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第 陸 話 非日常と日常の境界
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壱 わだかまり
たまには武以外の者の一日を追ってみよう。
まず初めに武の親友であり幼馴染みの香取経司。普段、学校などの公共の場では冷静さを装い、友達等と接している経司。
だが、今日の彼の朝は荒れていた。理由は彼の父親、政人との口論、そして家族関係。
「うるさいっ!何度言われても絶対に病院なんて継がないからな。俺にだって進みたい道があるんだ。絶対嫌だ」
「お前がなんと言おうと絶対にお前に医者の道を歩んでもらう。私の息子である以上進む道を選ぶ権利はお前にはない」
何時の世も、親が子の進む道を強要しようとする家庭は無くならず、特に跡継ぎを必要とする家系なら尚更で、どれ程の年月が経とうともその様親子関係は有り続けるのだろう・・・。
経司は鋭い視線と凄んだ表情で父親、政人を見返すと本心を偽ること無く曝け出していた。
「何で次男の俺が・・・、何故、誠一兄さんじゃなく、俺なんだ!」
「あの男は既に勘当している。あのものが何しようと私には関係ない。それに私はお前に医師としての素質を見出しているのだよ」
「何を根拠に勝手な事を ・・・」
経司の家は地元でも有名な名医が揃う総合病院を経営していた。評判も高く地域住民でその病院に通っている者達の親類に及ぶ誰もが今後もその病院の存続を願っていた。だが、彼の兄はその病院を継ぐのが嫌である程度の収入を得られるようになると家を飛び出してしまっていた。
経司の父親は息子に病院を継いでもらうことを強く望んでいたがその内の一人が飛び出してしまい次男である経司にそれを強要しているのだ。
「経司さん、政人さんの気持ちも分かってあげてください」
「貴女は余計な口出しをしないでください。それとその母親面するのもやめろ。絶対認めない・・・、認めないぞ、認めるもんかっ、俺は」
「お兄ちゃん・・・、どうしてそんなこと言うの?麻緒はそんなの嫌だよ」
「黙れッ!誰が兄だって?そんなのになったつもりはない」
彼のその言葉に七歳も年下で腹違いの妹は涙を浮かべ今にも泣きそうな表情を浮かべる。
「経司、私の事を非難するのはかまわない。だが、亜由美や麻緒にあたるのはやめなさい」
何も言葉にする事も無く、一瞥を父親に向けてから経司は家を飛び出した。
彼の父が再婚してもう十年の日が経とうとしている。その長い年月が息子と父親、義理の母、その間に生まれた子供の間に大きな溝を作ってしまっていた。
経司が彼等を嫌う理由、それは政人の再婚の早さに由来していた。彼の母親である恭子が亡くなって一週間も経たないうちに政人は亜由美と結婚して翌年には二人の子供、麻緒を儲けていた。
当時まだ小学校低学年、自分の母親の恋しい年頃の経司には父親のその行動が信じられなかった。亜由美の人柄はとても良く、優しい人だったし、経司の母親とも親友の間柄で、彼が産まれた頃からずっと彼の成長を見守ってきた人物でも有る。
その人柄の良さと経司の事をよく知っている事が逆に彼にとっては仇となり大きなトラウマを生んでしまう。そして、それは彼の兄も同様な事で高校を卒業すると直ぐに家を飛び出し、去年完全に家との縁を絶ち、余り交流がなくなってしまっている海外、ヨーロッパ方面に行ってしまった。
経司も家を飛び出したい気持ちになっている。しかし、学費や生活費等を自分で出せない今はどうする事も出来ない。もし、独りで生きて行く事を選んでしまえば、武達との交流も難しくなってしまうだろうとも考えており、自立をまだ早いと思っていた。だが、その苛立ちが日に日に募る事は避けられない。それに今は化け物どもが徘徊する世の中、非常事態。それらから人を護るべく夜な夜な戦っているというのに政人が経司に〝病院を継げ〟などと言うから今日はその苛立ちが爆発してしまったようだった。
* * *
経司は財布の中身を確認し、通り道のコンビニエンス〝デイズ・オン〟の中に入って行く。
弁当棚を少し覗くと直ぐに買うものを決め、店内を少し回ってからレジに向かい支払いをした。買ったものは飲み物と昼食・・・、それと朝食。彼はここ七年間、義理の母が作った料理を一切口にしていなかった。経司の義母へのわだかまりは相当なものだった。
経司は歩きながら朝食を摂る。そんな彼に宿る天津神が語りかけてきた。
〈私が口にするのもなんだが経司殿、今日のお主のあの言動、言い過ぎではないのか?今の私は経司殿と思考や心の内、総てを共有している。経司殿の気持ちを判らないではなくないのだが〉
「だったら余計な事を言うな・・・・・・、なにか経津主、お前は俺に降りてきた事を後悔しているのか?」
〈それはない。経司殿は私の正当な意志の後継者である事は間違いないのだ。だが、今の戦いが終わればお主は再び普通の生活の中に身を委ねる事になる。私は私なりに心配しているのだ、経司殿の事を〉
「ハハッ、神様が一個人の事を心配するとは甚だ可笑しい事だな」
〈笑い事ではない。私がこのようにして現世に下り、力を揮えるのも経司殿の存在が有ってこそ。主の心配をする事が可笑しい事なのだろうか?それに感情の起伏は戦う力に影響を及ぼす。戦いのとき力を出し切れず経司殿に何かあっては〉
「今のお前等天津神は人に降りてその肉体を借りなければ力を振るう事が出来ない。降りれる人間も限定されている。その人間に死なれては困るものな、任務遂行のためには。だから心配なんだろう。所詮は神、人間なんて利用するだけの存在」
〈経司殿、それは違う。私は本当にお主を心配して言っているのだ〉
その天津神の言葉に経司は答えを返さず、暫く歩き続ける。
もう少しで武達と会う交差点の角に差しかかろうとした時に、
「経津主、さっきは済まなかった。俺の事を心配して言ってくれた言葉なのにあんな酷いことを言ってしまった」
〈わかってくれれば私はそれでいい。心の起伏、それは誰にでもあることそれは私達、天津とて同じ。だが、それのせいで判断を見誤ってもらっては困るぞ〉
「ああ、承知している」
そう答えてから経司は腕時計で時間を確かめた。八時四分、武と美姫がそこに到着する一分前。
「うっす、おはよう経司?・・・・・・・、何だ、朝から不機嫌そうな顔して」
「何を言う俺はいたって普通だ」
「嘘を言うな。何年お前と一緒にいると思ってんだ?ハァ~~~、原因はまた政人おじさんのことか?しかも亜由美おばさんまで巻き込んでいるだろう?」
「何を理由にそんな事を言うんだ」
「ばぁ~~~かっ、お前が眉間に皺寄せる時は大抵その事があった日だけだ。お前がそんなにツンツンしていたら麻緒ちゃんがかわいそうだろ?」
そう経司は今しがた武が口にした様な表情を作ったままだった。
「武、お前には関係ないことだろ。少しは分別わきまえろ」
「お前な、親がせっかく居るんだから少しはうまくやっていけよ」
幼馴染みのその言葉に経司は武の両親の事を思い出した。そして、己の行動に少なからず恥を感じる。
「悪い。・・・、両親の居ないお前に比べれば俺の境遇なんて・・・・・・・」
「なに言ってやがる。俺の内にある両親の記憶なんてたかが知れている。でも、俺は恭子おばさんのコトはよく覚えている。経司の気持ち分からなくないんだ。だけどさ、亜由美おばさんに当たるのは筋違いだろ?優しい良い人で、ガキの頃から俺達世話になっているのに・・・それにギクシャクした環境で育ってきた麻緒ちゃんのことを考えてやれよ」
「ああわかっているよ・・・、だが、お前に説教されるようじゃ、世も末だな」
「人がまじめに言ってんのに・・・、どうせオレには似合わねえよっ!・・・・・・、だけど、今日は美姫姉ちゃん、一緒じゃなくて良かった。姉ちゃん、経司のそのコト知らないから知ったら絶対ショック受けるぜ」
「武・・・、絶対美姫さんには言わないでくれ、頼む」
「みなまで言うな、俺だって姉ちゃんが悲しむ顔何って見たくない。だけど、親友としてお願いが一つ。俺が何言いたいか分かるよな」
「・・・・・・、ああ」
武の言うように美姫はその事を知ってはいない。亡くなっている実母の恭子、義母の亜由美そして麻緒、それらと親しかった美姫にとって経司のその事実を知ればとても嘆くであろう事は武には分かっていた。
その事を知っているのは武だけでそれが噂になって街の中を一人歩きする事もないから今まで美姫の耳にそれが入る事もなかった。
「さあ、時化た話はおしまい、こんな所で突っ立っていないで学校行こうぜ」
「そうだな、遅刻はしたくない急ごう。・・・・・・、そうだ美姫さんは?」
「今週から週番でいつもより早く出て行ったぜ」
それから取り留めない話しをしながら二人は学校へと向かって行く。
授業中の経司はまじめに映像白板の文字を写している。彼の凄い所は大抵の事なら書きながら正確に記憶しているという事。どちらかと言うと文系方、理数の方は得意ではないが計算問題などは驚異的な記憶力で授業中やった問題がテストに出ればほぼ完璧に答えを書き出す事が可能。だがしかし、少しでもひねった問題が出ればお手上げ状態。
教師が映像白板に文字を書くのをやめ説明し始めると経司はE‐ペンを持ったまま教師に気付かれないように軽く下を向き、今の授業とはまったく関係ない物を読み出した。それは古代史の文献。
今朝、父親に言った彼の進みたい道。それは超古代考学と言う物で高度に発達した現代の科学でも解明出来ない古代の技術の謎を追い求めそれを再現するという分野。
今彼が読んでいる文献は学校の図書室から借りたテオティワカン遺跡の謎に迫るという物だった。経司はそれを真剣に読み始める。そして『カシーッ、カシッ』と言う電子ペンが映像白板をなぞる音が聞えると顔を上げ、手を動かし再びE‐ノートに映像白板のそれを写し始める。それが大抵の授業時間の彼の行動だった。
*1・2ディジタル・ツールの一種。書き留める事だけに特化した超薄型電子端末の事。B5サイズで紙一枚の厚さで其の何万倍もの枚数が記入できる。其れ一つで授業総ての記録を写す事が可能で多機能。
昼休みが訪れる。その時間の多くは武、そして大地達と過ごしていた。誰もいない窓際の席の方で机を向かい合わせてそこに座る武と経司。
「毎日毎日コンビに弁当ばっかで大丈夫かよ、お前?ほら、姉ちゃんが作ったこの弁当と交換してやるよ」
「長い付き合いだからってそこまでして貰わなくても結構だ。その気持ちだけで十分」
「あっそう、経司がそう言うんだったら別にそんならそれで良いんけどぉ~~~」
「うっ・・・、交換してくれ」
「初めから素直にそうしろってんだ」
「それでは美姫さんが作った弁当あり難く戴かせて貰うな」
「おうよ・・・、あっとそれより大地の奴どうした?まだ売店から戻ってきてないようだけど?」
「さっき、牧岡は『今日は久々に学食に行く』って」
「あっそう、んじゃあいつのことは気にせず食べようか」
最近の二人の話題といえば彼等の夜の行動や天津神についてだった。彼等の会話には武甕槌や経津主も割って入ってくることが多い。そして話の内容が濃いため昼休みの時間が短いように感じてしまう経司だった。
午後の授業を終えると経司は週で決められた場所の掃除に向かうそしてそれを終えると部活へと向かった。そこへいく途中、練習場が同じところにある美姫に出会う。
「あっ、経君、貴方も今から部活に向かうところ?」
「美姫さん、はいそうです。今年は受験生なのに部活に出ていても大丈夫なんですか?」
「ウフフフッ、もしかして経君。私の事を心配してくれたりしている」
「美姫さん、学校の成績いいの知っています。だが万が一と言う事もあるから」
「有難う、経君」
嬉しそうな顔を彼女が経司に向けると彼は微妙な程度に表情を紅くした。
武道場につくと彼は直ぐに着替え部員を確認する。そして全員そろった所で仕来りどおりの挨拶をし、準備運動を始めた。
春の大会で三年の先輩が全員やめてから経司が部長に就任していた。
男女合計三十五名居る部員を女子部長と一緒にまとめながら練習を進めていた。
夏場は陽が長い、それと比例するように練習時間も長くなっていた。
夕方でも温度の下がる事のない武道場、滴る汗をぬぐいながら練習時間最後の締めの男女混合一本勝負の勝ち抜き試合が始まった。
幾ら強くても勝ち続けるには体力の必要な持久戦。そして、その戦いは男女の部長同士から始まった。経司に負けず、劣らずの兵、全国区の女子が相手。
そう簡単に勝たせてもらえる相手ではなかったはず。しかし、勝負は一瞬でついた。相手の上段構えの面打ちを小さな動作でかわし経司の見事な抜き胴が彼女に決まったのだ。
それからというもの彼は負け知らず次々と同輩後輩を倒して行く。その凄まじき強さに部員は面の中で驚きの表情を作っていた。
経司は勝ち続け三十四人目、ついに最後の部員と対決するまでに至った。相手は同輩、実力は互角、体力を消耗しきっている経司にとって勝利するには至難の相手。
周囲の暑さ、動く事によって上昇した体温、経司の面の中はむせ返るほど暑く、滝の流れのような汗を掻いていた。その汗が両目に入り視界が揺らぎ、少し痛みを感じていた。手でそれを拭う事の出来ない彼のとった行動は瞼を閉じたまま相手と戦う事、心眼であった。そしてその結果は?
「すっげーーーっすよ先輩、マジで全員抜き?」
「僕の負け?香取、この夏場、何でそんなに体力もつんだ?可笑しいって。グウォーーー、悔しすぎる」
「今日こそは香取君に勝とうって思ってたのに私負けちゃったよ」
後輩は経司を尊敬するような声を上げ、最後に戦った斉藤と女子の部長の藤堂がそれぞれ彼にそんな愚痴を零していた。
「文句は後で聞いてやる。挨拶して終わりにするぞ」
壁にかけてある時計を見ながらそうみんなに言った。現在午後七時少し前。
経司が今強いその理由は経津主神が彼に降りていたからだ。別に神様の力を使って戦っていた訳ではない。経津主の言う鍛錬方法により人間の力の枠内で彼が確実に強くなっていたからだった。
部活終了の挨拶をすると後輩たちに道場の掃除を任せ経司は冷やした手拭で簡単に汗を拭い消臭剤を使って汗の臭いを緩和させてから制服に着替えると直ぐに部室を飛び出し、武の姉を待った。彼女が別の道場の入り口から出てくると二人で校門へと向かう。その場所には既に武と照神が待っていた。経司は照神にじゃれられている武を見ると小さく鼻で笑った表情を彼に見せていた。
経司は武達と途中の道で別れると走って自宅へと向かった。
玄関の扉を開けるとそこには妹の麻緒が居た。彼女は経司に言葉を掛けようとしたが彼はそれを無視して二階へ上がり、着替えを持つと風呂場に向かった。
経司は本当に無視したかった訳じゃない。約束の時間に遅れまいと急いでいたからだった。
浴室に入ると直ぐに湯を汲んで汗を流した。経司はどんなときでも身体を洗ってから浴槽に入るという順番を取っている。
その中に入ると手ですくったお湯を何回か顔に浴びせてから顔を上に向けた。そして、湯船に浸かった状態で三十分くらい仮眠を摂る。
その時間が来ると目を覚まし、風呂から上がり綿布で体を拭うと持ってきた下着と私服を着て鏡台の前に立ち濡れた頭をドライヤーで乾かし頭髪を調え、脱衣所から出て行く。そして、そのまま夕食も食べず玄関へ向かい靴を履き外へ出て行こうとした。
「どこへいくの?」
「お前には関係な・・・、いや夜の仕事に行くだけだ。戸締りは確りしろ、いいな。それじゃ留守を頼む」
「私また独りぼっち・・・・・・」
妹のその小さな声で発せられた言葉は既に玄関の扉を閉めて出て行ってしまった経司に聞える事はない。
経司が夜長い時間、家を空けるようになってから麻緒はずっとこの広い家で独りで寂しい思いをしていた。それはここ最近、政人も亜由美も病院の仕事が忙しく夜遅くまで勤めていたからである。
そんな妹の気持ちに経司は気付いてあげられる事はいつか来るのであろうか?
