牢獄王女の恋

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 知能が低い訳ではなく、考える力がないのだとガブリエルは思った。
 習慣的に物ごとを考え分析し行動するということが身についていないため、コーデリアは深く思い悩まずガブリエルに付いてきたのだろう。
 単純なのは扱いやすそうだが、これから教育していくとなれば考えることや分析するというようなことが重要になる。将来の女王になろうという人間が単純では困る。
 しかしその前にしなくてはいけないのは物の名前や呼び方という二~三歳児の教育からだ。十三歳から生活の概念を変えて行かなくてはいけないのだが、それは考える力が邪魔しなさそうなのですんなりいきそうだ。
 ただ野良猫的野生の判断力は持っているようなので、そこは注意だ。

 コーデリアに自分の部屋を与え、着替えをしたら降りてくるようにとラリサに伝えてから、ガブリエルは執事のモーガンにどう説明するべきか悩んだ。
 リビングのソファーに座り、目の前に立つモーガンを見つめる。

「オレの隠し子じゃないぞ」

 念のために先に言うと、モーガンは無表情で黙って頷いた。
 そう思っていたのだろうな……と思ったが話を先に進める。

「暫く。けっこうな期間あの娘をここで預かることになった。ワディンガム公爵から預かった娘だ。夫妻に頼まれて預かることになったが、その経緯と詳細はワディンガム公爵の名誉にかかわることだから伏せる。ダイアナ叔母上からラリサを侍女に付けてもらった。彼女もここに住むから部屋を用意してやってくれ」

 モーガンの眉がピクリと動く。
 ガブリエルが心のなかで『よし』とつぶやいた。
 頼まれたことは事実だ。ちょっと言葉を付け加えただけ。ただモーガンが勝手にマイルスの隠し子だと誤解したかもしれないだけだ。
 ガブリエルは自分の名誉のためにマイルスへの誤解を誘導して、自分の隠し子だという誤解だけは消しておきたかったのだ。

「実は彼女は赤ん坊の頃から病で臥せっていたため外の世界や生活をする上での常識をあまり知らない。彼女が社交界に出られるよう教育するのがオレに頼まれた仕事だ。お前も他の者もそのつもりで彼女に接してくれ。普通の娘よりわからないことも多くマナーも知らないが、そこは理解してやるように。何かあったらオレに言ってくれ」

 脚色はしたがコーデリアが何も知らないということを伝えるには牢獄とは言えないのだから病が一番だ。同情があれば多少のことも許される。まぁ同情なら、牢獄にいたと言った方がされるだろうが。

「承知いたしました。使用人たちにもそのように説明しておきます」
「対外的には遠縁の娘を預かっているということにするが、生活に慣れるまではこの屋敷からは出さない。屋敷の中なら自由にしてやって良いが、外には出さないように。また身体を壊しても困るからな」
「承知いたしました」

 興味は色々あるだろうが、長く執事を務めるモーガンは余計なことは聞かず了解した。

 次にガブリエルはメモに必要な物を書いていく。ラリサにコーデリアに必要な教本を買ってきてもらおうと思ったのだ。
 識字用の教本の他に、物の名前や生活の仕方がわかる絵本など。紙や筆記用具も必要か。
 この家には子供に必要な物も子供が欲しそうなものもない。女の子なら人形のようなものも必要だろうか?

 メモを取りながら考えていると着替え終わったコーデリアがリビングに入って来た。
 青いギンガムチェックのワンピースの上にエプロンを着せて、髪は両の耳の下から三つ編みに結ってある。
 モーガンが茶の支度をしてきたタイミングにピッタリだ。

「コーデリア、この男はモーガンという。呼び方もモーガンでいい。この家の世話をする一番偉い使用人だ」

 ガブリエルがモーガンをコーデリアに紹介するとモーガンは頭を下げ、コーデリアはモーガンを見つめた。

「ガブリエルよりも偉い?」
「馬鹿を言うな。使用人だと言って……」

 そうか。使用人という概念も知らないのか。
 
「この家で一番偉いのはオレだ。モーガンはこの家で働く人たちの中で一番偉いが、お前の方が立場……はわからないか……、お前の方が偉い。いや待て、お前はまだ偉くはないからな……」

 この家で地位だけで言えば一番高く一番偉いのはコーデリアだ。しかしそこはまだ説明出来ないし、この状況で『偉い』とうものを勘違いはさせたくない。
 しかし立場というものを説明するには貴族の概念から説明しなくてはならない。どうしたらいいのか……。
 逡巡するガブリエルの次の言葉を待たずに、モーガンがコーデリアの前にしゃがんだ。

「コーデリア様。わたしはコーデリア様が甘えてよい人間だということです。して欲しいことがあればわたしに頼んでいいですよ、わからないことがあれば聞いてもいいですよ、ということです。コーデリア様がゆっくりこのお屋敷で暮らしていくお手伝いをするひとだということです。わかりますか?」

