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ルカは自分が何をしたのかよく覚えていなかった。
頭で考えた動きではなく、本能が身体を動かした。
ただ。殺さなかったことで、多少の理性はあったのだと思った。
それもスヴェトラーナのための理性だ。
殺していたら、スヴェトラーナはあの男たちの命も背負い心にまた傷を増やしただろう。
覚えてはいないが無意識にそれだけはわかっていたようだ。
わかってはいたが、無意識の中に殺意も確実にあった。
スヴェトラーナの身体に傷をつけていたら、スヴェトラーナが見ていなかったらルカは確実にあの男たちを殺していた。
今も殺してやりたかった後悔すらある。
あの男たちはスヴェトラーナの身体にはまだ傷をつけてなかったが、心には確実に傷を付けた。
男たちがスヴェトラーナになぜあんなことをしたのかの理由はわかっている。
彼らもこの戦争で何かを失ったひとだったからだ。
わかっていてもルカには許せなかった。
自分の光を、それが誰であろうと傷つけることは許さない。
しかしこんなことをさせる隙を作ったのは自分に他ならない。
だからルカは自分も許せない。
なぜ一緒に店を出なかった。なぜ手を掴んでいなかった。
なぜ一瞬でも目を離した。なぜ気が付かなかった。
気が付ける要素はあったはずだ。
子供がスヴェトラーナの顔を見ている。
スヴェトラーナと話した後子供が大人に話をしている。
店の女がすぐにポットから手を離さなかった。
確実にあった機微をなぜ無視した。
スヴェトラーナの命が懸かっているのに。
ルカは自分を責め、情けなさで堪らなくなり謝ったのだ。
自分の隙がスヴェトラーナを殺すところだった。
スヴェトラーナが死ぬ、それが過っただけで全身に恐怖が沸き上がったのだ。
スヴェトラーナはルカが謝ることが切なかった。
子供に声をかけられ下から顔を覗かれた。
肖像画が出回っていたから子供でも判ったのだろう、公女なのかと聞かれた。
なんと答えていいのか戸惑っていると、子供はスヴェトラーナを睨み目に涙をためて訴えてきた。
『逃げてるのか卑怯者!にいちゃんはお前たちのせいで死んだんだって!』
胸をえぐるような痛みを突き刺された。
与えられて仕方のない痛みだ。
謝りたかった、そんなことで済まされないことはわかっていたが謝ろうと思った。
ルカはきっとスヴェトラーナに責任など無いと思っているだろうが、スヴェトラーナにもこの戦争に責任がある。
君主の娘という地位に生まれたからには負わなければならないものなのだ。
責任を知りながら生きると決め逃げているスヴェトラーナは、子供の言う通り卑怯者なのかもしれない。
腰を屈めて子供の言葉を受け入れようとしたとき、後ろから腹に腕が回り身体が浮いた。
咄嗟に店の中のルカを見た。ちょうどカウンターを向いているところだった。
持ち上げられたまま連れていかれ地面に放り出された。
『よくもおめおめとこんなところまで逃げて来たな!お前のせいで国民が酷い目に合っているのに自分だけは生きるつもりか!』
護身用にいつも持ち歩いているのだろうマスケット銃を腰から抜き向けられた。
恐ろしかった。
ここまでだ。ここで死ぬのだと思った次の瞬間。
ルカの顔が男の奥に見えた。
踏み出した数秒後にはすべてを終わらせた。唖然とする間もなく。
初めてルカの戦いを見た時と同じだ。いや、それ以上に速かった。
滑り込んで来たルカは知っているルカと違った。
本物の殺気を初めて見た。
スヴェトラーナはルカが男たちを殺してしまったと本気で思った。
それくらい、数秒間のルカは別人のようだった。
知っている優し気で朴訥とした青年ではなくなり、戦場に立つ孤高の戦士のようだった。
殺意がオーラになって全身を纏い、優しく穏やかだったグレーの瞳が見開かれはっきりとした意思を映していた。
許さないと。
ルカの忠誠心を疑ったことはないが、自分のためなら一寸の躊躇もなく人を殺すほどなのだと思い知った。
しかし事が終わってスヴェトラーナの前に崩れ落ちるように跪くと、怯えるような顔になり今にも泣き出してしまいそうだった。
スヴェトラーナが死ぬかもしれなかったことに恐怖したのだ。
スヴェトラーナには殺される理由がある。
スヴェトラーナの死にルカはなんの責任もない。
そんなことを恐れるルカがかわいそうで咄嗟に抱きしめた。
