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-床の男と彼のママ-2
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一応気を付けたのに、床をぐねぐねと這っている黒いヤツに足を掴まれそうになり、慌てて避ける。ああいうの、だいたい触られるとシンプルに気持ち悪い。こう、ぬめーとしてぐにゃーっとしているんだ。だから嫌い。できれば避けたい。
「えーと、ひい、ふう、みい……んー何匹いんの? とりあえず空気重すぎてヤバいから喚起して盛り塩しよっか。まあ根本原因どうにかしないといくら塩持っても除湿機くらいの効果しかないけどねー。てか家でかいね。あっちは仏間? こっちは居間? おれどこでもいいけど、配信するときは静かなとこがいいなぁ。あの奥の部屋は――あー。タイラさんの部屋か」
「なんでわかっ……」
「だっているもの。さっきのやつ」
一番奥の扉の前に、縦に長い女が通せんぼするように立っている。
この先は通さない。そういう感じかな? なにあいつ、すっごいおれのこと意識しちゃってるじゃないの。いや、おれじゃなくて、あいつにとっての主語はきっとタイラさんなんだろうけどさ。
ちらっと女を見たタイラさんは、すぐに何事もなかったかのように無視をした。そして、当たり前のように居間におれを招き、当たり前のようにお茶を淹れて、当たり前のようにハロゲンヒーターの電源を入れた。
湿気が少しだけマシになる。どうにもああいうモノは、冷たくてじめっとした場所に溜まりやすい。
おれはさっさとボディバックから塩と紙を取り出し、さっさと部屋の隅に塩を積んでいく。
「除霊、してくれんの……?」
炬燵の電源を入れたタイラさんは、上着を脱ぎながらおそるおそるって感じで口にする。除霊とかそういう言葉自体、言うのも怖いんだろう。そりゃそうだ、この家は『あの女』のテリトリーだ。
「んー。したいのはやまやまだけど、まだ材料がそろってないから全部は無理かなぁ。おれの除霊の為には、『話』が必要だから」
「ハナシ?」
「そ。話。ファミレスでもしたでしょ? ユーレイの話」
「ああ……天井を這うとか、上司と不倫とか?」
「そうそう。それね。他の人がどうやって除霊すんのか、おれよく知らないんだけどさ。正直自己流だし。でも色々試して、おれには塩の他にもう一個必要なもんがあるってわかっちゃったの」
「それが、ハナシ……?」
「うん。簡単な奴で試してみよっか? えーとじゃあ……さっきの床を這ってた黒い奴のこと、ちょっと教えてよタイラさん」
「は? 教えてって、何を」
「ぜんぶ。知ってることぜんぶ。いつからいるのか、なんでいるのか、いついるのか、なにが起こってなにを感じたか。わかる範囲でいいよ。タイラさんが見た範囲、感じた範囲でいいから、ぜんぶ」
「…………」
ものすごーい胡乱げな顔だ。ふふ、まあね、わかるけどね、おれのまわりの人間、大体その顔するからね。
でもタイラさんは文句の一つも零さず、無駄な言葉の一つも挟まず、淡々と床の男のことを話してくれた。途中で何度か閉めた扉がガタガタ鳴ったけど、さすがタイラさん、ちょっとびくっとして泣きそうになっただけで我慢した。えらーい。ていうか泣きそうな顔すんげーかわいい。
おれもしかして除霊しない方がいいんじゃない? 除霊しなかったらいつでもビビって泣きそうなタイラさん拝めるんじゃない? と思わなくもないなぁ。でも、うーん。
……このままだと命がアレっていうのは、やっぱどうなのと思うよね。おれはタイラさんに最強に嫌われたいけど、別に彼に死んでほしいわけじゃない。ていうか生きてほしい。生きてないと、嫌いなんていう感情は生まれないもの。
タイラさんが不健康そうなのは、百パーセントこの家の環境委のせいだろう。眠れないのもきっと同じ要因だ。
全部を語り終えたタイラさんは一息ついてお茶を飲む。おれも一口、冷えかけのお茶を口に含んでからよーし、と手を合わせた。
