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騒がし芳し宵闇亭
【07】ゼノ
しおりを挟む「世話になったなぁ! っつってもどうせ今期中にまたもっさり繁殖すんだろ! っつーわけで花が茂ったころにまた寄るからそのつもりでいやがれ!」
威勢のいい別れの言葉を放つものの、どうにも格好がつかないのは、声の主が荷物とともに荷台に転がっているからだろう。
未加工の花が詰まった麻袋と、下処理を終えた香油の瓶、あとは少々の私物。雑多な荷物のど真ん中でふんぞり返るギャリオはしかし、身体を起こすことさえできない様子だった。
……まあ、その理由の想像はつく。
見送りに出ていた宵闇亭の従業員の大半が、生暖かい視線をミノトに注いでいたことだろう。勿論、揶揄いの意味合いはない。
誰に説明されずとも、ミノトがギャリオに懸想していることは皆気が付いていた筈だし、ミノトが精を溜めた灰の種族特有の初期症状――足を引きずる、手が痙攣する、腹が減らなくなるなど――を見せていたことを知っていた。
昨晩、宵闇亭の客室を一つ、客人に貸し出し人払いをした。ここまでお膳立てさせておきながら察するな、と言う方が無茶だろう。
朗らかな祝福の空気の中、ハルイだけは無邪気に眉を顰めた。
「えーもう帰っちゃうんすか。おれ全然二人と交流してなくない……? この数日間ほとんど、花狩りか香油煮てたかなんすけど」
不満そうな声に対し、ギャリオはかったるそうに顎を上げる。どうやら手を動かすのも面倒らしい。
「また来るっつってんだろーがよ。まあ、しばらくは近場に滞在するわ。厨房いいなぁ、使い勝手が最高だったね。とくにあの……なんだっけ? オーブン? あれ最高。オレも欲しい」
「作り方教えるからまた来てくださいよー。匂いの少ないメシ、考えとくから」
「お。気が利くねぇ。さてはお前いい奴だな?」
声を上げて笑う、その声が少しだけざらついている。
ハルイが良い男であることは認めるし、お互い友人が増えること自体は歓迎すべきだとは思うが……ギャリオとあまり親密になると、よくない知識を耳打ちされそうだ。ギャリオはあまり、召喚獣として優等生ではない。その生き方が悪いとは言わないが、真似をさせるには少々奔放すぎる。
命を大事に生きてほしい。これは、ギャリオに関わる全ての者の願いだろう。
……まあ、今は、ミノトが居る。こいつに任せておけば、少なくとも急に死体になる事はない筈だ……たぶん。そう思うことにする。
「それでは黒館様、ありがたく荷台車をお借りします。明日には必ずお返ししますので……」
朝からギャリオの心配ばかりをしているミノトだったが、その顔は晴れ晴れとした笑顔だ。丁寧に腰を折る男の肩を、親愛を込めて数回叩く。
「返却はいつでもいい。なんなら次に旅立つ日に、挨拶ついでに返してくれ。今回はこちらも随分と融通してもらったからな」
「太っ腹ぁ~、こっちこそ薬香融通してもらって大感謝よぉ。んじゃ、また来るわ。あ、悪い悪い、最後にもう一個だけいいか黒館」
「なんだ? 薬香の原材料の話なら俺は知らんぞ?」
「それはいいよ自力でどうにかすっから。もうちょいどうでもいい話だ。おまえさ、宵闇亭の召喚獣に無体を強いている、と思うか?」
「いや、まったく」
「……ふうん。意外じゃん?」
「勝手に呼びだし命を与えた無礼は詫びる。だが、無理矢理従わせているとは思わない。というか、最近やっと、素直にそう思うことをやめた。……いまは、俺を好いてくれてありがたい、と思うよ」
「だとよ、ミノト。ここまで開き直れとは言わねえが、多少は見習え」
多少驚いたように目を丸くしたミノトが、何を思ったのか、俺にはわからない。ただ、善処するよ、と笑った顔はやはり、清々しく晴れやかだった。
言いたいことを言い、聞きたいことを勝手に聞いたらしいギャリオは、軽く手を上げて別れを告げた。
ミノトと同じく、ギャリオも嘘を好まない男だ。近々寄る、というのだから、まあ、そのうち顔を出すのだろう。何にしても花が茂る頃には買い取りに来るはずだ。
ミノトに引かれた荷台車はガラガラと音を立てて、宵闇亭から街へと消えた。
ふと、宵闇亭に漂っていた花の香も薄まったような錯覚に陥る。このところ、花を煮詰める香で満ちていた。他の一切の香りを忘れたような気さえする。
さて、と息を吐く。
しばらく、忙しく働いていたおかげさまで、溜まっていた仕事はあらかた片付いた。別にそこまで忙しくする気はなかったのだが――どうも、ハルイが部屋に居ると落ち着かず、つい手を伸ばしそうになる。そんな己を自制するために、ひたすら仕事をこなしていたせいかもしれない。
見送りの従業員を館の中に押し戻し、仕事の合図に手を叩く。
