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第一章
第七話 幻術による仲裁
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冒険者ギルド・グランドバーン支部の医務室で、俄に起きた諍い。モードさんの発した“禁句”を耳にしたシェーナは、眦を吊り上げて彼に食って掛かる。
エルフ――。シェーナのように耳が長く尖っていて、透き通るような白い肌を持つ人々は、一般的に人間達からそう呼ばれている。
しかし、当の彼女達は自分達の種族を別の名で呼び表している。
それが【リョス・ヒュム】。“白き肌の耳長人”という意味の、正式な種族名だ。ちなみに人間は【ミド・ヒュム】という。こちらは“過不足なき中庸人”という意味らしい。
そしてシェーナは、この【リョス・ヒュム】という種族名に誇りを持っている。“エルフ”と呼ばれるのを非常に嫌うのだ。だから私も面と向かって彼女をそう呼んだことは無い。心の中では別として。
仮に呼んでしまったら……このようなことになる。
「貴様、その暴言は聞き捨てならんぞ! 謝罪してもらおう!」
「謝れってか!? はっ、誰が謝るもんかよ! エルフをエルフと呼んで何が悪い? このエルフ!」
「また言ったな!? それ以上は挑戦と受け取るぞ!」
「おお、上等だぜ! やったろーじゃねェか! お仕着せの亜人が如何ほどのモンか、人間様の手で確かめてやらァ!!」
「うぬぼれるな! 地に足をつけない傭兵風情が! “冒険者”などと気取った肩書を得たところで、貴様らなど所詮野良犬の無頼漢だ!」
「んだとテメェ!? 普段俺達の影に隠れてビクビク震えてるくせに、一番美味しい仕事だけ掻っ攫うトンビ共がよぉ! 何が守護聖騎士団だ、くそったれ!」
激高したシェーナと、挑発をやめないモードさんが激しく睨み合う。まさに売り言葉に買い言葉。口汚く暴言の応酬を繰り広げる二人は、今にもお互い暴力に訴えそうだ。
「おいモード、やめろ……っ!」
「シェーナも落ち着いてっ!」
デイアンさんと私は、それぞれ必死にモードさんとシェーナをなだめようとするけど、完全に頭に血が上った二人の耳には届かない。お互いに、憎たらしい相手の姿しか見えなくなっている。
「はぁー、やれやれ。バカにつける薬は無いわね」
「いやカティアさん! 見てないであなたも止めて下さいよ!」
両手を広げて呆れたように顔を左右に振るカティアさんに、私は必死に訴えた。
「嫌よ。あんた、シェーナの監視相手でしょ? パートナーの面倒くらい、自分で見なさい」
「そんな……っ!?」
冷たい目で私を突き放すカティアさん。『魔術士の頼みなんか聴いてやるもんか』とその目は言っていた。ウィンガートさんやブロムさんが“大人”だっただけで、やはり大教会と関わりの深い人達に私のような魔術士は受けが悪いみたいだ。
とは言え、彼女の言葉にも頷ける部分はある。私はシェーナの親友だ。熱暴走する彼女を、見て見ぬ振りは出来ない。その頭を早く冷ましてあげたい。
それに第一、今は争っている場合じゃないのだ。早くこの場を収めて、ダンジョンに向かう準備を進めないといけない。
――よし、決めた。ここは、私の出番だ。
私は腰帯に付けている革袋のひとつを手に取り、口を縛っている紐を解いた。中から覗くのは、緋色状の粉末。
ちらりとカティアさんを見る。彼女は、私にもシェーナ達の諍いにも興味が無さそうに明後日の方を向いていた。その小さい身体に、私は内心で言い放つ。
確かに、私は魔術士。だからそれらしい手段で解決させて頂きます!
