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第2章 辺境伯編

不穏な会話

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「――ほら、出てきなさい」

 狐男の声が聞こえた。
 人形のようにドレスを着飾られたマオは、せめて顔を見せないことで抵抗でもしてやろうと思った。
 だが、そんな思考はお見通しだったのか、奴隷紋が反応して無理矢理に身体を馬車の外へと連れ出される。
 外へ出て、真っ先に視界へ飛び込んできたのは、二メートルを超える獅子の獣人だった。
 筋肉に覆われ、ガッチリとした体格は、服を着ていてもハッキリと鍛えられているのだとわかる。茶色の鬣に、翡翠の瞳。それらは、マオが持つものとソックリだった。

「……君が、マオか?」
「……はい。そうです」
「そうか。私の名前はラオ。君の父親かもしれない者だ」
(この人が、私のお父さん?)

 マオにとっての肉親は母だけだった。父親に会えるとは思っていなかったし、これからもないと思っていた。
 しかし、なんの因果かこうして父かもしれない相手に出会えた。
 だというのに、イマイチその実感がわかない。
 似ているとは思う。けど、それだけだ。親近感は湧いても愛情は出てこない。

「母の名前、訊ねてもいいか?」
「はい。お母さ――母の名前はローレリア、です」
「――ローレリア。母の名前は間違いなく、ローレリアなのだな?」
「間違い、ないです」

 マオが大好きな母の名前を聞いたラオは、全身から力を抜いて脱力する。

「おや? もしかして人違いでしょうか?」

 横で話を聞いていた狐男がわざとらしく肩を竦めると、ラオはゆっくりと首を振って否定する。

「――いや、この子は間違いなく私の娘だろう」
「それはよかった。私としましても、親子の感動の再会、嬉しく存じ上げます」
「ああ」

 ラオが疎ましそうに狐男を睨みつけ、マオには一転して優しげな瞳を向けてくる。

「マオ。君がこうして見つかった以上、私は君とは家族になりたいと思っている。マオは、私と家族になりたいと思ってくれるか?」

 ラオの言葉に正直に答えるなら、わからない、が正解だろう。
 いきなり現れた父親に対して、困惑のほうが大きい。

「もし君にその気がないのなら、いままで迷惑をかけた分の慰謝料を支払い、今後の生活の保障をしよう。もちろん、私からはそれ以上の干渉はせず、以前と同じ生活に戻ってもらって構わない。だが、少しでも一緒に暮らしたいと思ってくれるなら、私はいままでの分を含めて君を愛すると誓おう」

 マオの気持ちを察して、ラオは優しく笑いかけて道を選ばせようとしてくれる。

(優しい人。もし私が自由ならどう答えたのかな)

 その場で決められなくて、保留してしまうかもしれない。そうして少しずつラオの情に触れて、本当の家族になったのかもしれない。
 だが、現実は違う。
 狐男が、近衛たちに見られていないことをいいことにマオを嘲笑っている。そう、マオに自由意思などない。初めから、口に出す言葉は決まっている。

「私は、お父さんと、暮らしたい、です」

 その瞬間、マオはただのマオでなく、マオ・マルセイユ・セクトとなることが決まった。もう、ただのマオには戻れない。

「……そうか。わかった。ならば、今日からマオは正式に私の娘だ。とはいえ、家名を与えるには少し手続きがいる。すまないが、それまでは別宅で暮らしてもらうことになるがいいか?」
「はい。だいじょぶ、です」
「よし、後は紹介したい者たちがいる。最近は色々とゴタゴタしているからな。マオの安全のために冒険者を雇ったのだ」

 マオはラオに差し出された手を握り、一番端でこちらの様子を窺っていた冒険者の所へと案内される。
 その人族の冒険者は、腰から鉄剣をぶら下げ、レザーアーマーに使い古したズボンを穿いている。
 年若く、安っぽい装備を身に着けているにも関わらず、どこか歴戦の猛者のような風格を漂わせている。

