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第 弐十六 話 冥府の皇

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 広大な奈落の世界を十二分にする十二の強大な力を持った冥界の王と皇達、その中に蟒蛇は含まれていた。その皇は根柢と呼ばれる大きな都の支配者。そして、その都のほぼ中央にその者が住まう社があるのだ。
 蟒蛇は地上に出た時のように巨大な姿をしてはいない。身なりも大きさも地球上の人と変わらなかった。
 性別は男。外見は評価の価値観にもよるが顔のつくりは若干病的にも見えるが美男子系。細身のやや長身で姿格好から見ればとても強そうには見えないし、本当に冥界十二強の一人かと疑ってしまうような感じだ。
 だが、根底に住まうもの二千万近い民が彼を皇と崇め、畏怖しているのは事実だった。
 その神は今、社内の巨大神殿で小さな蛇に似たような生き物を使いながら武と経司の肉体と其れに宿る四つの魂を甚振る事に興じていた。
「汝等、どうだ?身も魂もその自由を奪われ、死ぬ事すら許されぬ痛み苦しみ続ける時の流れは。其れを我は現世の世界で三千年も味わったのだぞ。この常世の世界は現世の刹那の一刻みが数年にも感じる所。この奈落で九十億年以上もの生と死の境の苦しみを味わい、それ以後は闘い休まる時が無い流れに乗って吾はこの世界の皇と呼ばれるほどになったのだ。この根柢に君臨する事、百数十億万年・・・、そして遂に吾が生まれた現世の地上に還れるはずであったのに・・・吾は吾が生まれた国を取り戻しそこで摂理のままに住まう事を願いしただけであったのに汝等、天上人の復讐など考えていなかった・・・・・・・・・・・・・・・、汝等よ、汝等二人は再び、吾が地の陽を浴びる機会が到来するまで永劫にそのままにしてくれよう。フンッ、次は現世の時で九千年後かそれとも万年、億年後か・・・、それまでそうしているが良い。吾がまた地の陽を見るまでな・・・」
 武と経司は枷樹かせきという大樹に苦忌くいと呼ばれる鉱物で作られた杭を無数に打たれ状態で張り付けにされていた。その杭は蟒蛇の神力が込められていて彼の意志が消えない限り外れる事はない。
 その二人の人間の両目は抉られ耳、鼻、唇は削がれ、体の至る所の表皮とその下の組織が毟り取られ骨が剥き出しになっている。しかし、静脈動脈と共に大きな血管は一切傷付けられていない。その赤と青の管が良く目に見える。そして、更に表皮が残っている部分の体の色は青紫に晴れ上がりこぶが多くで来ていた。
 腐食した部分には蛆が湧き其れ等が腐肉を食らう。身体の多くの場所には罪刃ざいばという雌と雄の赤と青の蛇に似た生き物が絡み付き牙を立てる。雄からでる毒は肉体を溶かし雌の牙から出るのは毒ではなく治癒液。死なない程度に限界まで痛めつけ、そして其れを癒し再び、傷付ける。その繰り返しがその二人にずっと続けられていた。
 口から声を出して話す事も神気を使って心で会話する事も出来ない状態にさせられていた。それゆえに蟒蛇の声が聞えていたとしても其れに答えられる訳が無い。
死に近い痛みを与えられ続け、何一つ抵抗する手段すら与えられていない彼等。真っ当な人間の精神の持ち主ならその残虐さ見るに堪えかねない姿を、しばらくその状況を静かに見守り、手に持つ瓶のような物に入った何かを飲んでいた。其れがほんの少しだけ、蟒蛇の唇から零れ落ちる。色は透明無色でその液体は仄かに煌きを見せていた。
 八州神乃邑智が再度、その二人を見て鼻で笑いこの場所を後にしようとした時の事だ。
「・・・、武さん?・・・、許さないです。ただ武さん達を連れ戻しに来ただけでしたが赦さないです。赦す訳にはいきませんっ八州神乃邑智、その魂、無限の時を苦しみ続けなさいっ」