経司は物置に向かうと隠してあった刀を持ち出し武の家へ向かう。布袋に入れてあるため直ぐにそれが本物の刀だと周りの連中が知る事はない。街の中を行き交う人の間を縫って走って友の待つ家へと向かった。それからその場所に着くと既に武が表に出ていた。
「経司、少し早いんじゃないのか?」
「そう思うならどうして外に出ている」
「いつものことだろ。ンじゃ、大地や岸峰先生が待つ学校へ行くとするか」
そう言って歩き出す幼馴染みの隣を追う経司。暫く歩いてから武が話しかけ、
「ほら、これ食べろよ。夕食も食べずに家飛び出してきたんだろう?今日は大地達の事もあったから姉ちゃんに頼んで多く作ってもらったんだ」
「ありがとう・・・、いただく」
「礼なら、美姫姉ちゃんに言ってくれよ」
経司は頷くと歩きながらその渡されたものを食べた。
二人が学校の宿直室に到着したのは午後八時ちょうど。そこには既に大地、椿、そして、新太郎が居た。経司がそこに集う事で一日の日常が終わりを告げ、非日常、人とは異なる者達との戦いの中に見を投じて行く。
弐 大地と言う名のその男
時間を明朝に遡行して、今度は牧岡大地の一日の始まりとそれからを追ってみよう。
午前七時四十二分、大地はいまだ寝台の中で抱き枕に腕を回し、にやけた表情で眠っていた。
やがて寝言で誰かの名前を口にすると唇をタコのように尖らせ今にも枕に口づけを交わそうとしていた。
「くぉらぁーーーーーーッ、いつまで寝てんの大地!さっさと起きなさい『ボコッ!』」
突然、大地の部屋に現れた女の子が彼にかかっていた掛け布団を引き剥がし持っていたもので殴りつけた。
「なにしやがんだ、こん畜生っ!せっかくいい夢見てたのに・・・・・・、それにてめえ、兄貴に向かって呼び捨てとは何様の積もりだ、沙由梨!!」
「何が『みさきさぁ~~~ん』よっ!何がいい夢よ。ただの妄想でしょう、変態。それに大地とアタシ、一歳しか違わないでしょ?兄貴面しないで。もう忙しいんだからさっさと下に降りてきてね」
「黙れガキ犯すぞ、こら!」
「どうせ口だけでそんな事できっこないくせに馬鹿大地、イィーーーーダッ」
ボーイッシュな髪型、エプロン姿の大地の妹らしき人物は顰めっ面を兄に見せてから部屋を飛び出していった。
「チッ、沙由梨の奴なんでいつもああなんだ」
大地はそう呟きながら起きたままの状態で一階へと降りていった。
一階のダイニングに彼が到着すると妹が作ったと思われる朝食が用意されていた。そして、彼はぼさぼさ髪の頭と股間を妹に見せるように掻きながら椅子へと座る。
「やめてよ、大地。アタシの前でそんなことするの。それってアタシへの当て付け?何か恨みでもあるの?」
「大有りだっつぅ~~の。サユサユ、俺の事を敬え、そして〝お兄様〟と呼べ」
「誰が〝サユサユ〟よ。絶対嫌、死んでもやだ」
「チッ、可愛くねえなぁ。そのうち絶対言わせてやる」
「可愛くなくて結構、そんな日、永遠に来ないわね。・・・、それより馬鹿な事いってないでサクッと朝食を食べちゃってよ」
大地は口を動かすのをやめ、箸を持って出されたものを突っつき始める。彼は出された物の見てくれの悪さに大きく溜息をついた。
「何だよ、これ?見た目悪すぎ」
「どうせアタシの料理は見てくれ悪いですよぉ~~~だっ。文句言うなら食べなくてもいいわ。フンだっ」
沙由梨はそう言って大地の方に置いてあった皿を引っ込めようとした。
「アワワワワッ、誰も食べないって言ってないだろう。確かにサユサユの料理、見た目は人の芸術の枠を超越している。神の芸術か?けど味は大丈夫なの知ってるから・・・、食わしてくれ」
「だったらはじめから何も言わないで食べればいいのよ、まったく」
慌てて妹から皿を取り戻して食べ始める彼であった。
その場所には妹の沙由梨とその兄である大地しか居ない。彼等の両親は現在、経司の父親が経営する病院に入院中。
二人の両親は昨今に起きた魑魅魍魎事件のこの地域での最初の犠牲者だった。
普通だったら生きて助かる事のないその事件、彼等の両親は重傷を負いながらも奇跡的に助かり、一命を取り留めたのだ。しかし、同じ場所に居合わせ助からなかった者もいると言う。
大地は朝食の終わりに一リットルパック牛乳の注ぎ口の所に直接唇を付けそれを飲むとゲップと一緒に『ブホォッ』と言う大きな放屁の音を妹に聞かせていた。
「もぉいやらしいぃーーー、女の子の前でやめって、みっともない。大地ッたら本当にデリカシーないんだから」
「見た目がカッコイイの認めるけど・・・、何でこんな人が私の学校の生徒にまで人気があるの不思議。可笑しいわ、間違ってる、詐欺よ!」
「こんなことするの沙由梨、お前の前だけだ。外ではいたってまともにしてる」
「マジで?こんなに可愛らしい妹に精神的虐待?イジメ?本当に大地サイッッテェー」
「ハぁンッ?誰が可愛いって?お前、鏡見た事アンのか?そんな言葉口にすんの全国、いや全世界、うぅん、違う、違うな、全宇宙の可愛子ちゃんに失礼だ」
「マジムカつく。馬鹿大地、死んじゃえぇーーーーーーーーーッ!」
その妹は手元にあったフォークを大地に向かって投げつけた。間一髪で大地が躱したそのフォークはそのままの軌道を保ち壁に突き刺さった。それを見た大地は薄っすらと脂汗を流す。
「沙由梨、てめぇ、マジ俺のこと殺す気かよ!・・・って、まあ助かったからいいや、俺の相手をしている暇あるのか?学校遅刻するぞ」
「エッ、あぁああっ、もうこんな時間!遅刻したら大地のせいだからね。アタシもう行く、洗い物くらいしておいてよね」
「やなこったぁ」
その言葉を聞いた沙由梨は膨れた表情を彼に向け立ち去っていった。
〈大地様、あんな言い方をしたら沙由梨様が可愛そうではありませんか。もっとお優しく接してあげたらよろしいでしょうに乙女心は疵付き易いのですよ〉
「黙れ、児屋根、他の事には口出ししても良いが俺と妹の事はでしゃばるな。もしでしゃばれば珠に封じて粉々に砕いて魚の餌にするぞ」
「ああああぁ、大地様それだけはご勘弁を・・・、って僕は何を恐れているのでしょうか?その様なことをされてもいか程もありはしませんのに」
「ハッハッハ、児屋根もおもろいリアクションするじゃないか。さっ、俺達も後片付けして学校行くとするか」
妹には後片付けしないといっていたはずの大地、綺麗に洗い物を終えてから洗面所へと移動した。
顔を洗い、鬚を剃り、歯を磨いてからヘアーワックスとドライヤーを使い丁寧に髪を整えた。沙由梨には見せていた物とは別の顔に生まれ変わる。そして、それが終わると鏡を見ながら、
「よっしっ今日も決まってるね」と言葉にし、親指を顔前に立て歯揃えの良い綺麗な歯を鏡面に映し出した。
〈大地様その様な事をしていないで早く学校へ行きましょう〉
「なんだとこらっ!はったおすぞ」
「どうぞ、出来るものならやってみてください」
「チッ、最近、流しできるようになったな、児屋根」
〈大地様のお言葉遊びに鍛えられていますもので〉
その天津神の意志の継承者は天児屋根の言葉に苦笑しながら自室へ戻ってゆく。
制服に着替え終わり学校へ行く準備が出来た頃は既に徒歩で向かうには時間が経ち過ぎていた。彼は自転車に乗ってその場所に向かおうとしたのだが・・・。
「げっ、パンクしてやがる」
〈それは日ごろの大地様の行いが悪いからでないでしょうか?天照大御上様がお怒りになってあなた様に罰をお与えたのですよ、きっと〉
「児屋根ッ、お前神様だろ?そんなこと言ってないでこれ何とかしろ。これ直しやがれ」
〈僕にはその様な力ありません。あ・し・か・ら・ず〉
「ハァ、よしっ、飛んでいくか?」
〈駄目です、そんな利己的なために僕は力を貸しませんよ〉
「タクッ我侭いいやがって仕方がねぇ、バスで行くとするか」
〈やれやれ、どちらがですか〉
大地は腕時計を見ながらバス停の方角へ走って行く。靖華城学院行きのバスがちょうど出発する所だった。しかも遅刻前ギリギリに学校へ到着するバス。それを慌てて呼び止め乗り込んでゆく大地であった。
満席状態、大地は手すりに掴まり窓の外を眺めながら学校へ到着するのを待った。アナウンスで次の停車する場所が学校前だと知ると運賃の準備をするため財布を捜す大地。だがしかし、それを家に忘れてきてしまったのに気付く、電子通貨を扱える媒体すらないことにも気づかされた。と基よりこの男は現金主義でなぜか電子通貨の類を毛嫌いしていた。特に明確な嫌う理由はない。彼の乗るバスは東京でも珍しく、後払いの物だったために乗車する前に気が付かなかったのだ。
心の中で自分に悪態を吐くとバスの中に知っている生徒が乗って居ないか見回した。すると運良く同じ学級の女子が後部座席に座っていたのだ。
「よっ!おはよう、袴田」
「あら、牧岡君じゃない。バスで登校?珍しいんじゃないの」
「珍しい事するもんじゃないね。財布忘れちまったんだ。現金か電子通貨使える何か貸してくんない?」
「エッなんで私がそんなことしなくちゃいけないのよ。いやですよ」
「そんなこと言うなよ、袴田・・・、まっ別に嫌ならいいんだけどな」
彼はそう言ってからその同級生の耳元で何かを囁いた。それを聞いた彼女は驚愕の色を浮かべる。
「どうして牧岡君がそんな事知っているのよ?」
「俺の情報網を舐めるなよ。内の生徒の事で知らない事何って一つも無いんだぜ。優等生の袴田がねぇ、あんな事してる何ってばれたらどんな目で見られるでしょうかね」
「それって恐喝のつもり?」
「脅し?人聞きの悪い。正統な交渉術だ。それに俺は貸せ、って言ってるんだぜ。返さないとは一言も言ってない」
「分かったわよ。これだけ貸せば足りるでしょ?その代わり絶対秘密にしてくれるんでしょうね?」
牧岡大地の同級生らしいその女子学生はそう言って、財布から現金を取り出し彼に手渡した。
「サンキュ、大丈夫だ。俺の口は豆腐よりは硬いから」
「なによ、それっ!!」
「おっと到着したようだ。降りようぜ、ハ・カ・マ・ダ」
同級生に嫌な笑い顔を見せてから借りた千円札を小銭に崩し、料金を払ってバスから降りて行った。彼はバスから降りると学校の中へ向かって走り出す。
〈大地様、あの娘様にあんな事を言う何って酷いですよ。心、改めなさい〉
「あのなぁ、児屋根?俺が何を思ってああ言っているのか知ってるくせにうるさいぞ。借りたもんはちゃんと返す。それは俺の流儀だ。しかも熨斗つけ、利子付けでな」
〈僕が言っているのは人から物をお借りになるならもっと丁寧に交渉しなさいという事です。それは私の祝詞の力を使う事にもいえるのですよ〉
「へいへい、わかってますよ」
大地が教室に駆け入り、後から歩いてやってきた袴田がその場所に入るとちょうど朝のホームルームが始まる鐘の音が鳴った。
最近になってからは大地の授業中の態度といえばほぼ睡眠。どの教科の先生も大地に注意することが無いのを学級の生徒は不審に思っていた。しかし、同級生の心中を察する事も無く堂々と居眠りをしている彼。
だが、いびきや寝言と言う騒音を立てて授業を妨害する事はまったく無かった。
大地が異常なほど眠りを欲するのは天児屋根の持つ力を十分に生かしきれず、その疲れが溜まる為であった。彼の友達がゆすってもけして起きる事が無い。
その状態のままお昼まで時が進む。すると今まで目を覚まさなかった大地は腹の虫の音を立てて起き上がる。
「さあ、メシメシ、今日はどうすっかなぁ?売店のもんも飽きてきたし久しぶりに学食に行くか」
袴田と言う同級生から借りた金の釣銭を見ながらそんな事を独りで呟く、大地。
そんな風にぶつぶつと呟くと教室を出てその場所へと向かって行く。
目的地に到着すると大地のファンクラブの女の子達が一緒に食べようと詰め寄ってきた。
「わりい、悪い、先約があんだ。おおっ、熱海、まったか?」
食堂を見回し、自分の知っている友達が見つかると嘘を言いながらその女子等を避けるようにそちへと買った物を持って移動した。
その部活仲間の正面の空いていた席に座ると直ぐに食事にありついた。食べ終わるのに三分とかからない。それが終わると熱海と言う人物と部活の話しを始め、話題が尽きた頃に教室へと向かった。
午後の行動は武に降りている武甕槌に言われた効率よく神気を操るための訓練をしていた。しかし、傍から見たらなんら寝ているのと変わらない。
総ての授業を終え大地も割り当てられた掃除場所へと向かう。口は悪し、様相は不真面目に見えてしまうが協調性があり、仲間思いでも有る彼はそう言った事はまじめに取り組んでいた。それに清潔綺麗を心がけている大地は整理整頓や掃除と言ったものが密かに好きでもあった。
「これで掃除終わり、んじゃ、野郎どもまたあした」
同じ掃除班の友達と別れを告げ、部室がある方へと向かって行く。それから、その場所に先に来ていた武と一緒に喋りながら着替え始めた大地。
「大地、体の調子戻ってきたか?」
「まあなぇ、大分良くなったんじゃないか?武ンとこに降りている奴、そのなんて名前だっけ、はげいかむし?」
「態と言うな、た・け・み・か・づ・ち。武甕槌だ」
「ああそうそう、崖っぷち」
〈だっ、大地様、なんと失礼な事を申すのですか!ああ、武甕槌様この者の口の悪さをお赦しくださいませ〉
「俺と一緒に居る神様の名前を変に呼ぶな。大地。てめえに雷落とすぞ」
〈武、それと天児屋根よ、気にする事は無い。それが大地の性格なのであろう?無理に枉げる必要もあるまい〉
「いいなぁ、児屋根と違って武甕槌の神は口煩くなさそうで。それにその神さん神気の鍛錬法だっけ?それで体調良くなって来たんだから。その点そこらへんは児屋根の奴、ぜんぜん役立たず」
〈ぐすんっ、僕って役立たずなんですか?大地様ごめんなさい〉
「不届きなやつめ、何ってことを神様に言いやがるんだ、大地!」
