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第一章 王子とロバ耳と国際交流と

26、落ちた先

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「おっと、危ない」

諦めて胸の感触がするのを待っていると、お腹に手が添えられてグンッと身体が背後に引っ張られる。

トンッと背中に何かがぶつかり、身体を温かなものが包む。

お腹に添えられた手は綺麗に整えられた見覚えのある手。
身体をふわりと包む嗅ぎ慣れたラベンダーの香り。

見上げると見慣れた夕陽色の瞳があって、自分でも知らぬ間に肩に入っていた力がスッと抜ける。


「ライモンド先生」

名を呼ぶとライモンド先生は桜色の唇を小さく開けて、「大丈夫よ」と囁き、優しい笑みをその顔に浮かべた。


「お久しぶりです。ラピュセルの姫君においては、今日もお麗しく。お見かけした際は思わず、女神が舞い降りたのかと勘違いしてしまいました」

「ふふっ。お上手ね。貴方が率いるミューズ学園が誇る音楽隊の歌、とても楽しみにしてるの」

「光栄です。生徒達もラピュセルの姫君に歌を捧げるべく、練習に精を出していました」

ラピュセル公爵に向き直ると、優しい笑みが消え、打って変わって色香漂う大人の表情に変わる。
まだ僕をチラチラと見ているラピュセル公爵を口説くように褒め称えた。

ラピュセル公爵は満更でもなかったのか、頰を赤らめる。しかし、やはり僕をチラチラ見ている。

何、その謎の執念!?


「歌、楽しみにしてるわ。…私はまだその子とお話があるの。お話は後でいいかしら?」

「ラニ王子にですか? ラニ王子はまだこのような正式な場は慣れてない故、勘弁してもらえませんか?」

「場慣れしてないのは初めてならしょうのない事。多少粗相があっても気にしないわ」

「いえ、不慣れな場では何時もより疲れが出るものです。この子はあまり体力のある方ではないので心配でして…」

「疲れたわよね」と、心配そうな顔で僕に声を掛ける。
確かに初めての社交場という緊張とこの一件でドッと疲れた。
素直にコクリッと頷くと「そうよね」と、綺麗に整えられた手が頭を優しく撫でた。

「あら、御免なさい。私ったら…」

僕達のやりとりを見て、あんなに妙な執念を燃やしていたラピュセル公爵が申し訳なさそうな表情で口を両手で覆う。

「そうよね。初めてだものね。疲れるのも当然だわ」

「婚約の件も一度、皇帝陛下に相談してみてからがよろしいのでは? 相手が王子となるとモアナ大王に話を通す必要がありますから」

「…そうね。そうよね。流石にラニ王子の一存では決められないものね」

先程まで話が通じなかったのが、嘘のようにするすると話が解決していく。

流石、大人は違う。
やっぱり、安心感のあるライモンド先生の手にそっと触れる。だけど、視界に少し気落ちしているように見える皇子が映り、ライモンド先生に触れていた手を皇子に伸ばした。


皇子の小指を遠慮気味にちょんっと掴んだ瞬間、皇子が翡翠の瞳を丸くし、キュッとキツく口を結んだ。


「貴方はそういう子よね」

優しい声色が頭上から聞こえて、顔を上げる。

顔を上げると眉を少しハの字に下げたライモンド先生が笑っていた。
少し寂しそうでそれでいて、優しく見守ってくれているようなそんな複雑な笑みを浮かべて。


「フィルバート殿下。貴方が行ってる事はラニちゃんの為を思っての行動だと分かってます。しかし、もう少しだけラニちゃんの歩幅に合わせてはもらえませんか?」

「……そうだな。俺も事を急ぎ過ぎたのかもしれん」

「いえ、私も出過ぎた真似を」

二人で少し言葉を交わすと、ライモンド先生はポンッと僕の背を皇子の方へ押し出す。
皇子は小指を掴む僕の手を見て、溜息を吐くと何時もの少し強気の表情で僕の手を取った。

「帰るぞ…」

そう一言だけ声を掛けると、戻ってきたシルビオとともに僕の手を引き、お茶会を後にする。

お茶会の会場から帰る時、着飾った音楽隊の人達とすれ違った。
その中には勿論、エレンもいて、僕を見つけた瞬間、嬉しそうに手を振ってた。


馬車に着くまで皇子は無言だった。

だけど、風に乗って茶会から透き通るような綺麗な讃美歌が流れてきた時、ふと「エレンの歌声だ…」と、ぽそりっとそう呟き、振り返った。

「聞いてく?」

あまりにその歌声を噛み締めるように聞き入っているから、そう聞いた。
でも、皇子は「いや、いい」と、首を横に振り、今度は振り返る事なく馬車に乗り込んだ。







「凄かったな…」

目の前で起きた先程の騒動に同盟国の王子達はリスちゃんのキャラメルケーキを口にしながら苦笑していた。

まるで嵐のように過ぎ去っていったモアナの王子ラニ。
いい意味でも悪い意味でも人を惹きつけて、このカオスなお茶会の中でもその存在感を強く残して帰っていった。


「ラニ…王子」

その名を噛み締めるように呟く声を聞き、同盟国の王子達は姿が見えなくなってもまだその姿を目で追い続けるジェルマンを見やる。

母親の暴挙で死んでいた翡翠の瞳には正気が宿り、無口で無表情で何時もは何考えているか分からない顔が高揚しているように見えた。

「……モアナの人たらしは最早、伝統芸の域だとよく父上が漏らしていたな」

ジェルマンのその姿に気の毒だと同盟国の王子の一人が溜息をつき、リスちゃんのキャラメルケーキを食べる自分に渇いた笑いを溢した。



音楽隊の演奏と歌が始まり、エレンのその歌声に心奪われ、やっとラニへの関心が薄れていく中。心ここに在らずのジェルマンともうひとり、ラニに関心を向け続ける者がいた。

「あれが…モアナ」

まだ幼さの残る鳶色の目をこれでもかと見開き、自身の胸の辺りを少年はぎゅっと握る。
ドクドクッと嫌に早く脈を打ってしまう自身の心臓が情けなくて自嘲の笑みを浮かべた。

「人を惑わし、魅了するローレライが住む国の王子」

賑やかで色鮮やかな茶会の中でひとり、その鳶色の目を伏せ、まるで世界から色を無くしたかのように暗い顔でその場に立ち尽くしていた。
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