亡国の公女の恋

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 ルカはスヴェトラーナを抱えて一軒の店へ入った。
 鍛冶屋の看板が掛けてあり、店の中は鉄の匂いがした。
 奥に老年のガタイのいい男がエプロンを着けてはさみを研いでいた。
 スヴェトラーナを抱えたルカを見た男は眉をひそめた。

「なんだ、姫様に見つかったか」
「はい。俺を見つけてくださいました。なので今日は上がらせてください」
「そうか。わかった」

 ルカは頭だけ下げると店を出た。

「あそこは、ルカの……」
「職場です。俺は三年あそこで働いています」

 スヴェトラーナは驚きを隠さなかった。
 そこはスヴェトラーナが何度も、何度も何度も通った道にある店だ。外からだが中を覗いたこともある。
 あの老齢の男にも見覚えがある。道で何度がすれ違っていたはずだ。
 話し方から事情も知っているようだ。

「こんな近くに、いたのですね」
「はい……」

 スヴェトラーナを抱えて歩き、細い路地を抜け暫くにあった小さな家に入った。
 入ってすぐがキッチンで粗末なテーブルと椅子がひとつあり、そこにスヴェトラーナを座らせた。

「ここはルカの家ですか?」
「あの鍛冶屋の親方に借りています。狭くて汚くてすみません」

 スヴェトラーナは部屋の中を見渡した。
 古い使い込まれた少ない家具の他には何もない。しかし掃除は行き届いている質素で清潔な、ルカらしい家だった。
 奥にひとつあるのが寝室なのか、他には部屋がないようだ。

「ここで暮らしていたのですね」
「姫様、足に触ってもいいですか?挫いた足首を冷やします」

 さっき馬車から降りた時に痛めた足を冷やすためにルカがバケツに水を入れスヴェトラーナの前に持ってきた。
 スヴェトラーナが頷くと優しく大きな手が足を持ち上げ靴を脱がせ、壊れものでも扱うようにバケツに足を沈めていく。
 スヴェトラーナは思い出して笑った、前にもこんなことがあった。あの時は熱いお湯だった。

「グレタゴのおばあさんはお元気でしょうか」

 スヴェトラーナが言うとルカも思い出して微笑んだ。

「あの方でしたら、きっとお元気でしょう」

 もう逢えない老婆を思い出してふたりで微笑み合ったが、ルカはスヴェトラーナの前に跪いたままで真剣な表情に戻した。

「姫様。俺は三年間ここで暮らし姫様を見ていました。週に何度も街を歩く姿を見ていました。もしかしたら、俺を探してくれているのかもしれないと思いました。それでも姿を見せませんでした。もしかしたら俺が見つけられるようにしているのかもしれないと思いました。それでも姿を見せませんでした。早く俺なんかのことは忘れて欲しいと思っていました……」

 ルカの顔が俯く。スヴェトラーナは黙って話を聞いた。

「どうしてそこまで俺に拘ってくれるのか、俺にはわからなかったんです。俺はなにも持っていません、姫様を幸せに出来るものはなにひとつ持っていません。三年も、姫様に苦しい思いをさせてしまったことも、俺はどうしていいのかわかりません……」

 スヴェトラーナはルカの顔に手を伸ばした。
 頬に触れ、顔を上げさせる。

「どうもしなくていいのです。たった三年です。私は何十年でも待つつもりでした。ルカが私の愛を信じられるまで時間がかかること、わかっていたからいいのです。私が欲しいのはただひとつだけ、ルカだけです。ただ私を愛してくれませんか?ただ私を欲してくれませんか?ただ私を信じてください。私がルカを信じたように」

 ルカの瞳からはらはらと、溢れ出る涙が零れた。
 スヴェトラーナも同じだ。

「姫を愛しています。姫が欲しいです。俺には姫しかいません。姫だけが俺の光です」

 スヴェトラーナは証明した。ふたりの愛が決して消えるものではなかったことを。
 三年の時間をかけて、ルカは愛を持つ存在なのだということを。



 *****




 従者が事の次第を伝えると、イグナシオ侯爵夫妻は黙って頷いた。
 スヴェトラーナが信じた愛が叶ったとわかりよかったと喜ぶ気持ちと、娘のように思うスヴェトラーナが出て行くのかという複雑な気持ちだった。
 従者の伝言では落ち着いたら挨拶に来るということだったが、今は一時も離れられないのだろう気持ちはわかっても寂しく思った。
 しかし、スヴェトラーナの幸せを心から歓迎した。




 *****




 スヴェトラーナはこんな幸せな朝を迎えることが出来るのが夢のように感じた。
 すべてが違って感じる。生きていることをやっと実感しているみたいだ。
 隣に眠るルカを見る。十日も一緒の夜を過ごしたのにルカの寝顔を見るのは初めてだ。
 長い睫毛、高い鼻、柔らかい唇。
 昨夜の事を思い出してスヴェトラーナはクスリと笑った。

 スヴェトラーナがもう侯爵邸には戻らないことを改めてルカに言うと、それはだめだと言われた。
 それでもスヴェトラーナは訴えた。もう絶対に離れたくない、もう二度と離れたくないと。
 説得に相当な時間を費やしたが、結局ルカは折れた。
 スヴェトラーナはいつかルカと暮らせる日が来ると信じて侯爵家のコックから料理を習っていたが、足を挫いていたせいでルカが料理をさせなかった。
 代わりにルカが料理を作り、それが美味しかったので驚いた。
 三年間の話を沢山した。
 互いの想いを何度も確認し合った。
 夜も更けてからそろそろ眠ろうという段にきて、スヴェトラーナをベッドに入れたルカは置いて出て行こうとした。
 スヴェトラーナが必死に止め、再び相当な時間をかけて説得し一緒に眠ることになった。
 抱き締められて眠るのはあの日の夜を思い出す。ふたりで過ごした最後の夜だ。
 これで思い出が書き換えられるとスヴェトラーナが言うと、ルカが意外なことを告白した。

「気が付いていたかもしれませんが、あの夜、本当は行けたんです。街まで進めました。でもどうしても最後にもう一晩過ごしたくて。それでわざとゆっくり進んであそこで野営するようにしたんです。すみませんでした……」

 スヴェトラーナは幸せすぎて眩暈を起こしそうだった。





「ルカ、おはようございます。起きてください」

 スヴェトラーナはルカの頬を撫でた。
 ルカがスヴェトラーナの頬をよく撫でた気持ちがわかった。
 心から愛しいと撫でたくなるのだ。

「おはようございます、姫様」
「夢ではありませんね。これは現実ですね」
「はい。運命です」

 言いながらルカは少し照れて布団の中に隠れた。
 そんなルカを布団ごとスヴェトラーナが抱き締めるとルカが本当に愛おしいと、心から愛おしいという微笑みを向けるので。
 スヴェトラーナは夢見心地で現実を噛み締めた。
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