 ゆっくりと丁寧に、優しく説明するモーガンにガブリエルは感心した。
 なるほど、こういう言い方をすればいいのか。

「腹が減ったらモーガンに言えば食べ物を貰えるし、喉がかわいたらモーガンに言えば飲み物を貰える。そういうことをしてくれるおじさんだ」

 意味がわかったのかわかっていないのか、コーデリアは首を傾げてモーガンを見た。
 モーガンはガブリエルには見せない愛想でコーデリアに笑いかけた。

「よろしくお願い致しますコーデリア様」

 大きな瞳でその様子をただ見ているコーデリアにガブリエルが言う。

「『宜しくお願いします』と言われたら、『宜しくお願いします』とお前も言わなくてはいけない」

 コーデリアはガブリエルの言っていることがわかったのか、頷いてモーガンに向き直って言った。

「よろしくおねがいします」

 モーガンは優しい笑顔で頷いた。
 コーデリアがどういう娘でどう接していけばいいのかをモーガンはわかったようだった。
 ガブリエルの説明で闘病の気の毒な娘と思っているのか、ガブリエルには見せたことの無い優しさまで出している。
 それはコーデリアにとってはありがたいことだろう。
 後ろにいたラリサに少し休んだら買い物をしてきてくれとメモ渡して内容を指示した。
 本格的な教育は明日からになりそうだ。

 ガブリエルの向かいにあるソファーに座るようコーデリアに指示し、モーガンがテーブルに茶と菓子をセットし終わるのを待つ。
 コーデリアはそわそわと部屋の中を口を開けて見渡していた。
 初めての場所は必ず同じように隅々まで見渡す。
 ガブリエルはこれも直さなくては行けなと思いながら、まだこの家の初日なのでとりあえず好きに眺めさせておいた。
 華奢な陶器にかわいらしい小花柄が描かれた金の縁取りがあるティーカップに熱い茶が注がれ目の前に置かれると、コーデリアはそれを首や身体をひねりながらまじまじと見つめる。
 女性はDNAの中にかわいらしいものに興味を持つというものが組み込まれているのかもしれない。コーデリアはこのカップが気に入り口元を緩ませて首や身体をひねったり倒したりしながら見つめている。
 正面に座るガブリエルはそれを黙って見ていた。
 喋らない代わりに忙しなく何かしらを見ては不思議そうにしたり興味を持ったりしている様子は小動物そのものだ。
 この高価なカップもおもちゃのように思っているのだろうか?
 この娘が小動物から人間になるのにどれくらいの時間がかかるのかを考えていた。

「ガブリエル。これは食べるのですか?」

 出された焼き菓子の匂いに鼻をクンクンと動かしてから、ガブリエルが進めてくれないので自ら聞くことにしたようだ。美味そうな匂いに早く食べたくなったのだろう。

「ああ、食べていい。お茶のカップは熱いから気を付けるよ……」

 ガブリエルが『ああ』と言った瞬間に焼き菓子に手を伸ばすコーデリア。

「待て! まだ食べるな!」

 あまりの素早い喰いつきにガブリエルが急いで止める。
 あとは噛むだけという開けた口に入った状態で止められ、コーデリアが視線だけでガブリエルを見た。

「オレの話は最後まで聞きなさい。ちゃんと聞いて、わかってから手を伸ばしなさい。わかったか? わかったら返事しろ」
 「はい……」

 コーデリアはすごすごと持っていた菓子を皿の上に戻してしゅんとして俯いた。
 そんな怒られたかのような態度に、ガブリエルは顔を顰めた。怒ったつもりではないが、どの程度の強さで言うべきだったかまだ加減がわからない。

「食べていい。お茶のカップは熱いから気を付けるように。わかったか?」
「はい」

 言い直すとコーデリアは素直に返事を返した。ガブリエルを窺うように見ている。
 頷いてやるとガブリエルを見ながらゆっくりと手を伸ばす。
 その様子にガブリエルは大きなため息を吐いたが、コーデリアは齧った瞬間から全神経が菓子を入れた口の中に集中される。
 バターをたっぷりと使った生地に甘くて赤い苺ジャムが塗られた小さな焼き菓子の美味さに仰天したように目を見開いて、うっとりと目を閉じた。
 口をきかなくてもコーデリアの考えていることはガブリエルじゃなくても簡単にわかる。
 皿に盛られたみっつの菓子を次々と口の中に放り込み、噛みながら目を閉じてにんまりと口角を上げる。
 離れたところにいたモーガンの目が細くなり、目の前にいるガブリエルまでつられて口を緩ますほど素直な反応だ。
 しかしこの後がいけなかった。
 ガブリエルは見たこともない光景に目を瞠った。
 コーデリアはソファーから降りて絨毯の上にペタリと座り、菓子の乗っていた皿を手に取るとわずかに残った菓子のカスを指に付けて舐め始めたのだ。
 カスの一粒も残さないとばかりに指で拾い、このままでは皿まで舐めそうな勢いだ。

