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第十二章
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第十二章
取引先から本社へと帰る電車の中、珍しく静香からメールが入った。
仕事中は悪いとでも思っているのか、よほどのことでない限り彼女から連絡は来ない。幸太になにかあったのかとメールを見ると、史哉の勘は当たらずとも遠からずといったところだった。
幸太に鍵を持たせてあるが、どうしても仕事の打ち合わせが長引いて帰るのが遅くなりそうだとメールには書いてあった。
(幸太が帰る時間に合わせて帰ってくることが多いのに……珍しいな)
しかし静香が頼ってくれたとあれば嬉しさしかない。まだ幸太からは父親認定されてはいないが、いずれはそうなるつもりでいる。圭には悪いと思うが、静香の幸せとあらば圭だって許してくれるだろう。
このまま直帰をしてもいいかと、自宅近くの最寄りの駅で電車を降りた。メールを下にスクロールしていくと、まだ文章が続いているようだった。
「なんだ……これ……」
メールの中には、ずっと史哉が好きだったと、史哉が結婚すると聞いて一度でもいいから抱いてほしかったのだと綴ってある。
史哉にとって嬉しい言葉のはずなのに、どうしてだろう。あの日、本気じゃなくていい、そう言った静香の顔が思い浮かんだ。
静香が自分を好きでいるのなんて百も承知だ。それでも素直になれない理由があるのだと思っている。圭へ申し訳ないと思っているのか。それとも別な理由があるのかはわからなかったが。だから何年だって待つつもりでいたのだ。
けれどどこか彼女らしくない言葉の羅列。それが史哉を不安にさせた。
ホームで静香のスマートフォンに電話をかけると、電源が入っていないのか繋がらなかった。
(電源を切ってる……? そんなはずないだろう……っ)
なにかあって連絡が来るかもしれないからと、幸太が外に遊びに出ている時は、常にスマートフォンを気にしていた静香だ。いくら仕事だとはいえ、静香がスマートフォンの電源を切るなんてあり得ない。
(本当に仕事なのか……っ?)
焦燥感ばかりが募る。焦ったところでどうしようもないのに、頭を掻き毟りたくなるほどに気が急いてならない。
(静香……っ!)
史哉は急いで階段を駆け下り改札を出る。学生時代でもあるまいし、この歳で全力疾走はなかなかにキツい。
ただ静香と幸太が無事ならそれでいい。彼女たちの安全を確かめたいだけだ。
息が切れて額から汗が流れ落ちる。走りすぎて胸が痛くなるが、足は止めなかった。なんとかマンションに辿り着き、廊下の窓から部屋の明かりが見えた時、安堵で足から崩れ落ちそうになったほど。
「静香……っ、幸太!」
史哉が室内に足を踏み入れると、幸太がパタパタと廊下を駆けてくる。嫌な予感がしたが杞憂だったかとホッと胸を撫で下ろした。
「史哉くん、おかえりなさい!」
「ああ、ただいま。ママ仕事で遅くなるって連絡があったよ。今日は二人でご飯食べような」
「うん!」
幸太を腕に抱き上げて歩いていくと、リビングのテーブルの上に静香のパソコンが置いてあった。
(どういうことだ?)
