牢獄王女の恋

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 シャロンからの手紙が途切れた。
 月に一度か二度、ガブリエルの元に必ず届いていた手紙が来なくなった。
 一か月を過ぎても届かないことが不安になりシャロンへ手紙を書いた。
 しかし返事は来なかった。
 ラリサにも書いたが同じだ。返事は来ない。
 ガブリエルはダイアナにコーデリアがどうしているのかを教えて欲しいと手紙を書いた。
 ダイアナからは返事は来た。変わらずよく勉強をして社交にも積極的だという。
 ダイアナの返事に安堵したが、それならなぜシャロンは手紙を寄越さなくなったのだろうか。
 ガブリエルに知らせられないなにかがあったのではないだろうか?
 ガブリエルはすぐにでもワイエスに行き、宮廷のコーデリアがダイアナの手紙通りなのかを確認したかった。
 しかしコーデリアとの約束がある。
 即位するまでは逢わない。宮廷には行かないと。
 その後もシャロンからの手紙は届かず、ラリサからも同じだった。

 マイルスからコーデリアの即位の日が議会で決定された知らせが来た数日後、国内にも交付された。
 エロイーズの冤罪に関わった者、コースリーと内通していた者、それに加担したすべての者の裁判は終わり判決が下されたため何の問題もなくコーデリアが女王になれると決まったのだ。
 罪人は延べ四十余人。自殺したイーリスの他、軍の上層部にいた者は死刑に。他のものは無期の投獄。更に姿を晦ましていたイーリスの親族たちもそれを匿った者も捕まえることが出来、裁きを受けた。
 マイルスがコーデリアの地位を盤石のものとして、誰も異を唱えられぬよう尽くしたのだ。
 これでコーデリアの幸せが保証されたわけではないが、晴れてコーデリアはこの国最高の地位に。コーデリアはあるべき姿に戻ったのだ。
 即位の決まったコーデリアはどんな心境でいるだろうか。不安になっていないだろうか。
 その様子が知りたいのにシャロンからの手紙は来ない。
 何度も様子を知らせてほしいと伝えているのに、何も来ない。
 ガブリエルは苛立っていた。毎日コーデリアのことで頭がいっぱいだった。
 もしかしたらコーデリアからもう手紙は書くなと言われたのだろうか。
 もうコーデリアにガブリエルは必要ないということなのだろうか。
 他に支える人間が出来たのだろうか。
 コーデリアの側で、コーデリアの想いを受け止められる誰かが。
 それならば歓迎すべきだ。そんな存在がコーデリアにいるのなら、安心するべきだ。
 しかしその確証はない。ダイアナからの手紙にはそんなことは書いていなかった。
 コーデリアのことはシャロンでなければ本当のことはわからない。ダイアナではコーデリアの本当の心の中までわからない。
 そんな相手が出来たなら教えて欲しいと手紙を書くのだが、やはり返事は来ない。
 コーデリアのことを考えると胸が落ち着かなくなる。イライラして、不安が襲う。
 もう必要とされない寂しさが心を重くする。
 コーデリアの気持ちに答えられなかったのだから仕方のないことなのだ。それでも寂しさはある。
 娘が完全に手から離れて行ったのだから。

 即位式の招待状が届いたのはあと三か月を切った頃だった。
 モーガンから使用人一同で用意したものをコーデリアに渡してもらえないだろうかと相談を受けた。手紙や皆で買おうと思っている祝いの品だという。
 ガブリエルはもちろん了承した。
 祝いの品は他国の王族や国内の貴族からも多く届けられるだろう。
 それでもガブリエルの知るコーデリアなら、豪華な祝いの品々よりもこの屋敷の使用人たちが心を込めて描いた手紙を何よりも喜ぶだろうと思った。
 それとも宮廷暮らしで変わってしまっただろうか?
 贅沢な生活に慣れ、この屋敷の者たちも忘れてしまってはいないだろうか。
 コーデリアがどんな女性なっているかを今のガブリエルは想像出来なかった。
 シャロンからの手紙が途絶えたことがどんな意味を持っているのかも、なにもわからなかった。




