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第 弐 話 解かれし封印
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― 加茂郡八百津町和知・星宮神社 ―
皐月の連休、地元の小学生達数人がここ星宮神社に社会科の課題で出されていた地域の郷土と歴史を調べるために訪れていた。
小学生達がそこの神主から地方の歴史やこの地に伝わる御伽噺を聞き終えた頃、頭上の陽は大きく傾き空を茜色に染め始めていた。
その小学生達の帰り際、仲間の一人が足りない事に気付き近くと少年少女等は派出所にその事を伝えに向かっていた。失踪してしまった少年の名は八幡七星(やはた・なほし)十二歳、小学六年生。
その少年は有り余る好奇心で地元の住人にも星宮の神主にも絶対に近づいてはならないとされる禁忌の林へと足を踏み入れてしまっていた。しかし、その少年は直ぐにその場所に入ってしまった事を後悔する。陽は暮れる一方で前に行けども、行けども周囲の景色は変わること無く、ただ不気味さだけが増していた。
少年は完全に日が沈んでしまう前に戻ろうと思って来た道を引き返す。だが、それ程歩いたはずではないと少年は思っていなのにもかかわらず、戻れども、戻れども、出口に辿り付く事は出来なかった。
まるでそれは出口の無い迷宮。そして、同じ景色が無限に続くだけ。
その少年は人ではけして踏み入る事は出来ない筈の神が施した結界内に侵入してしまったのだ。
「どっ、どうしよう。・・・、道に迷っちゃったのかな。絶対こっちから来たはずなのに何で戻れないの?なんかすっごくぶるぶるする・・・、如月くぅーーーん、佐津紀ちゃーーーん、杜松くぅーーーん、みんなぁーーーーーーーーー」
少年が周囲に大声で友達の名前を叫んでも不気味に木霊するだけだった。
「やっぱりみんな帰っちゃったよね。・・・・・・、馬鹿なことしなければよかったよ」
『ガサッ、ガサッ』と木々の枝が風で不気味な音を鳴らす。
七星は恐怖心とあまりの不気味さに思わず走り出してしまった。
月明りだけが辛うじてさす道をひたすら走り抜ける。闇雲に走っている七星にとって今どの方角に向かっているのか理解できなかった、それはたとえ月の出る方角を知っていたとしても。
七星は恐怖心で他の事を考えられないほど思考回路を縛られていた。
先ほどまで聞えていた風の音や木々の擦れ合う音も無くなり、完全に辺りは静寂と化していた。その静けさが一層少年の恐怖心を煽る。
平だった地面はやがて徐々に傾斜をつけていた。そして、ついには急な下り坂を駆ける状態になる。七星が気付いた時に彼の走る速度はすでに限界に達していた。
上手く足を前に出す事ができなくなった少年は縺れバランスを崩してしまい、勢い良く前方へ転がりだした。
擦り傷を何箇所にも作りながら七星は転がり落ち、その体勢は何かに激突するまで続いたのだ。
『ゴロゴロゴロゴロゴゴゴゴゴゴゴ、ドスンッ、バキッ、ベシャ!!』
「うううぅぅーーーー、くぅうっ、いたぁ~~~~~」
激痛に顔をしかめ少年は一番強く打ち付けた場所を摩りながら周囲を見回した。そして、ぶつかってしまった拍子に近くにあった物を壊してしまったことに気が付く。
それは少年の膝よりも少しだけ背の高い社だった。
太古の先人、古の知が創りし社、非力な現代の人間が傷一つ付ける事など出来ないはずのそれが年端も行かぬ子供によって倒壊させられてしまっていた。
その小さな社は幽かに青白く光りを発していた。七星はその光の放つ言い様のない神秘さに呆然とする。
青白い光りはその強さを増し次第に辺りいっぱいに広がって行った。今度はその広がった光が七星の前に収束して火の玉の様な形を作りその場でゆらゆらと揺れ、仄かに人型を形成させていた。だが、今の少年にその姿を目視する事は出来ず。