「幸太……ママ、どこに行ったか、聞いてるか?」
仕事の打ち合わせが終わらないと静香は言っていたじゃないか。それなのになぜ、仕事道具がこの部屋に置いてある。史哉の強張った表情に気づいたのか、幸太が不安げに口を開いた。
「マンションにお手紙取りに行くって。あと買い物」
「あっちの家か」
おそらくポストを見に行ったのだろう。その後に買い物をして帰ってくるだけなら、あんなメールを入れるはずがない。
きっとこの部屋に帰れないなにかがあったに違いない。戸澤の家がまたなにかしてきたか。史哉は隠しておいた静香の家の鍵を手に持つ。幸太を一人にしてはおけない。
「幸太……お腹空いてるのに悪いが……ちょっとこれから俺と出かけてくれないか? ママが迷子になってるかもしれないから、探しに行きたいんだ。いい?」
「迷子⁉︎ 史哉くん、早く探しに行かないと! ママ、泣き虫だから……」
史哉の腕を引っ張って玄関へ行こうとする。こういうところは小さくてもやはり男だなとこんな時なのに感慨深い思いだ。
「ああ、早く探してやらないとな」
小さな手をキュッと掴んで、史哉は車を走らせた。
マンションに着くと幸太の知り合いなのか、管理人室のドアが開いて相好を崩した男性が出てきた。
「お~幸太くん! ママはさっき帰ってきてお部屋にいるよ。オートロックに入れたってことは、鍵見つかったんだね」
「あの、申し訳ありません。今、彼女と同居しているものですが……ちょっと心配な連絡が入ったので、幸太を少しの間預かっていてもらえませんか? なにもなければすぐに迎えに来ますので」
幸太に聞こえないように告げると、史哉の言葉の重さで察したのか、すぐさま管理人の男性は顔色を変えた。
「幸太、ママを連れてくるから……ここで待っててくれるか?」
「うん! あ、史哉くん! 僕の宝箱持ってきて。あのね、お菓子のクッキーの缶に入ってるの。幸太のってパパが書いてくれたんだって」
「ああ、わかった。じゃあ待ってろ」
管理人に一礼すると、史哉は部屋へと急いだ。
エレベーターを待つ間も胸に広がる陰鬱とした気配は消えてくれない。どうか、ただの杞憂であってくれと祈るような気持ちでいた。
廊下から見える部屋に電気はついていない。人がいる気配もなく、なんの音もしなかった。ガチャガチャと鍵を開ける音がやたらと大きく響く。
ドアノブを押すと、部屋の中はやはり真っ暗だった。ブレーカーは落としたままで、シンと静まり返っている。
「静香……?」
スマートフォンのライトをつけながらリビングのドアを開けると、ソファーの上には丸い塊があった。動きもせずに丸くなっているものが視界に入り背筋に悪寒が走る。
息をしているのか、生きているのかすら、スマートフォンの明かりではわからない。顔は青白く、身体は驚く程冷たい。静香の手のひらから一枚の写真が滑り落ちた。
照らしてみると、圭と結婚後に撮った写真のようだ。
(圭の後を追おうとしたのか……っ。なんで、五年も経って)
「おいっ! しっかりしろ‼︎」
救急車を呼び、動揺する頭を必死に働かせて管理人室へも連絡を入れた。救急車が到着したら部屋まで誘導してもらうためだ。
念のため家電のコンセントを抜いてからブレーカーを上げておく。部屋の明かりをつけると、真っ白な静香の顔色が浮き彫りになりたまらなく怖くなった。
「静香……どうして? お前は、俺を好きだと言っただろう?」
静香が自分を好きでいるのは間違いない。そう思っていた。
初めて肌を重ねたあの日から静香の気持ちは史哉にあったはずだと。
勘違いだったのだろうか。史哉を見つめる瞳はいつだって愛情深かったと思ったのは、ただの自惚れだったのか。史哉の存在は静香にとって簡単に捨てられる程度のものだったのか。
リビングの本棚の一画に、クッキーの缶が置いてあった。そういえば幸太に頼まれていたなと思い出し手に取る。静香の手のひらを握ると、かすかに握り返してきたような感覚がする。
「静香……?」
「幸太……ふ、みや……ごめん、ごめんなさい」
意識が朦朧としているのか、目はうつろで史哉を映してはいなかった。
「圭……ごめんね」
静香は、ごめんと譫言のように繰り返していた。
戸澤夫人が事故のことを静香のせいだと言っていたのは知っているが、まさか間に受けているのか。
「謝らなくていいから。生きてくれ」
圭への贖罪──?
