独立不羈の幻術士

ムルコラカ

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第二章

第二十八話 狙われたシッスル

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 冒険者ギルド、グランドバーン支部の玄関口に張り詰めた空気が満ちる。

 明らかに悪意の籠もった笑顔で私を見る三人の冒険者達は、お互いに目線で短くやり取りをした後おもむろに私に向かって歩いてきた。

 逃げようか、とも思ったけど私自身も冒険者である以上、下手な逃走は評判の低下を招く。それに繰り返すことになるが、魔術士はこの街ではあまり自由が利かない生き物なのだ。シェーナも居ないのに、まだ何も起こっていない段階でいきなり逃走を図ったと見なされると、後でどんなお咎めがあるか分からない。身の危険を察知したから厄介事になる前に逃げました、なんて訴えたところで当局は信じちゃくれないだろう。

 仕方無い。私は肚をくくり、こちらにやってくる冒険者達と対峙する。視界の端に受付が映り、あの眼鏡の受付嬢が困惑した表情でこちらを見ているのが分かった。

「よう、お嬢ちゃん。あんた、アレだろ? 最近此処らで有名な、魔術士の冒険者って奴だろ?」

「私に何かご用ですか?」

 口火を切った彼らの内のひとりを見据えて、私は素っ気なく尋ねた。無心無風、気圧された様子など決して見せてはならない。

 私の眼前に立った三人の冒険者はいずれも背が高く、引き締まった肉体を使い古した防具で包んでいた。防具にも、剥き出しになった肌の部分にも、新旧を問わずいくつもの傷が刻まれている。それだけの経験と実績を積んできた証だ。

 しかしながら、最も新しく出来たものと思しき彼らの生傷は、いずれも腕やら頬やらで深さもそれ程無く、出血の跡が生々しく見えるものの生命に直結する程の大怪我とまでは思えない。毒でも受けているなら話は別だろうが、彼らの様子を見る限りそんな気配も無い。これではカティアさんに治療を断られるのも無理はないだろう。

「ああ、そうだ。まどろっこしいのは嫌いなんでズバリ訊くぜ」

 冒険者達の様子を分析していると、私に話しかけてきた男がさっきの質問に答えた。

「あんた、ちょっくらこれから俺らと遊ばねえ? ――裸で」

 清々しいくらいに直球だった。……いや、そう言った彼の顔は欲望が丸出しで、聴いた瞬間背筋に毛虫が這うような怖気が走ったのだが。

「……嫌です」

 嫌悪感に耐えながら、私は絞り出すように答えた。感情を波立たせないようにと心掛けたばかりだが、流石に今のはパンチが効きすぎた。

「私にそんな気はありません。他を当たって下さい」

「おいおいおい、つれねーなぁ。 良いじゃねーかよ、ちょっとくらい」

 案の定、男は食い下がってくる。

「あんた、中々可愛い顔してるぜ。俺好みだ。ひと目見て惚れちまったよ。運命を感じたね」

 恥ずかしげもなく歯の浮くようなセリフを次々と繰り出してくる男に対して、私の不快感は加速度的に高まってゆく。こういう手合いは生理的に無理だ。

「な、ちょっち俺と付き合ってくれや。ぜってー後悔はさせねぇから。あんたに、女の悦びってやつを教えてやるよ」

「結構です」

 さり気なく肩に伸びてきた男の手を躱し、私はきっぱりと断りを入れた。

「私は此処で友達を待っているんです。貴方達に割く時間はありません。私に構わないで下さい」

「おっとぉ、そんなこと言って良いのかぁ? こっちが下手に出ている内にうんと頷いた方が利口だぞぉ?」

 男の口調に粘性が増した。瞳に陰険な光が宿り、それを合図にしたかのように黙っていた残りの二人も割り込んでくる。

「そのお友達の所為でよぉ、俺ら必要な治療を受けられなかったんだわ。見ろよこの傷、まだジクジクと痛むんだぜ?」

「あのエルフはあんたの友達なんだろ? だったら、代わりに落とし前つけるのが筋ってもんじゃねーの?」

 身勝手な屁理屈をペラペラと並べながら、冒険者の男達はさりげなく三方から私を取り囲むように動く。剥き出しの悪意と欲望に当てられた私は避ける機を逸して、彼らの輪の中に置かれてしまった。途端に増す重圧。

