31 / 68
第二章
第二十七話 忍び寄る悪意
しおりを挟む
その日はイミテ村にもう一泊し、翌朝の乗り合い馬車でアヌルーンへ戻った。
ギシュールさん、サイラスさんとは馬車の停留所で別れた。これから彼らは【エクスペリメンツ】に戻り、今回の調査で得た成果を元に研究に没頭するのだろう。
街に戻った時はすっかり夜中だったので、私とシェーナは一度家に戻って旅の垢を落とし、翌日に改めて冒険者ギルド、グランドバーン支部へ向かった。元々の目的であった《フェイク・ボア》討伐の【依頼】を完了したことの報告を兼ねて、ギルドに常駐している治癒騎士のカティアさんにシェーナを診てもらう為だ。ガーゴイルとの戦闘から二日経過しており、それでもシェーナの容態は落ち着いているので危険は無いのかも知れないが、それでも念には念を入れた方が良い。
「お待たせして申し訳ございません。お預かりした《フェイク・ボア》の【魔痕】、ただいま確認が完了いたしました。こちら、イミテ村から振り込まれた報酬の為替札になります。銀行にお持ち込みの上、換金をお願いします。【依頼】の遂行、お疲れ様でした」
待たされること十数分、カウンターに戻ってきたグランドバーン支部の受付嬢は、丁寧にこちらを労いながらぺこりとお辞儀をした。冒険者になって以降、私達は基本的にこの支部から仕事を引き受けている。現在私の応対をしてくれている彼女は、あの【捷疾鬼】事件の際に私達を案内してくれた眼鏡のお姉さんだ。今や彼女ともすっかり顔馴染である。
「いつもありがとうございます。お陰様で、またしばらくは食べるのに困らなくなります」
「いえいえ、むしろお礼を申し上げるのはこちらの方ですよ。シッスルさん達は仕事を選ばず、どんな【依頼】であっても誠実に務めてくれるって評判が良いんですよ。お陰様でうちの風通しも大分良くなりました。シッスルさん達に影響されて、他の冒険者の方々も少しずつやる気に溢れてきたようですし」
社交辞令ではなく、本気で言ってそうな爽やかな笑顔を添えて、眼鏡の受付嬢は私達を眩しそうに見つめた。
「そんなに、私達って人気があるんですか?」
「そりゃあもう、黒髪の女魔術士とリョス・ヒュム族の女聖騎士の美少女コンビと言えば、誰でもすぐにピンとくると思いますよ。強くて可愛い美少女二人組とか、人々の注目を集めない筈がありませんから。私もこうして受付嬢として日々多くの冒険者さん達と接する機会がありますけど、最近では二人について訊かれない日は無いと言っても過言ではありませんね」
「まだ冒険者になって二ヶ月ちょっとですよ?」
「二ヶ月もあればこの辺一帯で名を売るのに十分ですって! 間違いなくシッスルさん達が頑張ったからですよ、もっと胸を張って下さい!」
眼鏡の受付嬢はそう言って、何故か自分の方が誇らしげな様子で胸を張った。彼女はきっと、私が喜ぶと思ってそういう話をしてくれたのだろう。
「あはは、それは光栄ですね。シェーナもきっと喜びます」
気をつけたつもりだが、自分でも分かるくらい乾いた笑いが出た。
「……シッスルさん? 如何されましたか?」
案の定、私の返事に不自然さを感じた受付嬢が怪訝そうに首を傾げた。私は慌てて手を振って取り繕う。
「いえ、シェーナと並ぶと私って地味だから、美少女二人組とか言われてもあまりしっくりこないなーって。まぁ、昔からシェーナの引き立て役みたいなものだし、別に構わないんですけどね」
「いいえ、そんなことはありませんよっ!」
曖昧な笑みでお茶を濁そうとした私に、何故か眼鏡の受付嬢は眉を逆立てた。
「シェーナさんは確かにスタイルも良いし美人ですけど、シッスルさんにはシッスルさんの良さがあります! そのあどけない顔、こじんまりした背、痩せてるけど不健康では無い手足、控えめなお胸、全ての素材が絶妙な具合に合わさってひとつの完成形を示しています! 決して地味でも、野暮ったくもありません! シッスルさんの持つ実年齢以下の空気感は、何物にも代えがたい財産なんですよ! 小さいものが好きな人にはたまらない容姿をなさっているんです! 小ささには、小ささの美学があるっ!」
「お、お姉さん……!? ちょっと、落ち着いて……!」
ここがギルドの受付であることも忘却の彼方へ投げ飛ばし、これでもかとばかりに私の良さとやらを力説する眼鏡の受付嬢。性格がガラリと一変したかのように鼻孔を膨らませて興奮する彼女を、私は懸命に宥めたのだった。
