牢獄王女の恋

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 夕方近くに帰宅したガブリエルは、玄関でモーガンからシャロンのメモを受け取った。
 モーガンは長年ガブリエルに仕えていたが、こんな姿は初めて見た。
 全身が総毛立っているような怒りのオーラが発せられ、思わず後ずさってしまったほどだった。
 眉は釣り上がり、鋭く冷たい目がシャロンのメモを見つめていた。

「ふたりは部屋に?」
「はい……。コーデリア様のお部屋にいらっしゃいます」
「モーガン、水を一杯もらえるか」

 ガブリエルの声は落ち着いていたが、実際には心中穏やかではいられず落ち着くためのひと呼吸が必要だった。
 モーガンが水を取りに行っても、ガブリエルは玄関から動かなかった。

 この日が来た。コーデリアに真実を話す日が。
 ゴトリッジ伯爵をガブリエルは知っていた。イーリス派だった男だ。貴族会議にも出席していた。
 ハドリー失脚の事態でガブリエルとコーデリアに自分を売り込みに来たのだろうと想像出来た。
 マイルスから辿って考えればコーデリアを隠せるだろう場所は限られている。
 当たりを付けてここ来たのだろう。誤魔化しきれたとは思っていなかったが、考えが甘かった。こんな風に直接来るかもしれない対策を怠った。
 コーデリアを隠しきれなかった。ひとり来ればまた次が来るのも時間の問題だ。
 コーデリアに『王女』という事を言ってしまった以上、今誤魔化しても仕方がない。どうせ時期はすぐそこだった。
 今日話すしかない。
 ずっとその話をする準備はしてきていた。無理やりに訪れてしまった時期ではあるが、ガブリエルは心を決めた。
 モーガンから水の入ったコップを受け取るとゆっくり飲み干し両手で顔を覆ってから擦り、ガブリエルは階段を登ってコーデリアの部屋へ向かった。



 部屋をノックするとシャロンがドアを開けガブリエルを迎え入れた。
 ソファーに座るコーデリアの表情は真剣だ。
 それに向かうガブリエルも真剣だ。

「怖い思いをさせた。お前を探して人が来るのを止められなかった」

 ガブリエルは立ったままで言うと、コーデリアは頷いた。

「怖かった。わからないから、怖かった」

 コーデリアの返事にガブリエルも頷いた。
 シャロンがガブリエルの背中を撫でてから部屋を出て行ったのを背中で確認し、ソファーに並んで座った。

「お前の知りたかった事を今から話す。お前の疑問、出生、生い立ちの理由だ。そしてこれからのことも。まずは黙って最後まで聞いてくれ」

 真っ直ぐコーデリアを見つめるガブリエルの瞳は迷いがなかった。全て本当の事を話すとコーデリアに伝えている。
 コーデリアは頷き心は決まっているとガブリエルに伝えていた。

「まずは始まりであるお前の母親の話をしよう」

 ガブリエルはエロイーズが前王グレッグの妻になり、愛されたことから話した。
 子供が出来ずイーリスを側室として迎えたところから悲劇が始まったこと。
 イーリスを側室に据えるところからエロイーズの追放は企まれていたのだろうということ。
 エロイーズが企みによって裁判に掛けられ、グレッグは最後まで信じようと努めたが仕組まれた決定的な証拠により投獄されたこと。
 その後、獄中でコーデリアが産まれたこと。

「お前は先王グレッグの娘で、正真正銘この国の王女だ。もし投獄されていなければお前は国中の祝福を受けていたはずだが、悪魔たちがそれを奪った」
「その悪魔たちは……今どうしているの……」

 コーデリアは必死に冷静を装っているようだった。
 ガブリエルは健気なコーデリア見て切なかったが、真実を話す時に冷静を手放してはいけない。
 私意を抑えて事実だけをコーデリアに伝える。
 コースリー帝国への内通者が見つかり逮捕投獄され、裁判が現在行われている最中だということ。
 イーリスが自害したこと。ハドリーは廃嫡されること。
 エロイーズの冤罪が明らかになり名誉が回復されたこと。

「もっと早くそれが成されなくてはならなかったが、仕組まれた証拠を覆すだけの証言がなかった。証人が出てくる四年前まではそれが出来なかったのだ」
「どうしてそんなことをしたのかは、わからないの?」
「今は推測でしかないが、権力を手に入れようとした者たちの欲にイーリスは利用され、イーリス自身もハドリーの王座を盤石にしようとしたのだろうと。お前の母親のエロイーズ様が子を産めば、ハドリーは国王になれない」

