24 / 25
最後の勇気と最高の幸せ
しおりを挟む
ミシェルは勇気を貯めていた。
湯につかりながら、これからしなくてはならない事のために。
結婚式が終わり、祝宴が終わり。今日から暮らす宮殿の自室に戻ってから、ミシェルは先ほどの緊張とはまた別の恐怖で緊張していた。
アスランに素顔を晒さなくてはならないからだ。
初夜の夜を化粧をして過ごすことも考えた。しかし一生そうして過ごすのか。
痣のあるそのままのミシェルを欲しいと言ってくれたアスランなのに。
ミシェルを湯舟に入れ、ルリーンはアスランの部屋に行った。
アスランに頼み事をするために。
「恐れながら陛下にお願いがあります」
「ミシェルのことか?」
「はい。ミシェル様は陛下のためにこれから自分自身と戦わなくてはなりません。もうずっとこの日を覚悟して来ましたが、それでも簡単なことではないとご理解いただきたいのです」
アスランは黙って頷いた。ルリーンの言わんとしていることがわかっているからだ。
化粧で痣を隠しても、ベールを外すことは簡単ではなかった。
今普通に化粧をした姿で明るい表情を見せられるようになっていても、それは痣が隠れていると確信が持てていたからだ。
大きな痣がある素顔はルリーンしか知らない。
愛する人の前で晒さなくてはならない時がきて、今ミシェルは必死で勇気をかき集めている。
「お時間をいただきたいのです。もしかしたらミシェル様は無理をしてでも陛下の前にお出になるつもりかもしれません。しかしわたしはミシェル様にこの日を最高の喜びの日としていただきたいのです。無理やりではなくきちんとお心を整えて陛下の前に素顔を晒して欲しいのです」
アスランはミシェルが無理なら今日を初夜にしなくてもいいと思っていた。
自分のために無理をして欲しくなかった。
「わかった。ルリーン、ミシェルの傍に付いていてやってくれ」
「ありがとうございます。ミシェル様のお心が整いましたら陛下をお迎えに上がります」
「オレは、今日を共に過ごせなくてもかまわない。そんなことはなんでもないということを伝えてくれ」
本心を言えば、この夜を待ち望んでいた。
素肌でふれあい、喜びを全身で感じ合いたかった。
でもそれはミシェルに無理を強いて成したいことではない。無理をしてでは絶対に成せないのだから。
苦渋ではあっても、ミシェルが戦うならアスランも自分自身の欲と戦うと決めていた。
そんなアスランの決意を見透かしてルリーンはため息を吐いた。
「恐れながら、陛下のそれはただの自己満足のやせ我慢です。ミシェル様を信じていらっしゃらないのですか? ミシェル様は必ずお心を整えられます。時間は必要ですが、ミシェル様も陛下と肌を重ねたい気持ちは同じです」
言いたいことを言ったルリーンは一礼すると、部屋を出てミシェルの元へ戻って行った。
アスランはひとり気まずそうに口元を押さえた。
ルリーンという魔法使いは国王にも遠慮なく図星を言い当てる。
ルリーンがオイルを手に浴室に戻ると、ミシェルは祈るように手を組み合わせて小さくなって湯に浸かっていた。
「ミシェル様、声に出して仰ってください。怖いですか?」
ミシェルの肩に触れバスタブに背をもたれさせ、縮こまった身体をほどく。
手でオイルを温め顔、肩、デコルテをマッサージしながら硬くなった身体をほぐしていく。
「アスラン様は、痣のあるわたしでいいと言ってくれたわ。すべてを恐れずにくれと、言ってくれた」
「はい。そう仰ってくださいましたね」
「だからわたしは、すべてをアスラン様に捧げるって……」
自分に言い聞かせるように話すミシェル。
ルリーンはマッサージをしながらそれを聞いていた。
充分に温まり浴槽を出ると真新しいネグリジェが用意されてあり、それを着せると寝室のソファーに移動して髪を拭く。
「怖いですか?」
「ええ……」
「あの美しいアスラン陛下の前で自分が醜いと思うのが怖いですか?」
「ええ……」
「陛下がミシェル様の痣を醜いと思うかもしれないことが怖いですか?」
そう思うだろうか?そんな人だろうか?
