独立不羈の幻術士

ムルコラカ

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第一章

第三話 幼馴染のエルフ騎士

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「はぁ~~……!」

「もう、何度目のため息よ。いい加減に切り替えていきなさい、シッスル」

 師匠の家を後にしてアヌルーンの街へと向かう道すがら、私の隣でシェーナが盛大に顔をしかめる。そんな風に表情を歪めてもブサイクには見えないのだから、生まれついての美人というのは本当に得なものだ。

 尖った長い耳が特徴的な彼女の種族は、人間の美醜概念からすると誰も彼もが美しく見える。シェーナはその中でもとりわけ際立つ容姿を持っていた。街を歩けば、すれ違う人が誰もが振り返る程に。
 
 逆に私は地味である。黒髪で体型も控えめであり、背も高いとは言えない。艷やかな新緑色の髪を持ち、私より頭一つ分大きく、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるシェーナとは、見た目の華やかさにおいて雲泥の差がある。昔から一緒に並んで歩く度に、彼女の引き立て役になっているような気分に陥ったものだ。

 そのシェーナから無情なお叱りを受けて、その時の気分が少しだけ蘇った私は、ついむずがる子供のように食い下がる。

「だってぇ~……!」

「だってじゃないわ。サレナさんは、シッスルならもう独り立ち出来ると信じていらっしゃるからこそ、貴女の騎士団預かりを承認したのよ。愛弟子なら、師匠の心遣いを汲むべきでしょ?」

 私と二人だけの時なら、シェーナも師匠のことを『サレナさん』と呼ぶ。幼い頃によく可愛がってもらった名残りだ。私のことを親友だと思ってくれているからでもある。

 両側を背の低い草で覆われた緩やかな坂を、私とシェーナは並んで上ってゆく。この坂を越えればアヌルーンの街を一望できる。そこから城下町に至るまで、四半刻とかからない。その決して長くはない道中を、私はこの親友と一緒に何度往復したことか。

 私とシェーナは、所謂幼馴染みと言う関係だ。二人共、アヌルーンの街の郊外に住んでいて住居も近く、ひょんなことから知り合って気付けば意気投合していた。お互いの家にも良く行き来したし、二人で色んな遊びをした。

 成長して、シェーナが騎士団に入団する為に街中に寄宿した後は一時期疎遠になっていたが、彼女が晴れて一人前の騎士として認められてからはこうして元の関係に戻れている。

 私にとっては、師匠を除けば最も気心の知れた相手である。その気安さがあるゆえか、私は度々こうして彼女に甘えた口を利いてしまう。

「そうは言っても、私って幻術以外はてんでダメだし……。それなのに、騎士団の管理下で暮らさなきゃいけないなんてあるのかなぁ~?」

 魔法を使える人間――いわゆる魔術士は、その全てがマゴリア教国お抱えの立場であり、同時に要監視対象でもある。

 魔法とは、【魔界】と呼ばれる地下深くに存在する(らしい)別次元の世界からもたらされる産物で、【魔素】というエネルギーに順応して体内に【魔力】を生成出来る者だけが行使出来る超常の術だ。便利で強力な反面、危険でもあり、まだまだ不明な点も数多い。

 国としては、そんな物騒な存在を野放しには出来ないという理屈だ。故に魔法の才能があると判明した者は、教国が運営する学び舎兼研究施設への入所が義務付けられ、聖職者達の手で厳しく教育される。

 私は、特権階級たる魔女サレナの弟子という恵まれた立場であった為に、昨日までその義務を免れていた。だが、今日からはとうとう、世間一般の魔術士達の仲間入りだ。

 ある程度の年齢、または力量に達した魔術士は学び舎から卒業することを許される。だが、それで万事自由というワケではない。【守護聖騎士団】という、大教会直属の国教騎士団預かりという形になり、専属の護衛として騎士団員が常に付く。

 私の場合は、それがシェーナだ。

「当たり前でしょう? 幻術とは言っても、相手の精神に干渉する魔法なんだから危険なことには変わりないわ。心と身体は密接に繋がっているのよ。ひとつ間違えれば人を死に至らしめる可能性もある……とサレナさんは常々仰っていたでしょう?」

「あはは、正確には精神じゃなくて人の五感なんだけどね」

 視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚。人が外部からの刺激を情報に変換して処理する為の感覚機能。

 幻術とは、そこを間口にして展開する魔法のことだ。ありもしない者の姿を、音を、匂いを、手触りを、擬似的に出現させて対象に見せる術。幻術士というのは、他者の五感のいずれかを刺激することで、その相手を自分の術中に引きずり込む。ひとつの感覚で成功したなら、後の感覚も支配するのは容易い。

