CRoSs☤MiND ~ 背負いし咎の果てに ~ 第 四 部 源 太陽 編

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第 一 章 想いに墜ちる太陽

第二話 限りなく近く、遙か遠いカの人の手

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 一九八一年にADAMとARMという研究企画が打ち立てられました。研究者ではない僕はどのような企画なのかその詳細を知りません。ですが、その研究が始動すると何故か、詩乃さんとの会う時間が少なくなって行く。ある時、僕は詩乃さんにその研究企画がどのようなものなのか訊ねていたのです。部外者には教えてくれないものかもしれないと思っていましたが、詩乃さんは隠さず、僕へ判る様に説明してくださいました。
 詩乃さんが僕と話し終えて、医務室を出ていくと悩むように片手で頭を押さえてしまいました。臨床実験の為に人という献体を使用することはままあります。ただ、研究の為に研究者本人が献体になるなど僕が今こうして生きている間、聞いた事がありません。アダム、アーム研究に献体志願した一般人含めて百人を超えているそうです。その中には所長の親友のセレナーディ女史や詩乃さんのお姉さんまで含まれているという話でした。
 僕は詩乃さん自身を傷付けてしようとする研究を想像して悪寒を走らせてしまう。でも、これは彼女が望んで始めた研究。僕に何が言えようか・・・。
 彼女が教えてくれました要点を纏めると次の様になります。
一、 世界人口約四十四億人の現在、それだけの人が存在すれば、少ない割合でも特殊な身体構造を持つ人間がいる事が判っていた。その特殊な身体機能を解析して、医療に応用できるかどうか研究する事。
二、 一からわかった事で、どのような事を医療へ応用するかの分類。臓器移植への応用。新薬開発、身体機能保全。臓器移植系がADAMで、身体機能保全系がARMが担当し、新薬開発はその両方の研究企画が対応する形です。
三、 二の臨床試験とその実現化。
 詩乃さんを始め、世界中から集められた献体が一番目に当たり、現段階では一番目が行われていると詩乃さんが教えてくれました。
 僕とここ、医務室を訪れる方の治療と音夢の世話をする日々が続き、また一年が過ぎました。仔猫と呼ぶには大きくなった音夢。それでもまだ小さい彼女とじゃれる僕。
 猫じゃらしで音夢と遊ぶ事、一〇分、医務室の戸が引かれる音が聞こえ、僕はそちらを向きました。
「何時も、音夢ちゃん可愛いねぇ」と医療応用研究部の志波さんが言いながら入ってきました。
「すこしばかりよ、胃の調子が悪くて、胃薬だしてくれねぇかな?」
「ええ、でどういった理由で腹痛を」
 僕は原因にあった薬を出すためにそう志波さんに聞いていました。
「そうですねぇ、仕事が忙しくストレスが溜まっての軽い潰瘍かもしれませんから、ちゃんとした検査をしましょう。採血しますよ」
「処でよ、源。俺達の部署で働いてみる気はねぇか?医務室の務めだけじゃ、お前の才能は勿体ねぇ。ずっとじゃなくていい。少しでもいいから手伝ってくれるとありがたいんだがな」
「考えておきます。でも、それには所長を説得しないといけませんね」
「だな」
「ええと、志波さんはどのくらいアダムやアームに携わっているのですか」
「うん?俺はやなんだけどな、そのプロジェクトに参加するの・・・、でも殆どか・・・。たったの一年でよ、百二十も居た人達がいまじゃ、九人しかいねぇだぜ。それも・・・」
「九割以上の方はもう降りてしまわれたのですか?」
「おりたってぇか、降ろされたって言うのかな?研究体として、俺達の望む役に立たなかっただけの事。今残っているのはよ、殆どが内の職員ばかりで」
「だっ、誰が今も残っているのですか?」
「なんだよ、急にそんな顔して。しかし、お前の採血痛くねえよな・・・」
 志波さんは脱脂綿を指で押さえ、しみじみ僕に言うけど、
「そんな事はどうでもいいんです。で、一体どなたが」
「ああ、それか・・・、セレナ・・・、セレナーディに・・・」と一人一人名前を上げる志波さん。それで最後に、