生きているから、大丈夫だから、あなたに責任はないのだからと背中を撫でた。
抱き上げられて驚いたが、ルカの好きにさせようと思った。
地面に転がる人たちが動いたので生きているとわかり安心したと共に、ルカが自分のために殺さなかったのだと思った。
ルカはスヴェトラーナを傷付ける者を許さない、それなのにあの殺気立ったルカが殺さないでくれたことに安堵し胸が苦しくなった。
馬に乗ってもルカはスヴェトラーナを離さなかった。
肩を抱く手はずっと震えていた。
謝られて、切なくなった。
*****
「ルカ。謝らないでください」
ルカは俯いて顔を上げない。
握った手は力を入れすぎて白くなっている。
大きく強い男なのに、恐れすぎている。
「ルカ、助けてくれてありがとう」
ルカはスヴェトラーナに礼を言われ更に頭が下がった。
「姫様を危険に晒しました」
「覚悟していたことです。わたしは責められるべきことをしているのですから」
「どうしてそんなこと……」
スヴェトラーナはルカの握った手に触れた。
「ルカが守ってくれたから、私は生きています。大丈夫、生きています」
スヴェトラーナがルカの頬に触れ顔を上げさせた。
「私には責められる理由があるのです、殺される理由があるのです。私の命を恐れないでください。ルカには私の命になんの責任も負う必要はないのです」
「あります! 姫は俺の……!」
「ルカ。理由があっても、私は死のうとしてはいません。生きるためにこの旅をしています。大丈夫です。ルカが私を死なせませんでした。大丈夫、生きています」
ルカの瞳が哀れで切なくて、スヴェトラーナはルカを抱きしめてしまった。
「怖がらなくていいのです。生きています」
人を殺せる強いルカを、痛みに堪えるか弱いスヴェトラーナが抱き締める。
それに理性が飛んだように、ルカは縋るようにスヴェトラーナを抱き締め返してしまった。
強い力はスヴェトラーナの身体ごとルカに引き寄せられ膝が浮いた。
痛いほどの締め付けにスヴェトラーナは堪えて、必死に抱き締め返した。
ルカにこれほどまでに生きることを乞われていることを知り、スヴェトラーナの胸は締め付けられ堪らなく込み上がる感情がルカに愛されたいと叫んだ。
頭で考えた動きではなく、本能が身体を動かした。
ただ。殺さなかったことで、多少の理性はあったのだと思った。
それもスヴェトラーナのための理性だ。
殺していたら、スヴェトラーナはあの男たちの命も背負い心にまた傷を増やしただろう。
覚えてはいないが無意識にそれだけはわかっていたようだ。
わかってはいたが、無意識の中に殺意も確実にあった。
スヴェトラーナの身体に傷をつけていたら、スヴェトラーナが見ていなかったらルカは確実にあの男たちを殺していた。
今も殺してやりたかった後悔すらある。
あの男たちはスヴェトラーナの身体にはまだ傷をつけてなかったが、心には確実に傷を付けた。
男たちがスヴェトラーナになぜあんなことをしたのかの理由はわかっている。
彼らもこの戦争で何かを失ったひとだったからだ。
わかっていてもルカには許せなかった。
自分の光を、それが誰であろうと傷つけることは許さない。
しかしこんなことをさせる隙を作ったのは自分に他ならない。
だからルカは自分も許せない。
なぜ一緒に店を出なかった。なぜ手を掴んでいなかった。
なぜ一瞬でも目を離した。なぜ気が付かなかった。
気が付ける要素はあったはずだ。
子供がスヴェトラーナの顔を見ている。
スヴェトラーナと話した後子供が大人に話をしている。
店の女がすぐにポットから手を離さなかった。
確実にあった機微をなぜ無視した。
スヴェトラーナの命が懸かっているのに。
ルカは自分を責め、情けなさで堪らなくなり謝ったのだ。
自分の隙がスヴェトラーナを殺すところだった。
スヴェトラーナが死ぬ、それが過っただけで全身に恐怖が沸き上がったのだ。
スヴェトラーナはルカが謝ることが切なかった。
子供に声をかけられ下から顔を覗かれた。
肖像画が出回っていたから子供でも判ったのだろう、公女なのかと聞かれた。
なんと答えていいのか戸惑っていると、子供はスヴェトラーナを睨み目に涙をためて訴えてきた。
『逃げてるのか卑怯者!にいちゃんはお前たちのせいで死んだんだって!』
胸をえぐるような痛みを突き刺された。
与えられて仕方のない痛みだ。
謝りたかった、そんなことで済まされないことはわかっていたが謝ろうと思った。