 実際に、昨日のスリ男は視覚からの施術を起点に、聴覚触覚嗅覚と芋づる式に手玉に取ったのだ。あの男をあっさり屈服させられたことだけは、自分の中でも満足のいく結果だった。

 ……とは言え、そこはシェーナの言う通り。あの男が感じていた、【黒犬】に噛みつかれる痛みや苦しみは本物だ。仕掛ける側、もしくは無関係な第三者にはただの幻でも、受けた本人にとっては現実の暴力に他ならない。たとえ身体に傷なんか残らなくても、心の方まで無傷とはいかない。シェーナが言ったように、師匠は事あるごとにその恐ろしさを説いていた。

「そう考えると、幻術士って確かに危ない存在かもね……」

「分かってもらえたようで何より。それなら以後、自分の境遇に対する不満は慎むように」

「善処します……」

 満足したように頷くシェーナに、私は声を小さくして答えた。そこはそれ。いくら親友のシェーナが担当官でも、四六時中監視される身分というのは決して気持ちのいいものじゃない。

「何? まだ納得いってないって顔ね? あなたがどれだけ贅沢な立場に居るか、大教会に着いたら団長や総長からみっちりご教示して頂く方が良いかしら?」

 あ、やばい。凄味のある目付きでシェーナが睨んできた。あれは本気で怒りかけている時にする目だ。

「そ、それより見てシェーナ! 【オーロラ・ウォール】は今日も綺麗だね~! あははは~っ!」

 私は慌てて彼女から目を逸らし、遥か彼方の空に広がる光の銀幕を指差した。目で追える範囲の端から端まで、地平に境界線を引くように七色のオーロラが鎮座している。何時眺めても壮観な光景だった。

「話を逸らさないの! オーロラなんていつも見てるじゃない!」

 失敗。どんなに綺麗でも毎日変わらずそこにあれば飽きるというべきか、優美な光のカーテンを形作るオーロラも、シェーナの怒気を冷ます役には立たなかった。普段から真面目で厳格なシェーナ。本当に、私とは真逆の性格をしている。だからこそ、お互い上手く噛み合ったと言えるのかも知れないけど。

「ま、まあそう言わずに! 綺麗なものは何回眺めたって良いものなんだよ!」

 私は語気を鋭くするシェーナの方を敢えて振り返らないまま、オーロラに感心するフリをした。……まだ、声の調子からして平謝りしなくても大丈夫だろう、と胸中で計算しながら。

 【オーロラ・ウォール】。別名『天光の輪』とも呼ばれる首都圏の名物だ。アヌルーンの街を中心に据え、この地方一帯を外界から遮断するようにぐるりと囲む形で発生している。郊外は元より、周辺にある山や森や川をも含むかなり大規模で広域な光のベールだ。

 何故、いつもあれ程のオーロラが展開しているか原理は不明だが、ずっと昔からあるもので、今では首都防衛構想の一環に組み込まれていると師匠は言っていた。実際にひとつの境界線として扱われているらしく、私もシェーナもあのオーロラから先へ行ったことは無い。外に出たいと申請しても許可が降りないらしい。ま、私も今のところは特に不便には感じていないから気にならないんだけど。

 何せ、今日までも今日からも、アヌルーンでの人生を全うするだけで一杯一杯の日々だ。

「ちょっとシッスル、聴いてるの!? まさか今日の予定さえ頭から抜け落ちてるんじゃないでしょうね!?」

「いやいやシェーナ、ちゃんと覚えてるって! まずは大教会で主教様相手に宣誓と洗礼、それから騎士団長さんと総長さんのお話を聴いて、それから正式な入寮手続きだよね?」

 慌てて答えると、そこでようやくシェーナも怒気を収めてくれたようで、ふーっと大きく息を吐きながら彼女は呼吸を整えた。

「そうよ。必要な荷物は既に粗方運び入れてあるし、後は書類申請を済ませるだけ。それが終われば、晴れて騎士団所属の魔術士として認められるわ。自由行動だって許される」

「シェーナと一緒ならね」

 オーロラを視界の端に収めつつ、私達は坂の上へと辿り着いた。下り坂が続く南の方角には、堂々とそびえるアヌルーンの街並みとそれを守る城壁、そしてその手前に設けられた賑やかな城下町が、いつもと何ら変わらない日常の風景となって私達の眼下に広がっている。

「私で良かったと喜びなさい。普通は気心のしれない相手と組まされるものなんだから」

「分かってる。シェーナと友達でいられて感謝しない日は無かったよ」

 これは、本音。口では喧しいことを言いつつも、シェーナは常に私のことを心配してくれている。その気持ちを疑った経験など、一度だって無い。そう素直に伝えたつもりだったが……