◆◆◆
「つ、疲れた……!」
ギルドの入り口付近に設えられた待合室の椅子に座り、私は盛大な溜め息を吐きながら備え付けの円卓の上に突っ伏した。暴走した受付嬢を鎮静するのは、思いの外気力を消費する仕事だった。
恥ずかしくて居た堪れなくなった私は、そそくさと受付を離れてこの待合室へ逃げてきた。本音を言えばギルド内から出ていきたかったけど、シェーナがまだ診察と治療を受けている為此処を離れるわけにはいかない。友達を置いていけないというのもそうだけど、魔術士はお付きの守護聖騎士から一定の距離以上離れてはいけないとされているので出るに出られないのだ。
「シェーナ、早く帰って来てくれないかなぁ……」
円卓にへばりつくように姿勢を屈め、ひたすら自分の気配を消そうとしている私は、傍から見るとさぞ滑稽だろう。元にさっきの騒ぎを見ていた冒険者や他の職員達から、今も好奇の視線がちらちらこっちに飛んできているのを感じる。ああ、恥ずかしい……。
私は屋内からの生暖かい目から逃げるべく、窓の外に顔を向けた。
「あ……」
グランドバーン支部は街の高台に建っており、景観は良い。待合室の窓から望める景色も、結構遠くの方まで見渡せる。
だから格子の嵌った吹き抜けの窓から、イル=サント大教会から伸びる大鐘楼がよく見えた。
「鐘の音色……オーロラ……」
一昨日の光景がまざまざと思い出される。割れたオーロラの裂け目を閉じさせた、あの大鐘楼の鐘の音。
あれは一体何だったんだろう? シェーナとサイラスさんは主神ロノクスのお慈悲だなんだと安堵していたが、私はそんな安々とあの現象を受け入れる気にはならない。
あの大鐘楼には何か秘密がある。オーロラと密接した、大きな秘密が。ギシュールさんも同じ考えだった。
実際のところ、考えられる可能性として『これだ!』というのはある。だけど、確証が無い。それに、もし当たっていたらと考えると恐ろしい。だから私もギシュールさんも迂闊なことは言わず、暗黙の了解としてこの話題には触れずに別れた。
しかし、それで胸騒ぎが静まるわけでも無い。
「国教会は知っているのかな? あのオーロラの秘密……」
知らない、と考える方が無理があるだろう。ただ、全ての聖職者が知っているとも思わない。牧師や修道士といった下級階層は元より、主教だって果たして何人が知っているか。ウィンガートさんも、オーロラの秘密を知らなかったからこそギシュールさんに調査を依頼したんだろうし。
「ともかく今は、一刻も早く師匠に会って話をしなくちゃね。師匠なら、きっと力になってくれる」
次の一手は、やはりそれだった。幽幻の魔女と呼ばれ、国教会から特別待遇を受けている師匠ならオーロラについて詳しい話を聴けるかも知れない。シェーナが戻ってきたら、その足でそのまま師匠の家に向かおう。
「それにしても遅いな、シェーナ。大丈夫かな……?」
カティアさんの所へ向かってから結構時間が経っている。治癒騎士を頼るまでも無いと判断されたのなら、とっくに戻ってきても良い頃合いだ。やはり傍目には分からなかっただけで、シェーナのダメージは深刻なものだったのだろうか。私は不安に駆られつつ、ギルドの奥へと続く廊下を見守った。
と、不意にそこから三人の冒険者達が肩を怒らせつつ出てきた。
「畜生め、ふざけんじゃねぇよ! 何が『大した怪我じゃないからどうしても治療してほしいなら医者に行って』、だ! いけ好かない守護聖騎士め!」
「全くだぜ! テメェの同僚は治してやってんのに、街の為に毎日身を粉にして働いてる俺達は無視ってか!? 良いご身分だな、けっ!」
「何のためにアイツらにまで税金払ってると思ってんだ! こういう時の為だろうが! クソッ!」
よっぽど頭に血が上っているのか、此処が何処であるかも忘れて彼らは口々に汚い罵声を飛ばしている。話の内容からして、カティアさんに治療を断られたみたいだ。
“テメェの同僚は治してやっている”という部分が私には引っ掛かった。やはり、シェーナはカティアさんの聖術で治療中みたいだ。サイラスさんの危惧した通り、内臓か何処かが傷付いていたのだろう。カティアさんに診てもらえて良かったと安堵する一方で、治療を断られた冒険者達に気の毒な感情が湧いてくる。