「詩乃だよ。たくっ、心配しているお前さんの気も知らないで」
「なっ、ななん・・・、何を言っているのですか志波さん。ぼっ、僕は詩乃さんの事なんて何とも思っていませんっ!」
「はぁあん?何を言ってんだよ。誰から見たって、お前さんが詩乃を想っているなんて丸わかりさ・・・、なあ、そう思うだろ、音夢ちゃん」
「なぁあ~」
 音夢は志波さんの言いに応える様に啼くと鈴を鳴らしながら彼の方へ歩み寄り、足元でじゃれる。まったく、音夢は警戒という物を知らず誰にでも懐いてしまい八方美人な猫ですよ。
 僕は志波さんの言葉にむすっとした表情で今、出してもいいと判断できる薬を三日分出すと、
「サッサとこれ持って出て行ってください。それと本日はもう休養を取る事です」
「へいへい、わかりましたよ。若先生の言葉を聞くとしますか・・・、んじゃな、音夢ちゃん。今度、おいしい魚持ってきてやるよ」
 そう言って志波さんは笑いながら、戸を閉めようとしました。でも、半分くらいでそれが止まり、また彼が振り返りました。
「ここにいるよか、俺達と一緒に仕事をした方が、詩乃といる時間多くなるぜ」
 志波さんは僕をからかうような笑いを見せた瞬間、手元にあったメスを彼へ投擲する。無論当てる積りはありませんが、紙一重で怪我を負わせてしまうくらい間近に彼の頬を狙っていました。
「お前がこれで本当に刺すとは思えねぇよ。そんなことしたら詩乃悲しむもんな」
 胆力がありすぎて、物おじしない志波さん。志波さんは僕が当てないという事を知っている風な態度で笑いながら扉に突き刺さったメスを抜くと一番近い棚に置き、本当に去ってゆく。
 僕は単純な性格だったようです。志波さんの誘いに、詩乃さんの様子が知りたくて、彼女の事が心配で医療応用研究部の手伝いを始めた。藤原美鈴所長はアダム、アームの研究に熱が上がりすぎてしまい、忙しそうで、僕が医応研のお手伝いを始めるための許可を取っていませんが、その部署の主任、峰野義之さんも副主任の八神皇女さんも、そして、僕を誘ってくださいました志波京平さんも、他の職員も僕を歓迎してくださいました。
「よっ、源。今日から俺達は同僚だ。楽しくやろうぜ、だから俺の事、志波さんなんて他人行儀よして、京平でも、キョウ、ヘイさんでも好きなように呼べよ」
「それはむりです、志波さん」
「やっとヨウちゃんも皇女達のお仕事手伝ってくれる気になったのね?皇女うれしいっ」
 詩乃さん以上に人懐っこいその八神皇女さんは詩乃さんと同様なじゃれ方を僕にしようとするけど、既婚者の八神さんにそんな事をさせてはいけないと思った僕は瞬時に身を主任の方に近づけ彼女から逃れました。
「ひどいなぁ、ヨウちゃん。あとでしぃ~ちゃんに言いつけてやる」
「何を子供みたいな事を言っているんですか八神さん。それに、僕と詩乃さんは何の関係もありませんからねっ!失礼ですよ、詩乃さんに、まったく・・・」
「すまんな、源君、私の部署は変な者揃いで」
「それは峰野主任の所為ではないんですから、そう言わないでください。でも、皆さん、これからよろしくお願いいたします」
 何故、僕がここへ呼ばれたのか?それは僕の医療器具の使う手際の良さらしいです。僕自身手先が器用だとは思いますが皆様が褒めてくださるほどだとは思いません。肉体的にも精神的にも重労働の術式の多いこの部署は全体から見ても人員が少ない。だから、施設内でこの人と思った方を引き抜こうと志波さんはいつも様子をうかがっています。
 それから、一年、僕は医応研の方々と一緒に何度も献体の方々の身体へメスを通す事になりました。それは僕にとってつらい決断だったのかもしれません。その献体の中には詩乃さんも居たからです。我儘を言って彼女だけは傷つけたくないなどという甘言は出来ないし、僕が担当になって躊躇いで手が震える時も彼女、詩乃さんはその僕の手を取り、微笑みかけ、止める事を許してはくれないからでした。
 週のほとんどを培養槽の中にいなければならない詩乃さん。彼女と会話ができるのは週に一回。どうして、詩乃さんは自身を献体に選んでしまわれたのかと何時も独りの時は悩み続ける。そんな僕の鬱な心を音夢は癒して呉れる様に啼く日々。