圭の事故は誰のせいでもない。それがわからない彼女ではないだろう。ならばなぜ。
答えが出るはずもない。もしなにもわからぬまま、彼女がいなくなってしまったら──。そう考えると恐怖で足がすくみそうになる。
やっと、これからだと思った。圭がずっと守ってきたのかもしれないが、これからは史哉が守っていけると思ったのに。
十分かからずに救急隊が到着して、静香は救急車に乗せられる。迷ったが幸太は管理人の男性に預かってもらった。事情を説明し、快く引き受けてくれた管理人には感謝しかない。万が一のことがあれば、幸太には辛すぎるだろう。自分にもだが。
(静香……っ、お前、なにやってるんだ……)
たとえなにがあったとしても、子ども一人を残して死のうとするなんて。
なにがお前をそこまで追い詰めたのかと、史哉は歯ぎしりしたいほどの怒りに包まれる。どうして気づかなかったのかと、自分自身の無能さにも。
救急車が病院に着くと、静香はストレッチャーに乗せられ治療室へと運ばれていった。史哉は並べられた椅子の一つに腰掛けると、深くため息をつく。
「そういえば、渡すの……忘れてたな……」
幸太と話す時間もないまま救急車に乗ってしまったため、宝箱だという幸太の缶をそのまま持ってきてしまっていた。
なんともなしに缶を開けると、中にはなにかのおまけで付いてきたミニカーや、お守り、メダルのような物が入っている。子どもの頃、自分もよくガラクタを集めていたなと思い出して、ほんの少し気分が浮上した。
「なんだ、これ……?」
缶の底に白い封筒のような物が、ピタリとハマっている。厚紙かと思っていたのだが、おもちゃの間から「静香へ」と書かれた文字が見えて、それが手紙だとわかった。
「圭の字か……?」
特徴のある角ばった字は、同じ支店にいた頃よく見ていたものだった。
静香宛の手紙を勝手に見るのも憚られたがどうしても内容が気になって仕方がなかった。史哉は封筒が破れないよう、そっと底から外して便箋を取り出す。
中を読んで、驚きよりも「ああ、やっぱり」といった感情が強かった。史哉を好きだと言った静香がどうして圭と結婚することになったのか。大方、想像していたとおりだった。
「わかってるよ、圭。だから、頼むから……あいつを連れていかないでくれ」
静香宛の手紙をポケットに入れて、缶の蓋を閉める。肩を落として、祈るように両手を組んだ。
やや間があって、処置室から出てきた医師に胃の洗浄は済んだと告げられるまで、生きた心地がしなかった。
病室に運ばれた静香の顔色はまだ青白かったが、マンションで見た時よりも生気が戻ったようだ。静香の入院手続きをして、マンションの管理人に礼の電話を入れた。
取引先から本社へと帰る電車の中、珍しく静香からメールが入った。
仕事中は悪いとでも思っているのか、よほどのことでない限り彼女から連絡は来ない。幸太になにかあったのかとメールを見ると、史哉の勘は当たらずとも遠からずといったところだった。
幸太に鍵を持たせてあるが、どうしても仕事の打ち合わせが長引いて帰るのが遅くなりそうだとメールには書いてあった。
(幸太が帰る時間に合わせて帰ってくることが多いのに……珍しいな)
しかし静香が頼ってくれたとあれば嬉しさしかない。まだ幸太からは父親認定されてはいないが、いずれはそうなるつもりでいる。圭には悪いと思うが、静香の幸せとあらば圭だって許してくれるだろう。
このまま直帰をしてもいいかと、自宅近くの最寄りの駅で電車を降りた。メールを下にスクロールしていくと、まだ文章が続いているようだった。
「なんだ……これ……」
メールの中には、ずっと史哉が好きだったと、史哉が結婚すると聞いて一度でもいいから抱いてほしかったのだと綴ってある。
史哉にとって嬉しい言葉のはずなのに、どうしてだろう。あの日、本気じゃなくていい、そう言った静香の顔が思い浮かんだ。
静香が自分を好きでいるのなんて百も承知だ。それでも素直になれない理由があるのだと思っている。圭へ申し訳ないと思っているのか。それとも別な理由があるのかはわからなかったが。だから何年だって待つつもりでいたのだ。
けれどどこか彼女らしくない言葉の羅列。それが史哉を不安にさせた。
ホームで静香のスマートフォンに電話をかけると、電源が入っていないのか繋がらなかった。
(電源を切ってる……? そんなはずないだろう……っ)
なにかあって連絡が来るかもしれないからと、幸太が外に遊びに出ている時は、常にスマートフォンを気にしていた静香だ。いくら仕事だとはいえ、静香がスマートフォンの電源を切るなんてあり得ない。
(本当に仕事なのか……っ?)
焦燥感ばかりが募る。焦ったところでどうしようもないのに、頭を掻き毟りたくなるほどに気が急いてならない。
(静香……っ!)