見たところ、確かに彼らは所々ボロボロになっていた。頬や二の腕等に、みてすぐにそれと分かる切り傷や擦り傷が刻まれており、流れ出た血や付着した泥汚れなどで痛々しくコーディネイトされている。来ている服や鎧も相応に破損しているが、程度で言えば生命に危険が及ぶ大怪我とまでは言えない。カティアさんがシェーナを優先して彼らを袖にするのも無理はないだろう。
「そもそもおかしいよな! 俺達は、忙しい公僕連中に代わって市民の皆様から寄せられる声に応えてやってるんだ! 魔物とだって毎日のように戦ってる! なのに、なんでこんな差別されなきゃならねぇんだ!?」
「このところどんどん魔物が増えてきてるってのに! 街を必死に守った見返りがこの仕打ちかよ! やってらんねぇぜ、ったく!」
「何が守護聖騎士団、何が国民共益賦だよ! 厄介事を全部俺達に押し付けて、テメェらはのうのうとアヌルーンで過ごしてるくせに!」
「こないだの【捷疾鬼】討伐だって失敗した腰抜け共の分際でな!」
「そうとも、あいつら揃いも揃ってお仕着せ着せられた無能共だ!」
「ああ違いねえ! 腑抜けのひよっこ騎士団だぜ!」
冒険者達の怒りは収まるどころか、どんどんヒートアップしているみたいだ。彼らの負傷も、請け負った仕事を忠実にこなした結果出来たものには違いない。守護聖騎士団にまで税金を払い続けて、いざ必要となった時に梯子を外される理不尽さにも同情出来る。
しかし、流石にあの調子が続くのは良くない傾向では無いだろうか。文句を言い合って鬱憤を晴らすのも必要なことかも知れないが、時と場所が悪い。ギルド内に居る他の冒険者達や受付に詰める職員らが、不安と不快が入り混じった目で彼らを見ている。このままでは負の感情が連鎖して、誰も得しないことになるかも知れない。
「これじゃ皆に迷惑が掛かっちゃう。でも、ここで私が注意しに行っても多分見くびられて余計に騒ぎを大きくするだけになると思うし……」
もどかしいが、一介の魔術士がでしゃばる場面でもないだろう。そのうち見兼ねた職員が注意するだろうし、その方がきっと波風も立たない。彼らも経験豊富な冒険者なんだ。冷静になれば、一時の激情で自分達の立場を危うくする愚に気付くはずだ。
私は内心で自分にそう言い聞かせて、じっと成り行きを見守ることにした。
その時だ。彼らのひとりが不意にこっちを見て、私と目が合った。
「あっ、あいつ……!」
彼の漏らした声に、仲間の二人も反応する。
「おい、あいつって確か最近よく話題になってる……」
「おお。あの黒髪に紺のローブ、間違いねえ。さっき居たエルフの守護聖騎士とパートナー組んでる魔術士だ」
「あいつも居たのか……。ってそりゃ居るわなぁ、魔術士だもんな」
最後のひとりが発した言葉を皮切りに、男達の顔にそれまでと違った表情が表れる。
それはとても――嫌な笑みだった。
ギシュールさん、サイラスさんとは馬車の停留所で別れた。これから彼らは【エクスペリメンツ】に戻り、今回の調査で得た成果を元に研究に没頭するのだろう。
街に戻った時はすっかり夜中だったので、私とシェーナは一度家に戻って旅の垢を落とし、翌日に改めて冒険者ギルド、グランドバーン支部へ向かった。元々の目的であった《フェイク・ボア》討伐の【依頼】を完了したことの報告を兼ねて、ギルドに常駐している治癒騎士のカティアさんにシェーナを診てもらう為だ。ガーゴイルとの戦闘から二日経過しており、それでもシェーナの容態は落ち着いているので危険は無いのかも知れないが、それでも念には念を入れた方が良い。
「お待たせして申し訳ございません。お預かりした《フェイク・ボア》の【魔痕】、ただいま確認が完了いたしました。こちら、イミテ村から振り込まれた報酬の為替札になります。銀行にお持ち込みの上、換金をお願いします。【依頼】の遂行、お疲れ様でした」
待たされること十数分、カウンターに戻ってきたグランドバーン支部の受付嬢は、丁寧にこちらを労いながらぺこりとお辞儀をした。冒険者になって以降、私達は基本的にこの支部から仕事を引き受けている。現在私の応対をしてくれている彼女は、あの【捷疾鬼】事件の際に私達を案内してくれた眼鏡のお姉さんだ。今や彼女ともすっかり顔馴染である。
「いつもありがとうございます。お陰様で、またしばらくは食べるのに困らなくなります」
