牢獄王女の恋

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 朝起きるとシャロンはすでにドレスに着替えていた。
 横を向くと小さく蹲って眠るコーデリアの姿。
 そうだ。昨日コーデリアが漏らしたおかげでシャロンにおあずけ食らったのだとガブリエルは寝ぼけた頭で思い出す。

「おはよ」
「ああ……」
「わたし帰るわね。今日からがんばれ教育係」

 シャロンはまだベッドに寝転がっているガブリエルの頬にキスをしてすぐ離れようとするので、ガブリエルは腕を掴んで引き寄せた。

「まだオレは癒されてないぞ」

 シャロンを捕まえ首筋に顔を埋めると、シャロンがガブリエルの頭を撫でた。

「また見られちゃうから」
「あー……くそ……」
「汚い言葉使わないの」
「トラウマになりそうだ」
「それ言いたいのコーデリアの方だから」

 昨夜真っ裸で真っ最中をコーデリアに見られたことを言っているのだが、明らかにトラウマを抱えたのはコーデリアではなくガブリエルの方だ。
 コーデリアは何していたかをわかっていないだろう。しかしガブリエルは何しているかをわかっているし、それを見られたのだから。

「夜怖くなったらガブリエルが一緒に寝てくれるって言っておいたから、あなた、ちゃんとしてあげなさいよ」
「……なんでそんなこと言うんだ」
「変なことしたら軽蔑するわよ?」
「馬鹿言うな。するわけあるか……」
「しっかりね」

 シャロンはガブリエルの頭を再度撫でてから立ち上がり部屋を出た。
 ガブリエルは面倒くさそうに立ち上がりベルを鳴らす。使用人を呼んでコーデリアを起こして支度させなくてはならない。
 入って来たモーガンにコーデリアを頼むと隣にある書斎に向かった。昨日ラリサに買い物を頼んだ教本や絵本などと一緒に人形が机の上に置かれていた。
 これを抱いて寝かせればひとりでも寝られるだろうか?
 昼間仕事をして夜までラリサやエミリーに頼むのも仕事を増やしすぎだろう。もうひとり雇って交代勤務にするか。
 それとも環境に慣れるまでのことだろうから、自分がコーデリアにベッドを半分明け渡せばいいのか?

 ああ、面倒だ。国の安寧の為になぜオレひとりが面倒を……。

 ガブリエルだけではなくワディンガム公爵夫妻も面倒で大変なことをこれから命がけでしなくてはならないのだが、そこまでは今のガブリエルは思いやれない。いや、やらない。
 もちろんこの国の貴族として侯爵として国に尽くす忠義は持ち合わせているが、女性との疲れを癒す営みの最中を覗かれた翌日であればささくれ立っていても致し方ない。
 しかも今日から本格的に野良猫の躾に取り掛からなくてはならない。
 十三歳にしてお漏らしをする野生児をレディに仕立て上げなくてはならないとなれば当分治らないだろう頭痛を覚悟しなくてはならない。
 識字教本をパラパラと捲りながら、朝食から始めて行くことを決めた。




 *****




 ガブリエルが朝食用の食堂で先に座ってコーデリアを待っていると、ワンピースにエプロンを着せられて両耳の下から三つ編みを垂らしているコーデリアが入って来た。

「おはようございます」

 ガブリエルが言うとコーデリアはガブリエルを見つめた。

「朝起きて初めて逢う人には『おはようございます』とあいさつをしなさい」
「おはようございます」

 コーデリアは頷いてガブリエルの言う通りにした。

「ラリサやモーガンにも、朝は必ず『おはようございます』とあいさつするように」
「はい」
「今ちゃんとモーガンとラリサに言いなさい」
「おはようございます」

 ガブリエルに言われた通りにするコーデリア。
 モーガンとラリサも『おはようございます』と返すと、コーデリアはガブリエルを向いだ。ガブリエルが頷いてやると頷き返した。
 次は……。

