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第2章 辺境伯編

傲慢な男の最後

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 幻は、顔を俯かせたシェロを見下しながら考える。
 
(まったく、どいつもこいつも与えられた役割一つこなせないとは嘆かわしい)

 外では、いまごろ人影が用意した化け物が、マルセイユ家の兵士たちを片づけているだろう。
 あの憎い冒険者の死にざまをこの目で見れないのが残念だが、ここまで計画がズレこんだ以上は仕方がない。

(ですが、予想外の収穫もありました)

 幻は、マオが捕えているリリアに視線を向けて内心でほくそ笑む。

(まさかクレスティン家の娘がこのような所にいるとは僥倖。目の前の龍人を手早く片づけてしまいましょう。なんなら、四肢を切断して道具として使ってもいいですね)

 チラリと見た限り、見目は相当に優れていた。身体は小さいが、その分マンコの締りはよさそうである。
 好事家の貴族たちにでも売り付ければ、いい値段になるなどと考え、幻は完全にシェロのことを見下している。
 幻は、たかだが龍人の小娘如きに負ける気などしなかった。
 確かに龍人は人間よりも優れた身体能力を持っている。こうして護衛を任されていた以上、それなりに強いのだろう。

(けれども、私にはあの方の幻覚があります)

 そう、それこそが幻の絶対的な自信である。
 かつての彼は、誰に対しても侮蔑の視線を向けられる醜男ぶおとこだった。なんの才能もなく、働く気力もない彼は、石を投げられながらその日を生きているだけの存在だった。そんな幻は、世界を呪っていた。
 全てが憎く、自分を虐げる者など死ねばいいと思いながら過ごしていた日々は、あの方との出会いによって変わった。

『醜いですね。だからこそ私になるのに相応しい』

 そういって、まったく同じ顔、力の一部、名前を与えられた。
 そこから幻の人生は一転する。
 幻覚の力は、幻を魅せるだけでなく洗脳紛いのこともできた。
 この力を使い、搾取される側から搾取する側へ。自分を蔑んでいた連中を洗脳して犯した。気に入らない連中は、幻で作りだした友人に殺させて、そいつに罪を着せて遠くから嘲笑った。
 最高に楽しい毎日が訪れたのだ。
 
(そう、この力こそ選ばれた者に相応しい力!)

 だから多少は計画のズレがあろうとも、今回も自分は上手くやれると思っていた。
 そう、思っていた。
 顔を俯かせていたシェロが、顔を俯かせたまま小馬鹿にしたかのように声を上げて笑い始める。

(不愉快ですね。やはり簡単に殺してしまうよりは身の程を弁えさせるためにダッチワイフにでもして犯しましょう)

 幻は不快そうに眉を細めながらシェロの処遇を決める。
 それがなんの意味もないことが、すぐにわかるとも知らずに。

「ああ、いやなに。お主、わかっておるのか? 自分が何に触れてしまったのかを」
「はて? どういう意味ですかね?」

 くだらぬ戯言だと一蹴し、もう相手にするのも面倒だと思っていたところで、シェロの顔が上がる。

「わからぬようなら教えてやろう。お主が触れたのはな――龍の逆鱗じゃよ」

 ――シェロの目と視線が重なった。

「――――ッツ!!」

 全身から冷や汗が溢れ出し、本能の警告に従って咄嗟に飛び退く。
 一瞬前まで幻のいた場所になにかが通過して空を切る。

「な、なんですかそれは」

 幻の見たシェロの身体は、異質なほどに変質していた。
 小さな身体には不釣り合いなほど、巨大な龍の腕が生えている。その腕は、全身は輝く鱗で覆われ、あらゆる魔という魔を払う神聖を感じさせる。

「さて、なんじゃろうな。どうせ死ぬお主に話した所で詮無きことよ」

 シェロが龍の腕を持ち上げると、引っ掻くように振り下ろす。

「ぐぅぅぅっ!」

 咄嗟に、あの方から貰った力で身代わりを作って攻撃を受けさせるが、それでもわずかに遅れた分の痛みが幻を襲う。

「ふむ。幻影か。現実世界に干渉できるほど強力な幻影には不釣り合いなほど、使い手は未熟じゃのう」

 シェロは、掴んでいた幻の幻影を握り潰すと、まるでゴミでも見るかのような視線を向けてくる。

(見下す側の人間である俺に、その視線を向けるな……!!)