「汝が我の目覚めを欲するものか?」
「えええっ?なんじ・・・・・・、今は七時五十九分・・・・・・。誰?誰が僕に話しかけているの。いったいどこにいるの?怖いよ・・・、だから姿を見せてよ」
「・・・なんじ?刻の事ではない。少年、主の事だ。我は汝の目の前、我の名は甕星、天津甕星・・・、して汝、主の名は?」
「エッ、ぼ、僕?僕はやはた・・・・・・、なほし、七星っていうんだ」
「七星よ、汝、我の力を欲するものか?」
「力って何のこと?それで何が出来るの?」
「汝が望む事すべて、我が与える事が出来るものそれが力」
「じゃあ、それでもっともっと頭良くなれる?スポーツ誰にも負けられないようになれる?空飛んだり、どこでも行きたい所直ぐに行けたり出来る?好きな物いっぱい食べられる?嫌いな子に喧嘩で勝てる?」
少年は自分のしたい事を思いつくまま総て目の前の魂だけの存在に言い続けた。
「すぽーつ?それは何事か?」
「スポーツはスポーツ!・・・・・・・・・、えっとぉ~~~・・・、運動する事だよ」
「たやすい事だ・・・・・・、今一度汝に問う。七星、汝は我の力を欲するものか?可か?否か?応えよ!」
「可?・・・」
目の前の言葉を発する光りの喋り方が少年にとって余りにも聞き慣れないことだった。その言葉の意味を確かめようと思った彼は最初に了承を得たと言う方の言葉を発してしまった。
「承!汝、我が力受け賜わらんと欲すれば汝のその器、我に捧げよ」
「えっ!なにっ?どういう事、僕は何をすればいいの」
少年の声に言葉も返すこと無く淡い光を放つ天津甕星の魂は七星の体に近づきその中へと潜り込んで行く。
「エッ、なっ、何々だよっ、うわぁーーーーーーーーーーーー、って全然痛くないや・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
甕星が徐々に七星の意識を乗っ取って行く。やがて完全に少年の意識は無くなり、彼の身体の自由を支配した。
「天下り、執行支配を試みたのだが・・・。故がしかし、七星、汝の器の波長、魂の波長、いずれも我に合うようだ。この身、暫く我が預かるとする、我が目的の為に。赦せ、汝よ」
其の者は支配した身体の自由を確かめるため両手両足を軽くその場で振ってみた。すると周囲を囲んでいた巨木たちが地面から抜けるほどの突風が発生した。
「ウム、我が元の器と違い力が抑え難いようだな・・・・・・、我の元の器を探さねば」
甕星は七星の身体の周りに紅色の神気を纏わり着かせるとゆっくりと星々の瞬く空へと浮上して行く。中部、関東、近畿地方、一帯の地形が眼下に見える程まで上昇すると目を瞑り何かを探る様な構えをその場で取った。
「・・・・・・、何事か?この尋常を逸する程なまで澱んだ瘴気の流れは・・・・・・、天津、主らは我を討ったあと一体どの様な政を摂ったというのだ・・・、ここまで、これほどまでに国の民を疲弊させるとは・・・・・・、天津、赦せん、赦せんぞ」
「どうしてくれようか・・・・・・・・・。だが、其の前にまずは我の力を完全に出すために我の真の器を探さねば」
甕星は元の身体から発する固有波長を感じ取るため精神を集中させた。其の者の器がどこに封印されているか探りを入れる。
七星の体を預かった者の器が封印されて二千年以上、天津神の中で最も強き力を持つ神々がこの地を去って一千五百年以上。其の封印の力も衰退し、大きな綻びが生じていた。其の場所から流れ出る己の器の波長を感じ取った其の者は其の方角に向かって飛行し始めた。
其の速さは音速、それ以上か?光速の速さをも超越していた。瞬間移動に近い其れはまさに神の速さ、神速と呼べるものだった。
