独立不羈の幻術士

ムルコラカ

文字の大きさ
上 下
17 / 32
第一章

第十六話 オーガ襲来

しおりを挟む
 ――どくん、と。私の心臓が大きく波打った。

 長年の誼で直感したのだ。たった今シェーナが放った一言に込められた、彼女の強い警戒心を。

「何よシェーナ、どうしたってのよ?」

 カティアさんは元より、デイアンさんとミレーネさんも急な停止を命じたシェーナの意図を汲みかねているようだ。

 私達が今居るこの部屋は、ダンジョンの中では珍しく特に戦闘用の設備など置かれていない平坦な部屋だった。地面も壁も均等に均され、一部が隆起したり落とし穴が掘られていたりすることも無い。一層目の半ばくらいに位置する場所ということもあって、骨休めの為に用意された部屋なのだろうとブロム団長さんは言っていた。

 障害物も床の起伏も無いこの部屋では、当然ながら隠れられる場所は無い。こうして見渡してみても全体像は一目瞭然だ。壁の魔灯石が生み出す青い光の中から浮かび上がってくるのは、ただただ虚ろに広がった大きな空洞だけ。何も怪しいところなど、あろうはずも無い。

 だと言うのに、なんだろうこの感覚。毛虫に這い回られるような、全身が総毛立つような怖気と寒気を感じる。シェーナの言葉に引っ張られて殊更にそう感じているだけかも知れないが、とにかく息苦しい。

 目に見えないところに、何かがある。あるいは、居る。

 それはまるで幻術のような――幻術?

「っ……!?」

「わっ!? 急になに!?」

 突然、部屋の空気が動いた。強い風が肌に吹き付けて、私の髪をさらってゆく。

「風……!? 一体何処から……?」

 ある筈の無い風の発生に、私は戸惑って一瞬目を瞑った。

「ねえ、あれ見て!」

 カティアさんの声だ。そのすっかり余裕を失った甲高い響きに導かれるように、薄目を開けて前を見る。

「――え!? 何あれ!?」

 途端に、全身を乱暴に撫で付ける風の存在が頭から消し飛んだ。

 虚空に、歪みが生じている。

 がらんどうに開いた空間の、中央よりいくらか奥よりの位置で、まるでノイズが可視化したかのような捻じれが起きていた。

 回転する風車に巻き取られた白い糸が、螺旋を描きながら白い線を軌跡として残していくように、捻じれた空気の向こうで部屋の景色が長く伸びて奥へと吸いこまれてゆく。見えいると自分の意識までもが一緒に絡め取られてしまうかのようだ。

 バチバチ! と、何かが爆ぜるような音がした。歪みきった空間の周りで、小さな雷のような蒼白い光がいくつも迸っては消えた。

 そして、小さく折りたたまれた布を一気に押し広げるように――

 歪みの中心から、眩い光のベールが出現した。

「あれは……オーロラ!?」

 シェーナの言葉に応えるように、白銀色に染まった光のベールが大きくはためく。見紛えようもない。虚空を泳ぐようにうねうねとのたうつ様は、私達がいつもアヌルーンの街の彼方に見る景色と驚くほど似ていた。

 カーテンのように連なって蠢く光の白銀。その神秘的な光景は、しかしこのダンジョンでは酷く不釣り合いだ。

「あ、あれです! 僕達が見た光は!!」

 デイアンさんが叫ぶ。途端に私の背筋をヒヤリと冷たいものが撫でた。戸惑いの感情に押しやられていた警戒心が再び膨れ上がる。

 声を上げようとした。皆に注意を促そうと。

 そして、私は見た。――不気味なはためきを繰り返すオーロラの背後から、人型の巨大な影がよぎったのを。



 ――グァァ……!