 蟒蛇の前に姿を見せたその人物は連れ戻しに来た二人の姿の惨たらしさを目の当たりにして怒りの頂点に達していた。
 詠華が口にした言葉の中に武が彼女の所有で在るような事が含まれていたが、彼女が放つ壮烈な威神に美姫も、詠華も那波すらも反論の口を挟む事が出来なかった。
 そして、この時に初めてずっと手に持っていた刀身の無い柄の先から神々しく光り眩く刃が姿を見せていた。そう、初めに蟒蛇に言葉をかけたのは天照大神である伊勢野詠華だった。そして、彼女の手にする剣の名は伊都尾羽張、天津の皇家の血筋の者だけが手にすることの出来る神剣。
 詠華は今まで見せた事の無いような熾烈絶大な神気を放っていた。その凄まじさは高天原に還ってしまった素盞鳴尊など遠く及ばず比では無い程に。将に天国津の総てを統べる者に相応しい資質を魅せつけていた。
 彼女の乙女心が愛する者の凄惨な姿を見せられた時、彼女等と共に戦ってくれた武の親友の非情な姿を瞳に映した時に、母性本能の裏にある詠華の持つ隠された闘争本能が爆発したのだ。ここまで辿り着いた一同みな詠華のその神気の計り知れない強さに驚きの表情を隠せないようだった。
 七色の無限と思われる気魄を具現化させた波の様な放ち、勇ましさ、雄々しさと神々しさを雰囲気にめい一杯押し出させた詠華。
 鋭い眼光を、蟒蛇を串刺しにするように向けていた。そして、その彼は僅かに嘲笑を浮かべ、憤怒の表情で、
「このような所まで天上人の魂を宿す二人の現世人の男を取り戻すためにこの奈落の奥底まで来ようとはまったく持って愚かなり。愚者な女よ、愚挙な天上の皇の娘よ。大愚な汝等よっ!ここでの吾の力!現世地上と同じ物だと思うな!汝等などその魂すら存在する価値など無い虚空の彼方に消え行け。ぬワァヲォオオオーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ」
 蟒蛇は咆哮を轟かせその人と同じ大きさの内に眠る奈落の中で皇と呼ばれ恐れ、崇められた力を引き出し始め、更にその叫びが合図と成り彼の前に多くの下僕が姿を見せた。
 これこそが八州神乃邑智との本当の、真の、最終決戦に成り得るであろう。
 この場所に来るまで詠華達一行は奈落の住人の多くを従え姿を見せていた。それらは彼女等の行動に惹かれ寄って来た連中。さらに偶然にも奈落に封印されていた隠忍族の集団とも遭遇し仲間に加えていた。この世界に落とされたその隠忍族の子孫たちは温羅王の思っていた通り天津の事を恨んでいる様子ではなかった。逆にこちらの世界の方が性に合っていると言う者もいる始末。
 現世界に出たいという者の許可をする事により蟒蛇から武達を救う協力の約束を得ていた。
「皆様、これが最後の本当に最後の戦いとなるでしょう。どうか私に皆様のお力を貸してください。そして、消して命を落とさないでください・・・・・・、蟒蛇、八州神乃邑智!覚悟なさい」
「目も当てられません。この様な事、詠華さんでなくともお怒りして当然です。わたくしは詠華さんのためにお供してまいりましたけど・・・、気が変わりました。蟒蛇さん、貴方は後に高天原も脅かす存在になるやも知れません。討たせて頂きます」
「武、経司チャッキットすぐに終わらっせっからよっ!もう少し我慢しててくれ。行くぞ、児屋根」
〈分かっていますよ。武甕槌様、経津主様、それに経司様も武様も今しばらくのご辛抱です。必ずその枷、僕がお外しして差し上げます〉
「なんって酷い事すんの蟒蛇!こんな事平気できるなんって絶対に赦さないから!」
「僕の大事な友達、経司君と義妹になるかもしれない武君をこんな事してくれて、キミが死んだくらいじゃ済まさないよ!」
「勇輔お兄様、武さんを勝手に女の子にしないでください・・・・・・、武さん、経司さん助けに参りました。直ぐ楽にして差し上げます。其れまでお待ちください」