甕星の降り立った場所は青森県北郡の北端、大間崎の更に向こう側にある弁天島の地に足を降ろした。其の神の降り立った所には高さ三メートル以上もの要石が置かれ、其の周囲に太い注連縄が施されている。しかし、要石は頂点から下に向かって稲妻のような亀裂が奔り、注連縄の最も細い部分が今にも切れ掛かっていた。
天津甕星は両手を組みそこに神気を募らせ、高々と天に掲げ勢い良く振り下ろし眼前の要石を素手で叩き割った。そして、その下にあった物を眺めやる。
「・・・?長き月日に我の器も朽ち果ててしまったようだな。・・・・・・、これでは仕方があるまい。七星、済まぬが汝のこの器、今しばらく借りるとするぞ」
「我以外の国津はおらんのか・・・、父上殿、大国主の力を感ずるぞ。そちらに御座すか?」
再び、甕星は上空高々と昇り本州の南、島根県出雲市に今も残る出雲大社へと向かう。
大社本殿の裏の其のまた裏にあるこぢんまりした社の前に甕星は着地した。何人たりとも侵入出来ぬようそこにも結界が施されていたが矢張り其の力も長き歳月が衰えさせており、甕星を拒む効力は無いに等しかった。
その国津の将が社に近づこうと歩み寄ると其の者の周囲を取り囲むように十数体の淡い光が姿を現した。それらは其の社を護る天津陣営の英霊達。
「天津の尖兵如きが我の歩みを止められるものか。冥府の下へ帰せよ」
甕星は水平に強く片手を周囲に振る。そこから生まれる神気の波、人の子が生み出す力ではありえない衝撃波が現れた英霊たちを一瞬で消滅させた。英霊といっても所詮は天津の低位の尖兵達、本当の器に収まっていなく完全なる力を発揮できなくとも力では国津の軍属最高位に属する甕星に勝てるはずが無いのだ。
運か、それとも計算された力の薙ぎか、甕星が放った衝撃波の余波は大国主が封印されている力を社ごと吹き飛ばしていた。
七星少年が甕星を見た時と同じように大国主神が天津甕星の前へと姿を現した。
「誰ぞ、我の眠りを妨げし者は?・・・、人の子よ、万死に値するぞ!」
「父殿、ワレ、甕星であります」
「・・・・・・、我が息子、天津甕星、お主か?あの者どもに滅されなかったのか?・・・、否、それより何故ここに」
「我は低位の者達ではない。我らが魂は器から切り離されても滅する事も冥府に堕ちる事も無し。故、父殿も其の様に封印されていたのではないか」
「我ら国津が天津に負け、どれだけの月日が流れたのか今は知れん。だが見よ、父殿この国の今の姿を。我等と共にこの地を開拓した土着の者達はいずこかに消え、この荒れた大地を。疲弊した民の姿を。周囲を渦巻くこの淀んだ風邪の流れを、瘴気の対流を」
「我は赦せぬのだ、父殿。天津どもを、其奴等の力、受け継ぎし者を滅し、今一度我等の手でこの国を創ろうではないか」
大国主は息子のその言葉の真偽を確かめるためにその場で風に吹かれる柳の葉の様に揺れながら周囲の様子を探る。少しの情報だけしか流れ込んでこなかったが甕星が言った事が嘘ではないと知ると言葉を返していた。
「良かろう。・・・・・・・、だが、我の器は既に無い。力を振るうには器が必要じゃ。我と甕星だけでは出来る限界がある。他の息子たちと政が出来る仲間を探さねばなるまい」
「器が無ければ我は一歩たりともここから動けん。天津達が我等の動きに勘付き高天原より降りてくる前に我に合う器を持ち参じよ」
「我の新しき器は・・・・・・、東の大都から感じるぞ。天津甕星よ、そちらに急ぎ其れを探せ」
「御意」
父の命令で甕星は東の都、東京へと向かっていった。さらにもっと詳しい現状を知るために其の神は飛行しながら周囲に流れる念を感じ取り可能な限りの情報を拾い集めていた。
甕星が東京の上空についた頃はほぼ完全に今の日本を理解した。そしてより一層、天津に対する復讐の念が強く成って行くのだった。
甕星が向かった先は東京府新中央区市ヶ谷にある国防省。
