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三十五話 恐い人

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 僕はとにかく弱かった。

 だから、同級生との勝負にも勝てない。
 家でも何も役に立てなかった。



 "楜澤"として名を与えられた──その時から僕は負け組で、不器用な僕の周りにはいつも『恐い人』が集まった。


 
 小学四年の頃からだったか。
 小柄な僕の周りには僕よりも断然体格の大きい六年生とその外側に同じクラスのやんちゃなやつがいた。

「〇△さん、こいつです。勉強しか出来ない無能ですよ。
 まじで弱くて、でもいい顔してるっしょ? 鳴き声もいいんすよ!」


 同クラスのいじめっ子が六年生達に向かってそう言う。


 門限があるのに、放課後六時間目が終わって帰ろうと下駄箱まで行くと、同級生がに首元を掴まれ空き教室に毎日連れ込まれた。
 そして言う。

「一対一で決闘しようぜ!」


 半ば強制的にやらされ、負けたら笑いものにされる。

 これくらいならまだ良かった。





 でもこれよりも環境が酷くなったのは、中学にあがった時だ。


 中学に上がって、家では陶芸の座学の勉強から技術を磨く練習に変わった。
 不器用な僕は、血を吐くような勉強をしてきたのに、その成果を出せなかった。陶芸の本も何十冊も読んで、イメージはいくらでも出来たのにいざやってみると、"無力"だった。
 『出来損ないの父』の子供も出来損ないと言われ、中学入学と共に僕の家での扱いは『出来損ない』に見合っていた。

 ご飯は一日一食、部屋に運ばれてきた、少量の米と味噌汁。
 風呂と排泄の時間、就寝の時間も決められた。
 自分の部屋の外に出る時には必ず、誰かが待ち伏せしていて、学校に行く前でも構い無しに水をかけられたり、暴力・暴言を言われた、



 学校では小学校の時の三倍ほど学年全体の人数が増え、一クラスも四十人ほどだった。中学で僕を虐めてきた奴らは違うクラスだった。だから最初の一ヶ月は穏便だった。


 でもある出会いが僕の穏やかな学校生活を狂わせた。鈴木 達哉すずき たつやである。

 達哉は中学で同じクラスになった、体格の大きい、しかし柔和な顔の男子だった。社交的で、クラスの中で先生からも早々に信頼されて学級委員長になった。空手部に所属して、それなりに力も強かった。
 そんな彼と僕は運悪く、最初の席替えで隣同士になってしまった。

 僕は人と話すのが大の苦手で、ずっと机に向かって黙って座る。僕の横では元気のいいクラスの男子たちが達哉の周りを囲んで、話していた。


 席替えの次の日。
 朝、登校すると達哉の親友の男子が僕の椅子に座り、彼と楽しそうに話していた。僕はどうしていいか分からず、勇気を出して、言った。

「あ、あのぉ……そ、そこ、座っても、いいですか………?」

「おぅ! 楜澤じゃん! どうした?」


 僕が声かけると席に座っていた男子は僕に気づき、気前よく挨拶した。
 僕はその日も朝から祖父に顔を殴られ、頬が痛かった。口の中が切れていて血の味もしていた。あまりいい気分ではなかった。

「お、おはよう……」


 そう返事をすると、達也が立ち上がり、僕の方に近づいてきた。明るい顔だった。

「よぉ、楜澤! 今日の昼空いてるか?」


 突然の誘いだった。
 僕は何も言わずに瞬間的に、首を縦に降ってしまった。

「よし! お前ら。今日はちょっと楜澤と大事な用が出来たから、昼は俺抜きで食べててくれ!」

 そう言うと達哉は席に戻り、またクラスの男子と話していた。椅子に座っていた男子も立ち上がり、僕の席を空けたことで座ることが出来たのだが、僕の心臓は大きく鳴った──人と一対一という状況に恐怖を感じたから。あの悪夢が訪れるのかと、思ったからだった。







 その日の午前中の授業は全く覚えていない。なんの教科を勉強していたのか、何をしていたのか、全く思い出せない。ただただ緊張が高まって、怖かった。


 お昼休み。四時間目の鐘がなると同時に達也は僕を教室から連れ出した。この学校では給食はなく、各自家で作られた弁当を持ってくる。それに各自で食べるので、お昼休みはフリータイムとなる。