「カップを両手で掴むな。この持ち手の部分を指でこんな風に摘まんで持ち上げなさい」

 ガブリエルの手本を見て同じようにしようとするのだが、なかなかうまく行かず顔が前に出て口がカップに向かって尖り始める。

「顔がカップを迎えに行かない。ちゃんと持って背筋を伸ばして、カップを口元まで運ぶんだ」

 コーデリアが持ち手と格闘する。

「コーデリア、オレの言うことがわかったら返事をしなさい」
「はい」
「今日からお前が今まで知らなかったことやそのやり方、マナーや文字の読み書きを教えて行く。これからお前が生きて行くことに必要な勉強をするんだ。お前はここで暮らしたいならそれをしなくてはならない。今みたいに挨拶やカップの持ち方みたいなことを沢山勉強しなくてはいけない。わかるか?」

 コーデリアは返事が出来なかった。
 ガブリエルの言っていることがよくわからない。
 意味がわからないのではなく、それが自分に必要なことなのかがわからない。
 コーデリアには向上心もなければ知りたい欲もない。
 しかしあそこには戻りたくないということだけは確実にある。戻すとは言っていないがここで暮らせなくなったとなればコーデリアは他にあの牢獄しか知らない。
 ガブリエルがここに居させてくれるなら言うことを聞かなくてはいけないということだけはわかる。

「ここに居たいか?」
「はい」
「ではオレと一緒に勉強するな?」
「はい」

 素直な返事にガブリエルは頷いた。それを見たコーデリアも頷いた。

「では次にフォークの持ち方だ」



 結局朝食を普通の三倍は時間をかけてガブリエルの真似をしながら食べ終えたコーデリアだったが、テーブルの上には紅茶の染みを作りたまごが零れていた。
 初日なのだからこんなもんだろうと、昼はサンドウィッチにしてくれるようモーガンに頼んでおいた。

 次の授業はコーデリアの部屋に移動しソファーセットに座って絵本を見ながら物の名前を覚える授業。

「この絵はなんだかわかるか? 知っているな? 昨日お前が食べすぎて吐き出したものだ」
「りんご……」
「そうだ。りんごは一日一個以上食べてはいけない」
「はい」

 教えながら文字を書き写させ、スペルというもので名前が書ける方法を教える。

りんごApple、最初のつづりはA」
「りんごは一日一個だけ」
「そうだ、一個以上食べたらだめだ」
「吐くからダメ」
「そう、吐くからだめ。いいから書け。書いてみなさい。ペンをこうやって持って」




 昼に軽食を取って、その時もカップの持ち方で失敗したコーデリアは茶を零した。
 昼寝の時間を決めベッドに入れるとコーデリアがゴソゴソとしているので、絵本を読んでやることにした。
 ガブリエルの低い声が心地よく唄うように穏やかに流れて、コーデリアはすぐに寝息を立てた。
 これはいい手だとガブリエルは思った。
 コーデリアが寝る時にラリサに読み聞かせをするように言ってみよう。寝てしまえば部屋に忍び込んでくることもないだろう。
 もう少し本を買い足すことも決めた。

 おやつの時間前に目を醒まし、菓子を食べながらまたマナーの勉強。
 今日の菓子はクッキーだったが、昨日やり方を覚えたので食べ終わるとすぐにモーガンの元へ行き呪文を唱えた。

「たべものください」
「コーデリア、さっきの食べ物はクッキーという。『クッキーのお替りをください』といいなさい」
「クッキーのおかわりをください」

 コーデリアはガブリエルの言う通りにモーガンに言い、モーガンは微笑んで返事をしてからコーデリアの皿に数枚乗せた。

「このあとりんごはたべれますか?」
「このあとりんごの予定はない。一日一個と言ったが、それはりんごがあるときだけだ。今日のぶんはお前が昨日全部食べて全部吐いたからない」
「いつかたべれますか?」
「いつかは食べることもあるだろう」
「クッキーのおかわりください」
「クッキーも食べすぎてはいけない。今日はもうこれでおわりだ」



 夕飯は手強かった。
 スプーンはなかなか上手く使えたが、ナイフの使い方を覚えるのはまだ早かったようだ。食器に傷がつきそうだし、皿から食べ物を落としまくった。
 量はもちろんガブリエルの半分より少し多いくらいだったが、時間をかけて食べたので充分満足できたようだ。
 風呂に入れて寝る前に絵本を読み聞かせしてやるようにラリサに頼み、ガブリエルも自室に戻る。
 一日中コーデリアといて思った以上に疲れた。これを暫く毎日続けるのは先が思いやられると思うのだが、不器用であっても不満のひとつも言わず言われた通りやるのでその点は楽だ。
 物覚えも悪くはなさそうだ。すぐに覚えるわけではないが、何度も書かせれば今日の分はもうすっかり書けるようになった。
 母親に教わった聖書の言葉を覚えていたりしたので、頭が悪い訳ではないのだろう。
 これから繰り返していく毎日が少しでもスムースに行くことを願いガブリエルは風呂に入った。