「いえいえ、むしろお礼を申し上げるのはこちらの方ですよ。シッスルさん達は仕事を選ばず、どんな【依頼】であっても誠実に務めてくれるって評判が良いんですよ。お陰様でうちの風通しも大分良くなりました。シッスルさん達に影響されて、他の冒険者の方々も少しずつやる気に溢れてきたようですし」
社交辞令ではなく、本気で言ってそうな爽やかな笑顔を添えて、眼鏡の受付嬢は私達を眩しそうに見つめた。
「そんなに、私達って人気があるんですか?」
「そりゃあもう、黒髪の女魔術士とリョス・ヒュム族の女聖騎士の美少女コンビと言えば、誰でもすぐにピンとくると思いますよ。強くて可愛い美少女二人組とか、人々の注目を集めない筈がありませんから。私もこうして受付嬢として日々多くの冒険者さん達と接する機会がありますけど、最近では二人について訊かれない日は無いと言っても過言ではありませんね」
「まだ冒険者になって二ヶ月ちょっとですよ?」
「二ヶ月もあればこの辺一帯で名を売るのに十分ですって! 間違いなくシッスルさん達が頑張ったからですよ、もっと胸を張って下さい!」
眼鏡の受付嬢はそう言って、何故か自分の方が誇らしげな様子で胸を張った。彼女はきっと、私が喜ぶと思ってそういう話をしてくれたのだろう。
「あはは、それは光栄ですね。シェーナもきっと喜びます」
気をつけたつもりだが、自分でも分かるくらい乾いた笑いが出た。
「……シッスルさん? 如何されましたか?」
案の定、私の返事に不自然さを感じた受付嬢が怪訝そうに首を傾げた。私は慌てて手を振って取り繕う。
「いえ、シェーナと並ぶと私って地味だから、美少女二人組とか言われてもあまりしっくりこないなーって。まぁ、昔からシェーナの引き立て役みたいなものだし、別に構わないんですけどね」
「いいえ、そんなことはありませんよっ!」
曖昧な笑みでお茶を濁そうとした私に、何故か眼鏡の受付嬢は眉を逆立てた。
「シェーナさんは確かにスタイルも良いし美人ですけど、シッスルさんにはシッスルさんの良さがあります! そのあどけない顔、こじんまりした背、痩せてるけど不健康では無い手足、控えめなお胸、全ての素材が絶妙な具合に合わさってひとつの完成形を示しています! 決して地味でも、野暮ったくもありません! シッスルさんの持つ実年齢以下の空気感は、何物にも代えがたい財産なんですよ! 小さいものが好きな人にはたまらない容姿をなさっているんです! 小ささには、小ささの美学があるっ!」
「お、お姉さん……!? ちょっと、落ち着いて……!」
ここがギルドの受付であることも忘却の彼方へ投げ飛ばし、これでもかとばかりに私の良さとやらを力説する眼鏡の受付嬢。性格がガラリと一変したかのように鼻孔を膨らませて興奮する彼女を、私は懸命に宥めたのだった。
◆◆◆
「つ、疲れた……!」
ギルドの入り口付近に設えられた待合室の椅子に座り、私は盛大な溜め息を吐きながら備え付けの円卓の上に突っ伏した。暴走した受付嬢を鎮静するのは、思いの外気力を消費する仕事だった。
恥ずかしくて居た堪れなくなった私は、そそくさと受付を離れてこの待合室へ逃げてきた。本音を言えばギルド内から出ていきたかったけど、シェーナがまだ診察と治療を受けている為此処を離れるわけにはいかない。友達を置いていけないというのもそうだけど、魔術士はお付きの守護聖騎士から一定の距離以上離れてはいけないとされているので出るに出られないのだ。
「シェーナ、早く帰って来てくれないかなぁ……」
円卓にへばりつくように姿勢を屈め、ひたすら自分の気配を消そうとしている私は、傍から見るとさぞ滑稽だろう。元にさっきの騒ぎを見ていた冒険者や他の職員達から、今も好奇の視線がちらちらこっちに飛んできているのを感じる。ああ、恥ずかしい……。
私は屋内からの生暖かい目から逃げるべく、窓の外に顔を向けた。
「あ……」
グランドバーン支部は街の高台に建っており、景観は良い。待合室の窓から望める景色も、結構遠くの方まで見渡せる。
だから格子の嵌った吹き抜けの窓から、イル=サント大教会から伸びる大鐘楼がよく見えた。
「鐘の音色……オーロラ……」
一昨日の光景がまざまざと思い出される。割れたオーロラの裂け目を閉じさせた、あの大鐘楼の鐘の音。
あれは一体何だったんだろう? シェーナとサイラスさんは主神ロノクスのお慈悲だなんだと安堵していたが、私はそんな安々とあの現象を受け入れる気にはならない。
あの大鐘楼には何か秘密がある。オーロラと密接した、大きな秘密が。ギシュールさんも同じ考えだった。
