牢獄王女の恋

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 事の発端はある男の告発からだった。

 昨年国王が天然痘を煩いで崩御した。
 世継ぎは国王グレッグの側室イーリスとの間に出来た一人息子で十四歳のハドリー。
 法律で王の即位は十八歳未満では出来ない。ハドリーが十八歳になるまでは王弟でハドリーの叔父に当たるワディンガム公爵マイルスが摂政として政を行うことが決まった。
 そのマイルの所に一通の手紙が届いた。

『イーリスの秘密を知っています。前王妃は無実です。逢ってお話しがしたい』

 前王妃とはグレッグの妻エロイーズのことで、彼女の話となると十三年前に遡る。
 エロイーズは絹糸のような金髪が美しい国民にも人気の高い王妃だった。
 当時四十四歳だったグレッグが十七歳のエロイーズと結婚した。二十七歳も年の離れた妻をグレッグは愛しかわいがった。
 結婚後五年経っても子が授からず、このままでは世継ぎが出来ないのではないかと危機感を持った側近たちがグレッグとエロイーズを説得し側室を持つことになった。
 それがイーリスだ。
 イーリスは地方の男爵令嬢だった。側室に甘んじる令嬢が見つからなかったため王に仕えるには立場は低すぎたが側近の知人のツテで紹介され宮廷に入った。
 イーリスが側室となって暫く、エロイーズに妙な噂が立った。エロイーズが敵国コースリーと繋がっているというのだ。
 スーミア王国はコースリー帝国とは敵対国だ。コースリーは強欲な好戦国で、スーミアとは相容れぬ関係だった。そんな国に自国の機密情報や軍事情報が流れるようなことがあっては決してならない。
 最初の噂ではグレッグはエロイーズになにも言わなかった。そんなことをするはずがないと信じていたからだ。
 ところが噂の真相を探るとある兵士にたどり着いた。その兵士がコースリーの諜報員と密通しているという証拠の手紙が見つかったのだ。
 しかもその手紙にはエロイーズのサインが入っていた。
 エロイーズは王妃でありながら裁判に掛けられ、手紙にあったサインが決定的な証拠だとして有罪判決が下され投獄されることとなった。
 エロイーズの親族全員も国から追放となり、その後彼女がどうなったのかは誰も知らない。
 どこの監獄に入れられたのかも、生死も不明なまま忘れ去られたのだ。
 簡単に忘れ去られたのには理由がある。イーリスが出産したのだ。
 貴族・国民待ち望んだ世継ぎのニュースに、ほんの数か月前の不幸はすべて吹き飛び国中に祝福が巻き起こった。
 イーリスは男子を生み、それが世継ぎのハドリーだ。
 ハドリーの誕生でイーリスは側室からブロッサム公爵夫人という称号を受けるまでになった。与えられた領地はイーリスの実家カモクト男爵が管理し、大きな収入を得ている。
 王妃の称号を貰えなかったのはグレッグのみぞ知ることだが、もしかしたらエロイーズのことが最後までグレッグの心にあったのかもしれないと思うのは邪推とは言わないだろう。
 グレッグはエロイーズをとてもかわいがっていたし、裁判に掛けられることとなった時も最後まで庇った。
 しかし裁判は正式に開かれその判決は権力で変えていいものではない。国王であってもどうすることも出来なかった。
 
 話しは現在に戻る。
 王が崩御して暫く。届いた手紙を読んでマイルスは叫んだ。『やっぱりそうだったか!』
 マイルスはエロイーズがそんなことをするなど信じることが出来なかった。
 明るく朗らかで、王妃としてはいいことではないかもしれないが政治にまったく関心がなく、グレッグのことだけがすべてという少女のような女性だった。
 年の離れたエロイーズをかわいがるグレッグを心から愛しているように見えていたし、そこまで頭が回るほど賢い印象はない。
 マイルスはその手紙の主と逢うことにした。
 書かれた待ち合わせ場所のうらびれたバーへ行くと、男はすでに待っていた。
 見覚えのあるその男はエロイーズのサインの入った手紙を持っていた、裁判でエロイーズの命令でコースリーに情報を流したと証言した兵士だった。
 なぜこんなところにいるのか、なぜあの時あんなことを証言したのか、なぜ自分にこんな手紙を寄越したのか。聞きたいことばかりで焦りそうになるのを必死に抑え、マイルスは男の話を静かに聞いた。