「俺に神も仏もない。俺達は神様、神様って言うけど天津神だって本当は神様じゃないんだろう?なあ、こ・や・ね」
「ああいいよ、そんなこったもう。早くグラウンドに出ようぜ、みんな集まっている。遅れると神村主将おっかないからからな」
練習中の大地の動きは不調前までのように戻っていた。そして、大地は武と一緒に前線で楽しそうに体を動かしていた。
武と大地の息の合った動きに神村主将も満足げな表情。今年こそは全国に行けそうだと呟いていた。
部活が終わるとその二人は一緒に帰らず部室前で別れの言葉を告げる。
「俺は校長センセと椿センセとやる事があっからあっち行くぜ。そんじゃ、また八時に宿直室で会おう。経司にもそう伝えて置けよ」
「わかった、それじゃ八時に宿直室集合ってことで」
校門の方へ武が向かうのを確認してから大地は校舎の方へ歩いていった。
彼が宿直室に到着するとそこには霧島校長と岸峰先生が大地の来るのを待っていた。そして、その部屋の卓袱台の上には店屋物で取った丼物が置かれている。
「牧岡君、部活ご苦労様。疲れているとは思いますがこれからまた大変でしょうからそれまで少し休んでいてください」
「牧岡君、立ってないでこれをお食べなさい」
「また店屋もんすか?たまには椿センセが何か作ってくださいよ。・・・・・・、あっ、とそうだった。センセ料理できないんすよねぇ~~~、せっかく美人で性格良いのにお可愛そう。男をゲットできる条件の一つを満たしていないとは」
「どうして牧岡君がわたくしの料理できない事を知っているの?・・・、ですが、私がそれを出来なくても作ってくれます男性の方を探すわ」
「チッチッチッ、甘いですね。今は男が女を選ぶ時代ですよ。なんせ、人口比率男一に対して女が三。それに統計によると現行の六割強の男が女に望む第一条件がドメスティック・レディー。その時点でセンセはふるいにかけられ残り三割弱の男を選ぶ」
「がぁ~~~しかし、なかなか結婚できないトップ・テンに男女共に教師って職業が入っている。あぁ~~~、絶望的」
「そして俺的センセの男子生徒限定人気調査によれば椿センセの支持率93%。うむ、うむ良い結果です。で・す・がぁ~~~・・・、そこで浮かれてもらっては困りますぜ、センセっ!人気あってもセンセと週末を一緒に過ごしたいって奴はなんとゼロだ。生徒とセンセって言う禁断の恋何って無い、ない。それに加えてな、男教師支持率100%すごいっすねぇ。しかしぃ~、美人だけど近寄りがたいらしく、恋人、奥さん、愛人どれにもしたくないそうだってぇ~~~」
「ううううぅうぅ・・・、ひっ、酷い、酷すぎるわ、牧岡君。先生を言葉でなじってそんなに嬉しいのかしら」
「嬉しいわけないしょ。だけどぉ、やっぱ椿センセェーーーには現実をちゃんと見てもらわないとねぇ~~~」
「霧島校長、生徒が教師に対して余りにも酷い仕打ちですわ。・・・、何とか言ってください」
「まあ、良くその様に口が回るものです。たいしたものですよ、牧岡君。それも貴方の才能の一つですね」
「校長、私のことをお庇いしてはくれないのですか?」
「若い者の言う事です。大人は少しぐらい広い心を持って受け流してあげなさい。さあ、それよりも店屋物が冷めてしまいます。早くお食べになりなさい」
「校長までその様なことを言うのですか・・・、それはわたくしのお金でお取り寄せした物です。口の悪いことを言う牧岡君には食べさせてあげません」
しかし、椿が大地からそれを取り上げようとした時は既に遅く、どんぶりの中の半分は彼の口の中を通り胃の中に収まっていた。
「あれだけ散々、わたくしを中傷していながら・・・、牧岡君、貴方って方は!」
「だって、俺一言も食べないとは言ってないぜ。はいっ、ごっそぉ~~~さんっ、とぉ~~~」
そんな彼の態度に椿は呆れるばかりであった。
食事を終えるとその三人はそれらに降りる天津神達と会話をして彼等が築いた結界に綻びが生じていないかその場で確認を始める。
綻びが見つかると新太郎と大地が邇邇芸と天児屋根の力を使ってそれを修復した。椿はその二人が放つ気を天宇受売と共に効率よく周囲に広げて行く。それから、それがちょうど終わった頃に武と経司の二人が宿直室に顔を見せた。
時間は午後八時。
その時間を境に牧岡大地の今日と言う日の日常が非日常へと完全に変わり始めるのだ。
参 その後の二人の兄たち
今日の彼等の目的は守護結界の範囲を少しでも広げるために各地域の特異点に天津神の要力を植えつける事だった。
彼等、五人と五神が向かった場所は現在の千葉県柏市大室、その場所の近くには大きな池が望める場所だった。
〈霧島殿、ここらあたりなら我々の力も上手く伝わろう〉
「分かり申した。それでは皆さんここの下へ降りるとしましょう」
靖華城の校長は穏やかな声でみなを促し上空から地上へ降り立った。
「香取君、牧岡君、鹿嶋君それでは私と校長先生はこの場所に結界の力を注ぎいれます。その間の護りの方よろしくお願いね」
妖怪と異なって魑魅魍魎は濁りのない気、聖気、神気の類に惹かれ寄って来る性質を持っている。それゆえに結界を張る間、無防備になってしまう二人を生徒の三人が護る事になっていた。
新太郎は邇邇芸の命ずるまま印を結び、神言を唱え始め、椿は天宇受売と魂の波長を合わせ彼の周りを荘厳華麗な舞いで踊り回る。それから二人が結界を創り始めてかなり時が経とうとしている。南天の夜空に昇る月が中腹の位置を通り過ぎていた。
武、経司、大地の三人はずっと周囲の気配を探りながら敵が襲ってくるのに備えていた。
「もう少しで五時間か。随分と過ぎてるぜ。まだ終わらないのかあれは?暇でしょうがない」
「俺達は暇な方がいい」
「マジメ君の香取からそんなサボりてぇ~な言葉聞けるとは珍しい」
「俺の言葉の意味を察しろ。俺達が戦わなくて済むって事は結界の効果で周囲に化け物が出ないって事、人々に被害が及ばないって事だ」
「ハイ、ハイ、説明ご苦労さん。香取に言われなくたってそのくらい分かっていたさ。アァーーーハッハッハハッハァっ」
「牧岡・・・・・・・・・、貴様、俺のこれの錆になりたいか?」
冷たく射抜く視線で彼は鞘に収めていた刀を抜き、その剣先を大地の鼻の頭に当たるか当たらないかの所に構えた。
「ナハハハハッ、冗談だって、冗談だってばよ、香取。ほんもんだろ?だからそんな危ないもん人に向けんな」
脂汗を幾筋も頬にたらし左手を前に出しその手のひらを振りながら後退る彼だった。
「俺も冗談だ・・・・・・・・・」
〈大地様も経司様もその様な言葉遊びなどなさらないで周囲に注意を払っていただきたいです。武様を見習ったらどうですか?〉
〈天児屋根殿の言うとおりだ、経司殿。小物どもでは邇邇芸殿と天宇受売殿の張る結界内で邪な行いは無理であろうが格の高い者であれば天照大御上殿の加護なき今・・・・〉
大地と経司がその二神の天津神に説教されていると一番初めに話しをふって来た武は現れた十数体の化け物と臨戦態勢に入ろうとしていた。それを見た大地と経司は心の中で舌打ちしながら武に加勢しようとその場から動き出す。
香取経司は先ほど鞘に収めてしまった刀を再び抜き、それに火属性の神気を伝わせる。武や大地のように神言や祝詞といった天津神の力を行使するための手順を必要としない経司の行動は三人の中で一番素早かった。
経司の握る刀に蒼紫の炎が灯る。経津主が彼に与えた技の一つ、紫炎。その火の力が物に摂り憑いた瘴気を焼き、滅し祓う。
新太郎と椿の張った結界内で暴れる数多くの瘴気を纏った魍魎、経司の一太刀では完全にその瘴気を殺ぐ事は出来なかった。だが、彼は多少の驚きも見せず相手の攻撃を躱しながら相手の瘴気が滅するまで何度も何度も力強く刀を振り抜いていた。
「この一撃が最後だっ!汝自然の環に返れ。タァーーーーーーーーーーーーッ」
最後のその一刀で彼が相手をしていた魍魎の瘴気は完全に浄化され憑依媒体が姿を現した。
それは数百年も前の巨大な産業廃棄物の残骸。その残骸をジッと悲しそうな瞳で見つめる経司。刃に力だけの神気を込め、一刀両断のもとにした。そして瞼を閉じ、一呼吸してからカッと目を見開き、刀を下段に構え次の目標に向かって走り出した。
「児屋根ッ!俺にいつも守りばっかやらせねぇでなんかこう武や香取みたいにその相手をドバンとするもん無いのか」
〈ドバン?どのような意味でしょうか大地様。僕には全く理解できません〉
「児屋根ぇ分かってるくせにこんにゃろ、ハッタオスぞ!」
〈アハハハハッ・・・、その様に青筋を立ててお怒りにならないで下さい。そうですね武甕槌様の御助力により大地様も随分と気の扱いが宜しくなって来たようですので・・・、ですが言葉に正しさと敬意を込めて力を伝わせてください〉
「そこら辺は確りやる。うんでどうするんだ?」
〈これが初めての事ですので英霊を呼び出すといたしましょうか。それでは神降ろしの祝詞を始めます。僕の言葉に遵って僕とそれを綴って下さい〉
大地の神気のこもった美声と天児屋根自身が発する力の波が共鳴協和してとても神秘的な声を辺りに響かせる。
『地乃優役果手天尓召左礼志尊乃魂、今一度、天児屋根、我乃言葉乃願乎聞伎届介、倭建尊、此乃地尓降里良礼賜衣』
言葉の終わりに大地は拍手を三回、大きく打ち景気の良い音を立てた。すると魑魅魍魎の周囲に大きな光が現れ、その中から角髪結いをし、白装束を纏った一人の男が剣を携え現れた。
その男は片手に携えていた剣を天に掲げ両手で構え魍魎たちに向かって大きく振り下ろした。その一閃で敵が倒れない事を理解すると一体一体相手をしながら確実に仕留めて行く。
大地は空中に浮遊しながら倭建尊の働きを見物し、その英霊の力が維持できるように天児屋根と共に祝詞を詠い、拍手を打つ。
経司、大地、そして武達が戦うたびに放つ神気の流れが新たな魑魅魍魎を呼び寄せる。だがしかし、三人は怯まずひたすら襲い来る者達を相手し、結界が新太郎と椿の手によって完成させられるのを待った。
その結界が完成しつつあるのだろう。その場に現れている魑魅たちの力が弱まり始めた。今まで一太刀で倒せなかった者達が簡単に浄化され、物に摂り憑く力がうせた瘴気は媒体から剥がれ自然に浄化して行く。ついに新太郎が口を動かすのを止め、椿が舞うのを止めた時、三人の生徒達が戦っていた化け物たちは消え失せていた。
〈ご苦労であったぞ、霧島殿。みなの者にも労いの言葉をかけてあげた方がよろしかろう〉
「鹿嶋君、香取君、牧岡君、三人ともご苦労様でした。明日も校内では私の言った範囲内なら自由にして下さって構いません。それでは解散しましょう」
「三人ともお寄り道しないでお帰りなさい。よろしいですね?」
「俺達小学生じゃあるまいし、そんな言葉耳に入んないぜ。行こうか香取、武」
そう言って浮遊しようとした彼は空中で体制を崩し地面に落ちてくる。
「フッ、祝詞の力使いすぎたんだろう。肩貸してやる、摑まれ」
経司が肩に大地の腕を回し立ち上がらせるとその逆側の腕を武が幼馴染みと同じように持つ。
「先生それでは失礼します。また明日」
「うんじゃ、そういうことで」
大地を担いでから二人は先生達にそう言ってその場所から先に飛び立っていった。
彼等の住まう東京府杉野台区高円寺付近の人目に付き難い場所に降り立ち、そこで解散した。
霧島新太郎たちの張った結界の力の影響なのだろうか何時もよりも、夜の空は澄み切り、闇の中を敷き詰めるように散りばめられた星々が煌々と光を放つ。その様な上空を眺めながらゆっくりと歩き出し、自分の家に向かう経司。彼が帰宅した時間は深夜三時過ぎ、彼の家の中の明かりも外の常夜灯すらも点っていない。
家宅防犯の電気電子化普及率は九割を超すほどに広まったが、未だにこの時代でも生体認識式や電子式鍵とそれで動く電気式錠よりも機械式の方が一般的だった。経司の住まいはその両方が使える仕様だったが彼はジーンズのポケットから家の鍵を取り出すとそれを扉の錠の中へ差し込んだ。しかし、そこで彼は何かに気付く。それは錠が下ろされていないこと。いつもならこの時間それは確りとされているものだった。
不審に思いながら取っ手を掴み静かにゆっくりと回し、物音を立てないように扉を開け中に入る。
家の中は矢張り暗い。意識を集中させ物の怪の類の気配がないか、何らかの異変が起きていないかを感じ取ろうと探る。だが、特に異常がない事を悟る経司。
ただの鍵の掛け忘れかと、無用心だなと思いつつ靴を抜き、足音を立てないように玄関口廊下に上がりその場所から直ぐに二階に上がれる階段を昇ろうとした。
下を向きながら一段目に足を掛けた時、階段上の方に誰かが居る気配を感じた経司はそちらの方を見上げた。そして、階段の中腹に麻緒がぬいぐるみを抱きながら独り、淋しそうに座っているのが目に入ってきた。
「おにぃ・・・、経司さん、お帰りなさいなの・・・・・・・・・・・・・・」
彼女は小さな声で経司に言葉を投げかけてきた。しかし、彼女を無視するのか?彼はその脇を通り抜けようとする。
〈経司殿、武殿と交わした約束をお忘れか!〉
その言葉に経司の上げていた足が麻緒の腰と同じ段に降ろされる。
「ただいま・・・・・・・・・・」
その一言だけで暫くの沈黙が続く。そして再び彼の唇が動いた。
「麻緒、俺を許してくれなくてもいい。だが謝っておく。その・・・、お前に辛く当たって・・・、優しくしてやれなくて・・・、兄らしいこと何一つしてやれないで、駄目な兄で・・・・・・、今まで悪かった」
言葉をいい終えた経司は可愛らしいリボンをつけた妹の頭に掌を静かに乗せた。
麻緒の頬に細い涙の軌跡が浮かび上がる。そして、それはやがて太い流れとなっていた。