「普段は一石二鳥~って感じで配信しちゃうんだけど、まあいいや。あとでもっかい喋ろ。えーとなんだっけ……うん。そうだな、同居人でいっか。もう同居確定って感じだもんね?」
「いや、それは、まだ――」
「おれの同居人の話なんだけど」
なんか言いたそうなタイラさんの言葉をざっくりと遮る。さっき聞いたばっかりの話だから、それをわざわざもっかい? もっかい言うの? って感じだろうけど、まあ仕方ない。
これがおれの除霊だから、仕方ない。
「彼の家、平屋の一軒家なんだけど、一か月前くらいに急に家の中が焦げ臭くなったんだって。もう、急に。別に料理とかしてないし、火も使ってないし、近所で焚火とかしないじゃん? いまはさ。だから焦げ臭い理由なんか全然わかんなくて、なんだろうなーくらいに思ってたんだって。そしたらその夜、……あ、彼、座敷に布団敷いて寝てるんだけど。夜ね、ざー、ざーって音がすんの」
話しながらおれは席を立つ。
ふすまを開けて、廊下に出る。後ろから、距離を開けてタイラさんが付いてくる。
「ざーざーって。なんか小豆研ぐみたいな音。ざーざー。ざーざー。……なんだこれ? って思って目を開けたらさ」
床を這う男はまだうねうねと畝っている。その上に、おれは塩をひとつまみ掴んだ手をかざす。
「――目のつぶれた黒焦げの男が、畳を這って彼の顔を覗き込んでたんだって」
パッと手を離す。おれの手から落ちた塩はくねくねする床の男にふりかかって、そしてそいつの存在をパッと消した。
「……はい、終了!」
ねえねえどう? どうだった? そういう気持ちでわくわくと振り返ると、呆然としているタイラさんが居た。
……わ。思ったよりも反応がマジだなぁ。もっとこう、すげーとかやべーとか言ってくれた方が面白いんだけどなぁ。
「…………話すと、除霊できる、って……マジかよ……」
「まじだよー。ちなみに塩だけだとそんな効果ないんだよね、おれ。まーね、塩振って終わりにできるならもうちょい塩売れてるよね? って思うしねー。おれね、語らないとだめなの。おれの除霊は、語る除霊。耳から聞いて、口から語る。そいつの事を語るとね、なんでか除霊ができちゃうんだよね」
おれの口ってすごいでしょ? って笑って見せる。それでもタイラさんは笑わずに、ただ項垂れていた。
……泣いちゃってんのかな? そうかも。
だっていま、たぶん、タイラさん、生まれて初めて、救われるかもーって思ってんじゃないかな?
小学生の時の犬の話をしたじゃん。ってことは、タイラさん、ずーっと、ずーっとこの家で、あの女と一緒に、幽霊に囲まれて生きて来たんじゃないの? って思うから。
「あ。でもおれも万能じゃないからね? 最初に言っとくけど、あの女はたぶん無理だよ。相当がんばんないと無理。時間かければうーんもしかしたらワンチャン? って思わなくもないけどさ」
いやでもぬか喜びはよくないよーおれ嫌われたいけどいじわるしたいわけじゃないし。純粋に嫌われたいだけだし。
と思って素直に『無理ダヨ!』と言えば、あからさまにがっかり、というかぐったりされた。
「……やっぱ、そうなのか。アレ、そんなにやばいのか」
「んー。ていうか詳細聞きたいのはむしろおれの方。おれここに住むならアレとも同居だし? ていうかアレ、何?」
「……ママだよ」
「はえ? ママ? タイラさんのママは病院じゃないの?」
「それは母さん。あれは、ママだ。……ずっと、俺が生まれたときからこの家にいる、ママだ」
生まれたときから、タイラさんは呪われているわけか。
「ふーん。なんかわかんないけど、タイラさんはあいつのせいで人生ぶち壊しって感じ?」
「……別に、人生の全部がヤバかったわけじゃねーけどさ。大学からは家出てたし……そん時は、ママはアパートには出なかった」
「え、じゃあなんで戻って来たの?」
純粋な疑問に対し、タイラさんは苦々しい顔で言葉を吐き出す。ひどいことをきいてるって思う? デリカシーがないって思う? でもおれだってわりと本気で死にたくない。このくらいは聞く権利があるし、タイラさんはおれじゃなくても本来は説明する義務がある筈だ。