「せっかく目を治してタケちゃんとケイちゃんを見たのにこんな姿なんってあんまりよっ!こんな事してくれちゃってオッチぃーーーッ!きついお仕置きしてあげちゃうからね。泣いて謝っても、もう駄目なんだからっ!」
「私の大事な弟と経君にこんな事したその罪の罰その身を持ってしていただきます」
「貴方の様な者が日本の国の太祖などとは到底思えません。私達は涙などけして見せませんがこんなに凄惨なその子たちの姿を見せられたら血の涙が出てしまいそうです。その様な事をする貴方を生かしておくわけには行きませんね。私の鬼力が尽きましても必ずその魂ごと無にして差し上げましょう。紘治さん、愛美さん、それに奈落で生き続けてきた私と同族の皆さん、その力を私にお貸しくださいっ!」
「温羅王の命令だ、テメえら絶対聞けよっ!そしてこれが終わったら酒の宴だっそこで張り付けになっている小僧、たっぷり美味い酒飲ませてやっからしばらく待ってな」
「駄目ですよ、紘治さん。鹿嶋君も香取君もまだ未成年なのですよ。お酒は駄目です」
「酒の祝いか駄作だが大量に作ってしまった杯と銚子が在るそれをつかうとするか・・・」
「どれ程、息巻こうと奈落の地で汝等の勝ちは無い。後悔を知る前に魂の炎を消してくれよう」
 八州神乃邑智は言葉と共に詠華に戦いを挑み始め、それに続くように彼の下僕も動き始めた。そして、両陣営がぶつかり合う戦争ともいうべき闘いが始まった。果たしてこの戦いの勝敗はどのようにして決まるのだろうか?奈落の世界の十二皇王の一神と言われる蟒蛇がその強さで現世界から下りてきた者達を消し去るのか?それとも本領を発揮した詠華率いる大地たちがその望みどおり武と経司を連れて現世界に生還することが出来るのだろうか?それは・・・、変わることの無い決まりきった未来。

 八州神乃邑智側と天国津側の激闘は広大無辺とも思わせる奈落の世界を震撼させていた。その激しい争いの気配を感じ取ったその地に住む冥界の皇王達が興味本位、色々な思惑で静観しはじめた。
 武達を助けるべく、この奈落へ落ちてきた詠華達は一刻も早く、蟒蛇を倒して彼等を救い、この世界から立ち退こうと考えていたようだが、天国津側も、八州神乃邑智側もお互いに多くの軍勢を従え、力が強大で且つ、現実とは思えぬ再生、治癒能力によって全く持って決着が付かず戦いの終焉は見えそうも無かった。拮抗状態が永遠に続くかとも思えた。
 詠華は治癒の御光を仲間に照らし続けながら、伊都尾羽張を手に襲い来る蟒蛇の手下を伏せさせ、彼に何度も斬り挑んでいた。この戦いの後の武との再会に詠華に傷一つ、あってはならぬ様にとそんな思いで彼女の傍に付き従い、彼女の剣となり、盾となる平潟三保。今まで戦いの中で本来の力を見せていなかった彼女もこの時だけは本気でその力を惜しみなく引き出し、闘ったのだ。
「平潟さん、無理をなさらないでください」
「その様な訳には参りません。この戦い後、詠華さんが、武さんと再会された時に武さんが傷付いた貴女の姿を拝見しまして、心をお痛めしませように、その所為で詠華さんが・・・、あはぁぁああっ、詠華さんには塵一つ着けさせませんわっ!」
 三保は気合の一刀で、詠華を殴ろうとしていた複数の敵を斬りおおせていた。
「傷付いた姿の私・・・、その様な姿を武さんが見ましたら・・・、屹度、平潟さんがお言いになった事とは違います感情を見せてくださいます気が・・・、ウフフッ」と微笑む、詠華が思った事とは一体なんであるのか理解した三保は眉を顰め、呆れ、難しそうな表情を作ったまま繰る返してやってくる敵を駆逐したのだった。
 詠華はあらゆる敵の攻撃を跳ね除け、邑智に近付いては伊都尾羽張で彼に斬りかかっていた。人間として全く剣術などど素人だと思われていた彼女の剣技は那波が妬むほどに優れていたようだ。更に驚くべき事は照神も伊都尾羽張に似た天乃尾羽張あまのおはばりという剣を手に妹の動きを鏡面対照にして倣い戦っていたのだ。