抱かれていたぬいぐるみが階段を転げ落ち彼女の腕は立ったままの経司の足に回っていた。更にその中に顔を埋め泣き始める。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、麻緒・・・、麻緒、とっても悲しかった。とっても辛かったの。だって、だって、誠一お兄ちゃんも経司お兄ちゃんもずっと麻緒のこと嫌っていたから・・・・・・・・・、政人パパも亜由美ママもお仕事忙しくて麻緒を構ってくれなくて淋しかったの」
「誠一兄さんは違う。兄さんは俺と違って父さんを嫌っていても麻緒と亜由美さんを嫌っている事は無かった。・・・・・・、俺はもうお前を嫌ったり、無視したりしないから・・・、だから、泣かないでくれ、麻緒」
「うん、お兄ちゃんに嫌われたくないから麻緒はもう泣かないの」
彼女はそう言って涙を両手で拭い笑顔を兄に向けた。
「父さんと亜由美さん二人は?」
「まだ、病院でお仕事・・・、だから今日も麻緒、ずっと独りちぼっちだったの」
「独りにして悪かった。だが俺だってやらなければならない事がある」
「それは経司お兄ちゃんがお化けさんと戦うこと?そんなの駄目。嫌だよ、麻緒、お兄ちゃんが怪我したら嫌だもん」
以前、彼女は夜中に経司が家の外で妖怪と戦っているのを二階の自室から目撃していた。
「おっお化けだ?・・・何故、麻緒がそれを・・・・・・、だが、俺がやらなければ多くの人の命が失われるかもしれない」
「それでも麻緒は嫌。だって、だってせっかく経司お兄ちゃんがお兄ちゃんって呼ばせてくれるようになったのに・・・、お化けと戦って、その・・・・・・、おにいちゃんが死んじゃったら麻緒、嫌だよ」
「それは極論だな、心配ない。俺一人じゃない、武や牧岡って頼れる仲間が居るから・・・、だから心配するな」
「武さん、って?武お兄ちゃんのこと?うぅ~~~、もっと心配なのぉ~~~」
「失礼なことを言う奴だな。武は俺の幼馴染みで親友だぞ、まったく」
「おにいちゃん・・・、ごめんなさい」
「俺ではなく、武に謝れ。・・・・・・、夜も大分過ぎている。もう寝ろ」
「ねぇ?お兄ちゃん、麻緒、経司おにいちゃんにお願いがあるの」
「なんだ?」
「独りで眠るの・・・・・・、その・・・、淋しいし、怖いから・・・・・・、その」
「一緒に寝て欲しいって言うのか?駄目だ、歳を考えろ。そんな恥ずかしい事が俺に出来るものか。駄目に決まっている」
彼のその言葉に妹は大粒の涙を両目に浮かべ今にも泣きそうな顔を作って見せた。
「お兄ちゃん麻緒に優しくしてよぉ~~~、今までずっとお兄ちゃんに甘えたくてもそうさせてくれなかったんだから、それくらいしてくれてもいいのにぃ・・・」
妹のその表情に困惑して頭を掻きながら不承不承と言う顔で彼女の兄は言葉を出した。
「分かった。だから麻緒、泣かないでくれ。寝る前に俺は風呂に入ってくる。麻緒か俺かどちらの部屋でもいいからそこで待っていろ」
「お兄ちゃん、お風呂に入るの?だったら麻緒も一緒に入って経司おにいちゃんのお背中流してあげる」
「何を馬鹿なことを言っている。それだけは絶対駄目だ」
「いやぁ~~~っ、麻緒も一緒に入るの。・・・、グスンッ、やっぱりお兄ちゃん麻緒のこと嫌いなんだ。いらない子なんだね。麻緒なんかどうでもいいんだ」
そう口にして彼女は再び泣き出そうとする顔を兄に見せつけた。
「まっ、麻緒もう泣くな。くッ、・・・・・俺はなんて答えればいいんだ。経津主、俺に答えをくれ!」
泣き出そうとする麻緒を見てうろたえ、情けない表情と声を彼は作った。
〈経司殿、それは私の関与するところでは無い事を分かっているはず。貴方が本当に麻緒殿の事を思うなら迷う事は無いはずでは?経司殿、自分で決めなさい。さあ、さあぁ~~~、貴方の言葉を麻緒殿にお聞かせして上げなさい〉
兄と妹、そして男と女の関係と言うこれから二人の人生に大きく影響してしまいそうな究極の選択を経司は麻緒から迫られるのであった。そして、彼の口から出た答えとは・・・・・・・・?
経司が麻緒に答えを出そうとした頃、牧岡大地が自宅前に到着し、その中に入っていた所だった。
大地はそのまま自室には戻らず、牛乳を飲むためにキッチンへと向かった。
ダイニングルームを通り抜け、そこへ向かおうとしたとき椅子に座りながら食卓の上に手と頭を乗せ寝ている妹の沙由梨に気付く。そしてテーブルの上においてある夕食らしき物にも。
彼女は良く眠っているようだ。大地の足音に気付く事は無い。
「大地の馬鹿、一体どこほっつき歩いているよ・・・、ムニャ、ムニャ、ムニャ」
沙由梨のその寝言に大地は一瞬、ドキッとした。胸を撫で下ろし、台所の冷蔵庫を開け牛乳を取り出す。それから、それを飲むみながら冷め切ったそれを見てほくそえんで口に運んだ。
「味はいいけど相変わらずの見た目。児屋根、お前も食べてみるか?」
〈ハイ、それでは僕も・・・・・・、シクシクッ、大地様、僕はどうやって味わえばよいのでしょうか〉
「ハハハッ、やっぱ無理かこればっかりは・・・・・・・・・・・・・・・・」
大地はテーブルに用意してあったものを平らげるとそれを直ぐ洗い、濡れた部分を拭いて食器棚に戻す。それが終わるとダイニングの方に向き直り妹を見て小さく溜息をついた。
「なあ、児屋根?沙由梨を起こさず部屋に連れてってやりたいんだけど。力貸せ」
〈フフフッ、大地様が沙由梨様にその様な事をしてあげる何って珍しい事ですね〉
「たまには兄貴らしいことしてやねぇ~とシカトされそうだしな」
彼は神気を込めた小さな声で天児屋根の詠う安眠の祝詞を復唱した。神気の乗ったその声が暖かく沙由梨を包む。
「うんじゃ、本当に起きないか数発くらい殴って試してみようか?」
〈その様なことをしては沙由梨様が可愛そうですよ〉
「しゃぁ~~~ねぇなぁ、今回は勘弁してやっか」
天児屋根の懇願するような声に残念そうにその行動をやめ妹を抱きかかえ、彼女の部屋に向かって行く。
彼女の部屋に連れてゆくと大地は沙由梨を寝台の上に放り投げた。投げ落とされた力と彼女の体重の重みで寝台が一瞬大きく揺らぐ。しかし、彼女が目を覚ます事は無い。
〈アワワワワワァ、大地様。なんて事を〉
「ウッシ、起きないようだ」
大地は妹が起きない事を確認すると暗がりの中で彼女の部屋を見回し何かを探し始めた。
お目当ての物を探すのに約十五分、大地の手にした物はA4サイズのカードフォルダーだった。それを開き目的のカードを探す。彼が必要としていたカードは頁最後の中央、そのカード以外他のものは無い。そしてその下には〝私の宝物♡〟と言う紙が挿入されていた。
カードを抜き取ると同じものが二枚あった。その内の一枚だけを手に取りもう一枚を元入っていた場所へ戻す。大地が手にしたそれはカードの端を握ると数分間映像が立体で流れるというトレンディー・カードだった。
〈大地様、人のものを盗る何っていけません直ぐに戻してください〉
「児屋根黙ってろ。これはもともと俺が沙由梨にやったもんだ。俺がどうしようと勝手だろう」
〈沙由梨様が嘆かれても僕は知りませんからね〉
*トレンディー・カード=トレーディング・カードやブロマイドとは似て異なる物 。
翌日、学校の昼休み時間で大地は千円札と沙由梨の部屋から持ち出したカードを熨斗袋の中に一緒に入れ、それを袴田に返していた。
「袴田、昨日借りていたこれ返すぞ、受け取れ」
受け取ったその同級生は中に入っていた物を取り出し、お金とは別の物を見て目を丸くして驚いた。
「今、金欠なんだ。それが利子って事で勘弁してくれよ」
「何で牧岡君がこれを持っているの?違うは・・・、どうして私がこれを探しているのを知っているの?これは二年前にスパイラルがデビュー前にプロモーションカードとして関係者五十名だけ配ったレア中のレアよ!それにこれは偽者じゃない、本物だわ。しかもシリアルナンバー二番」
「いったろ、俺は情報通だって。それとそれをどこで手に入れたかは秘密」
「これ本当に貰っていいの?」
「ああやるよ」
「後で返せ、ってそんな風に言われても返さないわよ」
「くどいなぁ~、そこまで言われるとやるのも惜しくなっちまうってもんだ」
そう言ってから彼は彼女が手に持つそのカードを奪い取ろうとする振りをした。
「あっ、駄目!返しませんよ」
慌てて手を後ろに引っ込める袴田、そして再び口を動かす。
「ねえ、昨日、牧岡君が私に言ったあの事は絶対秘密にしておいてね」
「大丈夫、俺の口は生卵の黄身よりは硬いと思うから」
「何よ、それ?昨日の例えより物が柔らかくなっているじゃない」
「ハハハッ、冗談、冗談だ。それ手に入れたくてあのバイトしてたんだろ。もう続ける必要ないだろ、他の誰かに知られる前にさっさと辞めちまえ」
「そこまで知ってたんだ・・・・・・・・・、牧岡君、どうもアリガトね」
大地はにやりと笑って答え、武と経司のいる場所の方へ歩いていった。
その日、直ぐにそのカードを取り出していたことが沙由梨にばれており、彼女は大地が帰ってくるまで寝ないでずっと待っていた。
深夜、それを知らない大地は鼻歌をしながら家の中に入って行く。いつもの様に牛乳を一杯飲もうと台所へ向かって行く。すると、ダイニングの蛍光灯はついており、テーブルに肘を立て掌の上に顔を乗せている妹が居た。
「大地、機嫌とってもよさそうね。こんな時間まで学校からここに帰ってこないでいつもどこに行ってんのさ?」
沙由梨は座っていた椅子から立ち上がり大地の方へ体を向けた。
「何だ、サユサユまだ起きてたのか?お前には関係ないだろ。さっさとよい子は寝ちまえばいいのに。お肌にも悪いぞぉ。まあっ、可愛くないお前には乙女の柔肌なんか気にスっことも無いか」
その言葉で妹は鋭い目を兄に向けた。
「うっさいわね、どうせアタシは可愛く何って無いわよ。それえより大地、アンタ、アタシの部屋から何か取ったでしょ?今なら許してあげるから直ぐに返して!」
「もともとあれは俺が探してお前にやったものだろ?どうしようと勝手だ。それにどうせ二枚ある、一枚くらいなくなったってどうってことないだろ」
「貰ったらその時点でアタシの物なの。それに一枚とか二枚とか枚数何って関係ない。あれは初めて・・・、初めて大地が、兄貴が、アタシにくれたプレゼントなのに大切な物なのに、宝物なのに・・・」
怒りと悲しみで顔を引き攣らせ、今にも殴らんばかりに拳を震わせていた。
「ユサユサ、お前泣いてんのか?にあわねぇ。くっくっく」
「うっさいっ!馬鹿大地、アンタなんか死んじゃえぇええぇええええぇッ!」
そう言って力の限りテーブルに置いてあった彼女が作った夕食らしきものが乗った皿を大地の顔面にぶつけていた。そして、涙を流しながらその場を去ってゆく妹。
皿が床に落ちる前にそれを掴み取り、顔についた物を指で拭ってそれを舐める。
「味だけは上達しているようだな」
大地はそう呟いて洗面所の方へ向かって行った。
翌日の土曜日、学校の登校日でもなく、部活も休みだった大地は朝早く商店街の開店前のあるお店に向かっていた。店の名は〝La・Surre(ラ・シュール)〟近所でも有名な洋菓子店。
開店一時間前には女性だけで百人もの列が出来るというお店の中腹に大地は立っていた。
美少年歌姫も顔負けの容姿を持つ牧岡大地。
列に並んでいる女性客達の幾人かが、大地を売り出し中の新人歌姫か何かの勘違いしているようで、ちらちらとその容姿と服装の着熟しの格好良さに見とれていた。
彼は周囲のその様な視線も気にせずに携帯情報端末で流行の邦楽や洋楽を聞き流し、携帯情報端末でゲームをしていた。(この時代になると音楽のみを再生する携帯再生機は一部の愛好家くらいしか使っていない)
軈て、洋菓子店が開くと徐々に客が進みはじめる。
大地は携帯情報端末の画面から視線を反らすことなく、流れに躓くことなく、他の客達と歩調を合わせていた。
それから店内にやっと入る事の出来た大地はすぐに日替わりケーキ詰め合わせと言うものを注文した。
会計のため財布の中身を確認する大地。そして、財布の中の心許なさに溜息を吐きながら総てのお札を出して代金を支払いった。
帰路に付きながらまだ二週間近く有る今月どうやって過ごそうか悩む大地だった。
家に帰ると同じく部活が休みだった沙由梨が外に出かけずにリヴィングのソファーで横になってテレビのチャンネルを変えている所だった。
大地の存在に気付くと一瞬だけ振り向き膨れた顔を見せる。
彼は頭を掻きながら、気不味そうに言葉をかけた。
「えぇ~~~とそのなんだぁ・・・、これ買ってきたんだけど食べるか?」
後ろに隠していた先ほど買って来た箱を彼女の前に出しながらそう口にした。
「そんな物でアタシの機嫌取ろうとしても無駄なんだから」
強調した言葉とは裏腹に妹の目はとても輝いていた。なぜなら大地の買って来た洋菓子店のケーキは彼女の好物だったからである。
上機嫌になった彼女はその箱を持ってダイニングへと移動してゆく。
「大地も食べるでしょ?ここのケーキ用の紅茶入れるから待ってて」
「沙由梨の機嫌はこんなもんで直ぐに戻るから楽でいい」
嬉しそうな声でそう言ってくる妹に聞えないくらい小さな声で彼はそう呟いていた。
好物のケーキを三つも食べ終わった頃に極楽の笑みで沙由梨は大地に話しかけ、
「大地。今日、部活ないの?」
「明日は一日中あるから今日は無しになってる。それがどうかしたのか?」
「だったら大地、たまにはアタシと一緒にどっか遊びに行こうよ」
「い・や・だ。今日は家でごろごろするって決めてんだ。何でお前なんかと、友達誘ってどっかいけよ。それに俺、金ほとんどないし」
「そんな心配要らないわよ。だからいこっ!」
「ぜってぇーーー、いやだね」