 達哉は僕を空手部の部室に招き入れた。そこには誰もいなく、ほっとした。しかし依然緊張は止まらない。そんな中、達哉は僕を床に座らせ、彼も床に座った。

「いやぁー、腹減ったわ! お前腹空いてないの?」

「い、いや……もう、慣れてるから。」
 
「まぁ、いいや! 俺は弁当食べるぞ。」


 言うと近くのロッカーの中から、大きな箱を出し、食べ始めた。


 いい匂いだった。


 夕食に少量のご飯しか与えられていない僕にとって、この密室空間でのあの匂いは拷問だった。さらに咀嚼音も響いて、別のことを考え、腹が鳴るのを必死に堪える。

 達也が弁当を食べている間は、何も話さなかった。無言で、いつも教室にいる時には騒がしいから腹が鳴っても問題ないのだが……家族の前で腹を鳴らすと殴られる──だから僕は耐えるしかなかった。


 

 十五分くらいの無言の時間だった。
 でも僕には一時間もの長い時間に感じられた。時計は僕の後ろにあるらしく、秒針がひとつ進むのが酷く長く聞こえた。

「なぁ。楜澤ってさぁ。」
 

 弁当を食べ終わった達哉が話しかけてきた。ようやくかと思い、達哉の方に意識を集中させた。


「陶芸の家なんだよなぁ。」

 そう聞かれ、体を震わせた。
 毎日のように、朝は暴力を振るわれる。その傷で勘づかれたのかもしれない。




 祖父は僕にこう言った。

『お前が不出来なのが悪い。これは躾だ。お前がしっかりやれば、こんなことしなくていいのに。』

 暗い部屋で僕は祖父に蹴られた。床に倒れる僕に祖父は厳しい顔でそう言って、そのあとも殴った。

『これはお前が出来るようになるための躾だ。お前が"出来損ないの父"のようにならないためのだ。』と。
 でも僕は知っていた──いや、たまたま聞いてしまったんだ。僕がこの家にとってどんな存在なのか。祖父ともう一人、黒づくめの男が、祖父の部屋で話していた。

『"あの子"いいですねぇ。』
『あぁー。たくみか? あんなのは、所詮だよ。あいつの父は四億もの金を持って家を飛び出しやがった。その理由が娼婦を好きになってしまって、買い戻したいから、なんていうふざけたもんだ。たくみはその汚い娼婦と犯罪者の父のこどもってわけだ。
 勉強はたしかに凄いが、技術がまるでねぇ。四億分くらいは陶芸で稼いで貰うために引き取ったが、あれはダメだな。中学まではたっぷり楽しませてもらって、そのあとは闇市にでも売り出すか。
 十代で顔もそこそこいいとなれば、一億ぐらいにはなるだろ? 金持ちに売って、奴隷として生かされていくってのも、あのクソ野郎の復讐には丁度いいな。』
『楜澤さんも、悪ぅございまして……是非売られる際は、私に声掛けてくださいね。いい値にしますから!』
『ハハハハハ!! よろしくな。』

 僕は父が盗んだ金を返すための道具。
 祖父が僕に暴利を振るうのは"躾"でも"愛のムチ"なんかでもない。僕は『人間』ではない、道具。道具には感情はないから……じゃあ僕はどうすればいいのか。
 






「うん……そうだけど………」

 そう言うと達哉は立ち上がった。

「くるみさわぁ~。俺さ、聞いちゃったんだよね~。お前の家って、金持ちなんだろ?」


 そう聞いてきた達也は僕に詰め寄った。

「じゃあさ、千円貸してくんない?」


 
 僕はお金なんて持っていない。与えられたことがなかった。

「ご、ごめん……家にはあるんだけど……僕は持っていないんだ。」

「家にはあるんだ!」

「うん……。」

「じゃあさ、明日持ってきて! 千円だけでいいから! お願い!」

「え?……でも、僕………もらったことないんだけど………」


 本当に貰ったことがない。お金を貰えるなんてそんなこと考えたことも無い。

 しかし、次の瞬間。達哉の態度が変わる。優しい顔は豹変し、鬼のような形相になり、鋭い目付きになって睨んだ。


「嘘ついてんじゃねぇよ。お坊ちゃまが。」


 言うと後ろのドアの方に向かって、部室から出ようとする。ドアノブを捻り、押せばドアが開く状態で言った。
 僕は怖くて後ろを見ることも出来ない。達哉がどんな顔でそれを言ったのか分からない。