実際のところ、考えられる可能性として『これだ!』というのはある。だけど、確証が無い。それに、もし当たっていたらと考えると恐ろしい。だから私もギシュールさんも迂闊なことは言わず、暗黙の了解としてこの話題には触れずに別れた。
しかし、それで胸騒ぎが静まるわけでも無い。
「国教会は知っているのかな? あのオーロラの秘密……」
知らない、と考える方が無理があるだろう。ただ、全ての聖職者が知っているとも思わない。牧師や修道士といった下級階層は元より、主教だって果たして何人が知っているか。ウィンガートさんも、オーロラの秘密を知らなかったからこそギシュールさんに調査を依頼したんだろうし。
「ともかく今は、一刻も早く師匠に会って話をしなくちゃね。師匠なら、きっと力になってくれる」
次の一手は、やはりそれだった。幽幻の魔女と呼ばれ、国教会から特別待遇を受けている師匠ならオーロラについて詳しい話を聴けるかも知れない。シェーナが戻ってきたら、その足でそのまま師匠の家に向かおう。
「それにしても遅いな、シェーナ。大丈夫かな……?」
カティアさんの所へ向かってから結構時間が経っている。治癒騎士を頼るまでも無いと判断されたのなら、とっくに戻ってきても良い頃合いだ。やはり傍目には分からなかっただけで、シェーナのダメージは深刻なものだったのだろうか。私は不安に駆られつつ、ギルドの奥へと続く廊下を見守った。
と、不意にそこから三人の冒険者達が肩を怒らせつつ出てきた。
「畜生め、ふざけんじゃねぇよ! 何が『大した怪我じゃないからどうしても治療してほしいなら医者に行って』、だ! いけ好かない守護聖騎士め!」
「全くだぜ! テメェの同僚は治してやってんのに、街の為に毎日身を粉にして働いてる俺達は無視ってか!? 良いご身分だな、けっ!」
「何のためにアイツらにまで税金払ってると思ってんだ! こういう時の為だろうが! クソッ!」
よっぽど頭に血が上っているのか、此処が何処であるかも忘れて彼らは口々に汚い罵声を飛ばしている。話の内容からして、カティアさんに治療を断られたみたいだ。
“テメェの同僚は治してやっている”という部分が私には引っ掛かった。やはり、シェーナはカティアさんの聖術で治療中みたいだ。サイラスさんの危惧した通り、内臓か何処かが傷付いていたのだろう。カティアさんに診てもらえて良かったと安堵する一方で、治療を断られた冒険者達に気の毒な感情が湧いてくる。
見たところ、確かに彼らは所々ボロボロになっていた。頬や二の腕等に、みてすぐにそれと分かる切り傷や擦り傷が刻まれており、流れ出た血や付着した泥汚れなどで痛々しくコーディネイトされている。来ている服や鎧も相応に破損しているが、程度で言えば生命に危険が及ぶ大怪我とまでは言えない。カティアさんがシェーナを優先して彼らを袖にするのも無理はないだろう。
「そもそもおかしいよな! 俺達は、忙しい公僕連中に代わって市民の皆様から寄せられる声に応えてやってるんだ! 魔物とだって毎日のように戦ってる! なのに、なんでこんな差別されなきゃならねぇんだ!?」
「このところどんどん魔物が増えてきてるってのに! 街を必死に守った見返りがこの仕打ちかよ! やってらんねぇぜ、ったく!」
「何が守護聖騎士団、何が国民共益賦だよ! 厄介事を全部俺達に押し付けて、テメェらはのうのうとアヌルーンで過ごしてるくせに!」
「こないだの【捷疾鬼】討伐だって失敗した腰抜け共の分際でな!」
「そうとも、あいつら揃いも揃ってお仕着せ着せられた無能共だ!」
「ああ違いねえ! 腑抜けのひよっこ騎士団だぜ!」
冒険者達の怒りは収まるどころか、どんどんヒートアップしているみたいだ。彼らの負傷も、請け負った仕事を忠実にこなした結果出来たものには違いない。守護聖騎士団にまで税金を払い続けて、いざ必要となった時に梯子を外される理不尽さにも同情出来る。
しかし、流石にあの調子が続くのは良くない傾向では無いだろうか。文句を言い合って鬱憤を晴らすのも必要なことかも知れないが、時と場所が悪い。ギルド内に居る他の冒険者達や受付に詰める職員らが、不安と不快が入り混じった目で彼らを見ている。このままでは負の感情が連鎖して、誰も得しないことになるかも知れない。
「これじゃ皆に迷惑が掛かっちゃう。でも、ここで私が注意しに行っても多分見くびられて余計に騒ぎを大きくするだけになると思うし……」