「決めた今日は大地とお出かけ、ホラッ、いつまでも椅子になんか座ってないでさぁ~~~、さっさと行こうよ」
椅子にしがみ付いて、そこから動こうとしない兄を妹は引っ張り、強引に外に連れ出そうとする彼女だった。
〈クスクスクスッ、いいではないですか大地様。たまには沙由梨様のお相手をして差し上げればよいでしょうに〉
そんな二人の遣り取りを嬉しそうに大地の中で笑う、天津神。ここ暫く、普通に生活している何も知らない住人等が想像も出来ないような事を体験し、非日常が日常に変わりつつ有った大地にとってその日はちょっとだけ平和な時を垣間見たように感じたのだった。
たまには武以外の者の一日を追ってみよう。
まず初めに武の親友であり幼馴染みの香取経司。普段、学校などの公共の場では冷静さを装い、友達等と接している経司。
だが、今日の彼の朝は荒れていた。理由は彼の父親、政人との口論、そして家族関係。
「うるさいっ!何度言われても絶対に病院なんて継がないからな。俺にだって進みたい道があるんだ。絶対嫌だ」
「お前がなんと言おうと絶対にお前に医者の道を歩んでもらう。私の息子である以上進む道を選ぶ権利はお前にはない」
何時の世も、親が子の進む道を強要しようとする家庭は無くならず、特に跡継ぎを必要とする家系なら尚更で、どれ程の年月が経とうともその様親子関係は有り続けるのだろう・・・。
経司は鋭い視線と凄んだ表情で父親、政人を見返すと本心を偽ること無く曝け出していた。
「何で次男の俺が・・・、何故、誠一兄さんじゃなく、俺なんだ!」
「あの男は既に勘当している。あのものが何しようと私には関係ない。それに私はお前に医師としての素質を見出しているのだよ」
「何を根拠に勝手な事を ・・・」
経司の家は地元でも有名な名医が揃う総合病院を経営していた。評判も高く地域住民でその病院に通っている者達の親類に及ぶ誰もが今後もその病院の存続を願っていた。だが、彼の兄はその病院を継ぐのが嫌である程度の収入を得られるようになると家を飛び出してしまっていた。
経司の父親は息子に病院を継いでもらうことを強く望んでいたがその内の一人が飛び出してしまい次男である経司にそれを強要しているのだ。
「経司さん、政人さんの気持ちも分かってあげてください」
「貴女は余計な口出しをしないでください。それとその母親面するのもやめろ。絶対認めない・・・、認めないぞ、認めるもんかっ、俺は」
「お兄ちゃん・・・、どうしてそんなこと言うの?麻緒はそんなの嫌だよ」
「黙れッ!誰が兄だって?そんなのになったつもりはない」
彼のその言葉に七歳も年下で腹違いの妹は涙を浮かべ今にも泣きそうな表情を浮かべる。
「経司、私の事を非難するのはかまわない。だが、亜由美や麻緒にあたるのはやめなさい」
何も言葉にする事も無く、一瞥を父親に向けてから経司は家を飛び出した。
彼の父が再婚してもう十年の日が経とうとしている。その長い年月が息子と父親、義理の母、その間に生まれた子供の間に大きな溝を作ってしまっていた。
経司が彼等を嫌う理由、それは政人の再婚の早さに由来していた。彼の母親である恭子が亡くなって一週間も経たないうちに政人は亜由美と結婚して翌年には二人の子供、麻緒を儲けていた。
当時まだ小学校低学年、自分の母親の恋しい年頃の経司には父親のその行動が信じられなかった。亜由美の人柄はとても良く、優しい人だったし、経司の母親とも親友の間柄で、彼が産まれた頃からずっと彼の成長を見守ってきた人物でも有る。
その人柄の良さと経司の事をよく知っている事が逆に彼にとっては仇となり大きなトラウマを生んでしまう。そして、それは彼の兄も同様な事で高校を卒業すると直ぐに家を飛び出し、去年完全に家との縁を絶ち、余り交流がなくなってしまっている海外、ヨーロッパ方面に行ってしまった。
経司も家を飛び出したい気持ちになっている。しかし、学費や生活費等を自分で出せない今はどうする事も出来ない。もし、独りで生きて行く事を選んでしまえば、武達との交流も難しくなってしまうだろうとも考えており、自立をまだ早いと思っていた。だが、その苛立ちが日に日に募る事は避けられない。それに今は化け物どもが徘徊する世の中、非常事態。それらから人を護るべく夜な夜な戦っているというのに政人が経司に〝病院を継げ〟などと言うから今日はその苛立ちが爆発してしまったようだった。
* * *
経司は財布の中身を確認し、通り道のコンビニエンス〝デイズ・オン〟の中に入って行く。
弁当棚を少し覗くと直ぐに買うものを決め、店内を少し回ってからレジに向かい支払いをした。買ったものは飲み物と昼食・・・、それと朝食。彼はここ七年間、義理の母が作った料理を一切口にしていなかった。経司の義母へのわだかまりは相当なものだった。
経司は歩きながら朝食を摂る。そんな彼に宿る天津神が語りかけてきた。
〈私が口にするのもなんだが経司殿、今日のお主のあの言動、言い過ぎではないのか?今の私は経司殿と思考や心の内、総てを共有している。経司殿の気持ちを判らないではなくないのだが〉
「だったら余計な事を言うな・・・・・・、なにか経津主、お前は俺に降りてきた事を後悔しているのか?」
〈それはない。経司殿は私の正当な意志の後継者である事は間違いないのだ。だが、今の戦いが終わればお主は再び普通の生活の中に身を委ねる事になる。私は私なりに心配しているのだ、経司殿の事を〉
「ハハッ、神様が一個人の事を心配するとは甚だ可笑しい事だな」
〈笑い事ではない。私がこのようにして現世に下り、力を揮えるのも経司殿の存在が有ってこそ。主の心配をする事が可笑しい事なのだろうか?それに感情の起伏は戦う力に影響を及ぼす。戦いのとき力を出し切れず経司殿に何かあっては〉
「今のお前等天津神は人に降りてその肉体を借りなければ力を振るう事が出来ない。降りれる人間も限定されている。その人間に死なれては困るものな、任務遂行のためには。だから心配なんだろう。所詮は神、人間なんて利用するだけの存在」
〈経司殿、それは違う。私は本当にお主を心配して言っているのだ〉
その天津神の言葉に経司は答えを返さず、暫く歩き続ける。
もう少しで武達と会う交差点の角に差しかかろうとした時に、
「経津主、さっきは済まなかった。俺の事を心配して言ってくれた言葉なのにあんな酷いことを言ってしまった」
〈わかってくれれば私はそれでいい。心の起伏、それは誰にでもあることそれは私達、天津とて同じ。だが、それのせいで判断を見誤ってもらっては困るぞ〉
「ああ、承知している」
そう答えてから経司は腕時計で時間を確かめた。八時四分、武と美姫がそこに到着する一分前。
「うっす、おはよう経司?・・・・・・・、何だ、朝から不機嫌そうな顔して」
「何を言う俺はいたって普通だ」
「嘘を言うな。何年お前と一緒にいると思ってんだ?ハァ~~~、原因はまた政人おじさんのことか?しかも亜由美おばさんまで巻き込んでいるだろう?」
「何を理由にそんな事を言うんだ」
「ばぁ~~~かっ、お前が眉間に皺寄せる時は大抵その事があった日だけだ。お前がそんなにツンツンしていたら麻緒ちゃんがかわいそうだろ?」
そう経司は今しがた武が口にした様な表情を作ったままだった。
「武、お前には関係ないことだろ。少しは分別わきまえろ」
「お前な、親がせっかく居るんだから少しはうまくやっていけよ」
幼馴染みのその言葉に経司は武の両親の事を思い出した。そして、己の行動に少なからず恥を感じる。
「悪い。・・・、両親の居ないお前に比べれば俺の境遇なんて・・・・・・・」
「なに言ってやがる。俺の内にある両親の記憶なんてたかが知れている。でも、俺は恭子おばさんのコトはよく覚えている。経司の気持ち分からなくないんだ。だけどさ、亜由美おばさんに当たるのは筋違いだろ?優しい良い人で、ガキの頃から俺達世話になっているのに・・・それにギクシャクした環境で育ってきた麻緒ちゃんのことを考えてやれよ」
「ああわかっているよ・・・、だが、お前に説教されるようじゃ、世も末だな」
「人がまじめに言ってんのに・・・、どうせオレには似合わねえよっ!・・・・・・、だけど、今日は美姫姉ちゃん、一緒じゃなくて良かった。姉ちゃん、経司のそのコト知らないから知ったら絶対ショック受けるぜ」
「武・・・、絶対美姫さんには言わないでくれ、頼む」
「みなまで言うな、俺だって姉ちゃんが悲しむ顔何って見たくない。だけど、親友としてお願いが一つ。俺が何言いたいか分かるよな」
「・・・・・・、ああ」
武の言うように美姫はその事を知ってはいない。亡くなっている実母の恭子、義母の亜由美そして麻緒、それらと親しかった美姫にとって経司のその事実を知ればとても嘆くであろう事は武には分かっていた。
その事を知っているのは武だけでそれが噂になって街の中を一人歩きする事もないから今まで美姫の耳にそれが入る事もなかった。
「さあ、時化た話はおしまい、こんな所で突っ立っていないで学校行こうぜ」
「そうだな、遅刻はしたくない急ごう。・・・・・・、そうだ美姫さんは?」
「今週から週番でいつもより早く出て行ったぜ」
それから取り留めない話しをしながら二人は学校へと向かって行く。
授業中の経司はまじめに映像白板の文字を写している。彼の凄い所は大抵の事なら書きながら正確に記憶しているという事。どちらかと言うと文系方、理数の方は得意ではないが計算問題などは驚異的な記憶力で授業中やった問題がテストに出ればほぼ完璧に答えを書き出す事が可能。だがしかし、少しでもひねった問題が出ればお手上げ状態。
教師が映像白板に文字を書くのをやめ説明し始めると経司はE‐ペンを持ったまま教師に気付かれないように軽く下を向き、今の授業とはまったく関係ない物を読み出した。それは古代史の文献。
今朝、父親に言った彼の進みたい道。それは超古代考学と言う物で高度に発達した現代の科学でも解明出来ない古代の技術の謎を追い求めそれを再現するという分野。
今彼が読んでいる文献は学校の図書室から借りたテオティワカン遺跡の謎に迫るという物だった。経司はそれを真剣に読み始める。そして『カシーッ、カシッ』と言う電子ペンが映像白板をなぞる音が聞えると顔を上げ、手を動かし再びE‐ノートに映像白板のそれを写し始める。それが大抵の授業時間の彼の行動だった。
*1・2ディジタル・ツールの一種。書き留める事だけに特化した超薄型電子端末の事。B5サイズで紙一枚の厚さで其の何万倍もの枚数が記入できる。其れ一つで授業総ての記録を写す事が可能で多機能。
昼休みが訪れる。その時間の多くは武、そして大地達と過ごしていた。誰もいない窓際の席の方で机を向かい合わせてそこに座る武と経司。
「毎日毎日コンビに弁当ばっかで大丈夫かよ、お前?ほら、姉ちゃんが作ったこの弁当と交換してやるよ」
「長い付き合いだからってそこまでして貰わなくても結構だ。その気持ちだけで十分」
「あっそう、経司がそう言うんだったら別にそんならそれで良いんけどぉ~~~」
「うっ・・・、交換してくれ」
「初めから素直にそうしろってんだ」
「それでは美姫さんが作った弁当あり難く戴かせて貰うな」
「おうよ・・・、あっとそれより大地の奴どうした?まだ売店から戻ってきてないようだけど?」
「さっき、牧岡は『今日は久々に学食に行く』って」
「あっそう、んじゃあいつのことは気にせず食べようか」
最近の二人の話題といえば彼等の夜の行動や天津神についてだった。彼等の会話には武甕槌や経津主も割って入ってくることが多い。そして話の内容が濃いため昼休みの時間が短いように感じてしまう経司だった。
午後の授業を終えると経司は週で決められた場所の掃除に向かうそしてそれを終えると部活へと向かった。そこへいく途中、練習場が同じところにある美姫に出会う。
「あっ、経君、貴方も今から部活に向かうところ?」
「美姫さん、はいそうです。今年は受験生なのに部活に出ていても大丈夫なんですか?」
「ウフフフッ、もしかして経君。私の事を心配してくれたりしている」
「美姫さん、学校の成績いいの知っています。だが万が一と言う事もあるから」
「有難う、経君」
嬉しそうな顔を彼女が経司に向けると彼は微妙な程度に表情を紅くした。
武道場につくと彼は直ぐに着替え部員を確認する。そして全員そろった所で仕来りどおりの挨拶をし、準備運動を始めた。
春の大会で三年の先輩が全員やめてから経司が部長に就任していた。
男女合計三十五名居る部員を女子部長と一緒にまとめながら練習を進めていた。
夏場は陽が長い、それと比例するように練習時間も長くなっていた。
夕方でも温度の下がる事のない武道場、滴る汗をぬぐいながら練習時間最後の締めの男女混合一本勝負の勝ち抜き試合が始まった。
幾ら強くても勝ち続けるには体力の必要な持久戦。そして、その戦いは男女の部長同士から始まった。経司に負けず、劣らずの兵、全国区の女子が相手。
そう簡単に勝たせてもらえる相手ではなかったはず。しかし、勝負は一瞬でついた。相手の上段構えの面打ちを小さな動作でかわし経司の見事な抜き胴が彼女に決まったのだ。
それからというもの彼は負け知らず次々と同輩後輩を倒して行く。その凄まじき強さに部員は面の中で驚きの表情を作っていた。
経司は勝ち続け三十四人目、ついに最後の部員と対決するまでに至った。相手は同輩、実力は互角、体力を消耗しきっている経司にとって勝利するには至難の相手。
周囲の暑さ、動く事によって上昇した体温、経司の面の中はむせ返るほど暑く、滝の流れのような汗を掻いていた。その汗が両目に入り視界が揺らぎ、少し痛みを感じていた。手でそれを拭う事の出来ない彼のとった行動は瞼を閉じたまま相手と戦う事、心眼であった。そしてその結果は?