「持ってこれなかったら──小学生の時の程度じゃ済まないと思え。」



 立ち上がれなかった。
 空手部の部室で蹲った。
 血の気が引いて、何度も達哉の言葉がループした。


 その日の午後の授業には出れなかった。
 僕は初めて道草を食った。体に埋め込まれたGPSの存在は忘れていた──それだけ恐かった。

 教室に戻って達哉の横で勉強するなんて耐えられなかった。
 家に帰っても暴力を振られるだけだ。いつもの時間に帰るのが一番いい。

 一人になりたかった。
 学校と家の丁度真ん中の閑静な公園。そこにある小さな山を真っ直ぐに突き抜けるトンネルを模した土管の中に入った。


 公園には誰もいない。くらい土管の中などわざわざ見に来る人もいない。土管の長さは五メートルほど。そのちょうど真ん中で泣いた。誰にも聞かれないように……そもそも公園には誰もいないというのに、声を押し殺して泣いた。

 とにかく怖かった。
 『僕は道具』。祖父の言葉を頭の中で繰り返して──でもどうしても感情が邪魔だった。

 殴られれば痛い。
 蹴られれば痛い。
 水をかけられれば冷たい。
 煙草を肌に押し付けられれば熱い。
 

 いっその事感情を捨ててしまえれば、どれだけ楽だろうか。死んでしまえればどれだけ楽なのだろうか。
『お金をください』なんて言ったら、未来はもう見えている。でも明日達哉にお金を持っていかなければ、小学で味わったあの"苦痛"以上のものを与えられる。
 でも反抗も出来ない。僕は弱くて無力で不器用な人間だと一番自分が分かっている──だから全てが恐い。



 土管の中にいたのは一時間ほど。もっとここにいたかった。一人になりたかった──しかしその僕の思いは打ち破られる。

"ザッザッザッザッ"

 公園内の土は細かい砂利だ。だから足音もよく聞こえた。僕は誰かが公園に来たとは思ったが、別段気にしてなかった。だが、土管の外から聞こえた声によって、心臓が破裂しそうなほどに鼓動する。

「たくみ! ここにいるのは分かっているんだぞ! 出てこいっ!!」


 祖父だ。声を聞くだけで分かった──怒っていると。


 僕は今まで家と学校にしか行ったことがない。体に埋め込まれたGPSが壊れない限り、どこへ行っても祖父には居場所がバレてしまう。それ以前に祖父には厳しく言われていたのだ。

『お前の帰って来る場所は楜澤家ここだ。そして出かけていい場所は学校だけだ。お前が立派な陶芸家になれるように絶対このことは守るように。』

 洗脳のように言い聞かされた、言わされた。祖父の"道具"になるために、何度も繰り返された。
 楜澤家で当主の言うことは絶対遵守。当主──祖父の言うことが守れなかったら、厳しい折檻が待ち受けている。
 

「返事をしなさい!!」


 明日からの恐怖で忘れていた。

 僕に逃げ場なんてないことを。


 一人になることさえも罪になる。
 祖父の手綱リードからは決して逃げられない。

 
「返事をしないんだったら……武力行使もやむをえ──「……はい。すぐに対応出来ず、申し訳ございませんでした。」

 土管から出る。そこには祖父と家の使用人である大柄の黒ずくめの男三人がいた。

「帰るぞ。」

 祖父が言うと、使用人の男一人が僕の背中を押し、公園傍に止めてあった車の後部座席に乗せられる。両隣に一人ずつ使用人が座り、助手席に祖父、運転席にもう一人の使用人が座り、車が発車される。
 運転中は静かだった。僕は俯いていて、その時の祖父の顔も使用人の顔も分からなかったが、未来のことを考えると泣きそうになってしまう。

 家の敷地内に着くと、ようやく祖父が言った。

「倉庫に入れておけ。」

 ただ一言。

「はい、分かりました。」

 と右隣の使用人が言った。それ以上の会話はなく車が家の前に止まると、早々に車から出され、家の隣にある倉庫へと放り込まれた。
 そこは倉庫──いや、僕のお仕置き部屋──いや、拷問部屋である。窓もない、ドアは一つ外鍵で、床は冷たいコンクリート。電気は中央にある豆電球が一つ。防音だけはされているので、外に音が漏れることは無い。


