牢獄王女の恋

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 コーデリアの母親はこの国の王妃で、冤罪で牢獄に入れられコーデリアを産んだ。
 幼い頃は他を知らずに育っていたせいで自分の環境を疑問に思ったことはなかった。
 しかし今思い返せばあそこほどの地獄はなかった。今またあそこで生きろと言われたならばコーデリアは発狂して死ねる。
 外の世界を知っていた母があの地獄でどんな想いで生きたのだろうか、コーデリアを育てたのだろうか。
 いつか冤罪は晴らされると信じ続けたのだろうか。
 しかし信じ続けても冤罪は晴らされず、助けも来ないまま目を閉じ醒まさなかった。
 そんなところから救い出してくれたのがガブリエルだ。
 理由があったとこを知ったが、それでもガブリエルはコーデリアにとって天使だ。
 あの光景は今でも脳裏に焼き付いている。ガブリエルが暖かいマントに包み救い上げてくれたのだ。
 牢獄を出て初めて吸った空気の美味しさを忘れる事なんかできない。ガブリエルが吸わせてくれたものだ。
 風呂に入るのも恐ろしく、ガブリエルが抱き上げてバスタブの中に入れてくれた。
 そんなガブリエルに『オレもお前を無視した人間のひとりだ』と言われて切なかった。
 『許して欲しい』と言われ泣きそうになった。
 コーデリアがガブリエルを許さないと思うのだろうか? 誰を恨んでもガブリエルだけは恨むことが出来るはずがない。
 でも同じようにこの国の人たちを全員許せるわけでもない。
 コーデリアが許せる人は僅かだ。シャロンやモーガンやラリサたち、コーデリアの愛する人だけだ。
 それを王女だから全員許さなくてはいけないと言われて出来るはずがない。

 脳裏に残る母の言葉がある。『敵を愛し、迫害する人のために祈れ』。神様の言葉を教えてくれたのだ。
 母はいつか冤罪であることが明かされると信じ、それを希望に生き、王女として立つコーデリアの為にこの言葉を教えたのだろうか?
 そうだとしたら、ガブリエルが望んでいることは母と同じだ。
 どんなに難しくともそれをしなくてはならない。王女として立ち女王になるために。
 運命だと言われたが、そんな運命をなぜ神は与えたのか。
 コーデリアが欲し必要としているものをどうして神はわかってくれないのだろうか。
 これも神に与えられた試練だというのか。この辛さを与えるために神はガブリエルという天使を使わしたのか。
 過去すら処理できないのに未来まで奪うのか。

 コーデリアにガブリエルの屋敷の他に行ける場所はない。
 突発的に家を出てしまったが、どこにも行く宛てはない。
 唯一頭に浮かんだのはバートのところだった。
 もう逢ってはいけないと言われてからバートの所には行ってなかったが、あそこのヤギの小屋なら身を潜められる。
 勝手に入っていいとは思わなかったが、今のコーデリアには落ち着ける場所が必要だった。
 真っ暗な小屋の中に入って、ヤギに囲まれながらコーデリアは小さく蹲った。

 本当はガブリエルを愛していると伝えるつもりはなかった。
 それを言ったらガブリエルが愛してくれなくなる。この関係が壊れてしまうとわかっていたから。
 でも堪え切れなかった。
 ガブリエルが愛していると伝えてくれる度に、過去の話だけでも頭が追い付いてこないのに胸が締め付けられて苦しくて。
 なんであんなことを言ってしまったのか。
 ガブリエルを困らせ関係を壊しただけだ。
 あの驚いたガブリエルの顔を見て、ガブリエルがコーデリアを女性として愛することは絶対に無理なのだと言われなくても察することが出来た。
 もう言ってしまった事を口の中に戻すこと出来ない。
 コーデリアは自分がこれからどうしたらいいのかを想像することも出来なかった。
 屋敷には戻れない。ガブリエルのあの苦しい顔も見たくない。
 コーデリアと同じ形で愛することが出来ないガブリエルを苦しめたくない。
 王女にも、なりたくない。
 しかし王女はガブリエルの望むことだ。
 コーデリアが王女だからガブリエルは助け、幸せを与えてくれた。
 コーデリアが王女でなかったら、ガブリエルと出会うことも出来なかったのだ。
 母の教えてくれたあの言葉も、コーデリアが王女になるためのものだ。
 母とガブリエルの願いを、捨てるのか。
 しかし今は無理だ。何も受け入れられないし、決めることは出来ない。

「コーディ?」

 蹲って考え事をしていたせいで気が付かなかった。
 ランタンを持ったバートがヤギ小屋にいたコーデリアを見つけた。
 コーデリアが入って来たせいでヤギが少し騒いだので、バートが様子を見に来たのだ。