 風呂場で寝支度をしてベッドに入る。
 そして飛び出す。
 小動物が忍び込んでいたからだ。

「コーデリア……」

 布団を剥いで確認すると、ガブリエルのベッドの真ん中に小さく丸まっているコーデリアがいた。

「なにをしている?」
「一緒に寝ます」
「ラリサは本を読んでくれなかったのか? それでは眠れなかったのか?」
「シャロンがいいって言ってたから……」

 ガブリエルは顔を擦った。
 そう言えば今朝そんなことをシャロンが言っていた。
 だからってこれが習慣になっても困る。

「あ。ちょっと待ってろ」

 ガブリエルは書斎へすっかり忘れていたものを取りに行った。
 昨日ラリサが買ってきたうさぎがドレスを着た人形があったのだ。
 部屋に戻るとまだベッドに蹲っているコーデリアの前にそれを出した。

「ほら、これと一緒に寝なさい」

 目の前に出されたそれを、コーデリアは見つめた。

「わたしのですか?」
「そうだ、これはお前の友達だ。名前を付けて抱いて寝ろ」
「ともだちはなんですか?」

 そうか、友達の意味を知らないのか。

「お前と仲良くしてくれるものだ」
「なかよく……」
「シャロンがお前にしてくれたことを、お前はそのこにしてやるといい」

 友達の意味がわかったのかどうかはわからないが、シャロンの名前にコーデリアが起き上がった。

「シャロンがともだちですか?」
「シャロンはオレの友達だ」
「シャロンとこれはともだちですか?」
「シャロンが来たらお前の友達だと紹介してやれ」
「シャロンはいつきますか?」
「お前がいい子にしていたらそのうち来るだろう」

 なぜシャロンに拘るのかはわからないが、昨日親切にされたことが嬉しかったのだろか。
 ガブリエルの渡した人形を受け取ったコーデリアは頭を撫でて抱いて、自分の平らな胸に人形の顔を押し付けた。
 昨日シャロンがコーデリアにしてやっていたことだ。
 シャロンに母親の面影でも見たのだろうか?
 とにかく人形は気に入ったようなので、ガブリエルは立ち上がった。

「さぁ、部屋まで送るからその人形と一緒に自分の部屋で寝なさい」

 ベッドの横に立ってコーデリアが降りて来るのを待つのだが、コーデリアは人形を抱いたままで降りてこない。

「コーデリア、自分の部屋で寝ることに慣れないといけない」
「シャロンがここで寝てもいいって……」

 昼間は言うことを聞いたコーデリアが、どうしてもここで寝たいのかまったく降りて来る気配がない。
 ガブリエルは大きなため息を吐いてベッドに上がった。

「もう少しそっちへ行け」

 コーデリアをずらすとガブリエルも転がった。

「自分の部屋で寝られるようにならないといけないんだからな?」
「はい」
「ここに来るのはどうしても寝られない時だけだぞ?」
「はい」

 布団をかけてやるとコーデリアは人形を抱いたままガブリエルの腕に額を当てるようにして小さく丸まって眠った。
 これが習慣になっては困ると思うのだが、こんなに自分に縋ってくる小さな女の子を無理やり部屋に戻すことが出来るほどには薄情ではなかったようだ。
 腕にくっ付けた額が健気に感じるのは生い立ちを知っているからだろうか。
 母の温もりを亡くし再びシャロンでそれを覚え、求めてしまっているのかもしれない。
 五年間をここで我慢して身に着けるものを身に着けたら、この娘は国中から愛される存在になる。
 その時はこの娘を預かったことを光栄に思うのだろうか? と考えてから首を振った。
 そんな先のことよりも明日のことだ。
 今日の復習をして、それから……。
 明日教えることを考えながらガブリエルも眠りについた。
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