 

 淀んだ風景の中で妖しく光る双眸。そいつが身を屈めたのが、辛うじて分かった。

「カティア!」

「ッ!? “魔断斗氣レジスト”!!」

 シェーナとカティアさんが一緒に【聖なる護り石】をかざしたのと、そいつがオーロラから飛び出したのはほぼ同時だった。

 ガキィィン!! と、凄まじい轟音が耳を聾す勢いで走り抜ける。展開する守護のオーラに激しく打ち付けられたのは、巨木の幹程もある極太の腕。ひとつひとつが大振りのナイフのように生え揃った鋭利な爪が、ガリガリガリとオーラの表面を乱暴に引っ掻く。

 その凶悪極まる武器の持ち主。それは――

「お、オーガ!!?」

 守護のオーラを挟んで私達を相対する巨大な黒い影。それはまさしくあの魔界からやって来た侵略者、オーガだった。



 ――ゴアアアア!!!


 
 全身を露わにしたオーガが、赤い光を放つ双眸で私達を見据えながら野獣の咆哮を放つ。それひとつで、私達を守る聖なるオーラすらも粉々に破砕されそうだ。

「冗談でしょ!? オーガは二層に居るんじゃなかったの!? なんでこんなところに!?」

 懸命にオーラを展開しながらカティアさんが切羽詰まった声を上げる。既に相当の力を聖術に注ぎ込んでいるようだ。隣でシェーナも苦しそうな表情を浮かべている。



 ――ギィッ! アギッ!



 短い奇声を発しながら、オーガが何度も何度も腕を振り回して自分を遮る聖術の壁に叩きつける。二人の守護聖騎士団員が全力を振り絞っているにも関わらず、守護のオーラは辛うじてオーガの攻撃を撥ねつけているだけで、あの魔物を蒸発させる神聖な斥力を発揮していない。

「もしかして、オーラの力が効いてないの!?」

「そう……みたいね、シッスル! “魔断斗氣レジスト”は正常に作動してる、のに……! こいつは、全然何とも無いって、顔……してるっ……!」

 シェーナはまともに答える余裕も無さそうだ。オーガの爪が振り下ろされる度に、彼女の額に浮かぶ脂汗の玉が増えてゆく。

「このままじゃ、やられる……! あんた、どうにか……しなさい、よっ……!」

「ど、どうにかって言ったって……!」

 条件反射的にカティアさんに抗弁しようとして、すぐに首を振る。この状況、動けるのは私しかいない。デイアンさんはミレーネさんを背負ったまま状況に呑まれているし、仮に我を保ったとしても動けない妹の傍を離れるワケにはいかないだろう。

 私が、なんとかするしかないんだ。光の魔法と幻術しか取り柄の無い、私が……!

 私は腹を括って眼前のオーガを見た。姿形は、昨夜のスリ相手に見せた幻影にそっくり生き写しだ。師匠の授業で彼女から本物の姿を教えられてものにしたが、いざ生身の実体を目の当たりにすると、その迫力や威圧感は幻影の比ではない。荒い息を吐きながら狂ったように攻撃を繰り返す様は、どんな幻よりも雄弁にその存在を主張していた。

 人型であっても人間ではない、異形の存在。魔界の住人にして地上を狙う【魔族アンダー・ピープル】の一体。

 正直言って、勝てる気はしない。だけど、このまま諦める気はもっとしない!

「――!? シッスルさん!?」

 私は地を蹴って横に飛び、オーラの範囲から外に出た。対魔法特化と言える聖術の効果範囲内では魔法は使えない。危険だがこうするしかない。

 私の行動に気付いたデイアンさんが制止の声を上げるが、それを振り切って私はオーガの側面に回り込む。



 ――グァァ……!