 その様な、詠華と照神、二人の対称同時攻撃も冥界十二皇王と呼ばれる程までに登り詰めた邑智を容易く、倒せるまでには至っていない。邑智は蛇矛、天魔逆鉾あまのまさかほこと言うその武器で、伊勢野姉妹の多段斬撃を受け流し、流動のままに叩き返していた。
「もおおっ、いい加減にしてっ!オロチちゃんと遊んでる暇は無いの。早く、タケちゃんたちを連れて地上に帰らなくちゃならないのにっ!」
「云ってくれるな、汝等などとこの様な戦いなどしている暇など無いのは吾も同じ。さっさと吾に降って、消え逝き滅となれっ!」
 勝敗の見えない戦いに苛立つ、照神の言葉に嘲笑し、憎らしげに言葉を返す邑智。
 二人と一人の激闘する武器が気の遠くなるほどに長らく時を刻み続けていた。
 天之御影の神を降ろし、その力を借りて戦う大地は闘うだけでなく、仲間を身体能力上昇と、守護する祝詞を謳いながら、一人三役をこなしていた。二人の親友を助ける為にどんなに辛くとも、根を上げず頑張り続ける彼。
「くそっ、幾ら叩いても切りがねぇ。こいつ等本当に、生きモンなのか?ぼこぼこ、後から、後から沸いてきやがって。いい加減にしやがれってぇのぉっ」
〈大地様、矢張り、蟒蛇をどうにかしませんと、この者等の活動は留まる事は無いと想います。ですか〉
「ああっ、分かってるよ。だがよ、そうしてぇのはやまやまなだけど。やっぱっ、アイツ、つえぇよ。何か策を考えねぇと・・・」
 大地は攻撃の手を止めると、仲間の為に祝詞を謳い続けながら、この戦いに終止符を打つための算段を練り始めたのだ。だが、解決策はそう易々と見える訳でもなく、時間が無駄に過ぎてゆく。
 二つの軍勢が根底で戦争を始め、幾許の時が流れて過ぎ去ったのであろうか?奈落の不定期な朝と夜を記憶に留める事も億劫なほど繰り返した今でも両者は互いを殲滅させる様な勢いで潰しあっていても、果ては見えそうに無い。
 悠遠とも思えてしまうくらいの時が流れ、それはあたかも一つの文明が誕生して、その生涯を全うしたくらいの歳月と同じ位だったのかもしれない。
「エイちゃん、これじゃ、全然埒が明かないよ」
「ええぇ、くそっ。もう、こうなったらやけだっ!児屋根っ、あれをやるしかねぇな」
〈祝詞ではないあの力、この奈落でどれ程の威力が具現化されますか検討付きませんが・・・、試してみるしかないでしょう・・・〉
「わたくし、詠華も・・・。ショウちゃん。平潟マネージャーさん、それと那波さんも、ヒメちゃんも、沙由里さんも、愛美さんも私の所へ集ってください、試したい事があるのです。ですから、お願いいたします」
「え?ハナちゃん何をしようと言うのですか?」
「詠華先輩なに、なに?何をしようって言うの?」
「私、那波が力添えできることなのですか?」
「隠忍族のアタシが協力できる事なんですか?」
「わたくしは、何時でしたって詠華さんのためでしたら、なんでもしますわ」
「やっぱり、そうこなくちゃ、エイちゃん」
 詠華の声で呼ばれて集まったその六人に今から、何を遣ろうと言うのか口で語らずして、心で通わせていた。
「伊勢野妹もオレとおんなじ考えのようだな。勇輔、清志狼、鬼の王様のアンタとその御付力を貸せや」
「僕達ならきっと成功できるよ」
「ふん、何をしようと言うのか知らんが、その賭け乗らせてもらおう」
「私達がご協力できる事なら・・・、そして、早くこの戦いに終焉を・・・」
「ここが、勝負どころってヤツか?さっさと片付けて酒盛りおっぱじめようぜ」と大地に呼ばれた四人はそれぞれの思いを胸に、彼の処へと飛翔した。