「待て! コーデリア止まれ!」

 ガブリエルが再び怒鳴って止めるのでコーデリアの身体がびくりと固まり、肩と首が潜まり恐る恐るガブリエルを見上げる。
 ガブリエルの開かれた大きな手のひらがコーデリアに向けられ、眉は尖っている。
 コーデリアの目は怯え、眉も下がっている。
 いや、これは止めて当然だろうと、ガブリエルはコーデリアの顔に浮かぶ怯えに覚えた罪悪感を正当化した。
 まさかこんなことまでするとは! とてもじゃないが放っておけないことを目の前でしでかしているのだ。
 
「ゆっくり言うからわかったらその通りにしろ。まず下に座るな。ちゃんとソファーに、上に座りなさい」

 コーデリアはゆっくりと腕の力で起き上がり、ソファーに身体を戻した。
 ちゃんと座ったことを確認してガブリエルが頷いて見せると、コーデリアも頷いた。

「次に。皿のカスを拾うな。足りなかったらお替りを貰える。もっと欲しいことを伝えなさい。皿を持ち上げてカスを拾うようなことはしてはいけない。絶対にいけない。本当にやってはいけない。わかったか?」

 ガブリエルが返事を目で求めると、コーデリアは頷いた。わかったようだ。
 わかったようだが、口は閉じたままですぼめてモジモジとさせている。
 あまりのことに驚いて声を荒げてしまったが意地悪で止めたわけではないので、ガブリエルから聞いてやることにした。

「もっと食べたいのか?」
「……はい」
「ではモーガンにお願いしてみなさい」

 コーデリアは上目づかいでガブリエルが頷くのを見てから、離れたところに立っていたモーガンのところまで歩いて行った。
 座ったままでも呼べば来るが、ガブリエルがそうしているのを何回か見ればそのうちやり方がわかるだろう。
 とりあえずコーデリアのやることを黙って見る。
 コーデリアはモーガンの前まで行くと見上げ、モーガンの笑顔が見えてから口を開いた。

「たべものください」

 モーガンの眉が上がる。ガブリエルは吹き出しそうなのを手で口を押えて防いだ。
 コーデリアは今食べたものが菓子と呼ぶものだということも知らないのだ。
 確かに食べ物で間違いではないが、つい笑ってしまった。
 しかし知らないのはコーデリアのせいではないし、そのことで笑ってはいけないとは思うので口を押えて堪える。

「あのお皿に乗っていたお菓子のお替りが欲しいのですね? もっと食べたいのですね?」

 さすが優秀な執事モーガン、短い時間でコーデリアの扱いがわかったようだ。
 コーデリアはモーガンの言っていることがわかったと、その通りだと頷く。

「座ってお待ちください。今持ってまいります」

 モーガンがコーデリアの背中を押して手でソファーを指すので、コーデリアはそれに従ってソファーまで戻って来た。
 座ってからガブリエルを見るので頷いてやると、コーデリアも頷いた。
 モーガンが皿に乗った菓子を持ってくるとトングを使ってコーデリアの皿にみっつ乗せて、残った菓子の乗った皿をテーブルに置いた。

「コーデリア様、お替りはまだありますが、夕飯が食べられなくなってしまうのはいけないことなので全部は食べないようにしましょう」

 ガブリエルはモーガンがいればなんとかなりそうな予感がしてきた。
 コーデリアはモーガンに素直に頷き、ガブリエルに言われたように座ったままで菓子を手で取り食べた。
 モーガンの持ってきた皿にはまだ菓子が残っている。見るからにまだ食べたそうだ。
 もう少しなら大丈夫だろうと判断したガブリエルがモーガンに目で合図すると、モーガンがコーデリアにもう少し食べるかどうかを確認し、頷くので皿にふたつ乗せてやった。
 コーデリアは嬉しそうに皿に乗ったすべてを平らげて、覚めた茶のカップを両手で掴みごくごくと飲んだ。
 カップの持ち方も明日から教えなければとガブリエルが決めた時だった。
 玄関の呼び鈴が鳴り、モーガンが確認しに玄関へ向かう。
 来客の予定はない。ワイエスから帰ってきたばかりだし、帰宅を誰にも知らせていない。
 ひとまずコーデリアを隠すべきか迷っていると、モーガンに案内されずとも勝手知ったるという態度でひとりの女性がガブリエルとコーデリアのいるリビングに入って来た。

「シャロン!」

 ガブリエルは立ち上がって女性の名前を呼んだ。

「なによ。帰って来たのに一言もないなんてひどいじゃない」
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