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第十一章

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 まだ両親が生きていた頃、父が座っていた席に暁史が腰かけた。
 この家に、わかばとふたば以外の人が来るのは、ずいぶんと久しぶりのことだ。
 ふたばは三人分のアイスコーヒーを用意して、テーブルに着くと暁史が口を開くのを待った。
「眞鍋先生、本当にいろいろとありがとうございました」
 しかし、先に口を開いたのはわかばだった。
 向かいに座った暁史に深々と頭を下げる。
「時間がかかってしまい、すまなかった。君を苦しめた男をやっと捕まえることができたよ」
 暁史の言葉にわかばは複雑に顔を歪ませる。
 わかばの気持ちは理解できた。ふたばが襲われたことを後悔しているのだろう。
 いくらふたばが気にしていないと言っても、謝ることをやめなかった。
「私が……ちゃんと被害届を出していれば、ふたばが狙われることはなかったのに……ごめん」
「お姉ちゃんのせいじゃないよ。悪いのは犯罪を犯した人間なんだから」
「ふたばの言う通りだ。自分が悪いだなんて思うな。被害者側に非があることなんてない。それで、わかば……いつになってもいいから、またアソシエイトとして働かないか? 何年かかってもいい。君の席はちゃんと用意しておくから」
 わかばの目に涙が浮かんだ。
 暁史が、わかばの戻れる居場所を作ってくれていることが嬉しかった。すぐに仕事復帰することは難しいだろうが、それでも待っていてくれる誰かがいるなら希望が持てる。
「ありがとうございます」
 もしかしたら、同じ会社で働ける日も近いかもしれない。


 暁史を送っていくと言って家を出た。
 本当はもう少し一緒にいたかっただけなのだが、聡い姉はそんなこととっくに気がついているだろう。
「昼食べてくか」
 隣を並んで歩きながら、暁史の言葉に頷く。
 そういえば、ふたばにはずっと引っかかっていたことがあった。
「あの……実家の繋がりから、依頼が何件もあるって本当? それに、いっつも派手な女の人と歩いてるって噂はなんですか?」
 ふたばが不安げに揺れた眼差しを向けて聞くと、暁史は足を止めて振り返った。
 別に暁史の家がどうでもふたばは気にしないが、やはり仕事でもし危ない案件を扱っているのなら知っておきたい。
「派手な女関係は、全部家からの仕事だな」
「なんか……女性関係の清算って聞いたんですけど」
 すべては教えてもらえなくとも、毎日ハラハラするのは嫌だ。
 黙ったまま考え込む様子が、肯定しているも同然だということにふたばは愕然とする。
 表沙汰にしたくない案件を処理しているのだと吉野は言っていた。暁史が法に触れるような真似をするとは思えないから、慎重にことを運んでいるのはわかるが。
「言えないことがあるのはわかります。でも、危なくないんですか? ずっと、嫌がらせされてたからホテル暮らしだったんでしょ?」
「心配してくれてるのか?」
「心配ぐらいします! だって、あんな……っ、吉野みたいな何するかわからない人を相手にして、もし、刺されたりしたら……っ」
 吉野に触れられたことを思い出すと、未だに震えが止まらなくなる。彼が捕まったと知っていても、漠然としたら不安は拭えない。
 第二、第三の吉野のような人間がいつ現れるかもわからないのだ。もし、暁史に何かあったらと思うと、恐怖ばかりが押し寄せる。
「相手も、誰を相手にしてるかぐらいはわかってるはずだ。万が一俺に危害を加えれば自分の立場が悪くなる。それくらいの頭は回る。今回みたいなことはそうそうないよ」
「本当に?」
「じゃあ、俺の恋人が不安になるから、実家の案件はもう受けません、と伝えようか。そうすれば安心するか?」
 何でもないことのように暁史は言った。
 そんなこと可能なのだろうか。
「仕事の邪魔したいわけじゃないんです」
 もし必要な仕事なら、仕方がないのだと思う。ふたばのことで迷惑はかけたくない。
「君はもう少しわがままになっていい。まぁ、俺もそれなりに向こうの弱みは握ってるからな。もうやらないと言えば、一泊百万超えのホテルに泊まれなくなるぐらいか」
 数十万どころか、あの部屋は一泊百万だったのかと驚きに目を瞬かせていると、暁史はふたばの頬を撫でながら続けた。
「いずれ一緒に暮らす家を一緒に探してくれるか? ふたばの実家の近くにしようか。あの辺りは閑静な住宅街だし、将来的なことも考えて一軒家がいいな」
「え……」
 将来的、という結婚を匂わせる言葉に頬を染めていると、暁史の端正な顔が近づいてきて耳元で囁かれる。
「プロポーズの返事は?」
「……はい」
 影が二つに重なり、暁史の面差しが心なしか赤く染まっている。
 手を差し出されて、おずおずと指を絡めた。触れ合った指先から熱が伝わる。
 どちらの体温が高いのかわからないほどに、互いの手のひらは熱を持っていた。
「お昼何食べますか?」
「そうだな。ビーフシチュー」
「だと思った」
 そう言ってふたばが笑うと、暁史は眩そうに目を細めて穏やかな微笑みを浮かべた。


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