 彼らの目は、今や完全に獲物を狙う飢えた獣のそれだった。

「なあ良いだろ、何も金を要求しようってんじゃねーんだ。俺らって紳士だからよ、優しくしてやるよ。天井のシミ数えてる間に終わってるって」

「お嬢ちゃんが一時その身を預けてくれりゃ、お互い安全無事に過ごせるんだ。答えなんて、考えるまでも無いだろ?」

「俺らだって乱暴はしたくねーんだ。大人しく従ってくれた方が面倒が無くて助かるんだけどな」

 三方から、荒い鼻息と欲求を満たすことしか考えていない目が私を苛む。あまりのおぞましさに吐き気まで込み上げてきた。

 こんな奴らに、黙って従う道理は無い。私はいつでも幻術を使えるよう、そっと身構えた。この手の連中から逃れるくらいわけもない。これだけ見事に取り囲まれているなら、むしろ術中に陥れる良いチャンスだ。

 しかし問題は、実際に今この状況でそれが出来るかと言うところにある。

 私はさっと男達の背後に目を走らせた。誰もが遠巻きにこちらを見ている。どうすべきか判断がつきかねているのか、それとも成り行きを楽しんでいるのかは不明だが、ギルド内の注目がこちらに集まっていることは確かだ。

 こんな衆人環視の中で、自衛の為とは言え人間相手に魔法を使ってしまったら……ただでさえ魔術士は危険視されているのに……。

「黙ってるってこたぁ、同意したってこったな」

「あっ……!?」

 逡巡している間に後ろから右手首を掴まれた。私を捕まえた男はそのまま力任せに私を引き寄せて、その屈強な肉体を密着させてきた。高ぶった体温と汗の臭い。手首を捻りあげられる痛みと生理的な気持ち悪さに、私は顔をしかめた。

「い、いやっ……! 離して……!」

「おい暴れんな、皆見てるだろーが」

 男は私を抑え込むように腰に手を回すと、耳元に口を寄せて低く囁いた。

「妙なことを考えるなよ。こんだけ野次馬が居る前で迂闊な真似をすれば、不利になるのはお前なんだぜ」

「……!?」

 まるで心を読んだかのような言葉に、私は息を呑んだ。

「魔術士ってのはよぉ、元々俺達のような一般市民と同格じゃねーんだ。魔法なんていう危なっかしい力を持って生まれて、本来なら速攻まとめて殺処分ってところを国のお情けで生きながらえてる下層民なんだよ。お前らは、俺達真っ当な国民に奉仕することで生きることを許してもらえてんだ。その意味、分かってんのか? おぉ?」

 侮蔑を含む脅しに、私の芯から凍りつきそうな気さえした。

「最近魔物の数が増えてきてるのだって、実はお前ら魔術士が裏で糸引いてやがんじゃねぇのか? 魔界の力を受け継いでるって意味じゃ、お前らとアイツらは同類だからなぁ」

「その辺も含めて、俺らがこれからじっくり調べてやるよ。一晩かけてじっくりと……な」

 残り二人の手も、私の身体に伸びてくる。

「やめ、て……っ! 来ないで……!」

 私は恐怖で立ち竦み、力の抜けた声でただ懇願するしかなかった。ここまでされれば魔法の使用も已む無しと見なされるかも知れないとか、頭の片隅ではまだ冷静な計算が働いていたが、それ以上にショックが強く私の心身を縛ってしまう。

 悪意や憎悪を向けられる感覚はユリウス大主教と会った時に一度味わったが、今度のこれはその比じゃない。

 私のことを遊び甲斐のある玩具としか見ていない目。人間として扱うつもりは微塵も無いと語る手の動き。欲望を吐き出すことばかりを訴えてくる荒い息。

 それを全身に浴びる恐怖が、これ程までとは思わなかった……!

「だ、だれ――むぐっ!?」

 情欲の獣と化した手が、声を上げようとした私の口元を塞ぐ。

「これで呪文も唱えられねえな? クク……」

「おい、もう辛抱たまらねぇよ。此処で脱がせちまおうぜ」

「宿まで我慢しろバカ。いくら魔術士とは言え、ギャラリーが居る前でそこまでするのはマズい」

 男達は額を寄せ合い、今にも私を連れ去ろうとしている。

 誰か……っ! 誰か、助けて――!