 *****




 ガブリエルは即位式の三日前に王都ワイエスに入った。
 義母の家に到着しシャロンと連絡を取ろうとしたが、返事は来なかった。
 マイルスとダイアナはもう逢える状況ではなく、当日参列席からでしかコーデリアの姿を見ることが出来ないのだと思った。
 コーデリアが女王になれば、ガブリエルはもうコーデリアの臣となり簡単に近づくことは出来なくなる。
 コーデリアに逢うためには謁見を申し入れなくてはならないのだと、ここに至ってやっと思い知った。
 コーデリアが望まなければ、もう何も出来ない立場になったのだ。
 そしてコーデリアは望んでいないのだ。シャロンがガブリエルに逢おうとしないということが答えだ。
 苦しい胸の内を抱えながら、ガブリエルは即位式までの眠れぬ夜を過ごした。




 *****





 宮殿の大広間は貴族たちでごった返していた。
 地方からも参じた久しぶりに顔を合わせる者たちが挨拶をしあい、ガブリエルも何人もに声を掛けられながら席に着いた。
 侯爵位は公爵の後ろの席になる。それでも現摂政の甥の立場であるガブリエルは前から二列目でコーデリアが戴冠する瞬間をしっかりと見ることが出来る席だった。
 コーデリアを育てた功績もあり、マイルスの配慮があったのだろう。
 高い天井から下がる巨大なシャンデリアが煌めき、歴代の王から受け継がれてきた青いベルベットの張られた大きく豪華な王座が新しい主人を待っているように広間の最奥に一段高く据えられている。
 女王を歓迎するように大きな窓からは明るい陽射しが差し込み、大主教の入場で大広間が静まり返る。
 大主教の横ではマイルスがクッションに乗せた王冠を持ち、コーデリアの登場を待つ。
 ガブリエルは緊張していた。
 久しぶりに見る事が出来るコーデリアがどのようになっているのかを知るときが来たのだ。
 グッと手を握りその時を待っていると、背後から動く気配がする。
 後ろから順に立ち上がりガブリエルも立って入り口へ身体を向けると、近衛兵たちが正装で入場してきた。
 真っ直ぐ王座の前まで来ると横に別れ王座の両脇に並ぶ。
 その少し後から、人々の頭の隙間に金色の髪が見えた。
 進む速度でその姿がガブリエルの目を釘付けにする。
 陽の光に輝く金髪を結い上げ、白地に金糸が織り込まれたドレスに内側に毛皮の張られた真っ赤なベルベッドのマントを羽織った女性が真っ直ぐと王座への道を進んでいる。
 ガブリエルは混乱した。
 
 この女性は誰だ……。

 女王となるべく王座へ進むこの女性をガブリエルは誰なのかと戸惑い混乱したのだ。
 揺ぎ無く前を向くグレーの瞳を知っている。小さく尖った鼻も、引き結んだ唇も知っている。
 それでもこの女性がガブリエルが愛し育てたあの少女だと思えなかったのだ。
 身体は女性らしい丸みが美しい曲線を作り、身長も少し伸びたかもしれない。
 変わっていることは想像していたはずなのに、それともまるで違った。
 この国の最上級品であろうサファイアとダイヤのネックレスに重ねて着けられている素朴なロザリオは、確かにガブリエルが贈ったものだ。
 それでようやくこの美しい女性が誰なのかを理解出来た。

 コーデリア!