 宙に浮遊している詠華を中心にして、照神、愛美、三保、美姫、沙由里、那波、彼女等が時刻を示す零、弐、肆、陸、捌、拾時の位置に円を描くように並び、その対極面に大地を頂点に賢治、清志狼、紘治、勇輔が参、伍、漆、玖時の場所に就いた。
 上空から、邑智を見下ろすその十二人。そして、彼女等、彼等が何を企て様としているのかを知悉した冥府皇王の一人は空を見上げ、嗤笑ししょう冷笑れいしょうし、
「愚かなり、ここを何処ぞとおもうてか。汝等のその業など意味なきこと。だが、吾も二度は使うまいと封印していたあの力を解放し、汝らをその愚挙と共に消し去ってくれる。吾の元に参ぜよ、八星」
 邑智のその声に彼の周りに今まで闘っていた彼の軍勢の中で比類なき力を見せていた八体の戦士が集い、邑智が中心となり、その八体が八卦の位置に座した。
 陣の要となった詠華、大地、邑智は千万無量の力を放つ為の祝詞詠唱を始めた。
 彼等が解き放とうとする力の本流を地肌で感じ取った多くの者は闘う事をやめ、その地から逃れようと後退を始めていた。
「混沌より生まれいずるは造化の参神。初源に出は天之御中主、次参ずるは高皇産霊、神産巣日、超絶の元に命魂降りて、宙駆ける器に宿る」と詠華が謳うと彼女の周りにいる照神たちも其れを復唱していた。
「漆黒の闇に恒しく晄り生まれしとき、天之常立尊、宇摩志阿斯訶備比古遅伴いて、その晄称え、命芽吹かし」と大地が印を組んで詞を謡えば、勇輔達もまた其れを唱和した。
 大地や詠華達が祝詞を歌い始めたのと同じくして、邑智もまた彼の知る自然法則の極限体系を具現がさせる為に其れを操る儀式を始めたのだ。
羅睺らごうの支配し、明闇四々めいあんしし、天の乾き地をひがたし、いかずち震えば、風がく。水、おちいれば、火は離れ散る。山にをおろし、沢雨は枯れたあなを癒す」と唱えれば、其れに従うように八体の戦士も厳かに言葉を追従した。
 それから、無念無想で三組の気が遠くなる程、長い長い詠唱のような行動は続き、その周囲一体から彼ら以外、今まで闘いを続けていた他の者達は誰も居なくなっていた。
「天之御中主を称えし、神産巣日、高皇産霊天より出は天神七代、後に生まれし偶生四代、角杙、息吹く雫を芽ぐみ、活杙、命育ます。意富斗能地、時を流し、大斗乃弁、大地を肥沃す。淤母陀琉、風月を奏で、阿夜詞志古泥は花鳥木石を放す。末期の伊弉諾、伊弉冉は智を降ろす。八つの万象、生の理を律す」
 完璧、疑い無いほどに愛美、詠華、照神、那波、美姫、三保の歌声が同調し、表現する事が烏滸がましく感じるが如き美声が近隣一体に、逃走した者達の耳まで響いていた。その様な歌が謡い終わった時に開放される力が一体どの様な物なのか誰にも想像できないだろう、その様な麗しき和声だった。
 其れに対して、大地達の歌声の韻律は人、生物の昂揚を高める様な感じで、
「双柱、天外弐尊に付き従いし、天の精霊を寄せ集め、固め、形作らせし豊雲野神。地の精霊を立たせ、形作らせしは宇比地邇の尊。須比智邇、天と地より生まれし、其れ等完遂す。其れ、即ち独化三代、虚空より宙天を呼び覚まし、万物造化、生の礎を敷く事成り」と唱にして読み上げた。力強さを感じるが、今は其れが一体如何程か知る由も無く、邑智、以下も粛々と儀式を執り行っていた。
「天乾不動、大いなる励みと僥倖を、沢兌地藏、揺ぎ無き住処を、火離八幡、あらゆる災いを滾らし、雷震虚空、内親の凶と外親に頼を、風巽普賢はすべてに公平を、水坎勢至、貞心に有れば順調を、山艮文殊、礼を重んじれば災消にし、地坤千手、春夏秋冬諸々願う望みを齎す。大日羅睺の怒りは天地風雷火水山沢、全てにおよぶ」
 詠華・大地側と邑智側の引き出そうとする何らかの理力により、広漠な地平と浩々たる天際が振動し始め、その揺るぎの強さは刻々と上昇し、その力の伝導は漫々と広がっていた。時間の流れと共に震えを増させる空間、周囲一体のその震えが共鳴し、その力の波が壊滅的な被害を生み出そうとしていた。だが、彼等彼女等は歌う事も、儀式を止める事は無い。唯、只管、その行為を続け、完結させる事に努力をしていた。