 スカートの上でコーデリアの手が白くなるほど強く握られている。怒りを堪えるように。

「関わった者たちは国の法で裁かれる。彼らがお前の望む処分にならなかったとしても、辛くとも、お前はそれを受け入れなくてはいけない。誰であろうとひとりの感情で下された判決を覆すことは法の破壊になる。だからお前の父親であるグレッグ王もエロイーズ様をどうすることも出来なかった。権力で法を変えてはならない」

 厳しいことを言っているのはわかっている。しかし言わなくてはならない。

「それは、王女だったら、覆すことが出来る権力があるということ……?」
「お前が王女だからしてはいけないということだ」

 出来る可能性があったとしても堪えなくてはならない。更にまだ堪えることがある。
 堪えて、しなくてはならないことが。

「温情を掛ける必要はない。ただ悪魔たちが正当な裁判で裁かれることを受け入れなくてはならない。そしてその悪魔を信じてお前の母親を罪人として扱い忘れたひとたちを許してほしい。お前の存在を知らず無視し続けたひとたちも許してほしい。これからお前を支えていくことを許して受け入れてほしい。それが王女としてお前がしなくてはならない事だ」

 簡単ではないことは百も承知だ。しかししなくてはならない。
 ガブリエルはコーデリアがこれをすぐに受け入れられるとは思っていない。今日真実を知りすぐ受け入れられるのは聖人でさえ難しいのではないかと思うほど、コーデリアの過去は暗黒だったとわかっている。
 コーデリアはガブリエルを見つめ、ガブリエルもコーデリアから目を逸らさない。

「オレもお前を無視した人間のひとりだ。お前の母親が罪人だと信じた人間のひとりだ。お前がオレを許せないのならどうしたらいいか言ってくれ。オレはお前の言う通りにしよう。オレを許してくれるのならば、お前が他の者を許す手伝いをさせてくれ。お前の心を支えたい。王女としてのお前を支え、尊敬され愛される女王になれるようオレのすべてで尽くす」

 ガブリエルは自分が狡いことを言っているとわかっている。
 コーデリアを救いコーデリアを愛し、コーデリアに愛されている自分をコーデリアが許すことを知っている。
 コーデリアの気持ちを利用するような言い方をしてしまっている自覚がある。
 わざとそう言っているのだ。
 ガブリエルを許せるなら他も許せるだろうと、許させようとしているのだ。

「ガブリエルはわたしを王女にしたいの?」

 コーデリアがぽつりと聞いてきた。

「お前は王女だ。したいのではなくすでに王女だ」
「わたしが王女はいやだと言ったら、どうなるの?」
「どうにもならない。王女はお前しかいない。他の者が代われるものではない」
「国はわたしを無いものにしていたのに、やっぱり王女だからと言われて納得出来るとガブリエルは思うの?」
「今すぐ納得は出来ないかもしれないが、時間をかけて納得して受け入れてほしい」
「なんのために?」
「お前のために。国のために」

 コーデリアが笑った。
 ガブリエルは顔を覆い擦りたくなったが堪えた。

「なぜ? わたしは王女なんていやだ。女王になりたくない。わたしのためじゃない。わたしを無視した国のためでしょ? そんな国のためにわたしがなぜ?」

 コーデリアの疑問はもっともだ。そう思って当たり前だ。
 それでもガブリエルが用意出来る答えはこれだけだ。

「それはお前が生まれ付いた運命だ。王座が揺らぐことがあってはならない。揺るがすことが出来ないのは誰もが認める正統な血筋を持っている人間だけだ。お前しかいない。しかしそれは不幸ではない。お前はこの国の最高の富と権力を手に入れ、国中からの愛を受け取れる」

 コーデリアがそんなものを望んでいないことを一番知っているガブリエルでは、説得力は殆どない。
 コーデリアは頭を振り、項垂れるように肩を落とした。

「ひとつもいらない。わたしは運命を受け入れない」
「自分を取り戻せるんだ。本当のお前がいるべき地位に立ち、本来あるべき姿に戻るんだ」

 コーデリアはとうとう耐えきれないというようにガブリエルの腕を掴んで叫んだ。

「そんなのもの為にわたしにここを出て行けと言うの? そんなもののためにこの穏やかな幸せを捨てろと言うの? ガブリエルがくれたものじゃない! 捨てさせるつもりならどうして与えたのよ!」

 そんなものではない。その地位の為に不幸は起こり人が死んでいる。コーデリアの母親もだ。
 普通に考えれば秤にかけてもここの生活とでは比べるまでもない価値だ。
 しかしコーデリアはそれに価値を見出すことは出来ない。それに勝るここでの平穏な暮らしと、ガブリエルの存在がある。
 コーデリアの秤は許すことより憎しみ。地位よりもガブリエルなのだ。