今宵も商いが始まる。だが、今日は後のことをユサザキに任せてしまおう。実は少々寝不足だ。ハルイと供にする夜はその、なんというか、嬉しいのだが。……気が散って一切寝れないのだ。
俺の腕の中で爆睡する男の、なんと愛おしく恨めしいことか。
爆睡してもらってありがたいとは思う。思うがな。おまえ、ちょっとくらいは意識してくれないものか……。
いやしかし、寝る前の数刻、潜めた声でこそばゆい言葉を交わすあの時間は、うん、悪くなかったというか大歓迎というか……。
などと考えつつ自室に戻った俺は、ノックの音で我に返る。
開いている、と声を返せば、今しがた思いを馳せていた想い人がひょっこりと顔を覗かせた。
「……なんだ、おまえ仕事中じゃないのか?」
「んー。今日はもう終わりましたぁー。弁当作っちゃったんで、支給いらねーの。っつーことで半休を申請します!」
「やることが終わったのならば構わんが。俺の部屋に来ても、俺が喜ぶだけだぞ」
「いやー実はそれが目的なんで」
可愛い事を言いながら、ハルイは俺をカウチへと誘う。
「最近ゼノさまさぁーすっげー忙しそうだったじゃん? 今日はお休みするってユサザキさんが言ってたから、じゃー労っちゃおーって思ってさ。……一人がよかった?」
「とんでもない。大歓迎だ。それは群青用の弁当か?」
「うん? うん。箱に詰めるだけなのに、みんな好きなんだよね弁当。かわいい! オモチャみたい! っつって喜んで食ってくれんの。これがゼノさまの分、こっちがおれの分。本当はギャリオさんにも渡したかったけど、匂い全般ダメなら無理だよなぁー……つか、ギャリオさんってなんで宵闇亭から出てったの?」
「いや、別に、アイツはここを出て行ったというわけでは……そもそも、うちの召喚獣じゃないしな」
「…………うん?」
「うん?」
……ああ。と、思い当たる。
ハルイは勘違いをしているのだろう。まあ、わからんでもない。あいつは何故かここを『家』扱いしているところがあるからだ。
「え!? ギャリオさんって宵闇亭の召喚獣じゃねーの!?」
「違う。あいつを召喚したのは確かにイエリヒだが、召喚を依頼したのは俺じゃない。確かに一時期、預かっていたことはあるが」
「イエリヒさんが、言葉教えたっていうからてっきり……」
「言葉の概念がないような奴に、発声の仕方から叩き込むなんざ俺にはできない芸当だ。俺が召喚主ならばさっさと諦めて、腕にチョーカーを巻き付けている」
「え……じゃあ誰がギャリオさんを召喚したの」
「レルドだ」
ギャリオの最初の主は、俺ではない。ミノトにその任を託した黒は、俺ではなく外来異物塔の変人だった。
あの二人に何があったのか、俺は詳しくはきいていない。この先も特に知ることはないだろう。ギャリオはレルドの話をしないし、レルドも調香師の話はしないからだ。
まあ、ミノトは時折レルドとやり取りをしている風であったし、絶縁しているというわけでもないんだろう。
特別手助けを求められるようなことがない限り、宵闇亭は誰にとっても中立だ。というか、どうでもいい。俺は、宵闇亭の召喚獣がどんな時でも優先だからだ。
ギャリオが泣きながら駆け込んで来たら手を貸そう。レルドが憔悴しながら声をかけてきたら話くらいはきいてやろう。まあ、その程度の話だ。
「……レルドさまに、召喚獣とかいたんだ……ずっと一人のイメージが強すぎんだけどあの人……」
「事実、ほとんどの時間を孤独に過ごしているだろうさ。レルドが召喚したのは、後にも先にもギャリオただ一人だ。随分と昔のことだったみたいだがな」
「何を目的に召喚したの、とか……聞いても失礼じゃない系……?」
「知っていれば答えてやるが生憎と俺は知らん。まあ、どちらも問題なく生きているんだ、とりあえずはそれでいいだろ。ミノトともうまくやっているようだしな」
「うまく……うん、そうね……ま、そっか。いま幸せなら理由とか過去とか、どうでもいっかぁ……」
しんみりと視線を馳せるハルイに、思わずお前はどうなんだと言葉をかけそうになる。愛されている、などとギャリオには言ったものの、いつだって不安になる。
おまえはいま幸福か。足りぬものはないか。悩みはないか。痛い思いはしていないか。辛い思いはしていないか。
俺の問いかけに、いつも即答で幸せですっつってんだろと答えて笑ってくれるハルイを信じたい。信じている。だから、言葉を飲み込み、頬にキスを落とした。
「……新しい友人の話もいいが、俺はおまえを堪能したい」
「え、散々一緒に寝たじゃん?」
「あれはあれ、これはこれだ」
「よそはよそ、みたいな言い方されたー。いや嬉しいけどっつかそのつもりでノックしましたけどー。……あ、そういやいいものあるんですゼノさま、ジャーン!」
「…………なんだそれは」
ハルイがにやにやしながらポケットからとりだした小瓶は――香油か?