「すっげーーーっすよ先輩、マジで全員抜き?」
「僕の負け?香取、この夏場、何でそんなに体力もつんだ?可笑しいって。グウォーーー、悔しすぎる」
「今日こそは香取君に勝とうって思ってたのに私負けちゃったよ」
後輩は経司を尊敬するような声を上げ、最後に戦った斉藤と女子の部長の藤堂がそれぞれ彼にそんな愚痴を零していた。
「文句は後で聞いてやる。挨拶して終わりにするぞ」
壁にかけてある時計を見ながらそうみんなに言った。現在午後七時少し前。
経司が今強いその理由は経津主神が彼に降りていたからだ。別に神様の力を使って戦っていた訳ではない。経津主の言う鍛錬方法により人間の力の枠内で彼が確実に強くなっていたからだった。
部活終了の挨拶をすると後輩たちに道場の掃除を任せ経司は冷やした手拭で簡単に汗を拭い消臭剤を使って汗の臭いを緩和させてから制服に着替えると直ぐに部室を飛び出し、武の姉を待った。彼女が別の道場の入り口から出てくると二人で校門へと向かう。その場所には既に武と照神が待っていた。経司は照神にじゃれられている武を見ると小さく鼻で笑った表情を彼に見せていた。
経司は武達と途中の道で別れると走って自宅へと向かった。
玄関の扉を開けるとそこには妹の麻緒が居た。彼女は経司に言葉を掛けようとしたが彼はそれを無視して二階へ上がり、着替えを持つと風呂場に向かった。
経司は本当に無視したかった訳じゃない。約束の時間に遅れまいと急いでいたからだった。
浴室に入ると直ぐに湯を汲んで汗を流した。経司はどんなときでも身体を洗ってから浴槽に入るという順番を取っている。
その中に入ると手ですくったお湯を何回か顔に浴びせてから顔を上に向けた。そして、湯船に浸かった状態で三十分くらい仮眠を摂る。
その時間が来ると目を覚まし、風呂から上がり綿布で体を拭うと持ってきた下着と私服を着て鏡台の前に立ち濡れた頭をドライヤーで乾かし頭髪を調え、脱衣所から出て行く。そして、そのまま夕食も食べず玄関へ向かい靴を履き外へ出て行こうとした。
「どこへいくの?」
「お前には関係な・・・、いや夜の仕事に行くだけだ。戸締りは確りしろ、いいな。それじゃ留守を頼む」
「私また独りぼっち・・・・・・」
妹のその小さな声で発せられた言葉は既に玄関の扉を閉めて出て行ってしまった経司に聞える事はない。
経司が夜長い時間、家を空けるようになってから麻緒はずっとこの広い家で独りで寂しい思いをしていた。それはここ最近、政人も亜由美も病院の仕事が忙しく夜遅くまで勤めていたからである。
そんな妹の気持ちに経司は気付いてあげられる事はいつか来るのであろうか?
経司は物置に向かうと隠してあった刀を持ち出し武の家へ向かう。布袋に入れてあるため直ぐにそれが本物の刀だと周りの連中が知る事はない。街の中を行き交う人の間を縫って走って友の待つ家へと向かった。それからその場所に着くと既に武が表に出ていた。
「経司、少し早いんじゃないのか?」
「そう思うならどうして外に出ている」
「いつものことだろ。ンじゃ、大地や岸峰先生が待つ学校へ行くとするか」
そう言って歩き出す幼馴染みの隣を追う経司。暫く歩いてから武が話しかけ、
「ほら、これ食べろよ。夕食も食べずに家飛び出してきたんだろう?今日は大地達の事もあったから姉ちゃんに頼んで多く作ってもらったんだ」
「ありがとう・・・、いただく」
「礼なら、美姫姉ちゃんに言ってくれよ」
経司は頷くと歩きながらその渡されたものを食べた。
二人が学校の宿直室に到着したのは午後八時ちょうど。そこには既に大地、椿、そして、新太郎が居た。経司がそこに集う事で一日の日常が終わりを告げ、非日常、人とは異なる者達との戦いの中に見を投じて行く。
弐 大地と言う名のその男
時間を明朝に遡行して、今度は牧岡大地の一日の始まりとそれからを追ってみよう。
午前七時四十二分、大地はいまだ寝台の中で抱き枕に腕を回し、にやけた表情で眠っていた。
やがて寝言で誰かの名前を口にすると唇をタコのように尖らせ今にも枕に口づけを交わそうとしていた。
「くぉらぁーーーーーーッ、いつまで寝てんの大地!さっさと起きなさい『ボコッ!』」
突然、大地の部屋に現れた女の子が彼にかかっていた掛け布団を引き剥がし持っていたもので殴りつけた。
「なにしやがんだ、こん畜生っ!せっかくいい夢見てたのに・・・・・・、それにてめえ、兄貴に向かって呼び捨てとは何様の積もりだ、沙由梨!!」
「何が『みさきさぁ~~~ん』よっ!何がいい夢よ。ただの妄想でしょう、変態。それに大地とアタシ、一歳しか違わないでしょ?兄貴面しないで。もう忙しいんだからさっさと下に降りてきてね」
「黙れガキ犯すぞ、こら!」
「どうせ口だけでそんな事できっこないくせに馬鹿大地、イィーーーーダッ」
ボーイッシュな髪型、エプロン姿の大地の妹らしき人物は顰めっ面を兄に見せてから部屋を飛び出していった。
「チッ、沙由梨の奴なんでいつもああなんだ」
大地はそう呟きながら起きたままの状態で一階へと降りていった。
一階のダイニングに彼が到着すると妹が作ったと思われる朝食が用意されていた。そして、彼はぼさぼさ髪の頭と股間を妹に見せるように掻きながら椅子へと座る。
「やめてよ、大地。アタシの前でそんなことするの。それってアタシへの当て付け?何か恨みでもあるの?」
「大有りだっつぅ~~の。サユサユ、俺の事を敬え、そして〝お兄様〟と呼べ」
「誰が〝サユサユ〟よ。絶対嫌、死んでもやだ」
「チッ、可愛くねえなぁ。そのうち絶対言わせてやる」
「可愛くなくて結構、そんな日、永遠に来ないわね。・・・、それより馬鹿な事いってないでサクッと朝食を食べちゃってよ」
大地は口を動かすのをやめ、箸を持って出されたものを突っつき始める。彼は出された物の見てくれの悪さに大きく溜息をついた。
「何だよ、これ?見た目悪すぎ」
「どうせアタシの料理は見てくれ悪いですよぉ~~~だっ。文句言うなら食べなくてもいいわ。フンだっ」
沙由梨はそう言って大地の方に置いてあった皿を引っ込めようとした。
「アワワワワッ、誰も食べないって言ってないだろう。確かにサユサユの料理、見た目は人の芸術の枠を超越している。神の芸術か?けど味は大丈夫なの知ってるから・・・、食わしてくれ」
「だったらはじめから何も言わないで食べればいいのよ、まったく」
慌てて妹から皿を取り戻して食べ始める彼であった。
その場所には妹の沙由梨とその兄である大地しか居ない。彼等の両親は現在、経司の父親が経営する病院に入院中。
二人の両親は昨今に起きた魑魅魍魎事件のこの地域での最初の犠牲者だった。
普通だったら生きて助かる事のないその事件、彼等の両親は重傷を負いながらも奇跡的に助かり、一命を取り留めたのだ。しかし、同じ場所に居合わせ助からなかった者もいると言う。
大地は朝食の終わりに一リットルパック牛乳の注ぎ口の所に直接唇を付けそれを飲むとゲップと一緒に『ブホォッ』と言う大きな放屁の音を妹に聞かせていた。
「もぉいやらしいぃーーー、女の子の前でやめって、みっともない。大地ッたら本当にデリカシーないんだから」
「見た目がカッコイイの認めるけど・・・、何でこんな人が私の学校の生徒にまで人気があるの不思議。可笑しいわ、間違ってる、詐欺よ!」
「こんなことするの沙由梨、お前の前だけだ。外ではいたってまともにしてる」
「マジで?こんなに可愛らしい妹に精神的虐待?イジメ?本当に大地サイッッテェー」
「ハぁンッ?誰が可愛いって?お前、鏡見た事アンのか?そんな言葉口にすんの全国、いや全世界、うぅん、違う、違うな、全宇宙の可愛子ちゃんに失礼だ」
「マジムカつく。馬鹿大地、死んじゃえぇーーーーーーーーーッ!」
その妹は手元にあったフォークを大地に向かって投げつけた。間一髪で大地が躱したそのフォークはそのままの軌道を保ち壁に突き刺さった。それを見た大地は薄っすらと脂汗を流す。
「沙由梨、てめぇ、マジ俺のこと殺す気かよ!・・・って、まあ助かったからいいや、俺の相手をしている暇あるのか?学校遅刻するぞ」
「エッ、あぁああっ、もうこんな時間!遅刻したら大地のせいだからね。アタシもう行く、洗い物くらいしておいてよね」
「やなこったぁ」
その言葉を聞いた沙由梨は膨れた表情を彼に向け立ち去っていった。
〈大地様、あんな言い方をしたら沙由梨様が可愛そうではありませんか。もっとお優しく接してあげたらよろしいでしょうに乙女心は疵付き易いのですよ〉
「黙れ、児屋根、他の事には口出ししても良いが俺と妹の事はでしゃばるな。もしでしゃばれば珠に封じて粉々に砕いて魚の餌にするぞ」
「ああああぁ、大地様それだけはご勘弁を・・・、って僕は何を恐れているのでしょうか?その様なことをされてもいか程もありはしませんのに」
「ハッハッハ、児屋根もおもろいリアクションするじゃないか。さっ、俺達も後片付けして学校行くとするか」
妹には後片付けしないといっていたはずの大地、綺麗に洗い物を終えてから洗面所へと移動した。
顔を洗い、鬚を剃り、歯を磨いてからヘアーワックスとドライヤーを使い丁寧に髪を整えた。沙由梨には見せていた物とは別の顔に生まれ変わる。そして、それが終わると鏡を見ながら、
「よっしっ今日も決まってるね」と言葉にし、親指を顔前に立て歯揃えの良い綺麗な歯を鏡面に映し出した。
〈大地様その様な事をしていないで早く学校へ行きましょう〉
「なんだとこらっ!はったおすぞ」
「どうぞ、出来るものならやってみてください」
「チッ、最近、流しできるようになったな、児屋根」
〈大地様のお言葉遊びに鍛えられていますもので〉
その天津神の意志の継承者は天児屋根の言葉に苦笑しながら自室へ戻ってゆく。
制服に着替え終わり学校へ行く準備が出来た頃は既に徒歩で向かうには時間が経ち過ぎていた。彼は自転車に乗ってその場所に向かおうとしたのだが・・・。
「げっ、パンクしてやがる」
〈それは日ごろの大地様の行いが悪いからでないでしょうか?天照大御上様がお怒りになってあなた様に罰をお与えたのですよ、きっと〉
「児屋根ッ、お前神様だろ?そんなこと言ってないでこれ何とかしろ。これ直しやがれ」
〈僕にはその様な力ありません。あ・し・か・ら・ず〉
「ハァ、よしっ、飛んでいくか?」
〈駄目です、そんな利己的なために僕は力を貸しませんよ〉
「タクッ我侭いいやがって仕方がねぇ、バスで行くとするか」
〈やれやれ、どちらがですか〉
大地は腕時計を見ながらバス停の方角へ走って行く。靖華城学院行きのバスがちょうど出発する所だった。しかも遅刻前ギリギリに学校へ到着するバス。それを慌てて呼び止め乗り込んでゆく大地であった。
満席状態、大地は手すりに掴まり窓の外を眺めながら学校へ到着するのを待った。アナウンスで次の停車する場所が学校前だと知ると運賃の準備をするため財布を捜す大地。だがしかし、それを家に忘れてきてしまったのに気付く、電子通貨を扱える媒体すらないことにも気づかされた。と基よりこの男は現金主義でなぜか電子通貨の類を毛嫌いしていた。特に明確な嫌う理由はない。彼の乗るバスは東京でも珍しく、後払いの物だったために乗車する前に気が付かなかったのだ。
心の中で自分に悪態を吐くとバスの中に知っている生徒が乗って居ないか見回した。すると運良く同じ学級の女子が後部座席に座っていたのだ。
「よっ!おはよう、袴田」
「あら、牧岡君じゃない。バスで登校?珍しいんじゃないの」
「珍しい事するもんじゃないね。財布忘れちまったんだ。現金か電子通貨使える何か貸してくんない?」
「エッなんで私がそんなことしなくちゃいけないのよ。いやですよ」
「そんなこと言うなよ、袴田・・・、まっ別に嫌ならいいんだけどな」
彼はそう言ってからその同級生の耳元で何かを囁いた。それを聞いた彼女は驚愕の色を浮かべる。
「どうして牧岡君がそんな事知っているのよ?」
「俺の情報網を舐めるなよ。内の生徒の事で知らない事何って一つも無いんだぜ。優等生の袴田がねぇ、あんな事してる何ってばれたらどんな目で見られるでしょうかね」
「それって恐喝のつもり?」
「脅し?人聞きの悪い。正統な交渉術だ。それに俺は貸せ、って言ってるんだぜ。返さないとは一言も言ってない」
「分かったわよ。これだけ貸せば足りるでしょ?その代わり絶対秘密にしてくれるんでしょうね?」
牧岡大地の同級生らしいその女子学生はそう言って、財布から現金を取り出し彼に手渡した。
「サンキュ、大丈夫だ。俺の口は豆腐よりは硬いから」
「なによ、それっ!!」
「おっと到着したようだ。降りようぜ、ハ・カ・マ・ダ」
同級生に嫌な笑い顔を見せてから借りた千円札を小銭に崩し、料金を払ってバスから降りて行った。彼はバスから降りると学校の中へ向かって走り出す。
〈大地様、あの娘様にあんな事を言う何って酷いですよ。心、改めなさい〉
「あのなぁ、児屋根?俺が何を思ってああ言っているのか知ってるくせにうるさいぞ。借りたもんはちゃんと返す。それは俺の流儀だ。しかも熨斗つけ、利子付けでな」
〈僕が言っているのは人から物をお借りになるならもっと丁寧に交渉しなさいという事です。それは私の祝詞の力を使う事にもいえるのですよ〉
「へいへい、わかってますよ」
大地が教室に駆け入り、後から歩いてやってきた袴田がその場所に入るとちょうど朝のホームルームが始まる鐘の音が鳴った。
最近になってからは大地の授業中の態度といえばほぼ睡眠。どの教科の先生も大地に注意することが無いのを学級の生徒は不審に思っていた。しかし、同級生の心中を察する事も無く堂々と居眠りをしている彼。
だが、いびきや寝言と言う騒音を立てて授業を妨害する事はまったく無かった。
大地が異常なほど眠りを欲するのは天児屋根の持つ力を十分に生かしきれず、その疲れが溜まる為であった。彼の友達がゆすってもけして起きる事が無い。
その状態のままお昼まで時が進む。すると今まで目を覚まさなかった大地は腹の虫の音を立てて起き上がる。
「さあ、メシメシ、今日はどうすっかなぁ?売店のもんも飽きてきたし久しぶりに学食に行くか」
袴田と言う同級生から借りた金の釣銭を見ながらそんな事を独りで呟く、大地。
そんな風にぶつぶつと呟くと教室を出てその場所へと向かって行く。
目的地に到着すると大地のファンクラブの女の子達が一緒に食べようと詰め寄ってきた。
「わりい、悪い、先約があんだ。おおっ、熱海、まったか?」
食堂を見回し、自分の知っている友達が見つかると嘘を言いながらその女子等を避けるようにそちへと買った物を持って移動した。
その部活仲間の正面の空いていた席に座ると直ぐに食事にありついた。食べ終わるのに三分とかからない。それが終わると熱海と言う人物と部活の話しを始め、話題が尽きた頃に教室へと向かった。
午後の行動は武に降りている武甕槌に言われた効率よく神気を操るための訓練をしていた。しかし、傍から見たらなんら寝ているのと変わらない。
総ての授業を終え大地も割り当てられた掃除場所へと向かう。口は悪し、様相は不真面目に見えてしまうが協調性があり、仲間思いでも有る彼はそう言った事はまじめに取り組んでいた。それに清潔綺麗を心がけている大地は整理整頓や掃除と言ったものが密かに好きでもあった。
「これで掃除終わり、んじゃ、野郎どもまたあした」
同じ掃除班の友達と別れを告げ、部室がある方へと向かって行く。それから、その場所に先に来ていた武と一緒に喋りながら着替え始めた大地。
「大地、体の調子戻ってきたか?」
「まあなぇ、大分良くなったんじゃないか?武ンとこに降りている奴、そのなんて名前だっけ、はげいかむし?」
「態と言うな、た・け・み・か・づ・ち。武甕槌だ」
「ああそうそう、崖っぷち」
〈だっ、大地様、なんと失礼な事を申すのですか!ああ、武甕槌様この者の口の悪さをお赦しくださいませ〉
「俺と一緒に居る神様の名前を変に呼ぶな。大地。てめえに雷落とすぞ」
〈武、それと天児屋根よ、気にする事は無い。それが大地の性格なのであろう?無理に枉げる必要もあるまい〉
「いいなぁ、児屋根と違って武甕槌の神は口煩くなさそうで。それにその神さん神気の鍛錬法だっけ?それで体調良くなって来たんだから。その点そこらへんは児屋根の奴、ぜんぜん役立たず」