「今日、今受け入れろとは言わない。急にこんな話では消化しきれないだろう。納得できずとも受け入れられるまでオレは何でもする。お前を不幸にはしない。オレを信じろ」

 腕を掴むコーデリアの手にガブリエルは手を重ねた。
 強く握るとコーデリアが胸の中に飛び込んで来たので、ガブリエルは縋り付くコーデリアを強く抱きしめた。

「オレを許してくれ。そしてお前を不幸にはしないと信じてくれ。オレが必ずお前を守る」

 ガブリエルが抱き締めながら言うと、腕の中でコーデリアが首を振った。

「ガブリエルを許す。でも信じることは出来ない。ガブリエルはわたしを愛さないから」

 コーデリアの言葉にガブリエルは驚き、腕を解いてコーデリアと向き合った。
 何を言っているのかと疑うような言葉だった。

「どうしてそう思う。オレはお前を愛している。心から真実お前が愛おしい。お前のためになら何でもする」
「王女のためにでしょ?」
「ちがう。王女であるお前のためにだ。国のためだと思うかもしれないが、オレはお前に自分を取り戻させたい。本来あるべき地位に立ち、そのうえで幸せになってもらいたい。愛しているからこそそう思うのだ。オレはお前に愛情を伝えきれていなかったか? 今までもこれからも、お前に持つ愛情はひとつも変わらない。変わるわけがない」

 ガブリエルはコーデリアを愛し大切だと思っている気持ちが伝わっていると思っていたが、コーデリアには伝わっていなかったのだろうかと不安になった。
 コーデリアから愛されていることを疑ったことはない。ずっと全身でそれはガブリエルに伝えられてきた。
 最近の態度がおかしかったことも、思春期の少女にあることなのだと思っていた。
 まさか母と自分を放置した人間のひとりだと言ったことで愛されてないなどと思ってしまったのではないかと考え、必死に愛していると伝えたがコーデリアは首を振った。
 ガブリエルの顔が曇る。伝わらないのかと。

「形が違う。ガブリエルのわたしにくれる愛情とわたしが欲しい愛情は形が違う。わたしが欲しい形の愛情をガブリエルに欲しいと言ったら、ガブリエルはわたしを愛してくれなくなる。きっと、この先は一緒にいられない」

 ガブリエルはコーデリアの頬に伝う涙を指で掬った。そして努めていつもと変わらぬ微笑みを作りコーデリアに向けた。

「何を言っている。ここを出てもお前が望むときにオレも王宮で過ごそう。オレがお前を愛さなくなることはない。許してくれるのなら疑うな」
「疑っていない。本当に形がちがうから……」

 俯くコーデリアの頬に手を当て顔を上げさせると、涙で潤んだ目が切なく歪んでいる。
 ガブリエルがその瞳を覗き込むと、コーデリアはガブリエルの首に手を回して抱きついた。

「ガブリエルが好きなの。本当に愛しているの」
「わかっている」
「わかっていない。わたしは……子供じゃない。大人の女として愛されたい。シャロンのような大人の女性みたいに、ガブリエルの愛が欲しい……」

 首に抱きついてきたコーデリアを受け止め抱き返したガブリエルだったが、コーデリアの言葉に腕が緩み身体が固まった。
 今コーデリアは何と言ったのか。理解できない混乱が頭の中で起こっている。

「わたしをちゃんと愛してくれるなら、それだけでいい。ガブリエル、わたしと同じ形でわたしを愛して」

 ガブリエルは言葉を失った。
 娘のように愛し、父親のように愛されていることに疑問を持ったことがない。
 コーデリアに大人の女性として愛せと言われても、そんなことは考えられない。
 大人の女性のようにコーデリアに触れることは出来ない。我が子にそんなことが出来る親がいないのと同じだ。出来るはずがない。
 コーデリアの幸せを考えていたし、コーデリアの婿になる男も自分が選ぶとまで思っていた。
 いつかコーデリアに愛する男が出来たら寂しくなるかもしれないと想像したが、その相手は決して自分ではない。

