんだろう。
「夢……だ」
夢なのに。
胸が、酷く、苦しかった。
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