 かつて向けられてきた視線と同じものを向けられた幻は、頭に血が上り叫ぶ。

「なんだと! 貴様ような雌が俺に逆らうのか!?」
「ほれ、化けの皮が剥がれておるぞ」
「うるさい! アイツ等がどうなってもいいのか!」
「あぐっ!」

 マオに命令させ、尖った爪を少しだけ肌に突きいれさせる。切れた皮膚からは、ぷっくりと血球が浮き上がり、マオの爪を濡らす。

「お主……!!」
「は、はは! そうだ! その顔だよ!」

 怒りに震えるシェロを見て、幻は一転して余裕そうな表情に戻る。

(クレスティンの娘は殺すなと言われているが、痛めつけるなとは言われていない。多少傷がついたところで構わないだろう)
 
「ほら、そんなにその女が大事なら早く俺に降伏を――」
「もう黙るがよい」

 しろ、と言いかけたところで幻の横を衝撃が駆け抜けていく。 

「はっ?」

 遅れて、自分の右腕が宙を舞っていることに気が付く。

「いぎぃぃぃぃぃぃ!」

 あまりの痛みに身体をくの字に曲げて膝をつく。

「き、貴様ぁぁぁっ!」

 血走った目で睨み付けようとすると、気絶させ、治療の魔法を施されて寝かされているマオの姿が目に映った。
 傍には縛られたメーデも回収されており、まさに瞬きの間に行われた早業だった。

「すまんのう、リア。守ると言っておきながらお主に傷をつけてしまった」
「い、いえ。シェロちゃんのせいではありません」
「すぐにあの不愉快な男を片づける故、しばし待っておれ」
「ひっ!」

 シェロが立ち上がると、零れた殺気に当てられて痛みも忘れ、幻は後ずさる。

「く、くるな! くるなぁぁぁぁ!」

 幻は滅茶苦茶に魔法を飛ばす。
 精神を操ろうとして失敗し、幻をみせようとするが抵抗レジストされる。ならばと、一日に数度しか使えない、実体になる幻で巨大な岩を想像して押しつぶそうとするが、片手で粉々に砕かれる。

「――手品は種切れかのう? ならば、死ぬがよい」
「ひ、ひぃぃぃぃぃ!」

 龍の腕が振り下ろされ、幻は真っ二つに切り裂かれて絶命――したかに見えた。

「――っつ! かはっ、はぁ、はぁ」

 屋敷から少し離れた裏路地に、幻は転移していた。
 切り裂かれたのは緊急用に準備していた幻覚であり、本人ではないとはいえ、眼前に死が迫っていたのは事実である。
 幻は、自分の五体が健在であることにホッと胸を撫で下ろす。

「まさか緊急用の転移の魔道具まで使わされるとは……ちっ! 絶対に許さんぞあの小娘!」

 恐怖が喉元を過ぎると、幻に湧き上がってきたのは怒りだった。

「次に会ったときは女に生まれてきたことを後悔させてやる……! だが、いまは引くしかない」

 人影が用意した化け物は幻の命令を聞かない以上、放置するしかなく、幻がとれる手はもうない。

「まあいい。辺境伯の力を削ぐという当初の目的は果たせたからな」

 あの化け物の相手をしたのだ、例え辺境伯が生きていたとしても戦力の立て直しに時間が食われるだろう。
 そう考えれば、十分に辺境伯の力を削ぐことには成功したといえる。

「それに、アイツ等にはまだ洗脳にかかったままだ」

 あの方から貰った洗脳の力は強力無比だ。市井の魔法使い如きに解除できるわけがない。
 洗脳をかけた術者である幻が解除するか、死ぬ以外では解けることはないであろう。

「クレスティン家の娘が生きていたという情報もある。ここは欲をかかず、王都へと戻るか」

 屈辱を堪えながら、逃げ出そうとする幻の前に、一人の男が現れる。

「よう、立会人。奇遇だな」
(な、なぜこの男がここにいる!?)
 
 とっくに人影が用意した化け物に殺されていると思っていた冒険者の姿が現れたことに、幻は動揺する。

「こ、これはイチノセ様。このような場所にどのようなご用でしょうか。てっきり、外に現れた魔物を倒しにいったのかと思いましたが」
「ん? ああ、あれなら倒したぞ」

 なんとも気軽にいった勇人の言葉に、幻は驚愕する。

(馬鹿な! まだ倒されるには早すぎる!)

 あの化け物は制御がきかないかわりに、軍隊にも匹敵する力を持っていると人影からは聞かされていた。
 それがこんなに早く倒されるなど、計算外もいいところだ。

「――で、聞きたいんだが、どうしてお前はこんな時にこんな場所にいるんだ?」

 勇人の瞳が、鋭さを増す。

(くそ! こいつも俺のことを生意気な目で見やがる!)