「何か言ってガブリエル。わたしはもう堪えられない……」
「コーデリア……。オレは……」

 どう答えていいかを逡巡している間に、コーデリアはガブリエルの答えを理解した。

「もういい……」

 コーデリアは緩んでいた腕から抜け出して胸を押し、放心するガブリエルを置いて部屋を出て行った。

 ガブリエルはコーデリアが自分を男として愛している現実が受け容れられない。
 そんな素振りはなかった……。いや、あったではないかと気付く。
 コーデリアの様子がおかしくなったじゃないか。
 ベッドに忍び込んでもこなくなったし、抱きついてくることもなくなった。
 ちょうどコーデリアが自分の過去を教えて欲しいと言ってきた時期と重なっていたし、年齢的にも子供から大人になる思春期と重なっていたからそのせいだと思い込んでいた。
 大人になって、まさか自分に恋してしまうなどとは考えもしなかった。
 娘のような少女からそんなことを言われてどうしろというのだ。どうすることも出来ないではないか。
 どう返事をしてやるのが良かったのかガブリエルには見当もつかない。
 それほどに、想定の遥か遠くにある話だ。

 放心したままで座っていると、突如コーデリアが閉めたドアが開けられた。
 コーデリアが戻って来たわけではなかった。ラリサが血相を変えて飛び込んで来たのだ。

「コーデリア様が外に出て行ってしまわれました!」

 ラリサの言葉に放心から覚醒したガブリエルは瞬時に立ち上がった。
 部屋を飛び出し階段を駆け下りながらラリサを振り向く。

「今か?」
「リビングで玄関の開く音がしてモーガンさんが確認しに行った時は走っていく後姿で。シャロンさんが追いかけています」

 ラリサの話を背中で聞いて、ガブリエルも玄関を飛び出した。
 外はもう暗い。こんな闇の中をどこへ行くというのか。
 屋敷からら伸びる馬車道を暫く走ったところでシャロンを見つける。

「シャロン! コーデリアは!」
「いないのよ。わたしの足では追いつけなくて……」
「くそ……。君は屋敷に戻っていろ。レイルたちに捜索を指示してくれ。頼んだぞ!」

 シャロンに屋敷の男手を動かして欲しいと頼んでから、ガブリエルは再び走り出した。
 林の中は暗くてほとんど先が見えない。

「コーデリア! いるのか!」

 叫んで呼ぶが返事はない。
 ガブリエルは身体から冷たい汗が噴き出る。
 コーデリアに万が一のことがあれば、ガブリエルは正気ではいられない。
 暗い林の中で必死に名前を叫ぶが返事はない。

「旦那様!」
「いたか?!」
「いいえ。まだ見つかりません。灯りを」

 レイルからガブリエルの為に持ってきたランタンを渡され、ガブリエルは灯りを照らして再びコーデリアの名前を呼んだ。
 しかし、やはり返事は帰ってこない。
 林を抜けたところで別方向を捜索していたレイルと再び合流したが、彼もコーデリアを見つけられていない。
 この暗闇の中あの子の足で行ける距離は限られている。ガブリエルはレイルと別れ再び林の中に入って探した。
 林を抜けもしかしたら戻っているかもしれないと屋敷に戻るが、コーデリアは帰っていない。
 モーガンたちが屋敷の裏の果樹園も探したがいなかったという。
 再び外へ出ようとするガブリエルをシャロンが止めた。

「あの娘は真実を知って飛び出したの?」
「いや……。ショックは受けていた。受け入れられてもいないが……」

 ガブリエルは言葉に詰まった。
 コーデリアが出て行ったのはガブリエルが気持ちに答えられなかったからだ。
 逡巡するガブリエルの腕をシャロンが掴む。

「まさか、あの娘に愛していると言われたの?」
「シャロン! コーデリアから聞いていたのか? どうしてオレに言ってくれなかった!」
「答えられなかったのではないでしょうね?」
「君だったら答えられるのか?」

 ガブリエルの腕を掴むシャロンの手に力が加わった。
 痛みにガブリエルは顔を歪めた。

「あなたなら! なんとか治めることが出来たでしょ? あの娘を傷つけずになんとか……」
「どうすればよかったというんだ! 想像したこともなかった。あのこはオレの娘だ。暗闇で小さく毛布に包まっていた汚い小動物だったところからオレが連れ出して育てたんだ! 君だって覚えているだろう? あのこが何かやらかすたびにため息ついて後始末して、抱きしめて一緒に眠ってやったろう? どんなに成長しようともあのこはオレの中では小さな手のかかる少女のままだ。それを大人になったからと抱けると思うのか?!」

 シャロンにだってそれは無理だとわかっている。それでもガブリエルならなんとかコーデリアを傷付けないように治められる、いや治めて欲しかった。
 ガブリエルがこんな風に感情をぶつけてくるのは初めてのことだ。ガブリエルも傷ついている。
 シャロンは握っていた手を離した。