 私に気付いたオーガが一瞬攻撃の手を止め、こちらに顔を向けた。深夜にけぶる街並みの影より尚暗い闇色の眼が、他者への共感性などまるで感じさせない冷酷さを湛えて私に注がれる。半開きになった口から牙の隙間を通って放出される生暖かい息が、数メートルの間合いを瞬時に詰めて届いてきたような気がした。

「――“幻影召喚”、【黒犬ブラック・ドッグ】!」

 こちらに向けられた感情無き眼に向かって、私は幻光をぶつけた。俄に生まれた光の眩しさに、オーガが反射的に手を上げて目を守る。

 その手がどけられた時、オーガの無感情な目にほんの僅か困惑するような色が浮かんだ。

 その隙を衝くように、私が喚んだ四頭の黒犬がオーガへと迫る。牙をむき出し、よだれを垂らした四つの黒い流星が滑るように地を奔り、主人と対峙する敵へ喰らいつかんと直進する。

 これは私の得意魔法のひとつ。敵に抵抗を許さずその動きを羈束する幻の黒い犬達。幻術とは言え、はまってしまえばオーガであろうと逃れられない。昨夜のスリは抵抗する術もなくこの洗礼を受けた。だから、今度もきっと――!

 そう考えたのが間違いだった。

「えっ!?」

 黒犬達の牙がその丸太のような足首に到達せんとする直前、オーガが僅かに膝を屈めた。

 次の瞬間、全身の像がぶれて、消えた。全く一瞬の出来事だった。

「なん、何が……!?」

 余りに予想外だった為に、私の思考も時を止める。それは、戦いの最中にあってはならない意識の空白。

「シッスル、上!!」

 シェーナの叫びが耳に届くのと殆ど同時に、私の周りに影が落ちた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

女の子にされちゃう!?「……男の子やめる?」彼女は優しく撫でた。

広田こお
恋愛
少子解消のため日本は一夫多妻制に。が、若い女性が足りない……。独身男は女性化だ! 待て?僕、結婚相手いないけど、女の子にさせられてしまうの? 「安心して、いい夫なら離婚しないで、あ・げ・る。女の子になるのはイヤでしょ?」 国の決めた結婚相手となんとか結婚して女性化はなんとか免れた。どうなる僕の結婚生活。

ロリっ子がおじさんに種付けされる話

オニオン太郎
大衆娯楽
なろうにも投稿した奴です

勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス

R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。 そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。 最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。 そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。 ※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

【全話挿絵】発情✕転生 〜何あれ……誘ってるのかしら?〜【毎日更新】

墨笑
ファンタジー
『エロ×ギャグ×バトル+雑学』をテーマにした異世界ファンタジー小説です。 主人公はごく普通(?)の『むっつりすけべ』な女の子。 異世界転生に伴って召喚士としての才能を強化されたまでは良かったのですが、なぜか発情体質まで付与されていて……? 召喚士として様々な依頼をこなしながら、無駄にドキドキムラムラハァハァしてしまう日々を描きます。 明るく、楽しく読んでいただけることを目指して書きました。

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

漫画の寝取り竿役に転生して真面目に生きようとしたのに、なぜかエッチな巨乳ヒロインがぐいぐい攻めてくるんだけど?

みずがめ
恋愛
目が覚めたら読んだことのあるエロ漫画の最低寝取り野郎になっていた。 なんでよりによってこんな悪役に転生してしまったんだ。最初はそう落ち込んだが、よく考えれば若いチートボディを手に入れて学生時代をやり直せる。 身体の持ち主が悪人なら意識を乗っ取ったことに心を痛める必要はない。俺がヒロインを寝取りさえしなければ、主人公は精神崩壊することなくハッピーエンドを迎えるだろう。 一時の快楽に身を委ねて他人の人生を狂わせるだなんて、そんな責任を負いたくはない。ここが現実である以上、NTRする気にはなれなかった。メインヒロインとは適切な距離を保っていこう。俺自身がお天道様の下で青春を送るために、そう固く決意した。 ……なのになぜ、俺はヒロインに誘惑されているんだ? ※他サイトでも掲載しています。 ※表紙や作中イラストは、AIイラストレーターのおしつじさん(https://twitter.com/your_shitsuji)に外注契約を通して作成していただきました。おしつじさんのAIイラストはすべて商用利用が認められたものを使用しており、また「小説活動に関する利用許諾」を許可していただいています。

処理中です...