シンプルな青い硝子瓶には、たっぷりと液体が詰まっている。ちゃぷちゃぷとその瓶を揺らしたハルイは、小首を傾げて笑う。
「へへ。実はこれ、ギャリオさんがくれたんですー厨房間借りさせてくれた礼だってさ。律義ーさてはあの人いい人っすね?」
「ギャリオは見た目よりはいい奴だとは思うが、それは何だ?」
「これ、食えるんだって。ていうかリットンさんが開発した甘味と混ぜたっぽい。要するに『甘くて舐めても問題ない香水』みたいなもんだって言ってました」
「ほう。……それで、それはどうやって食うんだ? 焼き菓子にでもかけるのか?」
「花の匂いの菓子はみんなは好きかもだけど、おれはちょっとノーセンキューかなぁ……。実はおれの世界ではですねー、キスしてほしいところに香水をぶっかけるっていうねーちょっとえっちな風習がありましてーいやどこ発祥か知らんけど、確かそんなんどっかで見たことありましてーってわけで、えいやっ」
「わ、ばか、おまえ……っ」
ばしゃ、と派手な音をたてて、花の匂いが広がる。
香水を見事に浴びたハルイは、楽しそうに笑ってからにやりと目を細めた。
「……つめてー」
「だろうよ……一体何を――」
「いやー甘い香水プレイ? えっちでいいかなーと思って。ほら、えーと、いやおれの誘い方がクソ下手なんだな……ゼノさま、舐めて? みたいな?」
「…………………」
「……え、いまのおっけーだったの? うそ。ゼノさまちょろすぎません? だいじょうぶ? おれ以外の召喚獣に勃ててたら嫌ぁよ?」
「うるさい下品な言葉で煽るなクソ……」
望み通り、濡れた鎖骨を舌でなぞる。花の香がかおる液体は、確かに甘く不思議な感覚だった。
「…………あまい。俺は卵かけご飯の味の方が好きだ……」
「えー。それはちょっと色気なさすぎません?」
「というか、味などなくても、香などなくても、おまえがいればそれでいい」
「…………イケメン急に告白ぶっこんでくるからよくないっす」
「うるさいちゃんと聞け、ほら、耳を塞ぐな……舐めてほしいところにかけたんだろう? ほら……こっちに来い。隅まで舐めてやる」
「ヒィ」
「……もっと可愛い反応はできないのか……」
「思いの外エロかったんですー! ぎゃー! ちょっ、だめ、しきりなおそ! だめ! 胸元セクシーがすぎんだよ仕舞えイケメン! なんで今日に限ってシャツがそんなはだけてんだよ! いつの間に釦そんな外したの!?」
「さあ、いつだろうな」
フールーに耳打ちされた言葉を、覚えていただけなのだが……思いの外効果があったことに驚きつつ、可愛い暴言を聞き流しながら甘い香水に舌を馳せた。
甘い。甘いものが好きかどうかと問われると首を傾げてしまうのだが。……好きなものと供に出てくればなんでも旨い、ということを知ってしまった。
……この食用香水、あとでギャリオに譲ってもらおう。
代わりに薬香を少し、融通しよう。いつか、あの男が旅の先で原材料を見つけるための、糧になればいい。と、そう願った。
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