 男の話はこうだ。
 軍の上司からこの仕事を受けるなら病の母を保護し治療を受けさせてやる。更に成功すれば家族で暮らしていくには充分すぎるほどの金もくれると言われたそうだ。
 その仕事とはコースリーに情報を流せということだった。軍規違反だけではなく死刑もやむなしの国への裏切りだ。
 ましてや母の病は治ったとしてもそれで戦争になったら母の命が危険に晒されてしまう可能性もある。
 男はそんなことは出来ないと言ったが、話を聞いてしまった以上もう断ることは出来ないと言われ。やらないなら家族がどうなるかわからないと脅された。
 病の母に幼い妹がふたりもいて、男は引き返すことが出来ない仕事を引き受けるしかなかった。
 泣く泣く仕事をこなしながらも、この仕事を上司が単独でしているのではないのではないかと疑問に思った男は上司の背景を調べ始めた。
 ある日上司の後をつけているとある男と逢っているのを目撃した。上司と別れた男を追ってそれが誰なのかを知った時驚愕した。男はイーリスの父親だったのだ。
 しかしこの仕事にイーリスが関係していることがわかった時には遅かった。そのすぐ後に逮捕される事態となったからだ。
 男は迷った。真実を話しても話さなくても無罪放免はありえない。悩む男に会いに来た上司が囁いた。この仕事の主犯をエロイーズだと証言するなら投獄されても必ず逃がしてやる。母の治療も今後の生活もなんの心配もないと。
 かくして男は嘘の証言をし、収監はされたが逃走と金を手に入れた。
 それでもエロイーズを嵌めてしまった事を一日も忘れたことはなかった。ずっと懺悔の日々だった。
 そして何も出来ないまま過ぎる毎日のなかで国王グレッグの崩御を知る。
 ハドリーが王になりイーリスが実権を握ればコースリーと手を組んでいる。この国が危険に晒されている。それは家族が危険に晒されているということだ。
 自分はなんという事をしてしまったのかという思いに苛まれ、もうこのまま卑怯者でいることは許されないと死を覚悟してマイルスにすべてを打ち明け裁きを受けると伝えて来た。
 隠れて会ったのは、この王都に自分がいることが知られたらマイルスに打ち明ける前に殺されると思ったからだと男は言った。

 マイルスは男のしたことは正しくなく国にも神にも背く行為だと怒りはしたが、それでも男と男の家族を保護すると決めた。
 その代わり、その仕事に携わっていた人間、関係しているだろう人間、調べ知っている情報をすべて打ち明けるように言った。
 男は泣きながら頷いた。
 だが話しはそれで終わりとはいかない。
 マイルスが内乱分子を一掃してしまうと世継ぎがいないのだ。ハドリーはいるがイーリスを追い出すことになると、禍根を持ったイーリスの育てたハドリーが良い王になれるとは思えない。
 国を売った女の息子を王に据える事にも反対は起こるだろう。
 自分が国王となることも出来るがマイルスには子がいない。一代限りだ。
 それよりなにより、本物の正当な後継者はいるのだ。
 しかしその人物を担ぎ出すには時間がかかる。その時間を稼がなくてはならない。
 なにせその人物は今牢獄の中にいる。
 投獄されたエロイーズが獄中で産んだ娘、それが担ぎ出すべき正当な後継者。正真正銘国王グレッグの血を継いだ直系の娘だ。
 子が成せないと思っていたエロイーズは投獄前に妊娠し、娘を産んでいたのだ。
 マイルスは表立ってエロイーズと関係を持つことは出来なかったが、投獄されたエロイーズの元へ定期的に神父を送っていた。
 エロイーズが妊娠していることを知りなんとか救い出せないかと策を講じたが、当時はそれが出来なかった。
 産まれた娘はそのままエロイーズと共に獄中で育てられた。
 しかしエロイーズは最後まで無実を訴えながらも五年前に無念の死を獄中で迎えたと報告を受けた。
 五年早くこの話を聞いていたらこんな無念にはならなかった。今更悔いても仕方のないことだ。
 老年だった神父もエロイーズのすぐ後にこの世を去った。
 それでも娘を出してやれなかったのは、監獄に手の者を据えることが簡単には出来なかったからだ。
 やっとその準備が整ったが十三年間獄中で育ち、内五年間ひとりで放置された娘を出してきたからと言ってすぐに王女の立場に置くことは出来ない。
 まずはエロイーズの冤罪を晴らさなくてはならない。それをしなくてはことが進まない。
 そして娘を普通の生活が出来るようにもしなくてはならない。一般的な教養とマナーを教えなくてはならない。
 即位するにあたっては帝王学はマイルスが教えることが出来るし後見人にもなって支えるが、反乱分子を一掃する前では命の危険があるかもしれない。
 その娘が安全に城に迎えられるまで姿を隠して教育をすること。万が一マイルスが反乱分子に返り討ちにあった場合を考えたら、城に戻れなくても保護し続けられる人物が必要だ。 

