牢獄王女の恋

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 コーデリアに勉強用の机を用意した。
 部屋に新しい本棚と一緒に運び込まれ、商人に頼んだコーデリア用の本もその本棚に並べられた。
 生地屋も呼びコーデリアのための服を更に追加で作った。旅の途中で買ったものだけでは足りないし、小物も必要だ。まだ外出させる予定はないが外出着や帽子も作らせた。
 採寸の間コーデリアは何をされているかわからず目玉をグルグルと忙しなくさせていたが、こうやって人と慣れて行くのもいいだろうとガブリエルは考えていた。
 コーデリアの教育は頭の痛いことだったが、まだ数日だが思った以上で進みは悪くない。
 一切の不満も疑問も口にせず、ひたすらガブリエルに従うからだ。
 疑問があれば聞くべきだが、コーデリアはそうしていいのかを知らないし、そこは敢えてガブリエルも言わない。
 基礎が出来るまではなにも言わずに従う方がやりやすいし、疑問を持てと言うよりも自然と自分で考えその疑問に気が付き興味を持てるようになることが大事だと思っている。
 今は食べ物以外に感心のないコーデリアの知識を増やし考える力を付けること。
 ジャンプする前に足に力を込める練習段階だ。今はやらされているコーデリアに知りたいという気持ちが自然に湧くといい。

 今日も朝食後はコーデリアの部屋で物の名前を覚える事、文字の読み書きの練習をしていた。
 この屋敷に来て一週間。アルファベットはほぼ覚えたし、簡単な単語はわかるようになった。もちろん、完璧ではないが早いスピードだ。
 昼寝の時間のガブリエルの読み聞かせも恒例となった。ガブリエルが読むとすぐに眠るので読む面倒より読んでさっさと寝かせる方が楽なのだ。
 コーデリアを寝かせ書斎に戻って自分の仕事をしているとドアをノックされる。
 返事をすると、現れたのはシャロンだった。

「どう? お勉強は進んでる?」

 シャロンはいつも通りの華やかな支度で、ガブリエルの疲労を面白がりに来たような笑みを浮かべている。

「慰めてくれる気があって来たのだろうな?」
「もちろんよ。ちゃんとお姫様に尽くしているならね」

 ガブリエルが手を伸ばすとシャロンはそれに従い書類の広げられたデスクを回りこんでガブリエルの前まで来た。
 ガブリエルが抱き寄せると膝に座り肩に腕を回した。首を撫でながら労を労る。

「尽くしてる。この一週間コーデリアの為にオレの時間はすべて費やした」
「まだ一週間じゃない。うまく進んでるの?」
「ああ、思った以上にしっかりやっている。覚えも悪くない」
「そう、順調ならよかったじゃない」
「いいや、君のせいで良くない事にはなっている」

 ガブリエルはシャロンの腰を抱きながら睨んだ。
 シャロンは眉を上げて自分が何をしたのかという顔をした。

「君が入れ知恵したせいで、毎晩コーデリアがオレのベッドに忍び込んでくる」
「まぁ、かわいらしい」
「今日こそは自分のベッドで寝かさないと。君がいるのになにも出来ないなんてことになる……」

 ガブリエルは甘えるようにシャロンの胸に頭を預けた。
 毎晩『自分の部屋で寝なくてはいけない』と言い続けているのだが、コーデリアはガブリエルのベッドに忍び込んでくるのだ。
 部屋の鍵をかけるべきかとも考えたが、さすがにそこまでは出来なかった。
 縋ってくるコーデリアを無理やり部屋に戻せなかった。
 今だけだ、そのうちひとりで寝られるようになると自分に言い聞かせ隣に眠ることを許しているが、シャロンがいるのでは別の話だ。
 今日こそは自分の部屋で寝かさなくてはならない。そして忍び込んで覗かれるような事態だけは繰り返してはならない。
 今日こそはシャロンの身体を堪能してこの疲労をきっちり癒したい。

「コーデリアに余計なことは言うなよ?」
「まったく。かわいいひとね」

 シャロンはガブリエルにキスを落とした。
 シャロンは二十五歳でガブリエルよりも四歳年下だが、こんな時はガブリエルとの年齢が逆転してしまう。
 もうとっくにこの国の婚期が過ぎているシャロンだが、ガブリエルとの結婚を望んでいないので思う存分甘えられる。
 ガブリエルも婚期は過ぎているが、結婚願望はない。コーデリアを預かるとなった今では結婚は当分先だ。
 もし結婚を考えるようになったとしてもその相手がシャロンになるかはわからない。お互いにそれもわかってこういう関係を続けているのだ。