「……っ!」
革袋の中に指を差し入れ、緋色の粉末をひとつまみする。そして誰もこちらを見ていないのを確認すると、騎士が剣を抜き打ちで鞘から解き放つように、勢いをつけて腕を振った。
部屋の中を赤い粒子が舞い、周囲の空気を塗り替える。
「……ん!?」
「なんだァ!?」
シェーナとモードさん、それにデイアンさんとカティアさんも気付いた。薄く空気上に散らばる赤い粉末が彼らに見えているかどうかは定かでは無いが、彼らの鼻にはツンと香る僅かな刺激臭が入り込んでいる筈だ。誰にも直接降りかからないよう位置を調節したので、目に入る心配は無い。
「――“幻体召喚”」
仕上げに、私は小さな声で呪文を唱える。これで、幻術発動だ。
「えっ!?」
突如、宙を舞っていた緋色の粉末が仄かな光を帯びた。虚空を流れ落ちるだけだった粉末が光る粒子と化して意志を持ったように動き、自然の法則を無視して一箇所に集い始める。瞬く間にそれは人の輪郭を形作り、影に陽が当たるようにその姿を浮かび上がらせた。
「……!? おい、嘘だろ!?」
「あなたは……!?」
「げっ! なんで此処に……!?」
モードさん、デイアンさん、カティアさんが三者三様の反応を見せる。そこに一拍子遅れて、最後にシェーナが驚きの声を上げた。
「サレナさ……バーンスピア様!?」
そう、たった今皆の前に登場したのは、マゴリア教国の大魔術師であり首都でその名を知らない人は居ないと言われる、私の師匠――幽幻の魔女サレナ・バーンスピアその人なのだ。
『こんにちは、皆さん。目出度い日だったので、ひとりでささやかなお祝いをしようと買い出しに街に来てみたら、何かただならぬ雰囲気を放っておりましたので、ちょっと立ち寄らせてもらいました』
器用にウィンクをしながらイタズラっぽく微笑む師匠。私のよく知っている仕草だ。声も容姿も、私の知る師匠そのものと言っていい。
「サレナ・バーンスピアですって? さっきの赤い粉になって部屋に入ってきたって言うの? なんでわざわざそんな……」
カティアさんが訝しげに“私”を見る。
『ちょっとした用心です。不本意ながら、私はこの街ではちょっと名が通ってしまった人間ですからね。オーガだなんだと深刻な空気のところにそのまま入ったら、面倒を押し付けられてしまいかねません』
……と、“私”はカティアさんに向かって師匠のセリフを紡いだ。
そう、この師匠は幻。私がさっき使った幻術によって作られた偽物だ。私は師匠の幻を身にまとい、師匠として今皆と話している。皆からは、私の姿は完全に師匠に見えている筈だ。声も同様に。
『それよりも、シェーナ』
「は、はいっ!?」
師匠となった私がシェーナをキッと見据えると、彼女は慌てて背筋を伸ばした。
『話は聴かせてもらいましたよ。この非常事態に、関係のないことで争っていてはいけません。今、大切なことは何ですか? 答えなさい』
「そ、それは……! オーガを斃し、街を守ることです!」
『それと、行方不明になっている冒険者殿の救出も、ですね?』
「はい……」
『あなたの種族を別の呼び名で呼ばれたことは、それと何か関わりがありますか?』
「……ありません」
シェーナはがっくりと肩を落とした。私は次にモードさんに顔を向けた。
『冒険者殿、守護聖騎士団や【リョス・ヒュム】がそんなにお嫌いですか?』
「あ、う、それは……!」
荒れていたモードさんも、幽幻の魔女の前ではたちまちしどろもどろになる。師匠の名は、冒険者達の間でも知れ渡っているのだ。
『あなたがどうしても騎士団や他の人種を面白く思えないのなら、それも結構。個人の好悪の感情をとやかく言うつもりはありません。ですが、それを表に出して相手攻撃をするのは、到底褒められた行いではありませんよ。特に今はお互い協力すべき時です。あなた達の、大事なお仲間を救い出す為にも』