 神々しい輝きを放つコーデリアに、ガブリエルは息を呑んだ。
 思わず口を押え固まってしまったガブリエルだったが、目だけはコーデリアに縫い取られたようにその姿を追った。
 コーデリアが大主教の前に立ち宣誓が始まる。
 その声をもちろんガブリエルは知っている。
 しかしこんなにもよく通る声だっただろうか? と耳を疑った。
 笑い、名前を呼び、一日の出来事を歌うように喋ったあの声とはまるで違って聞こえるのだ。
 あのかわいらしかった柔らかい声が、責任と自信を持って高らかに国の為に存在することを誓っている。
 本当にガブリエルの愛した少女なのかと混乱は増すばかりだ。
 この大広間にガブリエルほど動揺している者は他にいない。
 当たり前だ。皆は知らない。この女性がどんな少女だったのかを。
 薄汚れ毛布に包まっていた姿も。りんごを吐き出しキョトンとした姿も。お漏らしをして気まずそうにする姿も。青空を見上げて風を感じる姿も。庭で見つけた鳥を走って知らせに来る姿も。ベッドに忍び込み腕に縋って丸まって眠る姿も。誰も知らない。
 今まさに戴冠されようと膝を折り頭上に王冠が輝くこの女性がどれほど愛らしい少女だったことを誰も知らない。
 そしてここにいる誰もが知ったこの新しい女王を、ガブリエルだけが知らない。
 戴冠しコーデリアが王座の前に立つと、大主教が宣言する。
 コーデリアが王女になった瞬間だった。
 マイルスの『女王陛下に神の加護を』の声に、場内が『神よ女王を守り給え』の合唱が響いた。
 王座の前で微動だにせず祝福を受け取ったコーデリアは大広間を見渡してから頷き、近衛兵の先導で退室するために来た道を戻っていく。
 その後ろ姿を見送りながら、コーデリアの後ろでマントを支えるシャロンの姿にやっと気が付いた。
 普通男爵令嬢の地位ではこんな役目は出来ない。女王であるコーデリアの介添えは高位貴族の仕事だ。
 この大役を任されるほどコーデリアが信頼し、コーデリアにとって重要な人物だということになりそれを知らしめている。
 そのシャロンがガブリエルに連絡を取らないと決めたのなら、もうシャロンからコーデリアの話を聞くことは無理だろう。
 マイルスやダイアナを伝って逢うことは出来るだろうが、ガブリエルはそれをする気もなかった。
 コーデリアが退場し賑わう場内で、ガブリエルだけが椅子に身体を預け放心していた。
 もう自分が必要ないほど立派な女性に、女王になったのだと思い知った。
 もうガブリエルの知る少女はいなくなり、ガブリエルは求められないのだと。



 夜の祝宴まではまだ時間があったが、ガブリエルはもう義母の屋敷に戻ろうと思った。
 先ほどの大広間でもそうだ、コーデリアはガブリエルを見つけない。
 これ以上それを思い知るのが辛いと思った。
 華やかな宮廷の喧騒から抜け出し、参宮した貴族たちの馬車が並ぶ門の外へ出ようとした。その時だった。
 腕を掴まれ振り向いた。
 腕を掴んでいたのは息を切らせたシャロンだった。

「探したじゃない。どうして帰ろうとするのよ」

 荒い呼吸で胸を上下させながらガブリエルの腕を強い力で掴む久しぶりに対面するシャロンに、ガブリエルは驚いた。
 もうシャロンからガブリエルに話しかけてくることもないのではないかと思っていた矢先だったからだ。

「シャロン。オレを探していたのか?」
「そうよ。走らせないでよ。わたしはもう三十二歳なのよ……」
「だろうな。オレはもう三十六だ」
「三十六の男が、逃げないでよ……」

 シャロンに見据えられギクリとした。
 逃げるわけではない。でも感じる寂しさと胸に迫る切なさを受け止めきれていないことから逃げていると言われれば、そうなのかもしれないと思ってしまった。

「コーデリアが待っているわ。逢ってやって。逢いたいでしょ?」
「どうして連絡を絶った? もうコーデリアにオレは必要ないだろう」
「コーデリアに逢って確かめて」

 シャロンはガブリエルの問いに答えなかった。
 コーデリアに逢えばわかるということなのだろうか。
 コーデリアは自分に逢いたいのか不安になったが、ガブリエルはコーデリアに逢いたい。
 その気持ちは言わなくてもシャロンにはわかっているようだった。
 これが最後なのだとしたら、約束を果たそう。
 コーデリアが即位したら褒めて欲しいと約束した。
 その約束を最後に果たそうと、ガブリエルはシャロンに従って宮廷へ戻った。
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