「どうしたんだい!こんなところでなにをしているんだよ?」

 コーデリアの顔は涙で濡れていて、バートにもただ事ではないことがわかった。

「……ごめんなさい。行く所がなくて勝手に入り込んで……」

 消え入りそうな声で言うと、バートはコーデリアに手を伸ばした。

「とにかく、こんなところにいちゃだめだよ。うちにおいで」

 コーデリアを立たせ、バートは母屋に連れて行った。
 ダイニングには家族全員が揃っていた。
 コーデリアを連れて来たバートを見て驚いたが、少し前によく話題に出ていた領主様のところで預かっている娘だろうとわかった。

「お嬢様、お屋敷でなにかあったのですか?」

 バートの母が茶を渡しながら聞くと、コーデリアは首を振った。

「あの……、ガブリエルに追い出されたのではないんです。あの……」

 どう言っていいのかわからない。本当のことは言えないし、嘘も思いつかない。

「ヤギ小屋ではなくうちに泊まりますか?なにかお困りでしたらお手伝いいたしますよ?」

 バートの母は穏やかで温かな人だった。バートによく似た少し垂れた目がコーデリアを安心させた。

「ありがとうございます。あの……、今晩だけでいいので泊めてもらえますか?」

 コーデリアが言うと、バートの母親は垂れた目を更に下げて微笑んだ。

「わかりました。そうしましょう」

 バートの父親もコーデリアに向かって微笑んでくれた。
 バートの妹に手を引かれ自分の部屋で一緒に寝ようと言われた。
 コーデリアはその手に従い妹の部屋へ行った。
 ガブリエルは心配してくれているに違いない。でも今は離れていたい。



 ほとんど眠れず一晩を過ごし。翌朝バートの家のダイニングでシャロンの姿を見た時、コーデリアは居た堪れない気持ちになった。
 ガブリエルだけじゃない。シャロンにも、そして屋敷の者もきっとコーデリアを心配し探してくれたのだろう。
 子供じゃないと言いながら、やってしまった事は子供だ。
 行く当てもない。でも決まっているところには行きたくない。要求するだけでどうすることも出来ない子供なのだ。

「コーデリア、あなたが決めていいわ。ガブリエルのところに戻る?それともわたしの家にくる?」

 シャロンに言われて思わず抱きついた。

「シャロンのところに行ってもいいの?」
「いいわよ。そのつもりでガブリエルにも言ってあるわ。わたしのところにいらっしゃい」

 ガブリエル逢ってどうすればいいのかわからなかったコーデリアは、シャロンの家に行ける事に安堵した。



 バートと家族に礼を言うと、シャロンと馬車に乗った。
 シャロンの家は街にあり、ガブリエルの屋敷と違い広い庭もなく並んだ建物の中の一棟だった。
 中はガブリエルの屋敷よりは狭いが、ひとり暮らしだと言うのでそれならば充分だと思った。
 シャロンの両親はこの家から通りを挟んだここよりも大きい家にシャロンの兄夫婦と暮らしているらしく、結婚する気のないシャロンに財産分与としてこの家をくれたのだという。
 使用人がひとりいて、家事や料理はすべて彼女が行っているという。
 シャロンは腰の曲がった老女をコーデリアに紹介した。

「シシーよ。わたしが赤ちゃんの時から彼女が世話してくれているの。信頼できる女性だから安心していいわ」
「コーデリアお嬢様ですね。お話しはよくお嬢様から聞いていますよ」

 バートの母のようなふくよかで温かみのある微笑みに、コーデリアも微笑んで答えた。

「お世話になります。よろしくお願いします」

 シャロンは客間をひとつコーデリアの部屋にしてくれた。

「好きなだけここに居ていいのよ。ガブリエルにもそう言ってあるから心配はいらないわ。ラリサにも来てもらう予定になっているの。今頃あなたの荷物を詰めているわ」
「ガブリエルはそれでいいと、言ってくれた?」
「あなたを心配しているし、会いたがっていたわ。今朝もやっぱり自分が迎えに行くと言い出していたくらいよ。本当はあなたの顔を見ないと安心出来ないって思っていたと思うわ。でもあなたの気持ちを最優先しましょうと決めたのよ」

 コーデリアはシャロンの言葉に俯いてしまった。
 やはりコーデリアのせいでガブリエルを傷つけている。

「シャロンは、どこまで話を知っているの? ガブリエルになんて聞いたの?」

 シャロンはコーデリアを椅子に座らせ、自分も並んで座って手を握った。

「ガブリエルからは殆ど話は聞いていないわ。ただ、あなたよりも世間の出来事を知っているし、たぶんそうなんじゃないかと思っていることがあるわ。あなたはエロイーズ妃の娘なのね?」