ルカはきっとスヴェトラーナに責任など無いと思っているだろうが、スヴェトラーナにもこの戦争に責任がある。
君主の娘という地位に生まれたからには負わなければならないものなのだ。
責任を知りながら生きると決め逃げているスヴェトラーナは、子供の言う通り卑怯者なのかもしれない。
腰を屈めて子供の言葉を受け入れようとしたとき、後ろから腹に腕が回り身体が浮いた。
咄嗟に店の中のルカを見た。ちょうどカウンターを向いているところだった。
持ち上げられたまま連れていかれ地面に放り出された。
『よくもおめおめとこんなところまで逃げて来たな!お前のせいで国民が酷い目に合っているのに自分だけは生きるつもりか!』
護身用にいつも持ち歩いているのだろうマスケット銃を腰から抜き向けられた。
恐ろしかった。
ここまでだ。ここで死ぬのだと思った次の瞬間。
ルカの顔が男の奥に見えた。
踏み出した数秒後にはすべてを終わらせた。唖然とする間もなく。
初めてルカの戦いを見た時と同じだ。いや、それ以上に速かった。
滑り込んで来たルカは知っているルカと違った。
本物の殺気を初めて見た。
スヴェトラーナはルカが男たちを殺してしまったと本気で思った。
それくらい、数秒間のルカは別人のようだった。
知っている優し気で朴訥とした青年ではなくなり、戦場に立つ孤高の戦士のようだった。
殺意がオーラになって全身を纏い、優しく穏やかだったグレーの瞳が見開かれはっきりとした意思を映していた。
許さないと。
ルカの忠誠心を疑ったことはないが、自分のためなら一寸の躊躇もなく人を殺すほどなのだと思い知った。
しかし事が終わってスヴェトラーナの前に崩れ落ちるように跪くと、怯えるような顔になり今にも泣き出してしまいそうだった。
スヴェトラーナが死ぬかもしれなかったことに恐怖したのだ。
スヴェトラーナには殺される理由がある。
スヴェトラーナの死にルカはなんの責任もない。
そんなことを恐れるルカがかわいそうで咄嗟に抱きしめた。
生きているから、大丈夫だから、あなたに責任はないのだからと背中を撫でた。
抱き上げられて驚いたが、ルカの好きにさせようと思った。
地面に転がる人たちが動いたので生きているとわかり安心したと共に、ルカが自分のために殺さなかったのだと思った。
ルカはスヴェトラーナを傷付ける者を許さない、それなのにあの殺気立ったルカが殺さないでくれたことに安堵し胸が苦しくなった。
馬に乗ってもルカはスヴェトラーナを離さなかった。
肩を抱く手はずっと震えていた。
謝られて、切なくなった。
*****
「ルカ。謝らないでください」
ルカは俯いて顔を上げない。
握った手は力を入れすぎて白くなっている。
大きく強い男なのに、恐れすぎている。
「ルカ、助けてくれてありがとう」
ルカはスヴェトラーナに礼を言われ更に頭が下がった。
「姫様を危険に晒しました」
「覚悟していたことです。わたしは責められるべきことをしているのですから」
「どうしてそんなこと……」
スヴェトラーナはルカの握った手に触れた。
「ルカが守ってくれたから、私は生きています。大丈夫、生きています」
スヴェトラーナがルカの頬に触れ顔を上げさせた。
「私には責められる理由があるのです、殺される理由があるのです。私の命を恐れないでください。ルカには私の命になんの責任も負う必要はないのです」
「あります! 姫は俺の……!」
「ルカ。理由があっても、私は死のうとしてはいません。生きるためにこの旅をしています。大丈夫です。ルカが私を死なせませんでした。大丈夫、生きています」
ルカの瞳が哀れで切なくて、スヴェトラーナはルカを抱きしめてしまった。
「怖がらなくていいのです。生きています」
人を殺せる強いルカを、痛みに堪えるか弱いスヴェトラーナが抱き締める。
それに理性が飛んだように、ルカは縋るようにスヴェトラーナを抱き締め返してしまった。
強い力はスヴェトラーナの身体ごとルカに引き寄せられ膝が浮いた。
痛いほどの締め付けにスヴェトラーナは堪えて、必死に抱き締め返した。
ルカにこれほどまでに生きることを乞われていることを知り、スヴェトラーナの胸は締め付けられ堪らなく込み上がる感情がルカに愛されたいと叫んだ。
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