「ここから父殿と同じ波長の者を感ずる」
其の神は堂々と正面玄関から中に入ろうとしたが門の前に立っていた守衛に止められる。
「そこの僕ごめんね、ここは関係者以外入っては駄目なんだよ」
「そうか・・・・・・・・・・・」
「えっ???さっき私は少年と話していたような・・・、疲れているのだろうが誰もいない」
甕星はそう言ってその場から消える。いや守衛には消えたように見えた。
目には捉えられない速さで甕星はそこから中へと移動しただけだった。
省舎内に漂う大国主と同じ波長を手繰り寄せ、其れを持つ者の場所へと向かっていった。
甕星が辿り着いたのは省舎A棟の最上階、統合幕僚会議本部室だった。その部屋にいたのは唯一人だけ、現在の国防省長官の出雲琢磨(いずも・たくま)だった。
「少年?なぜ一般人がここへ。守衛や内部セキュリティーは何をしている?」
彼から見れば一般人の侵入は異常事態だった。しかし、琢磨は動揺もせず冷静に目の前の七星少年の体を借りた天津甕星を見てそう言葉を出していた。
「汝、国を己の手で動かしたいと欲するか?」
「フッ、珍しい。古風な言葉遣いの少年だ。フフフッ、面白い事を言う。・・・・・・、ああそうだな、無能な首脳等を一掃して・・・、出来るならば私、自らの手でこの国を変えていきたい」
「汝の願い欲すれば我が父殿、大国主が受け入れようぞ」
「少年、何の戯言を・・・、大国主?この国の神話に出てくる神の名か。残念だ、私は神仏など信じない」
「汝、しかと我の力の一端を見よ」
甕星は右拳に神気を集め、力を溜めるとそれを頭上に突き出した。その拳から放たれた光は夜空を遮っていた上部の天井を瞬時に消失させたのだ。今まで上を振り向いてもその場では見る事が出来なかった夜空の星々がその部屋の中へと降り注ぐ。
「少年、面白い奇術を見せてくれる。その力で何が出来る?」
国防長官は普通ではありえない事が目の前に起こっているのにも関わらず、今も尚もって冷静に対処していた。
「汝が欲すれば望む事すべてが出来ようぞ」
「その狂言・・・・・・、着きあわせて貰おうか。少年、君の名は?」
「我の名は天津甕星。汝、主の名は何と申す?」
「天津甕星?フフフフフッ、ハッハッハッ、面白い災いの神の名か。私は出雲琢磨だ。私はどうすれば良い?」
「琢磨、我と着いて参れ」
その神はそう言うと彼に近づき腕を握り浮上して大国主の待つ、出雲大社へと飛び去って行った。
* * *
甕星と琢磨は大国主の待つ奥裏社へと降り立った。
琢磨の前には不思議な動きをする光を放つ物体があるというのに態度を変えず冷静なままだった。
「天津甕星よ、早かったな」
「この主、琢磨が父殿の言った者と間違いはないか?」
「有無、申し分ないぞ。我の名は大国主、この地を創りし神。汝願わくはその魂と器、我に預けよ」
「何をしようと言うのか?まあ良いだろう好きにすればいい」
大国主神は天津甕星が七星少年にしたように琢磨の中へと入って行く。
「天津甕星よ、目の前にあった光が私の中に入ってきたが何も変わらない。どういう事かね?」
「父殿、どうなされた?我に応えてくだされ」
〈案ずるな、甕星よ。琢磨この者、我とこの上なく同調しておる。我の意思もこの者の意思も消える事無く同居しておる〉
〈琢磨よ、どう我の力を使うか甕星と共に己が身で考えよ〉
「私は神になったのか?私と天津甕星の二人だけ・・・・・・、足りない。もっと多くの同志を集めた方が何かと良い筈だ。国津神・・・、そうだ同じ神族を集めればよいではないか。天津甕星、他に国津神と呼ばれる者はいないのか?」
「我や父殿の様にどこかの地に封印されているか・・・、既に人と共にいるか。探せば見つかるであろう」
「探すぞ、天津甕星」
「御意」
「先ずは事代主や建御名方、奥津日子・奥津姫、御年、玉依姫、阿遅鋤高日子根の所へと向かうか」