「ぐっ……! むぅ……!」
返す言葉もなく、モードさんは唇を噛んで下を向く。
「幽幻の魔女殿……!」
デイアンさんが、縋るような眼差しで私を見つめる。私は、彼に向かってニコリと微笑みかけた。
『きっと大丈夫です。皆で手を携えれば、必ず活路は開けます。騎士団を信じ、仲間の安全を信じ、成功を信じなさい。その一念さえあれば、岩をも穿ち砕く力を得られるものです。冒険者も、魔術士も、守護聖騎士も、ましてや人種のくくりもありません。魔族とは、強大にして暴戻なる異界からの侵略者。彼らに抗するには、人々が力を結集させることが不可欠。ゆめゆめ、この一存を忘れてはなりませんよ』
室内の空気が動き、旋風となって全員を包む。
「うっ……!?」
「バーンスピア様……っ!」
皆が、腕を前にかざして目を守る。
『ゆめゆめ、我が言葉を忘れたもうな……』
塞がれた視界の中、師匠の最後の言葉が尾を引くように虚空へ溶け込んでゆく。同時に、少しずつ弱まってゆく室内の風。
そして……最初から居なかったかのように、師匠の姿は消えていた。
「居ない……!? バーンスピア様は何処へ……!?」
「言いたいことを一方的に言うだけ言って消えたわね……」
シェーナとカティアさんが隈なく室内を見回すが、師匠が居たという痕跡すら見つけられないようだ。デイアンさんとモードさんは、夢でも見ていたかのような表情で呆然と立っていた。
ふう……。と、私は内心で一息つく。どうやら、今の幻術は成功したみたい。師匠の姿を出して、場の喧嘩を止めるという目的は無事に果たせたようだ。術の触媒に使用した緋色の粉は、既に用途を終えて消滅している。
私が今使った術、“幻体召喚”は、その名の通り幻の人物を創り出して他者に見せる魔法だ。僅かな刺激臭のある緋色の粉で嗅覚に干渉し、続けて呪文で粉自身を発光させることで視覚を制して発動させる。
昨夜スリ相手に使ったのと(方法は少々異なるが)同じ幻術だけど、獣の咆哮ならともかく創り出した幻体に人の言語を喋らせる場合は、今のように私が代行して喋る必要がある。
術中に引き込んだ時点で聴覚にも作用が及ぶ為、相手には本当にその人物が話しているように聴こえる。これは私のコントロールでそうなるのではなく、相手の認知能力によってバイアスがかかる仕組みなので、例えば今の場合だとシェーナが『サレナさんだ!』と思えば、特に声音を変える必要もなくシェーナの耳には師匠の声として聴こえるのだ。
ともかく、師匠のお陰で室内の剣呑な気配は鎮まった。後は最後のひと押しだけしておこう。
私はパンパンと手を叩き、皆の意識を引いた。
「皆、今の師匠の言葉を聴いたでしょ!? これから大きな務めがあるって時に、喧嘩なんかしている場合じゃないよ!」
「シッスル……」
シェーナが呆然と私を見る。今の師匠が私の仕業だと、彼女でも見当がついていないみたい。それはそうだ。私はシェーナに幻術が使えるということは話しているけど、実際に術を使って見せたことは無い。もし知られていたら、聖術でレジストされて難なく見破られていただろう。
「幽幻の魔女……。国の功績者だかなんだか知らないけど、ああも上から目線で物を言われるなんてムカつくわ! さっき何をやったか知らないけどどーせ魔法だったんだろうし、聖術でレジストしてやれば良かったわね……!」
カティアさんが忌々しげに爪を噛みながら、まるで私の心を読んだかのようにそう言うのでギクリとした。もし、それをされていたら一発で看破だ。守護聖騎士団がその気になれば、魔術士なんてあっという間に無力化されてしまう。
「シッスル?」
私の表情の変化に気付いたシェーナが、不審げな目を向けてくる。やばいやばい!