史哉は急いで階段を駆け下り改札を出る。学生時代でもあるまいし、この歳で全力疾走はなかなかにキツい。
ただ静香と幸太が無事ならそれでいい。彼女たちの安全を確かめたいだけだ。
息が切れて額から汗が流れ落ちる。走りすぎて胸が痛くなるが、足は止めなかった。なんとかマンションに辿り着き、廊下の窓から部屋の明かりが見えた時、安堵で足から崩れ落ちそうになったほど。
「静香……っ、幸太!」
史哉が室内に足を踏み入れると、幸太がパタパタと廊下を駆けてくる。嫌な予感がしたが杞憂だったかとホッと胸を撫で下ろした。
「史哉くん、おかえりなさい!」
「ああ、ただいま。ママ仕事で遅くなるって連絡があったよ。今日は二人でご飯食べような」
「うん!」
幸太を腕に抱き上げて歩いていくと、リビングのテーブルの上に静香のパソコンが置いてあった。
(どういうことだ?)
「幸太……ママ、どこに行ったか、聞いてるか?」
仕事の打ち合わせが終わらないと静香は言っていたじゃないか。それなのになぜ、仕事道具がこの部屋に置いてある。史哉の強張った表情に気づいたのか、幸太が不安げに口を開いた。
「マンションにお手紙取りに行くって。あと買い物」
「あっちの家か」
おそらくポストを見に行ったのだろう。その後に買い物をして帰ってくるだけなら、あんなメールを入れるはずがない。
きっとこの部屋に帰れないなにかがあったに違いない。戸澤の家がまたなにかしてきたか。史哉は隠しておいた静香の家の鍵を手に持つ。幸太を一人にしてはおけない。
「幸太……お腹空いてるのに悪いが……ちょっとこれから俺と出かけてくれないか? ママが迷子になってるかもしれないから、探しに行きたいんだ。いい?」
「迷子⁉︎ 史哉くん、早く探しに行かないと! ママ、泣き虫だから……」
史哉の腕を引っ張って玄関へ行こうとする。こういうところは小さくてもやはり男だなとこんな時なのに感慨深い思いだ。
「ああ、早く探してやらないとな」
小さな手をキュッと掴んで、史哉は車を走らせた。
マンションに着くと幸太の知り合いなのか、管理人室のドアが開いて相好を崩した男性が出てきた。
「お~幸太くん! ママはさっき帰ってきてお部屋にいるよ。オートロックに入れたってことは、鍵見つかったんだね」
「あの、申し訳ありません。今、彼女と同居しているものですが……ちょっと心配な連絡が入ったので、幸太を少しの間預かっていてもらえませんか? なにもなければすぐに迎えに来ますので」
幸太に聞こえないように告げると、史哉の言葉の重さで察したのか、すぐさま管理人の男性は顔色を変えた。
「幸太、ママを連れてくるから……ここで待っててくれるか?」
「うん! あ、史哉くん! 僕の宝箱持ってきて。あのね、お菓子のクッキーの缶に入ってるの。幸太のってパパが書いてくれたんだって」
「ああ、わかった。じゃあ待ってろ」
管理人に一礼すると、史哉は部屋へと急いだ。
エレベーターを待つ間も胸に広がる陰鬱とした気配は消えてくれない。どうか、ただの杞憂であってくれと祈るような気持ちでいた。
廊下から見える部屋に電気はついていない。人がいる気配もなく、なんの音もしなかった。ガチャガチャと鍵を開ける音がやたらと大きく響く。
ドアノブを押すと、部屋の中はやはり真っ暗だった。ブレーカーは落としたままで、シンと静まり返っている。
「静香……?」
スマートフォンのライトをつけながらリビングのドアを開けると、ソファーの上には丸い塊があった。動きもせずに丸くなっているものが視界に入り背筋に悪寒が走る。
息をしているのか、生きているのかすら、スマートフォンの明かりではわからない。顔は青白く、身体は驚く程冷たい。静香の手のひらから一枚の写真が滑り落ちた。
照らしてみると、圭と結婚後に撮った写真のようだ。
(圭の後を追おうとしたのか……っ。なんで、五年も経って)
「おいっ! しっかりしろ‼︎」
救急車を呼び、動揺する頭を必死に働かせて管理人室へも連絡を入れた。救急車が到着したら部屋まで誘導してもらうためだ。