〈ぐすんっ、僕って役立たずなんですか?大地様ごめんなさい〉
「不届きなやつめ、何ってことを神様に言いやがるんだ、大地!」
「俺に神も仏もない。俺達は神様、神様って言うけど天津神だって本当は神様じゃないんだろう?なあ、こ・や・ね」
「ああいいよ、そんなこったもう。早くグラウンドに出ようぜ、みんな集まっている。遅れると神村主将おっかないからからな」
練習中の大地の動きは不調前までのように戻っていた。そして、大地は武と一緒に前線で楽しそうに体を動かしていた。
武と大地の息の合った動きに神村主将も満足げな表情。今年こそは全国に行けそうだと呟いていた。
部活が終わるとその二人は一緒に帰らず部室前で別れの言葉を告げる。
「俺は校長センセと椿センセとやる事があっからあっち行くぜ。そんじゃ、また八時に宿直室で会おう。経司にもそう伝えて置けよ」
「わかった、それじゃ八時に宿直室集合ってことで」
校門の方へ武が向かうのを確認してから大地は校舎の方へ歩いていった。
彼が宿直室に到着するとそこには霧島校長と岸峰先生が大地の来るのを待っていた。そして、その部屋の卓袱台の上には店屋物で取った丼物が置かれている。
「牧岡君、部活ご苦労様。疲れているとは思いますがこれからまた大変でしょうからそれまで少し休んでいてください」
「牧岡君、立ってないでこれをお食べなさい」
「また店屋もんすか?たまには椿センセが何か作ってくださいよ。・・・・・・、あっ、とそうだった。センセ料理できないんすよねぇ~~~、せっかく美人で性格良いのにお可愛そう。男をゲットできる条件の一つを満たしていないとは」
「どうして牧岡君がわたくしの料理できない事を知っているの?・・・、ですが、私がそれを出来なくても作ってくれます男性の方を探すわ」
「チッチッチッ、甘いですね。今は男が女を選ぶ時代ですよ。なんせ、人口比率男一に対して女が三。それに統計によると現行の六割強の男が女に望む第一条件がドメスティック・レディー。その時点でセンセはふるいにかけられ残り三割弱の男を選ぶ」
「がぁ~~~しかし、なかなか結婚できないトップ・テンに男女共に教師って職業が入っている。あぁ~~~、絶望的」
「そして俺的センセの男子生徒限定人気調査によれば椿センセの支持率93%。うむ、うむ良い結果です。で・す・がぁ~~~・・・、そこで浮かれてもらっては困りますぜ、センセっ!人気あってもセンセと週末を一緒に過ごしたいって奴はなんとゼロだ。生徒とセンセって言う禁断の恋何って無い、ない。それに加えてな、男教師支持率100%すごいっすねぇ。しかしぃ~、美人だけど近寄りがたいらしく、恋人、奥さん、愛人どれにもしたくないそうだってぇ~~~」
「ううううぅうぅ・・・、ひっ、酷い、酷すぎるわ、牧岡君。先生を言葉でなじってそんなに嬉しいのかしら」
「嬉しいわけないしょ。だけどぉ、やっぱ椿センセェーーーには現実をちゃんと見てもらわないとねぇ~~~」
「霧島校長、生徒が教師に対して余りにも酷い仕打ちですわ。・・・、何とか言ってください」
「まあ、良くその様に口が回るものです。たいしたものですよ、牧岡君。それも貴方の才能の一つですね」
「校長、私のことをお庇いしてはくれないのですか?」
「若い者の言う事です。大人は少しぐらい広い心を持って受け流してあげなさい。さあ、それよりも店屋物が冷めてしまいます。早くお食べになりなさい」
「校長までその様なことを言うのですか・・・、それはわたくしのお金でお取り寄せした物です。口の悪いことを言う牧岡君には食べさせてあげません」
しかし、椿が大地からそれを取り上げようとした時は既に遅く、どんぶりの中の半分は彼の口の中を通り胃の中に収まっていた。
「あれだけ散々、わたくしを中傷していながら・・・、牧岡君、貴方って方は!」
「だって、俺一言も食べないとは言ってないぜ。はいっ、ごっそぉ~~~さんっ、とぉ~~~」
そんな彼の態度に椿は呆れるばかりであった。
食事を終えるとその三人はそれらに降りる天津神達と会話をして彼等が築いた結界に綻びが生じていないかその場で確認を始める。
綻びが見つかると新太郎と大地が邇邇芸と天児屋根の力を使ってそれを修復した。椿はその二人が放つ気を天宇受売と共に効率よく周囲に広げて行く。それから、それがちょうど終わった頃に武と経司の二人が宿直室に顔を見せた。
時間は午後八時。
その時間を境に牧岡大地の今日と言う日の日常が非日常へと完全に変わり始めるのだ。
参 その後の二人の兄たち
今日の彼等の目的は守護結界の範囲を少しでも広げるために各地域の特異点に天津神の要力を植えつける事だった。
彼等、五人と五神が向かった場所は現在の千葉県柏市大室、その場所の近くには大きな池が望める場所だった。
〈霧島殿、ここらあたりなら我々の力も上手く伝わろう〉
「分かり申した。それでは皆さんここの下へ降りるとしましょう」
靖華城の校長は穏やかな声でみなを促し上空から地上へ降り立った。
「香取君、牧岡君、鹿嶋君それでは私と校長先生はこの場所に結界の力を注ぎいれます。その間の護りの方よろしくお願いね」
妖怪と異なって魑魅魍魎は濁りのない気、聖気、神気の類に惹かれ寄って来る性質を持っている。それゆえに結界を張る間、無防備になってしまう二人を生徒の三人が護る事になっていた。
新太郎は邇邇芸の命ずるまま印を結び、神言を唱え始め、椿は天宇受売と魂の波長を合わせ彼の周りを荘厳華麗な舞いで踊り回る。それから二人が結界を創り始めてかなり時が経とうとしている。南天の夜空に昇る月が中腹の位置を通り過ぎていた。
武、経司、大地の三人はずっと周囲の気配を探りながら敵が襲ってくるのに備えていた。
「もう少しで五時間か。随分と過ぎてるぜ。まだ終わらないのかあれは?暇でしょうがない」
「俺達は暇な方がいい」
「マジメ君の香取からそんなサボりてぇ~な言葉聞けるとは珍しい」
「俺の言葉の意味を察しろ。俺達が戦わなくて済むって事は結界の効果で周囲に化け物が出ないって事、人々に被害が及ばないって事だ」
「ハイ、ハイ、説明ご苦労さん。香取に言われなくたってそのくらい分かっていたさ。アァーーーハッハッハハッハァっ」
「牧岡・・・・・・・・・、貴様、俺のこれの錆になりたいか?」
冷たく射抜く視線で彼は鞘に収めていた刀を抜き、その剣先を大地の鼻の頭に当たるか当たらないかの所に構えた。
「ナハハハハッ、冗談だって、冗談だってばよ、香取。ほんもんだろ?だからそんな危ないもん人に向けんな」
脂汗を幾筋も頬にたらし左手を前に出しその手のひらを振りながら後退る彼だった。
「俺も冗談だ・・・・・・・・・」
〈大地様も経司様もその様な言葉遊びなどなさらないで周囲に注意を払っていただきたいです。武様を見習ったらどうですか?〉
〈天児屋根殿の言うとおりだ、経司殿。小物どもでは邇邇芸殿と天宇受売殿の張る結界内で邪な行いは無理であろうが格の高い者であれば天照大御上殿の加護なき今・・・・〉
大地と経司がその二神の天津神に説教されていると一番初めに話しをふって来た武は現れた十数体の化け物と臨戦態勢に入ろうとしていた。それを見た大地と経司は心の中で舌打ちしながら武に加勢しようとその場から動き出す。
香取経司は先ほど鞘に収めてしまった刀を再び抜き、それに火属性の神気を伝わせる。武や大地のように神言や祝詞といった天津神の力を行使するための手順を必要としない経司の行動は三人の中で一番素早かった。
経司の握る刀に蒼紫の炎が灯る。経津主が彼に与えた技の一つ、紫炎。その火の力が物に摂り憑いた瘴気を焼き、滅し祓う。
新太郎と椿の張った結界内で暴れる数多くの瘴気を纏った魍魎、経司の一太刀では完全にその瘴気を殺ぐ事は出来なかった。だが、彼は多少の驚きも見せず相手の攻撃を躱しながら相手の瘴気が滅するまで何度も何度も力強く刀を振り抜いていた。
「この一撃が最後だっ!汝自然の環に返れ。タァーーーーーーーーーーーーッ」
最後のその一刀で彼が相手をしていた魍魎の瘴気は完全に浄化され憑依媒体が姿を現した。
それは数百年も前の巨大な産業廃棄物の残骸。その残骸をジッと悲しそうな瞳で見つめる経司。刃に力だけの神気を込め、一刀両断のもとにした。そして瞼を閉じ、一呼吸してからカッと目を見開き、刀を下段に構え次の目標に向かって走り出した。
「児屋根ッ!俺にいつも守りばっかやらせねぇでなんかこう武や香取みたいにその相手をドバンとするもん無いのか」
〈ドバン?どのような意味でしょうか大地様。僕には全く理解できません〉
「児屋根ぇ分かってるくせにこんにゃろ、ハッタオスぞ!」
〈アハハハハッ・・・、その様に青筋を立ててお怒りにならないで下さい。そうですね武甕槌様の御助力により大地様も随分と気の扱いが宜しくなって来たようですので・・・、ですが言葉に正しさと敬意を込めて力を伝わせてください〉
「そこら辺は確りやる。うんでどうするんだ?」
〈これが初めての事ですので英霊を呼び出すといたしましょうか。それでは神降ろしの祝詞を始めます。僕の言葉に遵って僕とそれを綴って下さい〉
大地の神気のこもった美声と天児屋根自身が発する力の波が共鳴協和してとても神秘的な声を辺りに響かせる。
『地乃優役果手天尓召左礼志尊乃魂、今一度、天児屋根、我乃言葉乃願乎聞伎届介、倭建尊、此乃地尓降里良礼賜衣』
言葉の終わりに大地は拍手を三回、大きく打ち景気の良い音を立てた。すると魑魅魍魎の周囲に大きな光が現れ、その中から角髪結いをし、白装束を纏った一人の男が剣を携え現れた。
その男は片手に携えていた剣を天に掲げ両手で構え魍魎たちに向かって大きく振り下ろした。その一閃で敵が倒れない事を理解すると一体一体相手をしながら確実に仕留めて行く。
大地は空中に浮遊しながら倭建尊の働きを見物し、その英霊の力が維持できるように天児屋根と共に祝詞を詠い、拍手を打つ。
経司、大地、そして武達が戦うたびに放つ神気の流れが新たな魑魅魍魎を呼び寄せる。だがしかし、三人は怯まずひたすら襲い来る者達を相手し、結界が新太郎と椿の手によって完成させられるのを待った。
その結界が完成しつつあるのだろう。その場に現れている魑魅たちの力が弱まり始めた。今まで一太刀で倒せなかった者達が簡単に浄化され、物に摂り憑く力がうせた瘴気は媒体から剥がれ自然に浄化して行く。ついに新太郎が口を動かすのを止め、椿が舞うのを止めた時、三人の生徒達が戦っていた化け物たちは消え失せていた。
〈ご苦労であったぞ、霧島殿。みなの者にも労いの言葉をかけてあげた方がよろしかろう〉
「鹿嶋君、香取君、牧岡君、三人ともご苦労様でした。明日も校内では私の言った範囲内なら自由にして下さって構いません。それでは解散しましょう」
「三人ともお寄り道しないでお帰りなさい。よろしいですね?」
「俺達小学生じゃあるまいし、そんな言葉耳に入んないぜ。行こうか香取、武」
そう言って浮遊しようとした彼は空中で体制を崩し地面に落ちてくる。
「フッ、祝詞の力使いすぎたんだろう。肩貸してやる、摑まれ」
経司が肩に大地の腕を回し立ち上がらせるとその逆側の腕を武が幼馴染みと同じように持つ。
「先生それでは失礼します。また明日」
「うんじゃ、そういうことで」
大地を担いでから二人は先生達にそう言ってその場所から先に飛び立っていった。
彼等の住まう東京府杉野台区高円寺付近の人目に付き難い場所に降り立ち、そこで解散した。
霧島新太郎たちの張った結界の力の影響なのだろうか何時もよりも、夜の空は澄み切り、闇の中を敷き詰めるように散りばめられた星々が煌々と光を放つ。その様な上空を眺めながらゆっくりと歩き出し、自分の家に向かう経司。彼が帰宅した時間は深夜三時過ぎ、彼の家の中の明かりも外の常夜灯すらも点っていない。
家宅防犯の電気電子化普及率は九割を超すほどに広まったが、未だにこの時代でも生体認識式や電子式鍵とそれで動く電気式錠よりも機械式の方が一般的だった。経司の住まいはその両方が使える仕様だったが彼はジーンズのポケットから家の鍵を取り出すとそれを扉の錠の中へ差し込んだ。しかし、そこで彼は何かに気付く。それは錠が下ろされていないこと。いつもならこの時間それは確りとされているものだった。
不審に思いながら取っ手を掴み静かにゆっくりと回し、物音を立てないように扉を開け中に入る。
家の中は矢張り暗い。意識を集中させ物の怪の類の気配がないか、何らかの異変が起きていないかを感じ取ろうと探る。だが、特に異常がない事を悟る経司。
ただの鍵の掛け忘れかと、無用心だなと思いつつ靴を抜き、足音を立てないように玄関口廊下に上がりその場所から直ぐに二階に上がれる階段を昇ろうとした。
下を向きながら一段目に足を掛けた時、階段上の方に誰かが居る気配を感じた経司はそちらの方を見上げた。そして、階段の中腹に麻緒がぬいぐるみを抱きながら独り、淋しそうに座っているのが目に入ってきた。
「おにぃ・・・、経司さん、お帰りなさいなの・・・・・・・・・・・・・・」
彼女は小さな声で経司に言葉を投げかけてきた。しかし、彼女を無視するのか?彼はその脇を通り抜けようとする。
〈経司殿、武殿と交わした約束をお忘れか!〉
その言葉に経司の上げていた足が麻緒の腰と同じ段に降ろされる。
「ただいま・・・・・・・・・・」
その一言だけで暫くの沈黙が続く。そして再び彼の唇が動いた。
「麻緒、俺を許してくれなくてもいい。だが謝っておく。その・・・、お前に辛く当たって・・・、優しくしてやれなくて・・・、兄らしいこと何一つしてやれないで、駄目な兄で・・・・・・、今まで悪かった」
言葉をいい終えた経司は可愛らしいリボンをつけた妹の頭に掌を静かに乗せた。
麻緒の頬に細い涙の軌跡が浮かび上がる。そして、それはやがて太い流れとなっていた。
抱かれていたぬいぐるみが階段を転げ落ち彼女の腕は立ったままの経司の足に回っていた。更にその中に顔を埋め泣き始める。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、麻緒・・・、麻緒、とっても悲しかった。とっても辛かったの。だって、だって、誠一お兄ちゃんも経司お兄ちゃんもずっと麻緒のこと嫌っていたから・・・・・・・・・、政人パパも亜由美ママもお仕事忙しくて麻緒を構ってくれなくて淋しかったの」
「誠一兄さんは違う。兄さんは俺と違って父さんを嫌っていても麻緒と亜由美さんを嫌っている事は無かった。・・・・・・、俺はもうお前を嫌ったり、無視したりしないから・・・、だから、泣かないでくれ、麻緒」
「うん、お兄ちゃんに嫌われたくないから麻緒はもう泣かないの」
彼女はそう言って涙を両手で拭い笑顔を兄に向けた。
「父さんと亜由美さん二人は?」
「まだ、病院でお仕事・・・、だから今日も麻緒、ずっと独りちぼっちだったの」
「独りにして悪かった。だが俺だってやらなければならない事がある」
「それは経司お兄ちゃんがお化けさんと戦うこと?そんなの駄目。嫌だよ、麻緒、お兄ちゃんが怪我したら嫌だもん」
以前、彼女は夜中に経司が家の外で妖怪と戦っているのを二階の自室から目撃していた。
「おっお化けだ?・・・何故、麻緒がそれを・・・・・・、だが、俺がやらなければ多くの人の命が失われるかもしれない」
「それでも麻緒は嫌。だって、だってせっかく経司お兄ちゃんがお兄ちゃんって呼ばせてくれるようになったのに・・・、お化けと戦って、その・・・・・・、おにいちゃんが死んじゃったら麻緒、嫌だよ」
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泣き出そうとする麻緒を見てうろたえ、情けない表情と声を彼は作った。
〈経司殿、それは私の関与するところでは無い事を分かっているはず。貴方が本当に麻緒殿の事を思うなら迷う事は無いはずでは?経司殿、自分で決めなさい。さあ、さあぁ~~~、貴方の言葉を麻緒殿にお聞かせして上げなさい〉
兄と妹、そして男と女の関係と言うこれから二人の人生に大きく影響してしまいそうな究極の選択を経司は麻緒から迫られるのであった。そして、彼の口から出た答えとは・・・・・・・・?