「コーデリアは?」
「昼寝の時間だ。信じられるか? オレが読み聞かせをして寝かしつけている」
「素敵。パパって呼んだ方がいいかしら?」
「馬鹿を言うな。そんな呼び方したらもう二度と屋敷には入れないぞ」
「あなたがそれでもいいなら」

 もちろん良くない。今のガブリエルにシャロンは必要な女性だ。
 しかしシャロンのからかいはガブリエルの頭痛に響く。あんな大きな娘のパパなんて冗談じゃないガブリエルが眉間の皺を深くするのだが、シャロンはやはり面白そうな顔のままでその眉間にキスを落とした。



 昼寝から起きたコーデリアがリビングに下りるとシャロンを見つけた。

「ごきげんようコーデリア」

 シャロンが笑顔で挨拶すると、コーデリアは大きな目を更に大きく見開いて口も開け驚いたような顔をした。

「コーデリア、挨拶しなさい」

 ガブリエルに言われて気が付いたようにソファーの前に座るシャロンの前まで行く。

「おはようございます」

 ガブリエルに教わった挨拶をした。
 そう言えば朝の挨拶しかまだ教えていなかった。昼過ぎてから逢う人間がいなかったせいだ。
 シャロンはクスリと笑ってガブリエルを見た。
 ガブリエルは顔を撫でてため息を吐いたが、教えていなかった自分が悪い。

「コーデリア、おはようは朝だけの挨拶だ。午後には午後の挨拶がある。この家の人間に『おはようございます』の挨拶が終わったら、その後は『ごきげんよう』の挨拶に言葉を変えなくてはいけない。シャロンに挨拶し直しなさい。『ごきげんようシャロン』と言うんだ」

 ガブリエルが教えると、頷いたコーデリアはシャロンに向き直った。

「ごきげんようシャロン」
「ごきげんようコーデリア」

 シャロンも再び挨拶を返すと手でソファーを指したので、コーデリアはガブリエルを見て頷いたのを確認してから頷き返し目の前に座った。
 シャロンは微笑みながらコーデリアの持っていたうさぎの人形に目を止めると、コーデリアがそれをシャロンの目の前に出した。

「ともだち、です」
「まぁ」

 シャロンの微笑みが大きくなってコーデリアに出された人形を見ると、コーデリアの顔が崩れた。
 笑ったのだ。
 ガブリエルはコーデリアが口角を上げて食器を見たり菓子を食べたりしているのを何度か見たことがあったが、顔をゆがませるほどの笑顔は初めて見た。
 シャロンに逢えたのが嬉しいのか? シャロンに友達を紹介出来たのが嬉しいのか?
 コーデリアの笑顔は子供らしい無邪気なもので、ガブリエルを驚かせ、顔までつい緩むほどだった。
 シャロンもコーデリアの笑顔に目を細めて答えた。

「かわいいお友達ね」
「ガブリエルがくれました」
「まぁ、そんなことをガブリエルがするなんて」

 横目でチラリとシャロンに見られて、ガブリエルは顔を擦った。
 女の子にはこんなものも必要だろうと思ってラリサに買ってくるように頼んだのだが、確かにガブリエルがするプレゼントらしくはないと思って少し気まずいような気分になったのだ。

「このお人形のお名前はなんていうの?」
「なまえは、まだない」

 ガブリエルが名前を付けてシャロンに教えてやれと言っていたのだが、コーデリアはまだ名前を付けていなかった。
 ガブリエルはコーデリアがこの人形に付ける名前をどうしたらいいのかわからなかったのかも知れないと思った。
 女性の名前の種類をコーデリアは少ししか知らない。コーデリアの知っている女性は、男性もだが少ないのだ。

「シャロンが、名前を付けてやってくれ」

 ガブリエルが言うとシャロンは振り返ってガブリエルを見たが、言っている意味がわかったのかそれとも言葉のままを受け取ったのか、人形の頭を撫でてコーデリアに笑みを向けた。