「あ、あのよう……」
微妙になりかけた空気を取り払ったのは、モードさんのバツの悪そうな声だった。
「さっきはその、言い過ぎちまったぜ……。取り下げるよエル……リョス・ヒュムの姉ちゃん」
「む……むぅ」
頭を掻きながら素直に謝罪するモードさんに、シェーナもたじろぎつつ頷いた。
「分かって頂ければ良いのだ、モード殿。私も、貴公らを侮辱した言を撤回する。取り乱したりして、相済まなかった」
「おう、別に良いんだって」
お互い、ものすごく気まずそうにしながらではあるものの、どうにか和解は成立したみたいだ。あれ程嫌悪と差別意識を剥き出しにしていた両者をこうも丸め込めるなんて、やはり師匠の名前は絶大だ。さすが教国のビッグネーム。良かった、これで一安心……。
「……って、まだまだ全然安心しちゃいけないよねっ! 私達のお仕事はこれからなんだから!」
「そうねシッスル。そろそろ、招集された残りの団員達も来る頃合いでしょう」
「私とシェーナと、その十二人。これでダンジョンに挑むんだよね! ああ、いよいよかと思ったら緊張してきた~!」
私達が初心に帰って気合を入れていると、不意に廊下の向こうから複数の足音が近づいて来ていることに気付いた。
「あれ?」
「噂をすれば、どうやら時間みたいね」
シェーナの言葉が終わると同時に、大きくなった足音の群れが一瞬で止み、部屋の扉が開かれた。
「遅れて済まない。騎士団長ブロム以下、守護聖騎士十二名ただいま到着した!」
力強い声と共に現れたのは、現在出動可能な騎士全員を引き連れたブロムさんだった。
エルフ――。シェーナのように耳が長く尖っていて、透き通るような白い肌を持つ人々は、一般的に人間達からそう呼ばれている。
しかし、当の彼女達は自分達の種族を別の名で呼び表している。
それが【リョス・ヒュム】。“白き肌の耳長人”という意味の、正式な種族名だ。ちなみに人間は【ミド・ヒュム】という。こちらは“過不足なき中庸人”という意味らしい。
そしてシェーナは、この【リョス・ヒュム】という種族名に誇りを持っている。“エルフ”と呼ばれるのを非常に嫌うのだ。だから私も面と向かって彼女をそう呼んだことは無い。心の中では別として。
仮に呼んでしまったら……このようなことになる。
「貴様、その暴言は聞き捨てならんぞ! 謝罪してもらおう!」
「謝れってか!? はっ、誰が謝るもんかよ! エルフをエルフと呼んで何が悪い? このエルフ!」
「また言ったな!? それ以上は挑戦と受け取るぞ!」
「おお、上等だぜ! やったろーじゃねェか! お仕着せの亜人が如何ほどのモンか、人間様の手で確かめてやらァ!!」
「うぬぼれるな! 地に足をつけない傭兵風情が! “冒険者”などと気取った肩書を得たところで、貴様らなど所詮野良犬の無頼漢だ!」
「んだとテメェ!? 普段俺達の影に隠れてビクビク震えてるくせに、一番美味しい仕事だけ掻っ攫うトンビ共がよぉ! 何が守護聖騎士団だ、くそったれ!」
激高したシェーナと、挑発をやめないモードさんが激しく睨み合う。まさに売り言葉に買い言葉。口汚く暴言の応酬を繰り広げる二人は、今にもお互い暴力に訴えそうだ。
「おいモード、やめろ……っ!」
「シェーナも落ち着いてっ!」
デイアンさんと私は、それぞれ必死にモードさんとシェーナをなだめようとするけど、完全に頭に血が上った二人の耳には届かない。お互いに、憎たらしい相手の姿しか見えなくなっている。
「はぁー、やれやれ。バカにつける薬は無いわね」
「いやカティアさん! 見てないであなたも止めて下さいよ!」
両手を広げて呆れたように顔を左右に振るカティアさんに、私は必死に訴えた。