こうして、その国津神の二神は仲間を求め各地を巡って行く事となった。
皐月の連休、地元の小学生達数人がここ星宮神社に社会科の課題で出されていた地域の郷土と歴史を調べるために訪れていた。
小学生達がそこの神主から地方の歴史やこの地に伝わる御伽噺を聞き終えた頃、頭上の陽は大きく傾き空を茜色に染め始めていた。
その小学生達の帰り際、仲間の一人が足りない事に気付き近くと少年少女等は派出所にその事を伝えに向かっていた。失踪してしまった少年の名は八幡七星(やはた・なほし)十二歳、小学六年生。
その少年は有り余る好奇心で地元の住人にも星宮の神主にも絶対に近づいてはならないとされる禁忌の林へと足を踏み入れてしまっていた。しかし、その少年は直ぐにその場所に入ってしまった事を後悔する。陽は暮れる一方で前に行けども、行けども周囲の景色は変わること無く、ただ不気味さだけが増していた。
少年は完全に日が沈んでしまう前に戻ろうと思って来た道を引き返す。だが、それ程歩いたはずではないと少年は思っていなのにもかかわらず、戻れども、戻れども、出口に辿り付く事は出来なかった。
まるでそれは出口の無い迷宮。そして、同じ景色が無限に続くだけ。
その少年は人ではけして踏み入る事は出来ない筈の神が施した結界内に侵入してしまったのだ。
「どっ、どうしよう。・・・、道に迷っちゃったのかな。絶対こっちから来たはずなのに何で戻れないの?なんかすっごくぶるぶるする・・・、如月くぅーーーん、佐津紀ちゃーーーん、杜松くぅーーーん、みんなぁーーーーーーーーー」
少年が周囲に大声で友達の名前を叫んでも不気味に木霊するだけだった。
「やっぱりみんな帰っちゃったよね。・・・・・・、馬鹿なことしなければよかったよ」
『ガサッ、ガサッ』と木々の枝が風で不気味な音を鳴らす。
七星は恐怖心とあまりの不気味さに思わず走り出してしまった。
月明りだけが辛うじてさす道をひたすら走り抜ける。闇雲に走っている七星にとって今どの方角に向かっているのか理解できなかった、それはたとえ月の出る方角を知っていたとしても。
七星は恐怖心で他の事を考えられないほど思考回路を縛られていた。
先ほどまで聞えていた風の音や木々の擦れ合う音も無くなり、完全に辺りは静寂と化していた。その静けさが一層少年の恐怖心を煽る。
平だった地面はやがて徐々に傾斜をつけていた。そして、ついには急な下り坂を駆ける状態になる。七星が気付いた時に彼の走る速度はすでに限界に達していた。
上手く足を前に出す事ができなくなった少年は縺れバランスを崩してしまい、勢い良く前方へ転がりだした。
擦り傷を何箇所にも作りながら七星は転がり落ち、その体勢は何かに激突するまで続いたのだ。
『ゴロゴロゴロゴロゴゴゴゴゴゴゴ、ドスンッ、バキッ、ベシャ!!』
「うううぅぅーーーー、くぅうっ、いたぁ~~~~~」
激痛に顔をしかめ少年は一番強く打ち付けた場所を摩りながら周囲を見回した。そして、ぶつかってしまった拍子に近くにあった物を壊してしまったことに気が付く。
それは少年の膝よりも少しだけ背の高い社だった。
太古の先人、古の知が創りし社、非力な現代の人間が傷一つ付ける事など出来ないはずのそれが年端も行かぬ子供によって倒壊させられてしまっていた。
その小さな社は幽かに青白く光りを発していた。七星はその光の放つ言い様のない神秘さに呆然とする。
青白い光りはその強さを増し次第に辺りいっぱいに広がって行った。今度はその広がった光が七星の前に収束して火の玉の様な形を作りその場でゆらゆらと揺れ、仄かに人型を形成させていた。だが、今の少年にその姿を目視する事は出来ず。
「汝が我の目覚めを欲するものか?」
「えええっ?なんじ・・・・・・、今は七時五十九分・・・・・・。誰?誰が僕に話しかけているの。いったいどこにいるの?怖いよ・・・、だから姿を見せてよ」