 通常概念外の永き詠唱、その終わりは未だ見えず、久遠に終焉が訪れないのではと想像してしまうくらいだった。だが、しかし、
「宇宙万物、生成発展盛衰消長。吾、知る全ての理を統べる力を今ここにっ!」と最初に儀式を成就させ様としたのは八州神乃邑智だった。彼は両腕を天に仰ぐと其れと同じくらいに、
「時のさだめに我等が喪いし大いなる母星ははぼし、其れ散る時、我等知るは判然明良たる理すべて」と詠華、他六人が上空に祈りを捧げ、更に続くように、
「濫立たる事象を統べしは時空の定め」と腕を挙げ、天を指差す大地達。
 そして、三様同時に、
森羅万象しんらばんしょう天地てんち開闢かいびゃく
 詠華を中心とした照神、美姫、那波、三保、愛美、沙由里に、詠華から目が眩むほどの洸が広がり、彼女達を一人一人包むと、照神と美姫の左右から光の帯が伸び、その光帯は他の四人からも生み出されお互いを繫ぐ様に閃光を空間に走らせた。伸びた輝きの軌跡は互いに絡まり、一つの大円を形成、更に照神、三保、沙由里を、美姫、愛美、那波を結ぶ光跡が導かれ、
宙天ちゅうてん三才さんさい混沌こんとん濫觴らんしょう」と大地達が言葉を続ければ、これもまた詠華達と同じ様に彼等から光帯がお互いを繫ぐ様に空を奔り、円陣を描く。更に大地から別の光の線が清志狼へと駆け抜け、清志狼から、勇輔、勇輔から賢治、賢治から紘治へ、そして、又、大地の場所へその閃光は戻って行く。
 空に浮かぶ、巨大な円方陣。其れを見上げた、邑智は急ぎ早と、
天魔てんま塑性縮退嗷訴そせいしゅくたいごうそ」と儀式を括る。
 儀式を終えた邑智以下、八闘士から紅、橙、黄、翠、蒼、藍、紫、白色の光柱が上空を突き刺す様に飛翔し、邑智本人からは其れ等の光りを飲み込んでしまうのではと思えし、暗黒色の巨大な闇光の柱を登らせた。九本の光りの柱は無限に広がる空を飛び、何時しか、螺旋を描き一つになっていった。
「皆様っ、大地さん、よろしいですね?」
「おおよっ、こっちは何時でもいいぜ」
「ではっ・・・、天国津のすべての精霊となりし、神々よ今ここに宇宙の始まりの力をっ!神威」
「万物の全てを極めし、精神となった天国津っ!今ここに新たな世界の息吹を維神っ」
 詠華達が宙の画板に描いた立体方陣、六芒が輝きと大地達の五芒の煌きが一つになり、緩やかに二つの星は逆転する方向へと輪転していった。
「汝ら等に万象の理など、極められるはずも無かろう。これこそが、その力よっ!九曜咆哮、この者等に自然の怒りをっ!滅忌怒」と邑智が豪語すれば、天地共鳴がいっそう酷くなってゆく。
 そして、今ここに両者が具現化させようとした想像も絶する途轍も無い膨大な二つの力場が発生し始め、ぶつかり合い、その場にある物、者、全てを飲み込もうとした。
 詠華達が体現化させた力は正に宇宙開闢射せるほどの超力場が黒体放射を生み出し、邑智が開放させた理は宇宙の終焉を迎えると言う銀河収縮力だった。
 二つの相対的な力場が均衡であればそれ等は相殺しあい何事も無かったように消え行くであろう。だが、今、両者の力が平衡を保たない様に両陣営は精神的な力を付加して、相手を打ち倒そうと試みていた。果たして、力の天秤はどちらに傾くのだろうか?
 詠華達はその力で邑智を消し去り、晴れて武と経司を救い出す事が出来るのだろうか?それとも邑智が言う理の方が正しく、天国津らを統べて滅し、再び、現世界に君臨する事になるのだろうか?
 悠久の大地、悠遠の空、永世の時だけが、その結末を知るのであろう・・・、判り切っている答えではあるのだろうが・・・。
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