「――母さんが倒れたから。霊能者を呼んだって、聞いた。でも、うまくいかなくて、」
「あー。……それで、お母さんの代わりにタイラさんがママのお世話をしてるのかぁ。おっけーなんとなくわかった。そんで、タイラさん一人じゃやっぱしんどくて、同居人募って呪いをふっかけてるのかー」
「……言い方」
「だってそうじゃん? みんな健康で元気だった? どう? あいつ、タイラさんじゃなくておれのことものすごい睨んでくるんだよ。てことはターゲットロックオン! されんの、タイラさんじゃなくて同居人だよね? ……ねえ、みんなげんきで、けんこうだった?」
「……………………」
「あ、別に責めてるわけじゃないよ? でもなんかさ、タイラさん今ちょう楽しい! 生きてて楽しい! 仕事が好き! 恋人がいます! って感じには見えないし、他人を犠牲にしてまでそんな生きてどうすんのかなーって単純に疑問に思っただけでさー」
「おまえ、ホント、ズバッと言葉ぶつけてきやがるな……」
「遠回しに嫌味言われるよりよくない? おれ、ホントにタイラさんがむかつくとか懺悔しろとか思ってないよ。おれだってそうすると思うし。おれは死にたくないからね」
「俺も、死にたくねーんだよ。絶対に。絶対に、死にたくない。……ママが待ってるあの世になんか、ぜってーに行きたくない」
「……うん。なるほど」
おっけー、納得した。
そりゃ確かに死にたくないね。あっちに行けば解放! ってわけじゃないもんね。見えてる地獄がそこにあるもんね。……てことはタイラさん、あの女の足元にいるオッサン見えてるのか。あれ、たぶん死んじゃった父親なんだろうなぁ。うわーえぐい。そんなのと暮らしてるタイラさんえぐいし、何も聞かされずに体調崩しまくったはずの過去の同居人たちもみんなえぐいと思う。
えぐくてにこにこしちゃう。
おれは怖い話が大好きだし、気持悪い話も大好きだし、胸糞悪い話も、大好きだ。
よし、タイラさんの家の間取りはわかったし、状態も把握した。とりあえず家の中のユーレイ的なモノは二時間もあればさっぱり除霊できそうだ。ボスはまだ無理だけど。どうみても強いがすぎる。おれ、そういう勘だけはあてになる。
どうせあいつが幽霊ホイホイしてるんだろうな。だからおれとアイツの勝負になっちゃうだろう。
いいんじゃない? ネタもたくさん仕入れられて、商売繁盛間違いなしの良物件だ。しかも家主が性癖に刺さる。うん。これは手放す手はない。
「よし、いろいろ納得したし問題ないね。うん。てことでタイラさん、同居っていつからおっけーなの? 今日?」
「……え。おまえ、マジでここ住む気なの?」
「え。え!? そのつもりで来たんだけど! そのつもりで一体除霊したんだけど!?」
「あ、それはほんと……ありがとうございますマジで感謝してる……」
「もっとーもっと感謝して。あ、身体で払ってもらってもいい。ユーレイ一体につきタイラさんが一枚服を脱ぐとかどう?」
「おまえストレートだろおれの裸なんか見てどうすんだよ……」
げんなり、って感じに呟くわりに、なんでか視線を逸らす。んー……あ、そっか、とおれはポンと両手を合わせる。
「タイラさんゲイだっけ? あ、おれが脱いだ方が楽しい?」
「ばっ……え、なんで、知っ……」
「えー普通に吉津ちゃんが言ってたよ? たぶんゲイの人ですって」
「……うっわ…………」
「まーね、口留めされてないなら言っちゃうよね、酔っ払ってたしね? みんなタイラさんの顔なんか知らないし、たぶん一生関わらない人なんだもの。そんな事よりどうする? 脱ぐ?」
「待て待て待てなんでおまえが脱ぐんだよ!? てか俺がお前に感謝してんのになんでご褒美貰う側が俺なの!?」
「あ。ご褒美って認識あってんの? てことはタイラさん的におれって『アリ』なの?」
「っ…………」
んー。タイラさん、もしかして顔程賢くないのかな……?