もどかしいが、一介の魔術士がでしゃばる場面でもないだろう。そのうち見兼ねた職員が注意するだろうし、その方がきっと波風も立たない。彼らも経験豊富な冒険者なんだ。冷静になれば、一時の激情で自分達の立場を危うくする愚に気付くはずだ。
私は内心で自分にそう言い聞かせて、じっと成り行きを見守ることにした。
その時だ。彼らのひとりが不意にこっちを見て、私と目が合った。
「あっ、あいつ……!」
彼の漏らした声に、仲間の二人も反応する。
「おい、あいつって確か最近よく話題になってる……」
「おお。あの黒髪に紺のローブ、間違いねえ。さっき居たエルフの守護聖騎士とパートナー組んでる魔術士だ」
「あいつも居たのか……。ってそりゃ居るわなぁ、魔術士だもんな」
最後のひとりが発した言葉を皮切りに、男達の顔にそれまでと違った表情が表れる。
それはとても――嫌な笑みだった。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
冷宮の人形姫
りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。
幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。
※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。
※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので)
そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。
あなたが望んだ、ただそれだけ
cyaru
恋愛
いつものように王城に妃教育に行ったカーメリアは王太子が侯爵令嬢と茶会をしているのを目にする。日に日に大きくなる次の教育が始まらない事に対する焦り。
国王夫妻に呼ばれ両親と共に登城すると婚約の解消を言い渡される。
カーメリアの両親はそれまでの所業が腹に据えかねていた事もあり、領地も売り払い夫人の実家のある隣国へ移住を決めた。
王太子イデオットの悪意なき本音はカーメリアの心を粉々に打ち砕いてしまった。
失意から寝込みがちになったカーメリアに追い打ちをかけるように見舞いに来た王太子イデオットとエンヴィー侯爵令嬢は更に悪意のない本音をカーメリアに浴びせた。
公爵はイデオットの態度に激昂し、処刑を覚悟で2人を叩きだしてしまった。
逃げるように移り住んだリアーノ国で静かに静養をしていたが、そこに1人の男性が現れた。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※胸糞展開ありますが、クールダウンお願いします。
心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。イラっとしたら現実に戻ってください。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
異世界に転生した俺は農業指導員だった知識と魔法を使い弱小貴族から気が付けば大陸1の農業王国を興していた。
黒ハット
ファンタジー
前世では日本で農業指導員として暮らしていたが国際協力員として後進国で農業の指導をしている時に、反政府の武装組織に拳銃で撃たれて35歳で殺されたが、魔法のある異世界に転生し、15歳の時に記憶がよみがえり、前世の農業指導員の知識と魔法を使い弱小貴族から成りあがり、乱世の世を戦い抜き大陸1の農業王国を興す。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
ズボラ通販生活
ice
ファンタジー
西野桃(にしのもも)35歳の独身、オタクが神様のミスで異世界へ!貪欲に通販スキル、時間停止アイテムボックス容量無限、結界魔法…さらには、お金まで貰う。商人無双や!とか言いつつ、楽に、ゆるーく、商売をしていく。淋しい独身者、旦那という名の奴隷まで?!ズボラなオバサンが異世界に転移して好き勝手生活する!
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる