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第三章「中年サヴァイヴァーと徒然デイズ⑦」
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前回のあらすじ
中年、JKを泣かせる
①
「んじゃあねー、おっさん。また明日ッスーノシ」
ひとしきり展望台で尾方とじゃれあった葉加瀬は、元気一杯に展望台を駆け下りて行った。
一人展望台に残った尾方は、再度タバコを懐から取り出すと、それを満足そうに吸いながら町を眺め、やがて自身も展望台を後にした。
流石にもういい時間である。明日のことを考えて、当初予定していたBARへは行かないことにした。
酒を呑むのもいいが、若者と話しても元気が出る。それもまた中年尾方の特徴の一つだった。
自宅へ帰る最中、尾方はコンビニで弁当を買った。
その際にチラッと脳裏にキヨのことが浮かんだが、まぁその場の冗談だろうと流してしまった。
ご機嫌な尾方は行きと同じくリズミカルに階段を上がる。
そして家の鍵を取り出すと鍵穴に入れる。
しかしここで違和感に気づく、開錠方向に回しても手応えがない。
しまった。鍵を掛け忘れたか。と無用心な自分に苦笑いしながら自室に入る。
「ただいまー...」
いつも通り誰も居ない部屋にただいまを言うと。
「おかえりなさい! 尾方さん!」
っと元気な声が帰ってきた。
驚いた尾方が部屋奥に目を向けると。
そこには旅館の若女将にして天使第三躯。正端 清の姿があった。
②
「いけませんよ尾方さん。このご時勢、平和とはいっても戸締りはしっかりしないと」
和服の上にエプロンと三角巾を着用し、尾方の汚部屋を片付けていた清は、とてとてと玄関まで出迎えに来て無用心を叱る。
尾方は苦笑いしながら答える。
「ご、ごめんねキヨちゃん...えーっと、ところでおじさんの部屋でなにを...?」
尾方が首を傾げると、キヨは胸を張って言う。
「尾方さんの左手のしての些細な御手伝いです!」
尾方は夕方のことを思い出していた。
確かに清は、尾方の左手に代わりになると言っていた。だが尾方はこれを、あっても晩御飯を作って持ってきてくれるぐらいのことだろうと解釈し、軽く流していた。
しかし、現状を省みるに、尾方の解釈には、大きな齟齬があったようだ。
とりあえず尾方はそそくさとコンビニ弁当を冷蔵庫に押し込む。
「まだお片づけは終わっておりませんが、食事をするぐらいのスペースはあります。お座りください」
清に袖を引かれ、尾方はおずおずと居間のテーブルの前に座らされる。
「今晩は尾方さんの好きな肉じゃがですよ。お口に合えばようのですが」
あれよあれよと言ううちに尾方の前に晩御飯が準備されていた。
尾方の横にちょこんと清が座る。
「では尾方さん。よろしくお願いします」
尾方は一気にペースに呑まれ、ここまで愛想笑いで固まっていたが、なにかを促され固まった口が動き出す。
「えーっと、清ちゃん...なにをでしょう?」
清はとなりでニコニコして答える。
「食膳の御挨拶でございます。家主の号令無くして食事は始まりませんから」
尾方は、『いや、家主というとここの大家さんになるんですが』と言い掛けたが喉元で止め、静々と言う。
「いただきます」
「はい、いただきます」
清も後に続く。
ここまでで一段落ついたと感じた尾方はすかさず清に話しかける。
「ご飯とお掃除ありがとうね清ちゃん」
「いえいえ、この程度、尾方さんの左手として当たり前のことです」
誇らしげに清が答える。
尾方は苦笑いして言う。
「おじさんの元あった左手はこんなに働き者じゃなかったと思うなぁ」
「それはいけません。今度会った時に注意しておきましょう」
「なに? もう左手間ネットワークでも出来てるの?」
「前職とコネクションを持っておくのは当然の責務です」
「帰ってくるよう言ってくれない?」
「無理ですよ。前職さんは異世界に行ってしまいましたので」
「え!? おじさん左手だけ異世界転生したの!?」
「元中年悪魔の左手だけど転生してパン屋開きます」
「ニッチ過ぎない!? どこの層狙ってるの!?」
「ほら、尾方さん。前職の話もいいですがご飯冷めちゃいますよ」
清に食事を促され、尾方はおずおずと食事を開始する。
しかし、これが思いのほか難しい、あまりマナーを気にする方じゃなかった尾方であるが、いざ片手で食べるとなるとそれらが気になってしまう。
思うように食べられない尾方。それを、
「......」
爛々と輝く瞳を向ける清が待ち構えていた。
尾方の背中に視線が突き刺さる。
「キ、キヨちゃん? なにか?」
尾方は牽制を入れると。
「いいえいいえ、どうぞ気にせずお食べください。しかし、食べ辛そうですね? 左手が使えないからですかね? 左手、ここにあるんですけどね?」
ここぞとばかりにグイグイ来る。
根負けした尾方は深く溜息をすると清に話しかける。
「キヨちゃん...よかったら少しだけ食べるの手伝ってくれない?」
それを聴くと清はニッコリ笑い、
「ええ! ええ! お任せください! キヨは左手ですので当然の責務です!」
と言うや否や尾方の手から箸がパッと消えた。
「...今、正装使った?」
「なんのことでございましょう? それより尾方さん。なにを食べましょう」
尾方は納得してなさそうな顔でやんわりと断る。
「いやいや、食べやすいように一口大に切ってくれるだけでいいよ」
「いえいえ、ご遠慮なさらず。あーんしてください」
「いやー、気恥ずかしいっていうか。僕普通に食べれるからさぁ」
「!? 尾方さん僕っ子だったんですか!?」
「あ、その下り少し前にやったんで」
「......」
「ムグ...!?」
尾方の口内に肉じゃがが突如出現する。
この天使、私情満タンで正装を行使し過ぎなのでは?
尾方は慌てて喉に詰めない様にそれを咀嚼して飲み込むと抗議する。
「正装なし! 正装なしで行こうキヨちゃん! 美味しく食べたいから!」
「ああ、失礼いたしました。手が勝手に...」
「何アレルギーだったっけ!?」
「あーんさせぬは悪でありますれば...」
「なんて都合のいいアレルギーなんだ...!」
尾方はようやっと観念すると。
清になされるがままに晩御飯を平らげた。
「ご馳走様でした」
「はい、ご馳走様でございました」
食後の挨拶をすませると満足そうに尾方は清に礼を言う。
「なんだかんだ全部美味しく食べちゃった。本当にありがとうねキヨちゃん」
キヨも満足そうに笑顔で返す。
「お安い御用です尾方さん。これぐらいであればいつでもお申し付けください」
その後キヨは台所で皿を洗いながら尾方に語りかける。
「尾方さん。つかぬ事をお伺いいたしますが、この先一週間でシャングリラに御用事等ございますでしょうか?」
「うん? 今の所は特にないけど? どうしたんだい?」
「いえいえ、聞いただけでございます。ただここ数日は天使も悪魔も動きが活発化しておりますので近づかぬが賢明かと思います」
「あらら、いいのキヨちゃん? それ、こっちに情報流しているようなもんよ? 問題にならない?」
するとキヨは悪戯っぽく笑いながら言う。
「なんのことでございましょう? しがない若女将の独り言にござりますれば、特に問題ないと思います」
「ははは、いいねぇ。おじさんキヨちゃんのそういう所も好きだなぁ」
六秒後、尾方の頭はオタマの裏で叩かれたような衝撃に襲われた。
「いだ!? また使ったでしょ正装!? おじさんなにか悪いこと言った!?」
「しがない若女将にはあずかり知らぬことにございます」
キヨは視線を泳がせながら台所で洗物を続ける。
それを少し眺めて尾方は少し顔に安心の色を浮かべながら言う。
「いや、でもなんか安心したな。いつも庭先で話すばっかりだったけど、キヨちゃんって意外に茶目っ気があるんだねぇ」
「幻滅しました?」
少し不安そうに清が尋ねる。
「まさか、親しみやすくておじさん的には高評価さ。普段からそっちの方がおじさんは嬉しいなぁ」
清は笑顔で考えておきますっと言うと洗物を終わらせて居間に戻ってくる。
それを確認して尾方が話しかける。
「しかしキヨちゃんここまでしてもらわなくてもよかったのに。晩御飯貰えたらそれだけで大丈夫だよおじさんは」
「そうも問屋がおろしません。晩御飯を持ってくるなんていつもやっているじゃありませんか。これはお礼なのです。いつも以上の事をしなければ意味がありません」
グッと胸元で拳を握って清が語る。
それを見て尾方はにへらと笑う。
「真面目だねぇ。まるで天使みたいだ」
「天使ですから。それも大天使です」
若女将はどこに行ったのだろうか。意外に乗せられやすい大天使様である。
「違いないねぇ」
尾方は冷蔵庫からジュースを出すと清に渡す。
「そんな大天使様におじさんからお礼だ。御納めください」
「い、いえ、好きでやってることですから...」
清は一回断ったが、尾方に黙って手に握らされ、縮こまりチマチマと飲み出す。
「昔から思ってたんだけど、なんでこんな冴えないおじさんに気を掛けてくれたんだい?」
「...? お礼ですよ?」
「いやいや、今はそうだろうけど前々から話かけてくれるし、ご飯はくれるし。おじさん的には気になっちゃってねぇ」
「ああ、そのことですか...それはですね...尾方さんが...」
「おじさんが...?」
「...」
そこまで言うと清は押し黙ってしまう。
「キヨちゃん...?」
尾方が促すと。
「尾方さんは、私にとっての...若女将正端清の、唯一の知人でしたので...」
「キヨちゃんの...?」
尾方は少し考える。正端清は有名人であるのは言うまでもない。
尾方が知らないところで尾方よりパイプの太いコネクションなど山ほどあるだろう。
それこそ天使としては...。
そこまで考えて尾方はハッとする。
大天使・戒位第三躯。その比重に気づく。
「そうか...第三躯...」
「そうです。私は、戒位第三躯・大天使の正端清。しかし私は、この正端清をほとんど知りません。それに関わらず皆はこの名前を持って私を認識しています。それが私は...とても恐ろしいことに思うのです」
清は正装【不知火】をギュッと握り言う。
「その点、尾方さんは違いました。若女将としての私に接し、話しかけてくれました...。また、私の素性を知っても尚、特に態度を変えることなく接してくれました」
「キヨちゃん...」
「ですので、尾方さんは私にとっては特別なのです。少しは世話を焼かせてください」
力ない笑顔で天使は笑う。
今なら尾方も分かる。
清が尾方に悪アレルギーの克服を頼む意味を。
それは、自分の力を見せてもこの人は変わらないという自信。
信頼の現れであるのだと。
同時に修行を挟むなどの慎重さは、自分にとっての唯一の日常を失いたくないという恐れから来ているのだと。
そこまで考えると尾方も覚悟を決める。
そして心配させないように力強い笑顔を向けることにする。
「そだね。そこまで言われたらこっちも修行頑張らざる得ないね。その代わり、晩御飯はお願いね?」
「はい! 任されました! 私が必要なときはいつでもお申し上げ下さい! この清に! よろしく頼むと! さすれば全力で御手伝い致します!」
キヨは笑顔でこれを快諾した。
二人が笑顔で視線を交わしていると。
お風呂が沸いた音がした。
これに反応して尾方が話しかける。
「おっと、沸いた沸いた。じゃあキヨちゃんありがとうね。また明日もよろしくお願い」
尾方が玄関まで歩いて外出を促すと、
「お......します」
清が何かを呟いた。
「キヨちゃん...? いま、なんて...?」
尾方は慎重にその言葉を聞き返す。
「...お背中...お流しします...!」
ドドドドドドドドド!!
二人の間に空気を打ち鳴らすほどの覇気が交わる。
「よしキヨちゃん!! 正装ナシね!!!」
「大丈夫です!! 痛くしませんから!!!」
背を流されたくない悪魔と背を流したい天使の争いは、大家に注意されるまで続いた。
中年、JKを泣かせる
①
「んじゃあねー、おっさん。また明日ッスーノシ」
ひとしきり展望台で尾方とじゃれあった葉加瀬は、元気一杯に展望台を駆け下りて行った。
一人展望台に残った尾方は、再度タバコを懐から取り出すと、それを満足そうに吸いながら町を眺め、やがて自身も展望台を後にした。
流石にもういい時間である。明日のことを考えて、当初予定していたBARへは行かないことにした。
酒を呑むのもいいが、若者と話しても元気が出る。それもまた中年尾方の特徴の一つだった。
自宅へ帰る最中、尾方はコンビニで弁当を買った。
その際にチラッと脳裏にキヨのことが浮かんだが、まぁその場の冗談だろうと流してしまった。
ご機嫌な尾方は行きと同じくリズミカルに階段を上がる。
そして家の鍵を取り出すと鍵穴に入れる。
しかしここで違和感に気づく、開錠方向に回しても手応えがない。
しまった。鍵を掛け忘れたか。と無用心な自分に苦笑いしながら自室に入る。
「ただいまー...」
いつも通り誰も居ない部屋にただいまを言うと。
「おかえりなさい! 尾方さん!」
っと元気な声が帰ってきた。
驚いた尾方が部屋奥に目を向けると。
そこには旅館の若女将にして天使第三躯。正端 清の姿があった。
②
「いけませんよ尾方さん。このご時勢、平和とはいっても戸締りはしっかりしないと」
和服の上にエプロンと三角巾を着用し、尾方の汚部屋を片付けていた清は、とてとてと玄関まで出迎えに来て無用心を叱る。
尾方は苦笑いしながら答える。
「ご、ごめんねキヨちゃん...えーっと、ところでおじさんの部屋でなにを...?」
尾方が首を傾げると、キヨは胸を張って言う。
「尾方さんの左手のしての些細な御手伝いです!」
尾方は夕方のことを思い出していた。
確かに清は、尾方の左手に代わりになると言っていた。だが尾方はこれを、あっても晩御飯を作って持ってきてくれるぐらいのことだろうと解釈し、軽く流していた。
しかし、現状を省みるに、尾方の解釈には、大きな齟齬があったようだ。
とりあえず尾方はそそくさとコンビニ弁当を冷蔵庫に押し込む。
「まだお片づけは終わっておりませんが、食事をするぐらいのスペースはあります。お座りください」
清に袖を引かれ、尾方はおずおずと居間のテーブルの前に座らされる。
「今晩は尾方さんの好きな肉じゃがですよ。お口に合えばようのですが」
あれよあれよと言ううちに尾方の前に晩御飯が準備されていた。
尾方の横にちょこんと清が座る。
「では尾方さん。よろしくお願いします」
尾方は一気にペースに呑まれ、ここまで愛想笑いで固まっていたが、なにかを促され固まった口が動き出す。
「えーっと、清ちゃん...なにをでしょう?」
清はとなりでニコニコして答える。
「食膳の御挨拶でございます。家主の号令無くして食事は始まりませんから」
尾方は、『いや、家主というとここの大家さんになるんですが』と言い掛けたが喉元で止め、静々と言う。
「いただきます」
「はい、いただきます」
清も後に続く。
ここまでで一段落ついたと感じた尾方はすかさず清に話しかける。
「ご飯とお掃除ありがとうね清ちゃん」
「いえいえ、この程度、尾方さんの左手として当たり前のことです」
誇らしげに清が答える。
尾方は苦笑いして言う。
「おじさんの元あった左手はこんなに働き者じゃなかったと思うなぁ」
「それはいけません。今度会った時に注意しておきましょう」
「なに? もう左手間ネットワークでも出来てるの?」
「前職とコネクションを持っておくのは当然の責務です」
「帰ってくるよう言ってくれない?」
「無理ですよ。前職さんは異世界に行ってしまいましたので」
「え!? おじさん左手だけ異世界転生したの!?」
「元中年悪魔の左手だけど転生してパン屋開きます」
「ニッチ過ぎない!? どこの層狙ってるの!?」
「ほら、尾方さん。前職の話もいいですがご飯冷めちゃいますよ」
清に食事を促され、尾方はおずおずと食事を開始する。
しかし、これが思いのほか難しい、あまりマナーを気にする方じゃなかった尾方であるが、いざ片手で食べるとなるとそれらが気になってしまう。
思うように食べられない尾方。それを、
「......」
爛々と輝く瞳を向ける清が待ち構えていた。
尾方の背中に視線が突き刺さる。
「キ、キヨちゃん? なにか?」
尾方は牽制を入れると。
「いいえいいえ、どうぞ気にせずお食べください。しかし、食べ辛そうですね? 左手が使えないからですかね? 左手、ここにあるんですけどね?」
ここぞとばかりにグイグイ来る。
根負けした尾方は深く溜息をすると清に話しかける。
「キヨちゃん...よかったら少しだけ食べるの手伝ってくれない?」
それを聴くと清はニッコリ笑い、
「ええ! ええ! お任せください! キヨは左手ですので当然の責務です!」
と言うや否や尾方の手から箸がパッと消えた。
「...今、正装使った?」
「なんのことでございましょう? それより尾方さん。なにを食べましょう」
尾方は納得してなさそうな顔でやんわりと断る。
「いやいや、食べやすいように一口大に切ってくれるだけでいいよ」
「いえいえ、ご遠慮なさらず。あーんしてください」
「いやー、気恥ずかしいっていうか。僕普通に食べれるからさぁ」
「!? 尾方さん僕っ子だったんですか!?」
「あ、その下り少し前にやったんで」
「......」
「ムグ...!?」
尾方の口内に肉じゃがが突如出現する。
この天使、私情満タンで正装を行使し過ぎなのでは?
尾方は慌てて喉に詰めない様にそれを咀嚼して飲み込むと抗議する。
「正装なし! 正装なしで行こうキヨちゃん! 美味しく食べたいから!」
「ああ、失礼いたしました。手が勝手に...」
「何アレルギーだったっけ!?」
「あーんさせぬは悪でありますれば...」
「なんて都合のいいアレルギーなんだ...!」
尾方はようやっと観念すると。
清になされるがままに晩御飯を平らげた。
「ご馳走様でした」
「はい、ご馳走様でございました」
食後の挨拶をすませると満足そうに尾方は清に礼を言う。
「なんだかんだ全部美味しく食べちゃった。本当にありがとうねキヨちゃん」
キヨも満足そうに笑顔で返す。
「お安い御用です尾方さん。これぐらいであればいつでもお申し付けください」
その後キヨは台所で皿を洗いながら尾方に語りかける。
「尾方さん。つかぬ事をお伺いいたしますが、この先一週間でシャングリラに御用事等ございますでしょうか?」
「うん? 今の所は特にないけど? どうしたんだい?」
「いえいえ、聞いただけでございます。ただここ数日は天使も悪魔も動きが活発化しておりますので近づかぬが賢明かと思います」
「あらら、いいのキヨちゃん? それ、こっちに情報流しているようなもんよ? 問題にならない?」
するとキヨは悪戯っぽく笑いながら言う。
「なんのことでございましょう? しがない若女将の独り言にござりますれば、特に問題ないと思います」
「ははは、いいねぇ。おじさんキヨちゃんのそういう所も好きだなぁ」
六秒後、尾方の頭はオタマの裏で叩かれたような衝撃に襲われた。
「いだ!? また使ったでしょ正装!? おじさんなにか悪いこと言った!?」
「しがない若女将にはあずかり知らぬことにございます」
キヨは視線を泳がせながら台所で洗物を続ける。
それを少し眺めて尾方は少し顔に安心の色を浮かべながら言う。
「いや、でもなんか安心したな。いつも庭先で話すばっかりだったけど、キヨちゃんって意外に茶目っ気があるんだねぇ」
「幻滅しました?」
少し不安そうに清が尋ねる。
「まさか、親しみやすくておじさん的には高評価さ。普段からそっちの方がおじさんは嬉しいなぁ」
清は笑顔で考えておきますっと言うと洗物を終わらせて居間に戻ってくる。
それを確認して尾方が話しかける。
「しかしキヨちゃんここまでしてもらわなくてもよかったのに。晩御飯貰えたらそれだけで大丈夫だよおじさんは」
「そうも問屋がおろしません。晩御飯を持ってくるなんていつもやっているじゃありませんか。これはお礼なのです。いつも以上の事をしなければ意味がありません」
グッと胸元で拳を握って清が語る。
それを見て尾方はにへらと笑う。
「真面目だねぇ。まるで天使みたいだ」
「天使ですから。それも大天使です」
若女将はどこに行ったのだろうか。意外に乗せられやすい大天使様である。
「違いないねぇ」
尾方は冷蔵庫からジュースを出すと清に渡す。
「そんな大天使様におじさんからお礼だ。御納めください」
「い、いえ、好きでやってることですから...」
清は一回断ったが、尾方に黙って手に握らされ、縮こまりチマチマと飲み出す。
「昔から思ってたんだけど、なんでこんな冴えないおじさんに気を掛けてくれたんだい?」
「...? お礼ですよ?」
「いやいや、今はそうだろうけど前々から話かけてくれるし、ご飯はくれるし。おじさん的には気になっちゃってねぇ」
「ああ、そのことですか...それはですね...尾方さんが...」
「おじさんが...?」
「...」
そこまで言うと清は押し黙ってしまう。
「キヨちゃん...?」
尾方が促すと。
「尾方さんは、私にとっての...若女将正端清の、唯一の知人でしたので...」
「キヨちゃんの...?」
尾方は少し考える。正端清は有名人であるのは言うまでもない。
尾方が知らないところで尾方よりパイプの太いコネクションなど山ほどあるだろう。
それこそ天使としては...。
そこまで考えて尾方はハッとする。
大天使・戒位第三躯。その比重に気づく。
「そうか...第三躯...」
「そうです。私は、戒位第三躯・大天使の正端清。しかし私は、この正端清をほとんど知りません。それに関わらず皆はこの名前を持って私を認識しています。それが私は...とても恐ろしいことに思うのです」
清は正装【不知火】をギュッと握り言う。
「その点、尾方さんは違いました。若女将としての私に接し、話しかけてくれました...。また、私の素性を知っても尚、特に態度を変えることなく接してくれました」
「キヨちゃん...」
「ですので、尾方さんは私にとっては特別なのです。少しは世話を焼かせてください」
力ない笑顔で天使は笑う。
今なら尾方も分かる。
清が尾方に悪アレルギーの克服を頼む意味を。
それは、自分の力を見せてもこの人は変わらないという自信。
信頼の現れであるのだと。
同時に修行を挟むなどの慎重さは、自分にとっての唯一の日常を失いたくないという恐れから来ているのだと。
そこまで考えると尾方も覚悟を決める。
そして心配させないように力強い笑顔を向けることにする。
「そだね。そこまで言われたらこっちも修行頑張らざる得ないね。その代わり、晩御飯はお願いね?」
「はい! 任されました! 私が必要なときはいつでもお申し上げ下さい! この清に! よろしく頼むと! さすれば全力で御手伝い致します!」
キヨは笑顔でこれを快諾した。
二人が笑顔で視線を交わしていると。
お風呂が沸いた音がした。
これに反応して尾方が話しかける。
「おっと、沸いた沸いた。じゃあキヨちゃんありがとうね。また明日もよろしくお願い」
尾方が玄関まで歩いて外出を促すと、
「お......します」
清が何かを呟いた。
「キヨちゃん...? いま、なんて...?」
尾方は慎重にその言葉を聞き返す。
「...お背中...お流しします...!」
ドドドドドドドドド!!
二人の間に空気を打ち鳴らすほどの覇気が交わる。
「よしキヨちゃん!! 正装ナシね!!!」
「大丈夫です!! 痛くしませんから!!!」
背を流されたくない悪魔と背を流したい天使の争いは、大家に注意されるまで続いた。
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