「・・・なんじ?刻の事ではない。少年、主の事だ。我は汝の目の前、我の名は甕星、天津甕星・・・、して汝、主の名は?」
「エッ、ぼ、僕?僕はやはた・・・・・・、なほし、七星っていうんだ」
「七星よ、汝、我の力を欲するものか?」
「力って何のこと?それで何が出来るの?」
「汝が望む事すべて、我が与える事が出来るものそれが力」
「じゃあ、それでもっともっと頭良くなれる?スポーツ誰にも負けられないようになれる?空飛んだり、どこでも行きたい所直ぐに行けたり出来る?好きな物いっぱい食べられる?嫌いな子に喧嘩で勝てる?」
少年は自分のしたい事を思いつくまま総て目の前の魂だけの存在に言い続けた。
「すぽーつ?それは何事か?」
「スポーツはスポーツ!・・・・・・・・・、えっとぉ~~~・・・、運動する事だよ」
「たやすい事だ・・・・・・、今一度汝に問う。七星、汝は我の力を欲するものか?可か?否か?応えよ!」
「可?・・・」
目の前の言葉を発する光りの喋り方が少年にとって余りにも聞き慣れないことだった。その言葉の意味を確かめようと思った彼は最初に了承を得たと言う方の言葉を発してしまった。
「承!汝、我が力受け賜わらんと欲すれば汝のその器、我に捧げよ」
「えっ!なにっ?どういう事、僕は何をすればいいの」
少年の声に言葉も返すこと無く淡い光を放つ天津甕星の魂は七星の体に近づきその中へと潜り込んで行く。
「エッ、なっ、何々だよっ、うわぁーーーーーーーーーーーー、って全然痛くないや・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
甕星が徐々に七星の意識を乗っ取って行く。やがて完全に少年の意識は無くなり、彼の身体の自由を支配した。
「天下り、執行支配を試みたのだが・・・。故がしかし、七星、汝の器の波長、魂の波長、いずれも我に合うようだ。この身、暫く我が預かるとする、我が目的の為に。赦せ、汝よ」
其の者は支配した身体の自由を確かめるため両手両足を軽くその場で振ってみた。すると周囲を囲んでいた巨木たちが地面から抜けるほどの突風が発生した。
「ウム、我が元の器と違い力が抑え難いようだな・・・・・・、我の元の器を探さねば」
甕星は七星の身体の周りに紅色の神気を纏わり着かせるとゆっくりと星々の瞬く空へと浮上して行く。中部、関東、近畿地方、一帯の地形が眼下に見える程まで上昇すると目を瞑り何かを探る様な構えをその場で取った。
「・・・・・・、何事か?この尋常を逸する程なまで澱んだ瘴気の流れは・・・・・・、天津、主らは我を討ったあと一体どの様な政を摂ったというのだ・・・、ここまで、これほどまでに国の民を疲弊させるとは・・・・・・、天津、赦せん、赦せんぞ」
「どうしてくれようか・・・・・・・・・。だが、其の前にまずは我の力を完全に出すために我の真の器を探さねば」
甕星は元の身体から発する固有波長を感じ取るため精神を集中させた。其の者の器がどこに封印されているか探りを入れる。
七星の体を預かった者の器が封印されて二千年以上、天津神の中で最も強き力を持つ神々がこの地を去って一千五百年以上。其の封印の力も衰退し、大きな綻びが生じていた。其の場所から流れ出る己の器の波長を感じ取った其の者は其の方角に向かって飛行し始めた。
其の速さは音速、それ以上か?光速の速さをも超越していた。瞬間移動に近い其れはまさに神の速さ、神速と呼べるものだった。
甕星の降り立った場所は青森県北郡の北端、大間崎の更に向こう側にある弁天島の地に足を降ろした。其の神の降り立った所には高さ三メートル以上もの要石が置かれ、其の周囲に太い注連縄が施されている。しかし、要石は頂点から下に向かって稲妻のような亀裂が奔り、注連縄の最も細い部分が今にも切れ掛かっていた。