なんかすごい頭よさそーな顔してんだけどね。いろんな言葉知ってそうっていうか、インゲンの筋の効率的な取り除き方とか知ってそうっていうか……でもどうやら、他人とのコミュニケーションというか会話に関してのスキルはゼロに近いっぽい。
青白い顔をガーっと赤くしたタイラさんは、あわあわした後に視線を落として悔しそうに眉を寄せる。
「……どうせ面食いだよ……」
「えー物好きー。ちゃんと喋ったうえでおれがいいなんて相当なアレだよ? おれ結構初見はモテるけど、十分喋ったらビンタ食らうタイプだよ?」
「自覚あんのかよ……直せよ性格……」
「むーりー。直してまで一緒にいたいひと、いないもん。あーでも、そっかーありかー。ふーん」
「…………ナガル」
「うん? なに?」
「その……腕、なんで、掴ん……」
「んー。ふふふ。いいこと思いついた。知ってた? あいつ、あの女、ママってやつ。おれがタイラさんに触ると、ちょっと怒んの」
「ナガ……離……っ」
「おれあいつ嫌い。タイラさんが一番嫌いで一番怖いの、アイツだよね。おれじゃなくて、あいつだよね。だから嫌い。今すぐぶっとばしたい。でもいまのおれじゃ無理。だから嫌がらせしようかなって思うんだよね」
おれとえっちなことしよっか。
そう言って笑うと、タイラさんの顔からサーっと血の気が引いた。でも腰を撫でるとびくっとする。うーん男って快楽に素直だ。
「ね、おれ、タイラさん『アリ』だよ」
ふふ、と笑って耳を噛む。
息を飲む音が聞こえる横で視線を逸らすと、『ママ』のひどい顔が目に入った。
ふは。ざまあみろ。そこで見てろばーか。
おれは、おまえと違ってタイラさんに触れるんだよ。
「えーと、ひい、ふう、みい……んー何匹いんの? とりあえず空気重すぎてヤバいから喚起して盛り塩しよっか。まあ根本原因どうにかしないといくら塩持っても除湿機くらいの効果しかないけどねー。てか家でかいね。あっちは仏間? こっちは居間? おれどこでもいいけど、配信するときは静かなとこがいいなぁ。あの奥の部屋は――あー。タイラさんの部屋か」
「なんでわかっ……」
「だっているもの。さっきのやつ」
一番奥の扉の前に、縦に長い女が通せんぼするように立っている。
この先は通さない。そういう感じかな? なにあいつ、すっごいおれのこと意識しちゃってるじゃないの。いや、おれじゃなくて、あいつにとっての主語はきっとタイラさんなんだろうけどさ。
ちらっと女を見たタイラさんは、すぐに何事もなかったかのように無視をした。そして、当たり前のように居間におれを招き、当たり前のようにお茶を淹れて、当たり前のようにハロゲンヒーターの電源を入れた。
湿気が少しだけマシになる。どうにもああいうモノは、冷たくてじめっとした場所に溜まりやすい。
おれはさっさとボディバックから塩と紙を取り出し、さっさと部屋の隅に塩を積んでいく。
「除霊、してくれんの……?」
炬燵の電源を入れたタイラさんは、上着を脱ぎながらおそるおそるって感じで口にする。除霊とかそういう言葉自体、言うのも怖いんだろう。そりゃそうだ、この家は『あの女』のテリトリーだ。
「んー。したいのはやまやまだけど、まだ材料がそろってないから全部は無理かなぁ。おれの除霊の為には、『話』が必要だから」
「ハナシ?」
「そ。話。ファミレスでもしたでしょ? ユーレイの話」
「ああ……天井を這うとか、上司と不倫とか?」
「そうそう。それね。他の人がどうやって除霊すんのか、おれよく知らないんだけどさ。正直自己流だし。でも色々試して、おれには塩の他にもう一個必要なもんがあるってわかっちゃったの」
「それが、ハナシ……?」
「うん。簡単な奴で試してみよっか? えーとじゃあ……さっきの床を這ってた黒い奴のこと、ちょっと教えてよタイラさん」
「は? 教えてって、何を」
