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元自称婚約者な恋人に会いたいので、初めて合鍵を使ってみました

34 やっぱり一人でいるのは寂しいんだよ

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 母さんが用意したカレーは何故か鍋ごとだった。 
 袋に入れてるとは言っても鍋一個持ってバスに乗るのかと思ってウンザリしていたら、着替えが終わったころには家の前にタクシーが待っていた。 

「お鍋結構重いから、呼んじゃったの。藤岡さんのところ、結構遠いでしょ?」 
「あ…うん。ありがと」 
「ちゃんと食べるのよ?」 
「わかってるって。じゃ、行ってくるから」 
「行ってらっしゃい」 

 もたもたしていたら勝利が帰ってくるから、俺は鍋の入った袋を抱えてタクシーに乗り込んだ。 




 週末のせいか道は結構混んでいて、マンションについたのは五時過ぎだった。 
 鍋を片手に持って、もらったばかりのカードキーを取り出してじっくり見た。 
 ……昨日もらったんだから初めて使うのは当たり前なんだけど。だけど、妙に緊張する。 

「よし」 

 教えてもらった通りにかざして暗証番号を打ち込んだら、エレベーターが開いた。 
 ほっと胸をなでおろして中に入って、上につくのを待つ。 
 いつもはあっという間に感じるエレベーターが、なんだかとろとろ動いているように思えてならない。 
 その間も緊張は高まってきて、心臓がやたら打っていて落ち着かない。
 軽い音をたてて止まったエレベーターにほっと息をついた。 
 玄関前まで歩いて行って、もう一度カードキーをかざす。
 ガチャって音を立てて鍵が開いた。 
 玄関を開けると少しひんやりした空気が流れてくる。 
 …いくら暑いからってこれはエアコン効かせすぎなんじゃないだろうか。 

「おじゃましまーす」 

 声をかけても返事はない。当たり前か。遅くなるから迎えに行けない、ってことだったんだから、こんな時間に帰ってきてるわけもない。 
 玄関はオートロックだから、閉めた直後に鍵のかかる音がした。 
 鍋をキッチンに置いてから、エアコンの設定を少しあげる。……十六度って…そりゃないだろう。風邪ひきそうだ。 
 部屋の中をぐるりと見渡しても、これといって昨日から変化がない。 
 居間も寝室もキッチンも。 
 見事に綺麗に片づけられていた。 

「……ご飯食べたのかな」 

 昨夜と今朝、本当に食事をちゃんと摂ったんだろうかと心配になるくらい、キッチンには何もなかった。 

「サラダとか用意できればいいんだけど…」 

 生憎とそう言った料理を今までしたことのない俺は、とりあえず諦めた。 
 まあ、ご飯くらいは準備できるからと思って炊飯器をあけると、そこまで綺麗になっている。 
 ここまで来ると本気で何も食べてないんじゃないかと疑いたくなった。 

「……俺がいないと駄目じゃん」 

 一人の食事はつまらない…みたいなことを言ってたし。 
 あんなにうまい料理をする人でも、自分のためだけに料理をするのは嫌なんだろうか。 




 七時を過ぎても帰ってくる気配がなかった。 
 ソファの上でなんとなくテレビを見ていたけれど、内容はさっぱり頭に入ってこない。 
 あまり動いていないせいか空腹感はそれほどなかった。 
 スマホも鳴らない。 
 風呂にでも入っちゃおうかと思ったけど、それもかったるい。 
 ……一人で過ごすのって、ほんとにつまらないんだ。 

「……嘉貴のアイスティが飲みたい……」 

 買い置きのお茶は飲んでいるけど、いつも作ってくれる紅茶がいい。 

「まだかな……」 

 ソファの上にコロンと横になった。 




 そのままうとうとしていたようで、低い電子音にびっくりして目を開けた。 
 時計を見ると九時をすぎてる。 
 電子音はどこから…と思ったら、スマホでもテレビでもなくて、インターホンのものだった。 
 ただし、来客を告げるものではなくて。 

「……嘉貴」 

 小さなモニターに映っていたのは確かに嘉貴だった。 
 すごいな。 
 誰かがエレベーターに乗ったらすぐわかるんだ。 
 大急ぎで玄関に行く。 
 きっと、もう少し。 
 キーを差し込んで鍵の開く音がする。 
 玄関を開けられる前に…自分で開けた。 

「おかえり、嘉貴」 
「浩、希?」 

 鳩が豆鉄砲くらったような顔。 
 まさにそんな表情をしていた嘉貴は、次の瞬間には破顔していて、 

「浩希……ただいま」 

 玄関に入って戸が閉まりきる前に抱きしめられた。 
 ネクタイを締めてスーツを着て、小脇に鞄を抱えて……少し疲れた顔の嘉貴。 
 体をかがめて俺の肩に顔を押し当てている嘉貴の背中に腕をまわす。 

「浩希………」 
「うん」 
「……幻ではない?」 
「違うよ」 

 幻ってなんだよ。 
 今ここでこうやって嘉貴のこと抱きしめてるのに。 

「……浩希がきてくれると思ってもいなくて……」 

 いつもよりも歯切れが悪い嘉貴。 
 思わず笑ってしまった。 

「驚かせたかったんだ」 
「ええ…驚きました。驚きすぎて…、嬉しすぎて………どうしたらいいかわからない」 

 悪いと思いつつ、さらに笑ってしまった。 

「仕事から帰って貴方に出迎えられるのは……こんなに嬉しいことなんですね」 
「なにそれ」 
「浩希…」 

 相変わらず笑っていたら、嘉貴が頭を上げた。 
 上から優しい目に見つめられて、一気に心拍数があがる。 

「ただいまのキスをしてもいい?」 

 顎の下に指を添えられて、親指が唇を触っていく。 
 改めて聞かれるとものすごい恥ずかしくなる。 

「……いいよ」 

 嘉貴の背中にまわした腕に力を入れる。 
 目を閉じるとすぐに唇に柔らかいものが触れた。 

「……ただいま、浩希」 

 唇が触れあう距離で。 

「…おかえりなさい…」 

 二人分の息が熱く感じる。 

 やっぱり一人でいるのは寂しいんだよ。 
 ずっと…傍にいたい。 
 傍に、いてほしい。



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