天津甕星は両手を組みそこに神気を募らせ、高々と天に掲げ勢い良く振り下ろし眼前の要石を素手で叩き割った。そして、その下にあった物を眺めやる。
「・・・?長き月日に我の器も朽ち果ててしまったようだな。・・・・・・、これでは仕方があるまい。七星、済まぬが汝のこの器、今しばらく借りるとするぞ」
「我以外の国津はおらんのか・・・、父上殿、大国主の力を感ずるぞ。そちらに御座すか?」
再び、甕星は上空高々と昇り本州の南、島根県出雲市に今も残る出雲大社へと向かう。
大社本殿の裏の其のまた裏にあるこぢんまりした社の前に甕星は着地した。何人たりとも侵入出来ぬようそこにも結界が施されていたが矢張り其の力も長き歳月が衰えさせており、甕星を拒む効力は無いに等しかった。
その国津の将が社に近づこうと歩み寄ると其の者の周囲を取り囲むように十数体の淡い光が姿を現した。それらは其の社を護る天津陣営の英霊達。
「天津の尖兵如きが我の歩みを止められるものか。冥府の下へ帰せよ」
甕星は水平に強く片手を周囲に振る。そこから生まれる神気の波、人の子が生み出す力ではありえない衝撃波が現れた英霊たちを一瞬で消滅させた。英霊といっても所詮は天津の低位の尖兵達、本当の器に収まっていなく完全なる力を発揮できなくとも力では国津の軍属最高位に属する甕星に勝てるはずが無いのだ。
運か、それとも計算された力の薙ぎか、甕星が放った衝撃波の余波は大国主が封印されている力を社ごと吹き飛ばしていた。
七星少年が甕星を見た時と同じように大国主神が天津甕星の前へと姿を現した。
「誰ぞ、我の眠りを妨げし者は?・・・、人の子よ、万死に値するぞ!」
「父殿、ワレ、甕星であります」
「・・・・・・、我が息子、天津甕星、お主か?あの者どもに滅されなかったのか?・・・、否、それより何故ここに」
「我は低位の者達ではない。我らが魂は器から切り離されても滅する事も冥府に堕ちる事も無し。故、父殿も其の様に封印されていたのではないか」
「我ら国津が天津に負け、どれだけの月日が流れたのか今は知れん。だが見よ、父殿この国の今の姿を。我等と共にこの地を開拓した土着の者達はいずこかに消え、この荒れた大地を。疲弊した民の姿を。周囲を渦巻くこの淀んだ風邪の流れを、瘴気の対流を」
「我は赦せぬのだ、父殿。天津どもを、其奴等の力、受け継ぎし者を滅し、今一度我等の手でこの国を創ろうではないか」
大国主は息子のその言葉の真偽を確かめるためにその場で風に吹かれる柳の葉の様に揺れながら周囲の様子を探る。少しの情報だけしか流れ込んでこなかったが甕星が言った事が嘘ではないと知ると言葉を返していた。
「良かろう。・・・・・・・、だが、我の器は既に無い。力を振るうには器が必要じゃ。我と甕星だけでは出来る限界がある。他の息子たちと政が出来る仲間を探さねばなるまい」
「器が無ければ我は一歩たりともここから動けん。天津達が我等の動きに勘付き高天原より降りてくる前に我に合う器を持ち参じよ」
「我の新しき器は・・・・・・、東の大都から感じるぞ。天津甕星よ、そちらに急ぎ其れを探せ」
「御意」
父の命令で甕星は東の都、東京へと向かっていった。さらにもっと詳しい現状を知るために其の神は飛行しながら周囲に流れる念を感じ取り可能な限りの情報を拾い集めていた。
甕星が東京の上空についた頃はほぼ完全に今の日本を理解した。そしてより一層、天津に対する復讐の念が強く成って行くのだった。
甕星が向かった先は東京府新中央区市ヶ谷にある国防省。
「ここから父殿と同じ波長の者を感ずる」
其の神は堂々と正面玄関から中に入ろうとしたが門の前に立っていた守衛に止められる。
「そこの僕ごめんね、ここは関係者以外入っては駄目なんだよ」
「そうか・・・・・・・・・・・」