「嫌よ。あんた、シェーナの監視相手でしょ? パートナーの面倒くらい、自分で見なさい」
「そんな……っ!?」
冷たい目で私を突き放すカティアさん。『魔術士の頼みなんか聴いてやるもんか』とその目は言っていた。ウィンガートさんやブロムさんが“大人”だっただけで、やはり大教会と関わりの深い人達に私のような魔術士は受けが悪いみたいだ。
とは言え、彼女の言葉にも頷ける部分はある。私はシェーナの親友だ。熱暴走する彼女を、見て見ぬ振りは出来ない。その頭を早く冷ましてあげたい。
それに第一、今は争っている場合じゃないのだ。早くこの場を収めて、ダンジョンに向かう準備を進めないといけない。
――よし、決めた。ここは、私の出番だ。
私は腰帯に付けている革袋のひとつを手に取り、口を縛っている紐を解いた。中から覗くのは、緋色状の粉末。
ちらりとカティアさんを見る。彼女は、私にもシェーナ達の諍いにも興味が無さそうに明後日の方を向いていた。その小さい身体に、私は内心で言い放つ。
確かに、私は魔術士。だからそれらしい手段で解決させて頂きます!
「……っ!」
革袋の中に指を差し入れ、緋色の粉末をひとつまみする。そして誰もこちらを見ていないのを確認すると、騎士が剣を抜き打ちで鞘から解き放つように、勢いをつけて腕を振った。
部屋の中を赤い粒子が舞い、周囲の空気を塗り替える。
「……ん!?」
「なんだァ!?」
シェーナとモードさん、それにデイアンさんとカティアさんも気付いた。薄く空気上に散らばる赤い粉末が彼らに見えているかどうかは定かでは無いが、彼らの鼻にはツンと香る僅かな刺激臭が入り込んでいる筈だ。誰にも直接降りかからないよう位置を調節したので、目に入る心配は無い。
「――“幻体召喚”」
仕上げに、私は小さな声で呪文を唱える。これで、幻術発動だ。
「えっ!?」
突如、宙を舞っていた緋色の粉末が仄かな光を帯びた。虚空を流れ落ちるだけだった粉末が光る粒子と化して意志を持ったように動き、自然の法則を無視して一箇所に集い始める。瞬く間にそれは人の輪郭を形作り、影に陽が当たるようにその姿を浮かび上がらせた。
「……!? おい、嘘だろ!?」
「あなたは……!?」
「げっ! なんで此処に……!?」
モードさん、デイアンさん、カティアさんが三者三様の反応を見せる。そこに一拍子遅れて、最後にシェーナが驚きの声を上げた。
「サレナさ……バーンスピア様!?」
そう、たった今皆の前に登場したのは、マゴリア教国の大魔術師であり首都でその名を知らない人は居ないと言われる、私の師匠――幽幻の魔女サレナ・バーンスピアその人なのだ。
『こんにちは、皆さん。目出度い日だったので、ひとりでささやかなお祝いをしようと買い出しに街に来てみたら、何かただならぬ雰囲気を放っておりましたので、ちょっと立ち寄らせてもらいました』
器用にウィンクをしながらイタズラっぽく微笑む師匠。私のよく知っている仕草だ。声も容姿も、私の知る師匠そのものと言っていい。
「サレナ・バーンスピアですって? さっきの赤い粉になって部屋に入ってきたって言うの? なんでわざわざそんな……」
カティアさんが訝しげに“私”を見る。
『ちょっとした用心です。不本意ながら、私はこの街ではちょっと名が通ってしまった人間ですからね。オーガだなんだと深刻な空気のところにそのまま入ったら、面倒を押し付けられてしまいかねません』
……と、“私”はカティアさんに向かって師匠のセリフを紡いだ。
そう、この師匠は幻。私がさっき使った幻術によって作られた偽物だ。私は師匠の幻を身にまとい、師匠として今皆と話している。皆からは、私の姿は完全に師匠に見えている筈だ。声も同様に。