「ぜんぶ。知ってることぜんぶ。いつからいるのか、なんでいるのか、いついるのか、なにが起こってなにを感じたか。わかる範囲でいいよ。タイラさんが見た範囲、感じた範囲でいいから、ぜんぶ」
「…………」
ものすごーい胡乱げな顔だ。ふふ、まあね、わかるけどね、おれのまわりの人間、大体その顔するからね。
でもタイラさんは文句の一つも零さず、無駄な言葉の一つも挟まず、淡々と床の男のことを話してくれた。途中で何度か閉めた扉がガタガタ鳴ったけど、さすがタイラさん、ちょっとびくっとして泣きそうになっただけで我慢した。えらーい。ていうか泣きそうな顔すんげーかわいい。
おれもしかして除霊しない方がいいんじゃない? 除霊しなかったらいつでもビビって泣きそうなタイラさん拝めるんじゃない? と思わなくもないなぁ。でも、うーん。
……このままだと命がアレっていうのは、やっぱどうなのと思うよね。おれはタイラさんに最強に嫌われたいけど、別に彼に死んでほしいわけじゃない。ていうか生きてほしい。生きてないと、嫌いなんていう感情は生まれないもの。
タイラさんが不健康そうなのは、百パーセントこの家の環境委のせいだろう。眠れないのもきっと同じ要因だ。
全部を語り終えたタイラさんは一息ついてお茶を飲む。おれも一口、冷えかけのお茶を口に含んでからよーし、と手を合わせた。
「普段は一石二鳥~って感じで配信しちゃうんだけど、まあいいや。あとでもっかい喋ろ。えーとなんだっけ……うん。そうだな、同居人でいっか。もう同居確定って感じだもんね?」
「いや、それは、まだ――」
「おれの同居人の話なんだけど」
なんか言いたそうなタイラさんの言葉をざっくりと遮る。さっき聞いたばっかりの話だから、それをわざわざもっかい? もっかい言うの? って感じだろうけど、まあ仕方ない。
これがおれの除霊だから、仕方ない。
「彼の家、平屋の一軒家なんだけど、一か月前くらいに急に家の中が焦げ臭くなったんだって。もう、急に。別に料理とかしてないし、火も使ってないし、近所で焚火とかしないじゃん? いまはさ。だから焦げ臭い理由なんか全然わかんなくて、なんだろうなーくらいに思ってたんだって。そしたらその夜、……あ、彼、座敷に布団敷いて寝てるんだけど。夜ね、ざー、ざーって音がすんの」
話しながらおれは席を立つ。
ふすまを開けて、廊下に出る。後ろから、距離を開けてタイラさんが付いてくる。
「ざーざーって。なんか小豆研ぐみたいな音。ざーざー。ざーざー。……なんだこれ? って思って目を開けたらさ」
床を這う男はまだうねうねと畝っている。その上に、おれは塩をひとつまみ掴んだ手をかざす。
「――目のつぶれた黒焦げの男が、畳を這って彼の顔を覗き込んでたんだって」
パッと手を離す。おれの手から落ちた塩はくねくねする床の男にふりかかって、そしてそいつの存在をパッと消した。
「……はい、終了!」
ねえねえどう? どうだった? そういう気持ちでわくわくと振り返ると、呆然としているタイラさんが居た。
……わ。思ったよりも反応がマジだなぁ。もっとこう、すげーとかやべーとか言ってくれた方が面白いんだけどなぁ。
「…………話すと、除霊できる、って……マジかよ……」
「まじだよー。ちなみに塩だけだとそんな効果ないんだよね、おれ。まーね、塩振って終わりにできるならもうちょい塩売れてるよね? って思うしねー。おれね、語らないとだめなの。おれの除霊は、語る除霊。耳から聞いて、口から語る。そいつの事を語るとね、なんでか除霊ができちゃうんだよね」
おれの口ってすごいでしょ? って笑って見せる。それでもタイラさんは笑わずに、ただ項垂れていた。
……泣いちゃってんのかな? そうかも。
だっていま、たぶん、タイラさん、生まれて初めて、救われるかもーって思ってんじゃないかな?