「すまない……」
「わたしこそ、ごめんなさい……」

 お互いコーデリアがいなくなったことで思い遣れる余裕がない

「もう一度探してくる」

 ガブリエルはランタンを持って再び外へ出て行った。

 夜中になってもコーデリアが見つからず、ガブリエルは家に入って待っていられる心境でもなく屋敷の周りをコーデリアを待ってひたすら歩いていた。
 屋敷の中ではシャロンをはじめ使用人たちもコーデリアを心配して皆が無事を祈っていた。
 外で当てもなくコーデリアを待っていたガブリエルの目に小さな灯りが見えた。
 ランタンが揺れているような小さな灯りに、ガブリエルは走り出した。
 駆け寄って近づいて、がっかりする。コーデリアではなかった。
 しかし見覚えがある男だった。領地で働くオルガ家の次男バートだった。
 コーデリアをヤギと遊ばせてやったり、屋敷に送ってくれたりしたこともあった男だ。

「バートか?」
「あ、領主様!今お屋敷に伺うところでした」

 咄嗟にバートの後ろを確認した。コーデリアを連れて来てくれたのかと思ったのだ。
 バートはそのガブリエルの様子に驚いたが、ひとりで来たのでコーデリアはいない。

「あの……」
「すまない。コーデリアがいなくなってしまったんだ。ここに来るまでに姿を見なかったか?」
「それなんですけど。コーデリア様はウチにいます。今母さんが……」
「コーデリアが君のうちに?!」

 ガブリエルは思わずバートの肩を掴んだ。
 バートは固まり目を見開いた。

「あぁすまない……。それなら今から迎えに行く」

 焦って強く掴んでしまった事を謝ったガブリエルに、バートはブンブンと首を振った。

「いえ、ご心配されているかと報告に来たんです。実はコーデリア様がヤギの小屋に忍び込んでいて、そこで泣いていたのでおれがどうしたのか聞いたら帰りたくないと言っていて。で、うちの母さんが泊まっていくかと聞いたらそうしたいと」

 バートはガブリエルが心配しているかもしれないとコーデリアを保護していることをこんな夜中に知らせに来てくれたのだ。
 ガブリエルはがっくりと肩を落とし、バートの肩を撫でた。

「そうか、わざわざ知らせに来てくれて本当にありがとう。コーデリアが面倒かけてしまってすまない。今日は泊めてもらえるなら、明日迎えに行く。それまで絶対に他に行かないようにしてもらえるだろうか?」
「わかりました。逃げないようにおれが知らせに来たことも迎えが来ることも言わないでおきます。じゃあ、帰ります」
「待て。馬車を出そう。夜道でなにかあったら……」
「ありがとうございます。でも大丈夫です。ここまではよく送って来ていたので知っている道ですから」

 バートは頭を下げ踵を返して帰って行った。
 ガブリエルは座り込んでしまいそうなほど脱力した。
 ないはともあれ、コーデリアは無事だ。保護してくれたバートに心から感謝した。

 屋敷に戻りバートの家にいることを皆に伝えた。安堵のため息が屋敷に広がる。

「明日の朝迎えに行く」
「わたしが行くわ。あなたでは今のコーデリアを連れて帰れない」
「シャロン……」

 実際コーデリアがガブリエルと一緒に帰ってくれるかどうかは不安がある。
 更に帰ってきたらどう接したらいいのか。

「うちで預かるわ。それならいきなりコーデリアを訪ねてくる人間もいないし。あなたを傷つける気はないけど、コーデリアもあなたから離れたいと思うわ」

 ガブリエルは両手で顔を覆い擦った。
 シャロンの言うこともわかる。しかしコーデリアの顔を見ないと安心出来ない。

「あなたの気持ちはわかるわ。でも今はコーデリアの気持ちを最優先しましょう」

 シャロンに言われ、自分の感情を優先させることは出来ない。ガブリエルもコーデリアの気持ちが最優先だとわかっている。

「わかった。君に頼む。モーガン、シャロンの部屋を用意してくれ」

 モーガンは返事をし、客室の用意をメイドに言い付けた。

「コーデリアもあなたの気持ちはわかっているわ。ただ簡単には処理できないのよ」
「わかっている」

 簡単に処理できないのはガブリエルも同じだ。
 眠れないガブリエルはマイルスに手紙を書いた。
 ゴトリッジ伯爵が来たこと、他の貴族にも同じような考えを持つ人間がいるのならばコーデリアの居場所は遠からず明らかにされてしまうかもしれないとこを伝えるために。
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