うさぎラビットさんだから、ラビーはどう? ラビー、かわいいでしょ?」
「ラビー。かわいい?」
「とってもかわいいと思うわ」

 コーデリアはシャロンが付けた名前を繰り返し声に出してからガブリエルを見た。ガブリエルが頷いてやると頷き返す。

「ラビーです。ともだちです」

 コーデリアが再び顔を崩してシャロンに向き人形を出した。
 シャロンは楽しそうに微笑んで人形を撫でた。



 シャロンはコーデリアに不思議な感覚があった。
 胸に縋って眠った姿も忘れられなかったが、ガブリエルが驚いた顔をしたのに納得するほどあの笑顔が特別に思えた。
 この娘の背景にあるものは知らないが、様子を見ればまともな環境で育っていないのはわかる。
 そんな子供を預かるガブリエルではない。ワディンガム公爵に頼まれたとしても、そんな面倒は避けるタイプの男だ。
 シャロンと付き合ってからは他の女性と関係を持たないだけの誠実さは持っているが、それも面倒が嫌なだけだと思う。
 そんなガブリエルが引き受けざるを得なかったということは、特別な娘ということだ。
 ガブリエルとの関係がそう長くは続かないだろうと考えているシャロンはあまりこの娘にも深入りしない方がいいと思うのだが、この無邪気な笑顔に胸を締め付けられるような愛しさを感じてしまう。
 こんな娘が過去に恵まれた生活が出来ていなかったことを想像すると、胸は更に締め付けられ切なくなる。
 シャロンにも母性と言うものがあったのだ。



 夕食を三人で摂ったが、通常運転でコーデリアのナイフ使いが上手く行かず普通よりも時間がかかった。
 一週間で多少は上手くなったが、皿を切っては嫌な音をさせた。
 デザートが終わるとコーデリアはもう風呂に入って寝る時間だとガブリエルがラリサを呼んだ。

「おやすみなさいコーデリア」

 シャロンが言うとコーデリアがじっとシャロンを見る。

「おやすみなさいシャロン」

 ガブリエルに教わっていた通りにシャロン向かって言うとシャロンは微笑み、ガブリエルを見て頷いたのを確認するとコーデリアも頷いた。
 そのままコーデリアが部屋を出て行くかと思っていると、コーデリアはそのまま立っていて動かない。

「コーデリア様、お部屋に参りましょう」

 ラリサが声を掛けても口をモジモジとすぼめて動かない。

「コーデリア? なにか言いたいことがあるのか?」

 すんなり部屋に戻らないガブリエルが声を掛けると、ガブリエルを見返すコーデリア。なにか迷っているように見える。

「言いたいことがあるなら言いなさい」

 実は先ほどラリサに、今日は絶対に部屋で寝かしつけるように伝えてあった。
 毎晩寝かしつけてはいるのだが、起きてガブリエルのベッドに潜り込みに来る。
 今日は確実に眠るのを見届けて欲しいとラリサに頼んだのだが、それを聞いていて抗議するつもりなのかと思った。
 しかしそれは違った。コーデリアはまっすぐシャロンの前まで来た。

「いっしょにねられますか?」

 聞かれたシャロンは驚いた。もちろんガブリエルもだ。

「わたしと一緒に寝たいの?」
「はい」
「じゃあ、後でコーデリアのお部屋に行くから、ベッドに入って待っていてね?」

 コーデリアの顔が輝いた。
 あの顔を崩した笑みをシャロンに向け、肩を上げた。

「はい!」

 返事の元気もガブリエルへのものとは大違いだ。
 崩した笑顔のままガブリエルを見る。頷いてくれるのを待っているようだ。
 ガブリエルは頷きたくなかったが、こんな顔で求められたらしないわけにはいかない。
 渋々頷くと、これもまた勢いよく頷いてラリサの元に戻った。

「忍び込まない代わりに君がコーデリアの部屋で寝るのか……」
「あんなふうにお願いされたら断われないわ」
「これで二度目のおあずけだ」
「少しは我慢してもいいじゃない。久々だと燃えるかもしれないわよ?」
「すでにもう久々だよ……」

 ガブリエルには気の毒だがコーデリアが自分と眠りたいと言ってくれたことが、シャロンは思いがけず嬉しかった。

 ガブリエルは顔を擦ってがっかりした気持ちをやり過ごしたが、隣にいるシャロンがコーデリアに誘われて楽しそうに微笑んでいるのでもうこれ以上は愚痴らないようにした。
 何にもこだわらないコーデリアがシャロンにはして欲しいことを言った。
 コーデリアの成長にシャロンが影響を与えるかもしれない。
 シャロンなら詮索しないでくれと言えばしないでくれる。
 ガブリエルはシャロンにコーデリアの教育を手伝ってもらえるかもしれないと考えた。