 僕が医応研に参加するようになってから医務室には医応研の医師免許を持つ方々が一日交替で入る様になり、僕がその当番で昼休み昼食を摂らないで音夢と木陰の下で休んでいると、
「ここにいらしたのね、太陽君。捜してしまいましたのよ。ネムネム、おなかすいているでしょう?」
「なぁ~」
 それは久しぶりに見る様な気がする詩乃さんの私服姿。大きな手提げを持ち、そよそよと靡く風に飛ばされない様に押さえる頭に乗る帽子。詩乃さんは笑顔を僕に向けていました。彼女はゆっくりと僕の処まで来ると足をくの字に寝かせる様に座りこんで、
「お昼にしましょうね」と当たり前の様に口にしていました。
 詩乃さんは言葉と一緒にいつもと同じ重箱を取り出して僕に差し出してくれました。詩乃さんの体を休ませるための休みの日に僕の為に昼食を作ってきてくれた彼女のその行為は本当に嬉しいものでした。でも、僕の為に、彼女の貴重な休暇を遣わせてしまった事に僕の心が軋み疼いてしまう。
「詩乃さん・・・」
 次の言葉を言い掛けた時に詩乃さんは僕の口に人差し指を当て、
「それ以上言ってはだめですよ、太陽君。詩乃の事を私の事を気に病んでくださって、心配してくださっているのは判ります。でも、これは私が勝手にやっている事ですわ、ですから、太陽君は何も気にしないでください。さっ、食べてくださいな、今日は作り立てですから、普段よりもまともだと思います。少しでも私の事を心配してくださるのなら、これを食べて美味しいって言ってください」
 僕はこの人の言う事には敵わない。詩乃さんが言う事を無碍にはできない。彼女の言う事に従わないなんて罰あたり。そのように思えるほど、詩乃さんの事を僕は好きになっているのにこの気持ちを伝えられない僕がもどかしくてどう仕様もありませんでした。でも、今は詩乃さんがせっかく作ってくださったお昼を食べないと。
「あれ?詩乃さんの分はないのですか?」
「さっきまで作っていたのですもの、その間、摘み食いしてしまいました」
 僕の答えに音夢へご飯を与えながらあどけない笑みをこぼす詩乃さんのその顔は僕の名前が霞んでしまうほど眩しかった。
 重箱を舐めたいと思うほど美味しかった詩乃さんの手料理を食べ終えた僕へ彼女は、
「今日は、音夢ちゃんと一緒に太陽君の処に居させていただきます」
「だっ、だめです。自宅でしっかり休んでください」
 本当は詩乃さんと一緒に居たいくせに僕は強がって、そう言ってしまう。心内で後悔もしました。でも、
「いや、ネムネムタンと一緒に医務室のべっどでごろごろにゃぁ」
「もぉ、勝手にしてください。ぼっ、僕の仕事の邪魔だけはしないでくださいね」
「くすっ、それはどうしましょうかにゃぁ・・・」
 そのような事を口にする詩乃さんを僕は小さく笑いつつ溜息をついてしまいました。
「では、僕はもどりますよ。御馳走になりました」
 詩乃さんへ一緒に行きましょうとは口にせず、彼女へ重箱を渡す代わりに音夢を引き取ると医務室へ歩き始めました。詩乃さんは僕の態度に憤慨もせずに、戻ってきました重箱をかばんに仕舞うと立ち上がり、スカートの裏を軽く払うと、当たり前の様に僕の処へ歩み始めていました。
 医務室へ戻った僕はアダム・アームという研究がどんなものであるかもっと深く理解しようと現段階での資料を読み始める。寝台の上でお昼寝を始めた音夢。それを眺める詩乃さん。そして、何時しか詩乃さんも眠りに入っていました。
 そのような姿を見られてつい微笑んでしまった僕は、自分自身の行為に顔を紅くしてしまう。彼女の体を気遣い毛布を掛けて、また、資料を読み始めました。
 医務室を閉める時間、午後八時。最低一日に二、三人は訪れる医務室。でも、今日は午後になって一人も訪れる事はありませんでした。周囲が僕と詩乃さんの事を気遣っての事だったなどと僕達が知るはずもない。
 医務室を閉めるために詩乃さんを起こそうと、彼女へ歩み寄る。僕の気配に先に起きたのは音夢の方で、鈴を鳴らしながら僕の腕を駆け、肩の辺りに落ちないようにしがみついてきました。