 シャロンの問いにコーデリアは頷いた。
 そしてガブリエルが教えてくれたこと、ガブリエルに逢う前の牢獄のこと、ガブリエルが救い出してくれたこと。シャロンにすべて話した。
 ガブリエルが言ったことも、ガブリエルに言ってしまった事も。
 シャロンはガブリエルの他にコーデリアが愛しているひとのひとりだ。
 コーデリアの話を黙って聞いていたシャロンだったが、頬を涙が伝ったのでコーデリアは動揺した。
 シャロンを泣かせるつもりはなかったのに、シャロンが泣いてしまっているのだ。
 シャロンはコーデリアの手を両手で握り、頭を下げた。

「ガブリエルの言っていることがわかるわ。コーデリア、わたしもなのよ。わたしもあなたを無視した人間のひとりだわ。あなたのことを知らなかったら今でもエロイーズ妃を思い出してはいなかったかもしれないわ。あなたを愛さなかったらそれを後悔することもしなかったでしょう。でも今はあなたにどうしたらそれを許してもらえるか不安でたまらないわ。あなたを愛しているし、あなたに許されるのならなんでもするわ。知らなかったとはいえ、そんな過酷な環境にあなたが置かれていたなんて、胸が張り裂けそうよ。自分がどれほど浅はかな人間なのかを思い知っているわ」

 コーデリアはシャロンまでこんな風に思ってくれるとは考えもしなかった。
 シャロンをこんな風に思わせてしまっていることが苦しくなった。
 シャロンのせいではない。シャロンがコーデリアを苦しめたわけではない。
 シャロンはコーデリアの愛するひとだ。シャロンが追う責任などない。
 そう思ってから気が付いた。
 他の人もそうだと。
 コーデリアは確かに誰にも知られず存在を無視され続けてきた。誰もコーデリアが牢獄にいる事さえ知らなかった。
 エロイーズが本当は無罪だったことも、嵌められていたことも、誰も知らなかった。
 知らないことに罪はあるのか。
 コーデリアが無視をされたと、冤罪を着せられ地獄にいたと誰も知らないのに。知らないことを責められるのか。
 数人の悪魔の罪を、こうして知らなかったシャロンにまで問うことが正しいのか。
 屋敷の使用人たちは、バートの家族たちは。コーデリアのことを知らなかったとコーデリアが叫んで罪を問えるはずがない。
 彼らは皆、コーデリアが王女だと知らなくともコーデリアに優しく親切だったじゃないか。

「シャロン。わたしはとんでもない間違えをおかすところだった。シャロンに言われて気が付いた。シャロンに罪があるはずがない。シャロンを愛しているしシャロンは何も知らなかった。許すも何もない。他の人もそうだ……」

 知らなかったことに罪はない。ではどうすればいいのか。
 わかったと受け入れ王女として立つ?
 そんな地位はいらないのに?

「許すも許さないもないことはわかった。でも、王女は受け入れられない。それはまた別の話だ。わたしは王宮にいかなくてはいけないの? 王女になんてなりたくないのに。どこにも行きたくないよ」
「わたしではいつまでいられるかはわからないわ。それから、あなたが王女ならば、その地位に立つべきだとは思う。これもガブリエルと同じ意見ね。コーデリアの失ったものを取り戻すべきだわ。そして幸せになって欲しい。ただ、あなたの気持ちを知っているから、ガブリエルがいなくても幸せになれると、わたしには言えないわ」

 シャロンは愛する人と結ばれなかった。今でもシャロンの愛する人はそのひとだけだ。
 愛するひとを想って生きているシャロンがコーデリアにガブリエルを忘れられると言えるはずもなく。
 またガブリエルの気持ちもわかるから、コーデリアに希望を持たせることも出来ない。
 シャロンはガブリエルに『大人になったからと抱けると思うのか?』と言われて衝撃を受けた。そんなことが簡単に出来るならその愛情は嘘だ。
 親が子供と恋愛出来るわけがない。ガブリエルにとってはそういうことだ。

「ガブリエルを悲しませたくない。もうガブリエルと元の関係には戻れない。わたしは考え無しに言ってしまった」

 シャロンはコーデリアの肩を抱いて擦った。
 出来ることはこんなことだけだ。

「突然のことでパニックだったわね。あの屋敷を出なくてはならないと思って焦ってしまったのかもしれないわね。もう限界だったのかも、ガブリエルを愛しすぎてしまったのよ。あなたは悪くないし、ガブリエルも同じよ」

 シャロンは思った。コーデリアの恋は叶わない。
 しかしコーデリアには自分のように生きて欲しくはない。ただひとりだけを想ってひとりで生きるのは、幸せなことではないとわかっているからだ。
 どうしたらいいのかシャロンにもわからなかった。
 出来ることはコーデリアの気持ちが落ち着くまで抱き締め守ってあげる事だけだ。
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