 懇願の眼差しを周囲に送るも、他の人々は好奇や哀れみが入り混じったような目で見ているか、さっと顔をそらして我関せずの姿勢を取るかだけだ。あの眼鏡の受付嬢の姿も消えている。

 万事休すか――。そう思った時、奥の廊下から疾風のように飛び出してくる影が目に入った。

 あれは? と思う間も無く、その影は瞬く間に男達との距離を縮めて大きく飛び上がる。青い光を纏ったシルエット。見間違えようも無い。

「んげっ!?」

 私の身体を抱き竦めていた男が、横殴りに襲ってきた衝撃に弾き飛ばされ床を転がった。驚愕に見開かれる残り二人の冒険者達の目。

「シッスルから離れろ!!」

 怒号と共に大きな弧を描く上段蹴りが放たれ、私の目前に迫っていた二人の男も吹き飛んだ。汚い悲鳴を上げながら先の仲間と同じように床を舐める男達を、青い影は私を守るように正面に立って睨めつける。

 新緑色の髪、マントを取り払った青いサーコート、ピンと張り詰めた長い耳。

「シェーナ……っ!」

 私の求めに応えて駆け付けてくれた親友に、思わず涙が出そうになった。幼い頃から見慣れたはずの彼女の背中が、今は一際大きく見える。

 シェーナは少し振り返ってそんな私に軽く頷くと、再び床に這いつくばる冒険者達に向き直る。

「テメェ……! さっき治療を受けてた守護聖騎士……!」

「くそが……! これからって時に邪魔しやがって……!」

 シェーナの上段蹴りを喰らった男達はギリギリ受け身を取っていたのか、よろめきながらも自力で立ち上がる。最初のひとりはさっきの一撃をまともに浴びて、完全に伸びているようだ。

「シッスルに、私の親友に手を出したことは許さん! 覚悟してもらおう!」

 腰を落として格闘の構えを取るシェーナに、男達の野卑な笑い声が飛ぶ。

「舐めるなよ、俺たちぁこの道10年やってんだ。騎士だろうと、女に遅れを取るワケがねぇ!」

「むしろ女が増えて好都合だぜ! 一度エルフってのもヤッてみてぇと――」

 男が口にできたのはそこまでだった。

 シェーナの身体が陽炎のように揺らめいたかと思った瞬間、“エルフ”と口にした男の顎が跳ね上がり、そのまま宙に浮いて放物線を描きながら床へと落ちた。投げ出される手足、脳を揺さぶられて今度こそ意識を失ったようだ。

 男の顎に掌底を打ち込んだシェーナは、あまりの疾さに思考が追いついていない残りひとりに肉薄して鳩尾に肘を突き入れる。

「ぐぼぉっ!?」

 身体を折り曲げてえづく男の肩を胸ぐらを掴み、シェーナは止めとばかりに背負投げを決めた。今度は受け身も取れず、無防備な背中を床に叩きつけられて最後の男も失神した。

「ケダモノどもめ!」

 残心を示しながら、最後にシェーナは吐き捨てた。全身を纏う青いオーラが消え、彼女はそのまま床にしゃがみ込む。

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……!」

「シェーナ、大丈夫!?」

 私は急いでシェーナに駆け寄り、荒い呼吸を繰り返す彼女の背中をさすった。

「ええ、なんてこと……ないわ……」

「ごめん、ごめんね……! 私の所為で、こんな無茶を……!」

 カティアさんに治療が必要だと判断された身体だ。今の《スキル》を使った動きも相当の無理をしていた筈。自分の不甲斐なさと、シェーナに苦痛を強いた申し訳無さで涙が溢れてくる。

「なに、言ってるのよ……! 私は、あなたの騎士よ……! これくらい……」

「喋らないで! 喋っちゃ駄目!」

 私を見上げ、気丈に微笑むシェーナに私は必死に言い募った。遣る瀬無さが胸を突き上げ、彼女の身体をそっと抱きしめる。

「誰か、シェーナを……!」

 手助けを頼もうを上げた視線の先で、眼鏡の受付嬢とカティアさんがこっちに駆け寄ってくる姿が見えた。

 そうか、あの受付嬢が異変を報せてシェーナを呼んでくれたんだ。

 私は安堵と悔しさと悲しさが入り混じった涙を流し続けながら、ただシェーナを抱きしめていた……。
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