小学生の時の犬の話をしたじゃん。ってことは、タイラさん、ずーっと、ずーっとこの家で、あの女と一緒に、幽霊に囲まれて生きて来たんじゃないの? って思うから。
「あ。でもおれも万能じゃないからね? 最初に言っとくけど、あの女はたぶん無理だよ。相当がんばんないと無理。時間かければうーんもしかしたらワンチャン? って思わなくもないけどさ」
いやでもぬか喜びはよくないよーおれ嫌われたいけどいじわるしたいわけじゃないし。純粋に嫌われたいだけだし。
と思って素直に『無理ダヨ!』と言えば、あからさまにがっかり、というかぐったりされた。
「……やっぱ、そうなのか。アレ、そんなにやばいのか」
「んー。ていうか詳細聞きたいのはむしろおれの方。おれここに住むならアレとも同居だし? ていうかアレ、何?」
「……ママだよ」
「はえ? ママ? タイラさんのママは病院じゃないの?」
「それは母さん。あれは、ママだ。……ずっと、俺が生まれたときからこの家にいる、ママだ」
生まれたときから、タイラさんは呪われているわけか。
「ふーん。なんかわかんないけど、タイラさんはあいつのせいで人生ぶち壊しって感じ?」
「……別に、人生の全部がヤバかったわけじゃねーけどさ。大学からは家出てたし……そん時は、ママはアパートには出なかった」
「え、じゃあなんで戻って来たの?」
純粋な疑問に対し、タイラさんは苦々しい顔で言葉を吐き出す。ひどいことをきいてるって思う? デリカシーがないって思う? でもおれだってわりと本気で死にたくない。このくらいは聞く権利があるし、タイラさんはおれじゃなくても本来は説明する義務がある筈だ。
「――母さんが倒れたから。霊能者を呼んだって、聞いた。でも、うまくいかなくて、」
「あー。……それで、お母さんの代わりにタイラさんがママのお世話をしてるのかぁ。おっけーなんとなくわかった。そんで、タイラさん一人じゃやっぱしんどくて、同居人募って呪いをふっかけてるのかー」
「……言い方」
「だってそうじゃん? みんな健康で元気だった? どう? あいつ、タイラさんじゃなくておれのことものすごい睨んでくるんだよ。てことはターゲットロックオン! されんの、タイラさんじゃなくて同居人だよね? ……ねえ、みんなげんきで、けんこうだった?」
「……………………」
「あ、別に責めてるわけじゃないよ? でもなんかさ、タイラさん今ちょう楽しい! 生きてて楽しい! 仕事が好き! 恋人がいます! って感じには見えないし、他人を犠牲にしてまでそんな生きてどうすんのかなーって単純に疑問に思っただけでさー」
「おまえ、ホント、ズバッと言葉ぶつけてきやがるな……」
「遠回しに嫌味言われるよりよくない? おれ、ホントにタイラさんがむかつくとか懺悔しろとか思ってないよ。おれだってそうすると思うし。おれは死にたくないからね」
「俺も、死にたくねーんだよ。絶対に。絶対に、死にたくない。……ママが待ってるあの世になんか、ぜってーに行きたくない」
「……うん。なるほど」
おっけー、納得した。
そりゃ確かに死にたくないね。あっちに行けば解放! ってわけじゃないもんね。見えてる地獄がそこにあるもんね。……てことはタイラさん、あの女の足元にいるオッサン見えてるのか。あれ、たぶん死んじゃった父親なんだろうなぁ。うわーえぐい。そんなのと暮らしてるタイラさんえぐいし、何も聞かされずに体調崩しまくったはずの過去の同居人たちもみんなえぐいと思う。
えぐくてにこにこしちゃう。
おれは怖い話が大好きだし、気持悪い話も大好きだし、胸糞悪い話も、大好きだ。