「だったら、もう少し謙虚になりなさい。あなたが想像も及ばないような不遇をかこっている魔術士だって沢山いるんだからね!」

 長年親しんだ仲の弊害か、言葉に重みが無かったようだ。軽い感謝と受け取られて、シェーナはさっきの話を蒸し返す。

「はぁ~、まったく! せっかく守護聖騎士になれたのに、肝心のあなたがこれじゃ張り合いが無いじゃない! もっとしっかりしてよね、シッスル!」

「……ねえ、前から訊きたかったんだけど、シェーナってどうして守護聖騎士になろうって思ったの?」

「えっ!? そ、それは……」

 何気なく、ずっと気になっていたことを口に出して尋ねてみたら、シェーナは何故か顔を赤らめて動揺した。

「子供の頃は『将来お花屋さんになりたい~!』とか言ってたのに、いつの間にか騎士を目指すって言い出してたんだもの。そりゃ私も、シェーナなら騎士も似合うだろうな~とは思ったけど、お花屋さんからいきなり明後日の方向に飛びすぎだよね?」

「ち、小さい時の夢なんてころころ変わるものでしょ! 別に良いでしょ! 私だって、自分でも気付かない内に騎士の仕事に憧れるようになってたんだからっ!」

「シェーナ、目が泳いでるよ?」

「~~~~っ! う、うるさいうるさいっ! シッスルには教えない! 秘密!!」

「ええ~! 丁度良い機会なんだし、教えてくれたって良いじゃない!」

「ダーメ! これは私の夢で、生涯の目標! あなたには関係ないから! 下らない質問で煙に巻こうとしないの! ……良いわ、それなら専属騎士として、大教会に着くまでみっちりとあなたに魔術士として持つべき心得というものを叩き込んであげるわ!」

「いやいや勘弁して! もう、分かったってば! お願いだから、これから堅苦しい儀式が控えてるって時に気が滅入るようなことは言わないで~!!」

 強引に誤魔化された挙げ句、さっきよりも長~いお説教まで始めようとするシェーナに、私は情けない抗議の声を上げるのだった。

 幼い頃から変わらない、私達の関係。時々煩わしさをも感じるけども、そんな瞬間も含めてとても大切な一番の親友。劇的な変化を遂げる環境の中で、これらからも変わらず私の隣に在り続けてくれる相手。

 隣で延々とがなり立てる親友に辟易する一方、私は心の深奥でその有り難みをしみじみと噛み締める。

「あ、見てシェーナ。もう城下町だよ」

 そんな風に二人で他愛ないやり取りを繰り広げつつ進んでいたら、いつの間にか城下町の入り口まで辿り着いていた。ここを真っ直ぐ進み、奥にそびえる城門を潜ればアヌルーンだ。

「本当だわ。シッスルに付き合っていると本当に注意が疎かになりがちね……気を付けないと」

「それ、私のせいなのかな~……?」

「あなたが変なことを言うから……あら?」

 言いかけたところでシェーナが何かに気付き、顔付きを引き締める。何だろうと私も前を見て、理解した。

「へっへっへ……」

「おお、これは中々……」

 武装した少数の集団が、城下町の方からこちらへやって来る。持っている武器も、身に纏う防具もまちまちで統一感が無く、顔には一様にいやらしげな笑みが浮かんでいた。

 ひと目で分かる。彼らは【冒険者達】だ。きっと【ギルド】から【依頼クエスト】か【任務ミッション】を受注して、これから仕事に赴くところなのだろう。

「…………」
 
 シェーナは男達に目線を合わせないよう、前の一点だけを見据えて歩みを再開した。私も遅れまじと一緒に進む。

 男達とすれ違う最中、彼らは無遠慮にこっちを眺めてニヤニヤしていた。

「なあ、お前どっちが好みだ?」

「断然、白いマントのねーちゃんだな! あの長耳、間違いなくエルフだぜ!」

「背も高ェし、肉付きも良かったな! あのサーコート、脱がせたらどんなお宝が拝めるのかねぇ~?」

「オレぁ、隣の地味なローブ着た黒髪だな。ああいう大人しそうな女は、組み敷くと良い声で鳴くんだぜぇ~!」

「ああ、俺もそっちだなぁ。あの裾から覗くほっそり痩せた手足、たまんねぇ~! うひひ!」

 遠ざかってゆく背後から、そんな聞くに堪えない蛮声がいくつも飛んできた。

「チッ! 礼儀知らずの冒険者どもが……!」

 苦虫を噛み潰したような顔で、シェーナが毒を吐く。

 ……そんな顔も、やっぱり綺麗だなと私は思った。
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