 ただでさえイライラとしていた幻は、街を脱出するより先に勇人を殺すと決めた。 
 幸い、勇人は人間だ。あの化け物のような強さを持つ龍人よりも遥かに弱いだろう。

「私がここにいたのはですね――」
「ここにいたのは?」
「――誰が答えるか馬鹿め! 死ね!」

 完全に油断している勇人の心臓に、隠していたナイフを取り出して突き立てる。

「ははは! ざまあみろ! 俺の計画を狂わした罰……は?」
「いってぇな。いきなり刺すなよ」

 自分の胸に突き刺さっているナイフを見下ろして、勇人はため息をついている。

「な、なぜ……」
「なぜって、当たり前だろ? 俺は勇者だぞ。こんものに刺されたくらいで死ぬかよ。魔王の落とし子なんてモノを持ち出した癖に俺のことも知らないのか?」
「勇者、だと!?」

 勇者の伝説は確かに幻も知っているだ。だが、あれは二百年も前のことである。人間である勇者が生きていられるわけがない。
 ならば、目の前の男は勇者を語る偽物だろう。

「はっ! どんな魔道具を使っているかは知らんが、勇者を語るとはな!」
「本物なんだがな」
「これ以上は頭のおかしい男になど付き合ってられん。今度こそ殺してやる!」

 具現化させた幻、炎の魔弾ファイアボールと呼ばれる火の魔法を勇人に対して放つ。
 
「ぐぉぉぉぉぉぉ!」
「はははは! どうだ! 苦しいか!」

 燃え上がりながら悲鳴を上げる勇人を見て、愉悦を浮かべるが、

「なんちゃって」
「なっ!」

 腕の一振りで、固定した幻がかき消されることに何度目かわからない驚愕を浮かべる。

「な、なにをした!? どうやって俺の力を消した!」
「うっとおしいから腕を振るっただけだぞ? それに、大した力じゃねえしな」
「だまれぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 シェロも言っていた言葉を、勇人も口にした。
 選ばれた自分の力、なんども大したことがないと言われた幻は、力の枯渇など考えず、滅茶苦茶に打ち続けた。
 だが、勇人は避ける素振りもみせない。
 身体に直撃した魔法が皮膚を突き破り、肉を焼き、骨を砕く。それでも眉一つ変えずに、歩きながら腕を振るう。
 たったそれだけで、荒れ狂うほどの魔法が消し飛び、霧散していく。
 その力は、とても人間技ではない。

「ば、化け物がっ!」
「そうだ。俺は勇者という化け物で、お前は人を食い物にする化け物だ。同じ化け物同士仲良く殺し合いをしようぜ」

 残虐な笑みを隠しもしないまま、嘲笑う。

「ふざけ――ぐぎゃっ!」

 気が付いたときには吹き飛ばされていた。一体なにが起こっているのか理解できない。気がついたら顔を殴られていて、鼻が潰れていた。

「ぐ、くしょおっ!」

 力を使い過ぎたせいで、もう幻覚のストックがない。いま殺されてしまえば、それは本当の死を意味する。

(だ、誰がこんなところで死ぬものか!)

 なんとか隙をついて逃げ出そうとするが、その姿を見た勇人が落胆したように溜め息を吐いた。

「こんなに小物だとは思わなかった。もういい。お前から聞けることもなさそうだから死んでくれ」
「な゛にをいっでっ――」

 幻の横を、風が通り過ぎた。チンッという鞘に剣を収める音が聞こえたかと思えば、自分の視界が低くなっていくことに遅れて気が付く。

(お、俺は――)

 傲慢な男は、最後の最後まで傲慢なまま、その生涯の幕を下ろした

 ******

「――はぁ」

 勇人は、地面に転がっている男を見てから肩を落とす。

「魔王の落とし子はこいつが用意したものだと思っていたが、あの様子だと違うよな」

 この男はなにも知らされず、都合のいい駒として使われただけである。
 となれば、王都には落とし子を用意した黒幕がいる。目的がなにかわからないが、まだ落とし子を持っているのなら見過ごせない。
 落とし子は、いずれ魔王に至る可能性がある魔王の子供だ。放っておけば、魔王が復活することにも繋がってしまう。

「リリアの手助けをするだけのつもりだったけど、俺がやり残したことも片付けないといけないみたいだな」

 魔王は確かにこの手で殺した。だが、世界にまだ魔王の残した残骸があるのなら、それを片づけるのは勇者の役目だろう。

「隠居した勇者をこき使うなよな、まったく」

 勇人は、男の身体を担ぎ、首を掴んで屋敷へと戻っていく。

 領主の屋敷半壊、騎士団も半数以上を失う大損害を見せたユーティアの問題は、こうして一応の決着をみせた。
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