「待たせてすまない。マオ、この方が今日からお前の護衛を務めてくれる人だ」

 奇妙な冒険者を眺めていると、マオはラオに背中を押されて一歩前に踏み出してしまう。
 すると、人族の男から自己紹介が始まった。

「俺が護衛の一之瀬勇人だ。ユーキとでも呼んでくれ。見た目は若いが、腕は確かだ。安心してくれ」
「……マオ、です。よろしく、お願いします」
 
 軽く頭を下げて、顔を俯かせる。

(ユーキ、ユーキ)

 自分を、自分如きを護衛してくれる男の人に、マオは申し訳ないと思ってしまう。

(私は、守られるような人じゃない)

 そもそもラオを裏切るためにここへと連れてこられたのだ。それなのに、ラオの用意した護衛が守ってくれるという。
 これで何の感情も抱けないほどマオは非道ではない。

(早く、終わってほしい)

 こんな茶番に付き合わされている彼らのためにも。そして、王都で帰りを待つ母のためにも。

 ******

 案内された屋敷は、勇人が泊まった宿屋よりも若干大きい程度のものだった。貴族の屋敷にしては小さいが、ここの在中する人間の数を考えれば、十分な大きさだと言える。

「……」

 既に案内してくれた近衛兵も、ラオの元へと戻っている。いまこの屋敷にいるのは、勇人とマオだけである。
 屋敷に着いてから一時間近くの時間が過ぎた。その間、マオはなにもせずリビングに用意されたソファーに座って天井を見上げている。
 何度か勇人から話しかけてコミュニケーションを試みて、色々と質問を投げかけたり話題を振ってみたが、全て「はい」「いいえ」で完結させてしまう。
 こちらは簡単なキャッチボールをしようとしているのに、相手は全速力の投球を投げてくるくらいに会話が成立しない。

(さてはて、どうしたものか)

 多少の会話で勇人はマオが危険な人物ではないと判断している。確かに無表情で感情がわかり難いくはあるが、心根は素直で真っ直ぐだ。
 普段の勇人ならばそこまで判断した所で、深く関わることを止める。
 だが、今回の依頼は監視と護衛だ。浅い仲よりも深い仲のほうがいいに決まっている。
 
(それになにより、どうも気になるんだよな)

 基本的に、世捨て人になってからは他人に対してほとんど興味がわかなくなった勇人だったが、このマオという少女には妙に惹きつけられるなにかを感じる。

(その辺りのことは追々考えるとしよう。いまは――どうやって会話するかだな)

 どうやって会話するか。それが一番の難題であった。

 ****** 

 ラオとの話し合いを追えた狐目の男は、人通りのない路地裏を一人で歩いている。何人か後をつけていたようだが、それれは全て撒いてある。

「さて、ここですか」

 路地裏の袋小路に辿り着くと、空から一匹の鳥が降りてきた。

『やあ、げん。計画は順調ですか?』

 口を開いた鳥からは、聞きなれた自分ひとかげの声が聞こえてきた。

「ええ、少し面倒事が起こっていますが、概ね順調ですよ。辺境伯は自分の血が流れた娘だとわかるや、不利益を込みで抱え込みました。獣らしい情の厚さです」
『いいことではないですか。それで、面倒事とは?』
「どうにも先走った連中が一度彼の娘を誘拐してしまったみたいでしてね。再度誘拐するには警備が厳重になっています。あとは、人形に対してどうも個別の冒険者を雇ったみたいです。まあ、こちらは問題ではないでしょう」
『ふむ。計画が漏れている可能性は?』
「それはないでしょう。足を引っ張られたとはいえ、最低限の仕込みはやってくれていました。これならば、あの雌がマルセイユ家に名前を連ねた時に事を起こせます」
『上々です。冒険者は放っておいても大丈夫でしょう。雑兵が一人増えた所で問題はありません。引き続き頑張ってください』
「ええ、もちろんです」

 幻は、複数の笑い声じぶんのこえを聞きながら、空を仰ぎ見る。空では、真っ赤な三日月が嗤う幻のことを見下ろしていた。
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