 電球は付いていないから暗黒で無音な拷問部屋に一人正座をして座っていた。怖くて仕方がなくても、地獄は着実に迫っていく。ならばなるべく"道具"になれるように、無心になる。痛い・辛い・苦しい──でも道具になれば痛くも辛くも苦しくもない。そう考えるしか逃げ道はない。












"カチッ"


 十分くらいの時間で豆電球に光が点る。そして祖父が入ってきた。


「たくみ、分かってるな?」


 祖父はそう言うとドアを閉め、僕の方に向かって歩いてきた。


"ドスッ"


 祖父のつま先が僕のお腹にクリーンヒットする──痛かった、内臓が飛び散りそうだった。でもそれだけ。



 僕はあの日のことをあまり覚えていない。祖父が何発殴って、何回蹴ったのか。首も締められたかもしれない。水もかけられたかもしれない。煙草を押し付けられたかもしれない。


 でも僕は"道具"だから、思い出せない。


























─────────────────────

 次の日、気づいた時には学校にいた。体を少しでも動かすと痛んだ。全身がズキズキした。
 僕は椅子に座っていて、隣には達哉がいて、授業中だった。最初は夢かと思った。しかし窓から入ってくる風や先生の声の聞こえ方。板書の音……全てが現実味を帯びていた。
 僕がボーッとしていると不意に右肩を叩かれる。その時に感じた痛み。それが僕の意識を覚醒させ、"人間"に戻した。

「イッッ!!?」

 鋭い痛みだ。針が刺さっような痛み。
 ここまでの痛みを感じたのは初めてだった。
 僕が悲鳴を出したことで板書をしていた先生がこちらを振り向いた。

「どうした!? 楜澤?」

 と先生に聞かれ、僕は咄嗟に返す言葉が見つからない。
 しかし僕が混乱していると、肩を叩いてきたやつが言った。

「楜澤寝てしまいそうだったので、起こしました。うとうとしてたので、俺が起こしたことでびっくりしたんだと思います。」

 そう説明したのは紛れもなく、達哉だった。顔は見なくても声だけでわかった。

「楜澤。お前が優秀なのは十分分かっているけどな。あんまり寝るんじゃないぞ? 先生、頑張って授業してるんだから!」

 そう優しく言った先生。でもその時の僕は冷静な判断など出来ない。怒られているのだと思った僕は震えた声で謝罪した。

「……もうしわけ……ありません。も、もうしませんから……ゆるして、ください………」


 先生は男性だった。大人であり、男の人。僕にとっては恐怖でしかない。謝らなかったらまた暴力を振られる。

 しかし先生は僕の謝罪を聞いて、しばらく沈黙し、気まずそうに言った。

「あ、あぁ。先生こそゴメンな……強く言ってしまって……まぁ、なんだ。お互い無理しすぎないように、頑張ろうな。」


 そう言ってまた授業を再開した。そのあとの授業が気まずい雰囲気だったことは僕には分からなかった。

 ただただ恐い。

 "人間"に戻った瞬間から恐怖が僕を支配した。
 そして更に地獄は待ち受けていた。達也は今日も僕をお昼休みに部室に招き入れた。誘いが来た時、反抗出来なかった。

「千円あるよね?」


 今日は部室に入るやいなやそう言ってきた。

 千円なんて当然持っていない。僕の記憶は昨日公園に逃げたことを祖父に見つかってしまった所から消えている。起きたのは"さっき"で、昨日の夕方からの空白の約二十時間、何をしていたのか分からなかった。
 