経司が麻緒に答えを出そうとした頃、牧岡大地が自宅前に到着し、その中に入っていた所だった。
大地はそのまま自室には戻らず、牛乳を飲むためにキッチンへと向かった。
ダイニングルームを通り抜け、そこへ向かおうとしたとき椅子に座りながら食卓の上に手と頭を乗せ寝ている妹の沙由梨に気付く。そしてテーブルの上においてある夕食らしき物にも。
彼女は良く眠っているようだ。大地の足音に気付く事は無い。
「大地の馬鹿、一体どこほっつき歩いているよ・・・、ムニャ、ムニャ、ムニャ」
沙由梨のその寝言に大地は一瞬、ドキッとした。胸を撫で下ろし、台所の冷蔵庫を開け牛乳を取り出す。それから、それを飲むみながら冷め切ったそれを見てほくそえんで口に運んだ。
「味はいいけど相変わらずの見た目。児屋根、お前も食べてみるか?」
〈ハイ、それでは僕も・・・・・・、シクシクッ、大地様、僕はどうやって味わえばよいのでしょうか〉
「ハハハッ、やっぱ無理かこればっかりは・・・・・・・・・・・・・・・・」
大地はテーブルに用意してあったものを平らげるとそれを直ぐ洗い、濡れた部分を拭いて食器棚に戻す。それが終わるとダイニングの方に向き直り妹を見て小さく溜息をついた。
「なあ、児屋根?沙由梨を起こさず部屋に連れてってやりたいんだけど。力貸せ」
〈フフフッ、大地様が沙由梨様にその様な事をしてあげる何って珍しい事ですね〉
「たまには兄貴らしいことしてやねぇ~とシカトされそうだしな」
彼は神気を込めた小さな声で天児屋根の詠う安眠の祝詞を復唱した。神気の乗ったその声が暖かく沙由梨を包む。
「うんじゃ、本当に起きないか数発くらい殴って試してみようか?」
〈その様なことをしては沙由梨様が可愛そうですよ〉
「しゃぁ~~~ねぇなぁ、今回は勘弁してやっか」
天児屋根の懇願するような声に残念そうにその行動をやめ妹を抱きかかえ、彼女の部屋に向かって行く。
彼女の部屋に連れてゆくと大地は沙由梨を寝台の上に放り投げた。投げ落とされた力と彼女の体重の重みで寝台が一瞬大きく揺らぐ。しかし、彼女が目を覚ます事は無い。
〈アワワワワワァ、大地様。なんて事を〉
「ウッシ、起きないようだ」
大地は妹が起きない事を確認すると暗がりの中で彼女の部屋を見回し何かを探し始めた。
お目当ての物を探すのに約十五分、大地の手にした物はA4サイズのカードフォルダーだった。それを開き目的のカードを探す。彼が必要としていたカードは頁最後の中央、そのカード以外他のものは無い。そしてその下には〝私の宝物♡〟と言う紙が挿入されていた。
カードを抜き取ると同じものが二枚あった。その内の一枚だけを手に取りもう一枚を元入っていた場所へ戻す。大地が手にしたそれはカードの端を握ると数分間映像が立体で流れるというトレンディー・カードだった。
〈大地様、人のものを盗る何っていけません直ぐに戻してください〉
「児屋根黙ってろ。これはもともと俺が沙由梨にやったもんだ。俺がどうしようと勝手だろう」
〈沙由梨様が嘆かれても僕は知りませんからね〉
*トレンディー・カード=トレーディング・カードやブロマイドとは似て異なる物 。
翌日、学校の昼休み時間で大地は千円札と沙由梨の部屋から持ち出したカードを熨斗袋の中に一緒に入れ、それを袴田に返していた。
「袴田、昨日借りていたこれ返すぞ、受け取れ」
受け取ったその同級生は中に入っていた物を取り出し、お金とは別の物を見て目を丸くして驚いた。
「今、金欠なんだ。それが利子って事で勘弁してくれよ」
「何で牧岡君がこれを持っているの?違うは・・・、どうして私がこれを探しているのを知っているの?これは二年前にスパイラルがデビュー前にプロモーションカードとして関係者五十名だけ配ったレア中のレアよ!それにこれは偽者じゃない、本物だわ。しかもシリアルナンバー二番」
「いったろ、俺は情報通だって。それとそれをどこで手に入れたかは秘密」
「これ本当に貰っていいの?」
「ああやるよ」
「後で返せ、ってそんな風に言われても返さないわよ」
「くどいなぁ~、そこまで言われるとやるのも惜しくなっちまうってもんだ」
そう言ってから彼は彼女が手に持つそのカードを奪い取ろうとする振りをした。
「あっ、駄目!返しませんよ」
慌てて手を後ろに引っ込める袴田、そして再び口を動かす。
「ねえ、昨日、牧岡君が私に言ったあの事は絶対秘密にしておいてね」
「大丈夫、俺の口は生卵の黄身よりは硬いと思うから」
「何よ、それ?昨日の例えより物が柔らかくなっているじゃない」
「ハハハッ、冗談、冗談だ。それ手に入れたくてあのバイトしてたんだろ。もう続ける必要ないだろ、他の誰かに知られる前にさっさと辞めちまえ」
「そこまで知ってたんだ・・・・・・・・・、牧岡君、どうもアリガトね」
大地はにやりと笑って答え、武と経司のいる場所の方へ歩いていった。
その日、直ぐにそのカードを取り出していたことが沙由梨にばれており、彼女は大地が帰ってくるまで寝ないでずっと待っていた。
深夜、それを知らない大地は鼻歌をしながら家の中に入って行く。いつもの様に牛乳を一杯飲もうと台所へ向かって行く。すると、ダイニングの蛍光灯はついており、テーブルに肘を立て掌の上に顔を乗せている妹が居た。
「大地、機嫌とってもよさそうね。こんな時間まで学校からここに帰ってこないでいつもどこに行ってんのさ?」
沙由梨は座っていた椅子から立ち上がり大地の方へ体を向けた。
「何だ、サユサユまだ起きてたのか?お前には関係ないだろ。さっさとよい子は寝ちまえばいいのに。お肌にも悪いぞぉ。まあっ、可愛くないお前には乙女の柔肌なんか気にスっことも無いか」
その言葉で妹は鋭い目を兄に向けた。
「うっさいわね、どうせアタシは可愛く何って無いわよ。それえより大地、アンタ、アタシの部屋から何か取ったでしょ?今なら許してあげるから直ぐに返して!」
「もともとあれは俺が探してお前にやったものだろ?どうしようと勝手だ。それにどうせ二枚ある、一枚くらいなくなったってどうってことないだろ」
「貰ったらその時点でアタシの物なの。それに一枚とか二枚とか枚数何って関係ない。あれは初めて・・・、初めて大地が、兄貴が、アタシにくれたプレゼントなのに大切な物なのに、宝物なのに・・・」
怒りと悲しみで顔を引き攣らせ、今にも殴らんばかりに拳を震わせていた。
「ユサユサ、お前泣いてんのか?にあわねぇ。くっくっく」
「うっさいっ!馬鹿大地、アンタなんか死んじゃえぇええぇええええぇッ!」
そう言って力の限りテーブルに置いてあった彼女が作った夕食らしきものが乗った皿を大地の顔面にぶつけていた。そして、涙を流しながらその場を去ってゆく妹。
皿が床に落ちる前にそれを掴み取り、顔についた物を指で拭ってそれを舐める。
「味だけは上達しているようだな」
大地はそう呟いて洗面所の方へ向かって行った。
翌日の土曜日、学校の登校日でもなく、部活も休みだった大地は朝早く商店街の開店前のあるお店に向かっていた。店の名は〝La・Surre(ラ・シュール)〟近所でも有名な洋菓子店。
開店一時間前には女性だけで百人もの列が出来るというお店の中腹に大地は立っていた。
美少年歌姫も顔負けの容姿を持つ牧岡大地。
列に並んでいる女性客達の幾人かが、大地を売り出し中の新人歌姫か何かの勘違いしているようで、ちらちらとその容姿と服装の着熟しの格好良さに見とれていた。
彼は周囲のその様な視線も気にせずに携帯情報端末で流行の邦楽や洋楽を聞き流し、携帯情報端末でゲームをしていた。(この時代になると音楽のみを再生する携帯再生機は一部の愛好家くらいしか使っていない)
軈て、洋菓子店が開くと徐々に客が進みはじめる。
大地は携帯情報端末の画面から視線を反らすことなく、流れに躓くことなく、他の客達と歩調を合わせていた。
それから店内にやっと入る事の出来た大地はすぐに日替わりケーキ詰め合わせと言うものを注文した。
会計のため財布の中身を確認する大地。そして、財布の中の心許なさに溜息を吐きながら総てのお札を出して代金を支払いった。
帰路に付きながらまだ二週間近く有る今月どうやって過ごそうか悩む大地だった。
家に帰ると同じく部活が休みだった沙由梨が外に出かけずにリヴィングのソファーで横になってテレビのチャンネルを変えている所だった。
大地の存在に気付くと一瞬だけ振り向き膨れた顔を見せる。
彼は頭を掻きながら、気不味そうに言葉をかけた。
「えぇ~~~とそのなんだぁ・・・、これ買ってきたんだけど食べるか?」
後ろに隠していた先ほど買って来た箱を彼女の前に出しながらそう口にした。
「そんな物でアタシの機嫌取ろうとしても無駄なんだから」
強調した言葉とは裏腹に妹の目はとても輝いていた。なぜなら大地の買って来た洋菓子店のケーキは彼女の好物だったからである。
上機嫌になった彼女はその箱を持ってダイニングへと移動してゆく。
「大地も食べるでしょ?ここのケーキ用の紅茶入れるから待ってて」
「沙由梨の機嫌はこんなもんで直ぐに戻るから楽でいい」
嬉しそうな声でそう言ってくる妹に聞えないくらい小さな声で彼はそう呟いていた。
好物のケーキを三つも食べ終わった頃に極楽の笑みで沙由梨は大地に話しかけ、
「大地。今日、部活ないの?」
「明日は一日中あるから今日は無しになってる。それがどうかしたのか?」
「だったら大地、たまにはアタシと一緒にどっか遊びに行こうよ」
「い・や・だ。今日は家でごろごろするって決めてんだ。何でお前なんかと、友達誘ってどっかいけよ。それに俺、金ほとんどないし」
「そんな心配要らないわよ。だからいこっ!」
「ぜってぇーーー、いやだね」
「決めた今日は大地とお出かけ、ホラッ、いつまでも椅子になんか座ってないでさぁ~~~、さっさと行こうよ」
椅子にしがみ付いて、そこから動こうとしない兄を妹は引っ張り、強引に外に連れ出そうとする彼女だった。
〈クスクスクスッ、いいではないですか大地様。たまには沙由梨様のお相手をして差し上げればよいでしょうに〉
そんな二人の遣り取りを嬉しそうに大地の中で笑う、天津神。ここ暫く、普通に生活している何も知らない住人等が想像も出来ないような事を体験し、非日常が日常に変わりつつ有った大地にとってその日はちょっとだけ平和な時を垣間見たように感じたのだった。
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