『それよりも、シェーナ』
「は、はいっ!?」
師匠となった私がシェーナをキッと見据えると、彼女は慌てて背筋を伸ばした。
『話は聴かせてもらいましたよ。この非常事態に、関係のないことで争っていてはいけません。今、大切なことは何ですか? 答えなさい』
「そ、それは……! オーガを斃し、街を守ることです!」
『それと、行方不明になっている冒険者殿の救出も、ですね?』
「はい……」
『あなたの種族を別の呼び名で呼ばれたことは、それと何か関わりがありますか?』
「……ありません」
シェーナはがっくりと肩を落とした。私は次にモードさんに顔を向けた。
『冒険者殿、守護聖騎士団や【リョス・ヒュム】がそんなにお嫌いですか?』
「あ、う、それは……!」
荒れていたモードさんも、幽幻の魔女の前ではたちまちしどろもどろになる。師匠の名は、冒険者達の間でも知れ渡っているのだ。
『あなたがどうしても騎士団や他の人種を面白く思えないのなら、それも結構。個人の好悪の感情をとやかく言うつもりはありません。ですが、それを表に出して相手攻撃をするのは、到底褒められた行いではありませんよ。特に今はお互い協力すべき時です。あなた達の、大事なお仲間を救い出す為にも』
「ぐっ……! むぅ……!」
返す言葉もなく、モードさんは唇を噛んで下を向く。
「幽幻の魔女殿……!」
デイアンさんが、縋るような眼差しで私を見つめる。私は、彼に向かってニコリと微笑みかけた。
『きっと大丈夫です。皆で手を携えれば、必ず活路は開けます。騎士団を信じ、仲間の安全を信じ、成功を信じなさい。その一念さえあれば、岩をも穿ち砕く力を得られるものです。冒険者も、魔術士も、守護聖騎士も、ましてや人種のくくりもありません。魔族とは、強大にして暴戻なる異界からの侵略者。彼らに抗するには、人々が力を結集させることが不可欠。ゆめゆめ、この一存を忘れてはなりませんよ』
室内の空気が動き、旋風となって全員を包む。
「うっ……!?」
「バーンスピア様……っ!」
皆が、腕を前にかざして目を守る。
『ゆめゆめ、我が言葉を忘れたもうな……』
塞がれた視界の中、師匠の最後の言葉が尾を引くように虚空へ溶け込んでゆく。同時に、少しずつ弱まってゆく室内の風。
そして……最初から居なかったかのように、師匠の姿は消えていた。
「居ない……!? バーンスピア様は何処へ……!?」
「言いたいことを一方的に言うだけ言って消えたわね……」
シェーナとカティアさんが隈なく室内を見回すが、師匠が居たという痕跡すら見つけられないようだ。デイアンさんとモードさんは、夢でも見ていたかのような表情で呆然と立っていた。
ふう……。と、私は内心で一息つく。どうやら、今の幻術は成功したみたい。師匠の姿を出して、場の喧嘩を止めるという目的は無事に果たせたようだ。術の触媒に使用した緋色の粉は、既に用途を終えて消滅している。
私が今使った術、“幻体召喚”は、その名の通り幻の人物を創り出して他者に見せる魔法だ。僅かな刺激臭のある緋色の粉で嗅覚に干渉し、続けて呪文で粉自身を発光させることで視覚を制して発動させる。
昨夜スリ相手に使ったのと(方法は少々異なるが)同じ幻術だけど、獣の咆哮ならともかく創り出した幻体に人の言語を喋らせる場合は、今のように私が代行して喋る必要がある。
術中に引き込んだ時点で聴覚にも作用が及ぶ為、相手には本当にその人物が話しているように聴こえる。これは私のコントロールでそうなるのではなく、相手の認知能力によってバイアスがかかる仕組みなので、例えば今の場合だとシェーナが『サレナさんだ!』と思えば、特に声音を変える必要もなくシェーナの耳には師匠の声として聴こえるのだ。