 落ちそうだった音夢を抱え、詩乃さんの処に寄ると、彼女も目を覚ましたようでした。ただ、潤んだ詩乃さんの双眸と起き上がり、急に僕の首に回してきた両腕、彼女との顔の距離が一瞬にして、縮んでいました。戸惑う僕とは正反対に詩乃さんは当たり前の様に僕の唇へ彼女のそれを重ねていました。
 口付という物がどのような行為かはっきりと知らない僕。重なった口唇の間を滑り込むように侵してくる詩乃さんの舌。音夢を抱いているし、彼女を撥ね退ける事も出来ないほど、硬直してしまう僕に詩乃さんの接吻を停められるはずもありませんでした。
 詩乃さんと僕との仲を気遣う様に音夢は僕の腕からしなやかに逃れて行く。
 遠のく詩乃さんの顔、離れる唇と唇。詩乃さんが少しだけ出している舌から延びる唾(つばき)が飾り幕(カーテン)を閉めていなかった窓からのぞく月の光が艶やかに輝かさせていました。僕はそれで彼女の行為が終わったと思いました。でも、確り目を覚ました彼女の瞳は僕を放さない。
 僕はそのまま流されるように詩乃さんに従い何度も、何度も口付を交わす。それから唇以外の肌と肌を触れ合わせ、詩乃さんと一つになる事、一儀に及んでしまいました。まさか、この僕が詩乃さんとそうなるとは全く思っていなかったし、詩乃さんからそのような事を迫ってもらえるなどとは夢にも想像できませんでした。ですが、事実、僕達の房事が終わった頃、寝台の上の敷布が彼女の血で紅く染まっていた事を覆す事は出来ません。
 一度、お互いに頂を見た後、暫らく休んでまた、同じ事を三度以上繰り返す。お互いに疲れ果て、どちらが先に微睡に堕ちてしまったのかは判りません。
 翌日・・・。僕よりも早く、目を覚ます詩乃さんは身支度を整え、まだ眠る僕へ毛布を掛けてくださり、
「太陽君、ありがとう。詩乃を好きになってくださって・・・。でも、太陽君へこのように触れる事が出来るのも最後かもしれませんね」
 彼女は僕にそう囁くと最後の別れを惜しむように軽く僕の唇にそっと彼女のそれを当て、直ぐに離していました。いつの間にか笑みの退いた詩乃さんの顔。僕はそれを見る事違わず。僕は知ってあげる事ができませんでした。どうして、一度きりでも彼女が僕と閨を一緒にしようと思ったのか。
 アダム・アーム研究の献体適合者は詩乃さん一人だけになったと知ったのは詩乃さんが去ったその日。志波さんから聞かせてもらった事。それにより、彼女が培養槽から出されて体を休められる事が出来るのは少なくとも一月に一度、下手をすると半年に一回らしいという事を聞かされました。
 僕は企画自身を止めさせたかった。でも、僕には何も言えない。何故なら、この研究は詩乃さん本人が望んだ事。僕の私情を挟んではいけない。彼女の意志を妨げられる訳ないのです。詩乃さんの事が好きだから・・・。
 僕は僕自身の気持ちを偽り続け、医応研の方々と共に生命応用研究部からの依頼を消化していきました。
 まれに培養槽安置室へ同行する僕。目の前に居るのにたった壁一枚向こうに隔てられた詩乃さん。僕は詩乃さんに触れる事ができません。彼女のあの慈愛にあふれた笑顔で僕を見てくれることもありません。彼女のあの手を握りたくとも、手を伸ばしても培養槽の硝子にそれを拒まれてしまう。ただ、保存液に漂う彼女は僕が持てる言葉で表現できないほど美しかった。
 詩乃さんと会話ができるのが一月に一回だったはずの物の予定が伸び半年へ、それがまた更に一年になり、何時、詩乃さんが培養槽から外に出られるのか未定になってしまう。
 彼女の周りの時間だけが年老いて行く。献体が詩乃さん一人になってから、また数年が過ぎた、一九八九年春の終わり。母の具合が悪くなったとのことで華月が日本へ戻って来るように強く願われてしまいました。
 僕は詩乃さんの近くから離れてくはなかった。でも、親の容態が思わしくないのに知らないふりが出来るほど不孝者ではない僕は妹に従い一時帰国という事でシンガポールを離れることを決めたんです。
 しかし、この決断は僕の人生全てに大きな影響を及ぼしてしまうなど飛行機に乗り、窓の外を眺める僕には到底知りえない事でした。
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