 そこでマイルスが白羽の矢を立てたのがガブリエルだった。
 ガブリエルはマイルスの妻ダイアナの甥にあたる二十九歳の独身侯爵だ。
 ダイアナの妹ローズの息子だが、ダイアナがマイルスと恋愛結婚してしまったためローズがダイアナの実家アディンセル侯爵家を継がなくてはならなかったのだが、ローズも舞踏会で出会ったマクナリー伯爵トーマスと恋に落ちてしまった。
 後継ぎのいなくなってしまうアディンセル侯爵家は結婚を賛成できなかったが、子供が生まれたら必ず養子に出して後を継がせると約束し、ローズの息子ガブリエルがアディンセル侯爵家の養子に入り侯爵家を継いだのだ。
 隠居した元アディンセル侯爵当主でダイアナの父は六年前に他界し、母親は王都にあるアディンセル侯爵家の別邸で悠々自適に暮らしている。
 ガブリエルも王都にいることが多いが、領地は王都ワイエスから暫く離れた別の街にあり匿うにはうってつけな環境だ。
 ガブリエルなら教養もあり多少女遊びはしている噂はあるが領地の管理や侯爵としての仕事はきちんとこなし、家名に相応しい慈善活動もきちんとしているのでダイアナもかわいがっており信頼している。
 むしろ女遊びの噂があるなら、十三歳の少女を連れて帰っても隠し子だと思われるかもしれないのはいいことだ。真実を隠せる。
 マイルスは決めた。ガブリエルにエロイーズの娘、王女を任せようと。 



 ダイアナに至急の用事だと呼び出されたガブリエルはマイルスの話を聞いて仰天した。
 話が込み入りすぎているうえに、それに巻き込まれろと言われたのだ。
 十三歳の少女を預かりマナーと教養を教えてくれと言われても、即答は無理な話だ。 

「叔父上、叔母上。わたしには無理です。いきなりそんなとんでもない責任は負えません!」
「あなたが侯爵になれたのはわたしの実家があってなのよ。そのおかげで莫大な財産を受け取り優雅に遊んでいられるのよ。これは国の大事です。たった五年を国に捧げるくらいしなさい。侯爵の爵位を持つ者の使命でもありますよ」

 簡単に言わないでくれと言いたいが、ダイアナを見てもマイルスを見ても決して簡単に言っているわけではない事はわかる。
 確かに国の大事だ。

「わたしでは務まりませんよ。他に適任がいます。姉上の所はどうですか? あそこなら子供もいるし」
「ミリアムはだめよ。子供がいるから余計に外から知らない子が入ったらおかしいでしょ。それにマシューは野心家よ。変な気でも起こしたら大変なことよ」

 ミリアムはガブリエルの姉で、ガブリエルの実家であるマクナリー伯爵家を夫マシューを婿養子に迎え継いでいる。
 ダイアナの話は理解できるが、それでも簡単に納得は出来ない。

「あなた五年くらい結婚もする気はないでしょ? この件に関しては係わる人間は少なくなくてはいけないの。わかるでしょ?」
 「ガブリエル、お前しかいないのだよ。お前を信頼しているから頼んでいるのだ」

 ガブリエルが唯一頭の上がらない叔父と叔母に頭を下げられ、もう断れる雰囲気もない。
 出してあげられるとなればもう今すぐにでもというマイルスの気持ちもわかるが、あまりにも急すぎる話だ。

「こんなことは言いたくないけれど、あなたが宮廷に来るたびに摘まんだ女の後処理をしてあげたのを忘れてはないわよね? そのわたしのたったひとつの願いが聞けないの? 国の安寧がかかっている頼みなのよ?」
「摘まんだって……自由恋愛ですよ……。後処理とか言ってもちらっと女性の口を止めただけでしょう……。事の大きさが違いすぎる!」

 必死の反論はするが、確かに話を聞いて適任者を探すのは難しい。
 では自分が適任かと言えば絶対に違う。自分ほど自由気ままに生きたいと願う人間はそうはいないと思っている。侯爵の責任以外に重いものは面倒すぎる。
 子供も好きではないし、なにより同情はしてもそれほど気持ちを寄り添ってあげられない程度にガブリエルは薄情でもある。
 しかしふたりはもう決めている。ガブリエルに頼むと決めてしまっている。

「わたしは子育てなんかしたことがないし、どこまで出来るかわかりませんよ」
「それでもいい。助けが必要ならわたしたちがいる。とにかく今はあの娘をサリバン監獄から出し隠すことが優先だ」
「五年も……」
「五年なんかあっという間だ。必ずその間に宮廷のことはわたしが片付ける。とにかくまずは王女である少女を牢獄から出してきてくれ。名前はコーデリアだ」

 ガブリエルは大きなため息を吐いた。

 かくしてエロイーズの娘コーデリアを脱獄させることとなり、ガブリエルは図らずともコーデリアの使いの天使となったのだ。
 白い羽ではなく、黒いマントを翻して。
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