念のため家電のコンセントを抜いてからブレーカーを上げておく。部屋の明かりをつけると、真っ白な静香の顔色が浮き彫りになりたまらなく怖くなった。
「静香……どうして? お前は、俺を好きだと言っただろう?」
静香が自分を好きでいるのは間違いない。そう思っていた。
初めて肌を重ねたあの日から静香の気持ちは史哉にあったはずだと。
勘違いだったのだろうか。史哉を見つめる瞳はいつだって愛情深かったと思ったのは、ただの自惚れだったのか。史哉の存在は静香にとって簡単に捨てられる程度のものだったのか。
リビングの本棚の一画に、クッキーの缶が置いてあった。そういえば幸太に頼まれていたなと思い出し手に取る。静香の手のひらを握ると、かすかに握り返してきたような感覚がする。
「静香……?」
「幸太……ふ、みや……ごめん、ごめんなさい」
意識が朦朧としているのか、目はうつろで史哉を映してはいなかった。
「圭……ごめんね」
静香は、ごめんと譫言のように繰り返していた。
戸澤夫人が事故のことを静香のせいだと言っていたのは知っているが、まさか間に受けているのか。
「謝らなくていいから。生きてくれ」
圭への贖罪──?
圭の事故は誰のせいでもない。それがわからない彼女ではないだろう。ならばなぜ。
答えが出るはずもない。もしなにもわからぬまま、彼女がいなくなってしまったら──。そう考えると恐怖で足がすくみそうになる。
やっと、これからだと思った。圭がずっと守ってきたのかもしれないが、これからは史哉が守っていけると思ったのに。
十分かからずに救急隊が到着して、静香は救急車に乗せられる。迷ったが幸太は管理人の男性に預かってもらった。事情を説明し、快く引き受けてくれた管理人には感謝しかない。万が一のことがあれば、幸太には辛すぎるだろう。自分にもだが。
(静香……っ、お前、なにやってるんだ……)
たとえなにがあったとしても、子ども一人を残して死のうとするなんて。
なにがお前をそこまで追い詰めたのかと、史哉は歯ぎしりしたいほどの怒りに包まれる。どうして気づかなかったのかと、自分自身の無能さにも。
救急車が病院に着くと、静香はストレッチャーに乗せられ治療室へと運ばれていった。史哉は並べられた椅子の一つに腰掛けると、深くため息をつく。
「そういえば、渡すの……忘れてたな……」
幸太と話す時間もないまま救急車に乗ってしまったため、宝箱だという幸太の缶をそのまま持ってきてしまっていた。
なんともなしに缶を開けると、中にはなにかのおまけで付いてきたミニカーや、お守り、メダルのような物が入っている。子どもの頃、自分もよくガラクタを集めていたなと思い出して、ほんの少し気分が浮上した。
「なんだ、これ……?」
缶の底に白い封筒のような物が、ピタリとハマっている。厚紙かと思っていたのだが、おもちゃの間から「静香へ」と書かれた文字が見えて、それが手紙だとわかった。
「圭の字か……?」
特徴のある角ばった字は、同じ支店にいた頃よく見ていたものだった。
静香宛の手紙を勝手に見るのも憚られたがどうしても内容が気になって仕方がなかった。史哉は封筒が破れないよう、そっと底から外して便箋を取り出す。
中を読んで、驚きよりも「ああ、やっぱり」といった感情が強かった。史哉を好きだと言った静香がどうして圭と結婚することになったのか。大方、想像していたとおりだった。
「わかってるよ、圭。だから、頼むから……あいつを連れていかないでくれ」
静香宛の手紙をポケットに入れて、缶の蓋を閉める。肩を落として、祈るように両手を組んだ。
やや間があって、処置室から出てきた医師に胃の洗浄は済んだと告げられるまで、生きた心地がしなかった。
病室に運ばれた静香の顔色はまだ青白かったが、マンションで見た時よりも生気が戻ったようだ。静香の入院手続きをして、マンションの管理人に礼の電話を入れた。
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