「えっ???さっき私は少年と話していたような・・・、疲れているのだろうが誰もいない」
甕星はそう言ってその場から消える。いや守衛には消えたように見えた。
目には捉えられない速さで甕星はそこから中へと移動しただけだった。
省舎内に漂う大国主と同じ波長を手繰り寄せ、其れを持つ者の場所へと向かっていった。
甕星が辿り着いたのは省舎A棟の最上階、統合幕僚会議本部室だった。その部屋にいたのは唯一人だけ、現在の国防省長官の出雲琢磨(いずも・たくま)だった。
「少年?なぜ一般人がここへ。守衛や内部セキュリティーは何をしている?」
彼から見れば一般人の侵入は異常事態だった。しかし、琢磨は動揺もせず冷静に目の前の七星少年の体を借りた天津甕星を見てそう言葉を出していた。
「汝、国を己の手で動かしたいと欲するか?」
「フッ、珍しい。古風な言葉遣いの少年だ。フフフッ、面白い事を言う。・・・・・・、ああそうだな、無能な首脳等を一掃して・・・、出来るならば私、自らの手でこの国を変えていきたい」
「汝の願い欲すれば我が父殿、大国主が受け入れようぞ」
「少年、何の戯言を・・・、大国主?この国の神話に出てくる神の名か。残念だ、私は神仏など信じない」
「汝、しかと我の力の一端を見よ」
甕星は右拳に神気を集め、力を溜めるとそれを頭上に突き出した。その拳から放たれた光は夜空を遮っていた上部の天井を瞬時に消失させたのだ。今まで上を振り向いてもその場では見る事が出来なかった夜空の星々がその部屋の中へと降り注ぐ。
「少年、面白い奇術を見せてくれる。その力で何が出来る?」
国防長官は普通ではありえない事が目の前に起こっているのにも関わらず、今も尚もって冷静に対処していた。
「汝が欲すれば望む事すべてが出来ようぞ」
「その狂言・・・・・・、着きあわせて貰おうか。少年、君の名は?」
「我の名は天津甕星。汝、主の名は何と申す?」
「天津甕星?フフフフフッ、ハッハッハッ、面白い災いの神の名か。私は出雲琢磨だ。私はどうすれば良い?」
「琢磨、我と着いて参れ」
その神はそう言うと彼に近づき腕を握り浮上して大国主の待つ、出雲大社へと飛び去って行った。
* * *
甕星と琢磨は大国主の待つ奥裏社へと降り立った。
琢磨の前には不思議な動きをする光を放つ物体があるというのに態度を変えず冷静なままだった。
「天津甕星よ、早かったな」
「この主、琢磨が父殿の言った者と間違いはないか?」
「有無、申し分ないぞ。我の名は大国主、この地を創りし神。汝願わくはその魂と器、我に預けよ」
「何をしようと言うのか?まあ良いだろう好きにすればいい」
大国主神は天津甕星が七星少年にしたように琢磨の中へと入って行く。
「天津甕星よ、目の前にあった光が私の中に入ってきたが何も変わらない。どういう事かね?」
「父殿、どうなされた?我に応えてくだされ」
〈案ずるな、甕星よ。琢磨この者、我とこの上なく同調しておる。我の意思もこの者の意思も消える事無く同居しておる〉
〈琢磨よ、どう我の力を使うか甕星と共に己が身で考えよ〉
「私は神になったのか?私と天津甕星の二人だけ・・・・・・、足りない。もっと多くの同志を集めた方が何かと良い筈だ。国津神・・・、そうだ同じ神族を集めればよいではないか。天津甕星、他に国津神と呼ばれる者はいないのか?」
「我や父殿の様にどこかの地に封印されているか・・・、既に人と共にいるか。探せば見つかるであろう」
「探すぞ、天津甕星」
「御意」
「先ずは事代主や建御名方、奥津日子・奥津姫、御年、玉依姫、阿遅鋤高日子根の所へと向かうか」
こうして、その国津神の二神は仲間を求め各地を巡って行く事となった。
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