「なぁ、もし君がよかったらなんだが、コーデリアのマナー講師をやってもらえないだろうか?」

 シャロンなら貴族女性としての振舞いになんの疑問もない。

「週に何度かで構わないのだが……」
「いいわよ」

 シャロンは即答だった。
 頼んだもののこんなに簡単に引き受けてもらえるとは思わなかったので、ガブリエルは驚いた。

「いい、のか?」
「いいわよ。なによ、頼んでおいてその顔は」
「いや、少しは考えるかと」
「いいのよ。わたしコーデリアがかわいいみたい」

 頼んでおいてなんだが、シャロンがこの手の面倒をこんなに簡単に引き受けてくれるタイプではないと思っていた。

「なに? コーデリアにわたしを取られた気分? ヤキモチ焼かないでよ?」
「馬鹿言うな。本気で助かると思っている」

 シャロンの心中はわからないが、彼女はいい講師になりそうだしガブリエルの負担も減ってくれる。

 シャロンは自分でもなぜ即答してしまったか不思議だった。
 ただ一度あの時のように胸に縋って眠られて母性を刺激されてしまったら、コーデリアの為に出来る事ならしてあげたくなるのではないかと思った。
 コーデリアを少しでも自分が助けてあげられるならと考えてから、自分でもらしくないと思って笑った。



 ガブリエルがふてくされている部屋で寝自宅をしてシャロンがコーデリアの部屋へ行くと、コーデリアは布団に横になってはいたがシャロンが来るのを起きて待っていた。
 シャロンが布団に入るとすぐに胸に顔を突っ込んできたので、シャロンは思わず笑ってしまった。

「トントンしますか?」

 見上げたコーデリアが聞くので、背中に回した手でリズミカルに叩いてやった。
 すると更に胸にすり寄ってくるのでシャロンは堪らなくなった。
 子供を持ったことのないシャロンの庇護欲を、コーデリアが思う存分掻き立てる。
 頭を撫でて、穏やかな寝息を聞いて、ガブリエルのくれる喜びとは違う意味でコーデリアから喜びを受け取っていた。
 この娘に自分が出来る色んなことを教えてあげようと心に決めるほど、コーデリアがかわいく思えた。



 翌日からシャロンのマナー講師は始まった。
 週に二回ほどこのアディンセル侯爵家へ来ることも決まった。
 その事をコーデリアに言うとまた笑顔になったので、ガブリエルもいい選択をしたと思った。
 昨夜独り寝をしたガブリエルの機嫌が悪くないのは、シャロンが明け方ガブリエルの寝室に戻って思う存分満足させてあげたからだ。
 もちろんシャロンも満足した。
 シャロンと寝られたコーデリアも今朝は、シャロンと朝食が出来てそれも嬉しそうだ。




 *****




 週に二度のシャロンのマナー講師に週に五日のガブリエルとの勉強で、コーデリアは乾いたスポンジが水を吸うように知識を吸収していった。
 庭の散歩までは外に出ることも許され、芝にブランケットを引いてやると朝から晩までそこで空を見て過ごしていた。
 あまりに空ばかり見ているので心配になるほどだったが、それが楽しそうなのでガブリエルは放っておいた。
 言葉も多くなり、まだ自己主張はしないが花を摘んできてはラリサやモーガンに渡したりもするようになった。
 エミリーを手伝って屋敷裏にある果樹園に行き、林檎を貰ってはガブリエルに食べていいかと許可を得に来たりもする。
 ラリサの読み聞かせで部屋で寝られるようになったが、週に一・二度泊まるシャロンには必ず一緒に寝て欲しいと頼み、週に一・二度はガブリエルのベッドに潜り込むので実質コーデリアの独り寝は週に三・四日だ。
 家の使用人たちにも笑顔を見せるようになり、もちろんガブリエルにも向けてくるようになった。
 もう少しでクリスマスを迎える邸内の飾りを不思議そうに見るコーデリアは最初に来た時よりも肉が付き、子供らしいふくよかな頬まであと少しというところだ。
 ガブリエルはコーデリアへのクリスマスプレゼントは何を用意したらいのか考えていた。
 ガブリエルにも不思議な感情だが、コーデリアが喜ぶものを選んであげたかった。喜ぶ姿を見たいと思った。
 コーデリアが牢獄から出て二か月が過ぎた。
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