よし、タイラさんの家の間取りはわかったし、状態も把握した。とりあえず家の中のユーレイ的なモノは二時間もあればさっぱり除霊できそうだ。ボスはまだ無理だけど。どうみても強いがすぎる。おれ、そういう勘だけはあてになる。
どうせあいつが幽霊ホイホイしてるんだろうな。だからおれとアイツの勝負になっちゃうだろう。
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「よし、いろいろ納得したし問題ないね。うん。てことでタイラさん、同居っていつからおっけーなの? 今日?」
「……え。おまえ、マジでここ住む気なの?」
「え。え!? そのつもりで来たんだけど! そのつもりで一体除霊したんだけど!?」
「あ、それはほんと……ありがとうございますマジで感謝してる……」
「もっとーもっと感謝して。あ、身体で払ってもらってもいい。ユーレイ一体につきタイラさんが一枚服を脱ぐとかどう?」
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げんなり、って感じに呟くわりに、なんでか視線を逸らす。んー……あ、そっか、とおれはポンと両手を合わせる。
「タイラさんゲイだっけ? あ、おれが脱いだ方が楽しい?」
「ばっ……え、なんで、知っ……」
「えー普通に吉津ちゃんが言ってたよ? たぶんゲイの人ですって」
「……うっわ…………」
「まーね、口留めされてないなら言っちゃうよね、酔っ払ってたしね? みんなタイラさんの顔なんか知らないし、たぶん一生関わらない人なんだもの。そんな事よりどうする? 脱ぐ?」
「待て待て待てなんでおまえが脱ぐんだよ!? てか俺がお前に感謝してんのになんでご褒美貰う側が俺なの!?」
「あ。ご褒美って認識あってんの? てことはタイラさん的におれって『アリ』なの?」
「っ…………」
んー。タイラさん、もしかして顔程賢くないのかな……?
なんかすごい頭よさそーな顔してんだけどね。いろんな言葉知ってそうっていうか、インゲンの筋の効率的な取り除き方とか知ってそうっていうか……でもどうやら、他人とのコミュニケーションというか会話に関してのスキルはゼロに近いっぽい。
青白い顔をガーっと赤くしたタイラさんは、あわあわした後に視線を落として悔しそうに眉を寄せる。
「……どうせ面食いだよ……」
「えー物好きー。ちゃんと喋ったうえでおれがいいなんて相当なアレだよ? おれ結構初見はモテるけど、十分喋ったらビンタ食らうタイプだよ?」
「自覚あんのかよ……直せよ性格……」
「むーりー。直してまで一緒にいたいひと、いないもん。あーでも、そっかーありかー。ふーん」
「…………ナガル」
「うん? なに?」
「その……腕、なんで、掴ん……」
「んー。ふふふ。いいこと思いついた。知ってた? あいつ、あの女、ママってやつ。おれがタイラさんに触ると、ちょっと怒んの」
「ナガ……離……っ」
「おれあいつ嫌い。タイラさんが一番嫌いで一番怖いの、アイツだよね。おれじゃなくて、あいつだよね。だから嫌い。今すぐぶっとばしたい。でもいまのおれじゃ無理。だから嫌がらせしようかなって思うんだよね」
おれとえっちなことしよっか。
そう言って笑うと、タイラさんの顔からサーっと血の気が引いた。でも腰を撫でるとびくっとする。うーん男って快楽に素直だ。
「ね、おれ、タイラさん『アリ』だよ」
ふふ、と笑って耳を噛む。
息を飲む音が聞こえる横で視線を逸らすと、『ママ』のひどい顔が目に入った。
ふは。ざまあみろ。そこで見てろばーか。
おれは、おまえと違ってタイラさんに触れるんだよ。
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