 何もないポケットを探る。カバンの中には教科書しか入っていないのは確認済み。



 あぁ、僕はなんて弱いのだろう。


 結局、運命は変わらない。
 何をすることも出来ない。
 ここで達哉に反抗することも、祖父から本気で逃げ出す勇気もなかった。
 
 いっその事、達哉に僕の家で置かれている状況を教えてあげればこれからの未来は変わるだろうか。
 
 いや、でもこいつも同じだ。『金をくれ』なんて言ってくる時点で、小学校で虐めてきた同級生と体格の大きい上級生となんら変わらない──『恐い人』だ。


 僕の周りにはいつも『恐い人』が集まる。そして僕を"道具"にする。




「ないんだな。」



 そう冷たく言い放つ達哉。
 
 僕はその時に見た。達也が『祖父が僕を"道具"だ』と言った時に見せた加虐欲望をむき出しにしたどす黒い笑みを。

「脱げ。」

 達也から放たれた言葉。
 僕はその言葉に混乱した。

「脱げって言ったら、裸になるんだよ!」

「……どういう、こと………?」


 
 今まで与えられた痛みは全て殴る・蹴るなどの暴力に過ぎなかった。格好などは関係なく、ただ僕が"居る"からという理由で"道具"として使われた。

 だからなぜ達哉が服を脱ぐことを望んだのかが分からなかった。しかしこの時は服を脱ぐわけにはいかなかった。
 祖父が暴力を酷く振るう部分は決まって"服で隠せる部分"だった。これは他人に見せたらまずいものだと祖父も分かっているから。だから僕が肌が弱い病気だと言い、小学校では水泳の授業はいつも見学だった。『人様に肌を見せてはいけない』と何度も言われた。

「……いや、それは……むり……「なんで無理なんだ?」
「……………………………」


 そう聞かれ、僕は黙り込んだ。

 正直に言ったら殺される。
 都合のいい嘘が見つからない。


 ひたすら考えるが、いい嘘は一向に見つからなかった。
 すると達哉がまた気味の悪い笑みを浮かべ、言った。

「あぁ。お前ってほんとっ、いじめがいがあるよな! ほんとに代わっていい"おもちゃ"になりそうだよ。
 楜澤さ、虐待でも受けてるんじゃないの?──」

「え……?!!」


 何も言えなかった。『虐待』──それが祖父の、家族のしている行為だと本当は分かっているからこそ、何も返す言葉がない。
 はぐらかすことは出来ない。服の下にある生々しい傷が何よりも証拠。昨日あったであろう、祖父からの暴力の痕。
 

 腫れていて、青あざばかり。
 かさぶたが取れ、血が出て、中に着ている白シャツが血で染っているかもしれない。
 引っかかれた傷が、包丁なんかで切りつけられた傷も、火を押し付けられて火傷した痕も沢山ある。


 人が物理的に与えた傷。服を捲られれば証明出来てしまう──虐待されていると。


「──図星か。」


 体が震えてきた。


「分かるって。毎日毎日朝は顔に小さな傷があって、血の匂いもプンプンさせて、──」


 頭が真っ白になる。


「──四月の身体検査の時にたまたま見えた、服の中にあった新しい傷。それだけで察したよ。『虐待されてる』って!!」
 

 倒れそうだった。
 虐待がバレて、達哉が面白がって他人にバラし始めたら、拡散されたら、その情報が家族に伝わって、祖父に知れたら。

 考えるだけで、目眩がした。


「ハハハハハ!! このことクラスの奴らにばらまいてやろうか? 『いつも静かで成績良好なたくみきゅんが、家ではいじめられていまーす!』てさ!それはそれで面白そうだよな! 楽しめそうだ!」

「…………やっ……やだ…やだっ、やだやだやだやだやだやだやだ!!」


 壊れる。
 僕の中の何かが崩れていく。
 消えたい。
 もういっそのこと、死んでしまいたい。
 でも、死んでも僕は祖父の手綱リードから逃げれない。死んでも死んでも追い回されそうで……消えてしまいたい。


「嫌なら俺のいうことを聞け! 俺のおもちゃになれ!!!」

「なんでもするから!!! お願い!!」



 消えることは出来ない。
 死ぬことも出来ない。


 そんな僕に許された選択肢は一つ。

『達哉に従う』こと。









 それから僕は家の、達也の"道具"になった。達哉が休みの日が何よりの幸福だと感じられるようになるほど、僕の感情は狂い切っていた。

 中一の秋。
 僕はもう"痛み"を忘れた。いくら殴られても、性的暴力を達哉にされても、全くの"痛み""苦しみ"というものを、感じなくなった。
 それに飽きてしまったのが達哉だった。ひたすらに暴力を受け、夜は寝ることも無く陶芸の技術を向上させるため"道具"のように動く僕。
 達哉の望みは『感情のあるおもちゃ』だった。だからある人物に僕の友達になるよう命令した。


 それが鈴木 充すずき みつる。達哉の実の弟である。
 そんなこと最初、僕は知らなかった。僕が帰り道、無心で歩いていると、後ろからやってきたのがみつるだった。

 『心のケア係』

 彼は僕の心を癒す存在へとなっていく。そして僕は達哉の策略にまんまとハマり、みつるを親友とした。それが中三の春。


 達哉を殺した十か月前。

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