ともかく、師匠のお陰で室内の剣呑な気配は鎮まった。後は最後のひと押しだけしておこう。
私はパンパンと手を叩き、皆の意識を引いた。
「皆、今の師匠の言葉を聴いたでしょ!? これから大きな務めがあるって時に、喧嘩なんかしている場合じゃないよ!」
「シッスル……」
シェーナが呆然と私を見る。今の師匠が私の仕業だと、彼女でも見当がついていないみたい。それはそうだ。私はシェーナに幻術が使えるということは話しているけど、実際に術を使って見せたことは無い。もし知られていたら、聖術でレジストされて難なく見破られていただろう。
「幽幻の魔女……。国の功績者だかなんだか知らないけど、ああも上から目線で物を言われるなんてムカつくわ! さっき何をやったか知らないけどどーせ魔法だったんだろうし、聖術でレジストしてやれば良かったわね……!」
カティアさんが忌々しげに爪を噛みながら、まるで私の心を読んだかのようにそう言うのでギクリとした。もし、それをされていたら一発で看破だ。守護聖騎士団がその気になれば、魔術士なんてあっという間に無力化されてしまう。
「シッスル?」
私の表情の変化に気付いたシェーナが、不審げな目を向けてくる。やばいやばい!
「あ、あのよう……」
微妙になりかけた空気を取り払ったのは、モードさんのバツの悪そうな声だった。
「さっきはその、言い過ぎちまったぜ……。取り下げるよエル……リョス・ヒュムの姉ちゃん」
「む……むぅ」
頭を掻きながら素直に謝罪するモードさんに、シェーナもたじろぎつつ頷いた。
「分かって頂ければ良いのだ、モード殿。私も、貴公らを侮辱した言を撤回する。取り乱したりして、相済まなかった」
「おう、別に良いんだって」
お互い、ものすごく気まずそうにしながらではあるものの、どうにか和解は成立したみたいだ。あれ程嫌悪と差別意識を剥き出しにしていた両者をこうも丸め込めるなんて、やはり師匠の名前は絶大だ。さすが教国のビッグネーム。良かった、これで一安心……。
「……って、まだまだ全然安心しちゃいけないよねっ! 私達のお仕事はこれからなんだから!」
「そうねシッスル。そろそろ、招集された残りの団員達も来る頃合いでしょう」
「私とシェーナと、その十二人。これでダンジョンに挑むんだよね! ああ、いよいよかと思ったら緊張してきた~!」
私達が初心に帰って気合を入れていると、不意に廊下の向こうから複数の足音が近づいて来ていることに気付いた。
「あれ?」
「噂をすれば、どうやら時間みたいね」
シェーナの言葉が終わると同時に、大きくなった足音の群れが一瞬で止み、部屋の扉が開かれた。
「遅れて済まない。騎士団長ブロム以下、守護聖騎士十二名ただいま到着した!」
力強い声と共に現れたのは、現在出動可能な騎士全員を引き連れたブロムさんだった。
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ジェーンと歩くアイクは、どこかいつもよりも楽しげな表情を浮かべてながら、ジェーンと言葉を交わしていた。
結婚してから一年経って、次第に見なくなった顔だ。
私の胸の内に不安が湧いてくる。
(駄目よ。簡単に夫を疑うなんて。きっと二人はいつの間にか友人になっただけ──)
その瞬間。
二人は手を繋いで。
キスをした。
「──」
言葉にならない声が漏れた。
胸の中の不安は確かな形となって、目の前に現れた。
──アイクは浮気していた。
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