ミシェルの心を読めるルリーンは、黙るミシェルの顔を覗き込む。
「ですよね? 思うわけないことはわかっていますもんね?」
「ええ……。きっとアスラン様はそんなこと思わないわ」
「はい。わたしもそう思います。それに、ミシェル様の方がアスラン様よりもずーっと美しいので、自分が醜いと思うのも大間違いでいらない恐怖です」
「それは……」
「わたしがお世辞やおべっかを言わないのはご存知でしょう? 国王陛下に向かっても平気でため息つける女ですよ?」
当然だが国王の前でため息などしてはいけない。そんなことをしたのかとミシェルはルリーンを振り返った。
ルリーンは微笑みながらミシェルの横へ移動し、許されているのでそのまま隣に座って手を取って握った。
「陛下が『今日を共に過ごせなくてもかまわない』とかって心にもないことをおっしゃったので、それは自己満足のやせ我慢だって、言っちゃいました」
「ルリーン……なんてことを……」
「本当のことですもの。だって陛下ったらおでこに『ミシェルを愛してる』。右頬に『ミシェルが欲しい』。左頬に『ミシェルを抱きたい』。あごには『今すぐに』。で、顔の中央鼻筋には『我慢できない!』って、書いてあるんですもの」
実際に書かれていたわけではなかったが、アスランの心中を言い当て顔をなぞり解説した。
「ルリーン……」
ミシェルは思わず笑ってしまった。
少し照れて、でも。
「嬉しいですよね?」
ルリーンに聞かれ、顔を赤くして口元を押さえた。
実際に書かれているわけではないが、ミシェルの頬に『嬉しい』という文字が書かれているのがルリーンには見えてしまっているのだ。
ルリーンという魔法使いはに隠し事は無理だ。
「ミシェル様、目に見えるものはあまり重要じゃありません。例えばわたしを見てわたしを裕福だと思う人はあまりいません、実際持っているお金だけを見ればわたしは裕福ではないからです。しかしわたしは裕福です。ミシェル様にお仕えして、愛していただき、上司や同僚にも恵まれ毎日が楽しくて充実しています。ものすごーく幸せです。だからわたしは胸を張って裕福だと言えます。間違っていますか?」
「いいえ。間違っていないわ」
「ね、目に見えるものは真実ではないでしょう? ミシェル様には確実に痣があります、でもその単純な真実は重要ではありません。この痣は愛だということが重要なのです。ミシェル様が国民を愛していなかったら出来なかったもので、ミシェル様がわたしを信じて愛してくださらなかったら薄くならなかったもので、陛下を愛さなかったら出さなくてもいいものです」
愛が無かったら、出来なかった。薄くならなかった。出す勇気も必要なかった。
「愛があって出来、愛があって薄くなって、愛があるから見せるのです。愛は怖いですか? 愛がなければよかったですか?」
あの兵士を助けられてよかった。ヒューブレインに来てルリーンと出会ってよかった。痣が薄くなってよかった。アスランを愛してよかった。アスランに愛されてよかった。
「思わないわ……。愛を後悔しないわ」
ミシェルが穏やかに微笑み自信を持って答えたので、ルリーンも釣られて嬉しそうに微笑んだ。
「ミシェル様のもう一つの不安は、残念ながらわたしではお力になれないので。そこも愛と根性で乗り切って下さいね」
「もうひとつの不安?」
「そりゃー、初夜ですから。痛いとか痛くないとか? 花火が目の前に打ちあがるなんて話も……」
「ルリーン!」
侍女の身分でしていいことではないが、ルリーンが助平な顔をしてミシェルを肘でこつくのでミシェルは耳まで熱くなる。
「大丈夫ですね? わたしが手を握って一緒に陛下をお迎えするわけには行きませんよ? 興味はあるのでそうしたい気持ちはありますけど」
「もう! ルリーン! なんてことを!」
ルリーンのからかいにミシェルは吹き出して笑ってしまった。
いつでも、どんな時でも。ルリーンはミシェルを笑わせることにかけては天才なのだ。
いつもミシェルはルリーンの想像を超えてくれる。想像していたよりもはるかに早く、ミシェルは心を整えられた。
もちろんそれはルリーンの力だけではなく、ミシェルが自信を持てるよう努力し成長していたからだ。
「では、陛下をお呼びしてまいります」
ルリーンはミシェルを残し部屋を出る。
アスランの部屋へ行き『ミシェル様をお願い致します』と伝えると、アスランは黙って頷いた。
自室からミシェルの寝室のドアを開けるとソファーに座っていたミシェルが立ち上がりアスランを迎えた。
白いネグリジェ姿で、薄暗い蝋燭の灯りにぼんやりと浮かぶミシェルの姿に息を呑む。
顔には微笑みと、少しの緊張があった。
茶色く染まった大きな痣が見えてアスランは嬉しくなった。
すべてを今目の前に見せてくれいていることが、堪らなく嬉しいのだ。
醜さは微塵も感じない。
むしろミシェルの美しさの証のように感じた。
化粧をして隠していた時よりも少し幼い顔がはにかむように微笑む。
お互い近づくと手を差し出し、握り合う。
ミシェルの額にアスランの額を落とすと、ミシェルは恥ずかしそうに眼を伏せた。
緊張で長いまつげが震えていたが、そこに唇を落とすと小さく甘い息を零した。
「幸せだ……」
「……わたしもです」
*****
ミシェルは胸いっぱいに塩の匂いを満たした。
カブコートの城に、初めての海に来て感動が全身を包んでいた。
見渡す限りの水が波となって押し寄せ引いていくことに感心し、水平線が遠く霞んでそこへ日が沈んでいく様の美しさに魅入った。
「ここに、君と一緒に来たいという夢が叶った」
「アスラン様の仰っていた通りです。本当に素晴らしい光景です」
嬉しくて横に並んだアスランを見上げると、その頬に涙が零れてミシェルは驚いた。
「アスラン様……」
ミシェルの見開いた目を見て自分が泣いていることに気が付きアスランも驚いた。
「あぁ、どうしよう。止まらない……」
アスランは手で顔を覆い隠した。まさか泣くとは思っていなかった。溢れて止まらないのだ。
孤独だったわけではない。心を許しているブロンソンもいる、テイラーもいる。
家臣たちは忠実で、国民にも愛されている。
決して揺るがない軍事力もあり、どこにも侵略などさせない。
国は豊かでこれからも発展して行ける。必ず発展させていく。
国王という頂点の地位にいて、誰もアスランを揺るがすことは出来ない。
責任と重圧が常にあり、使命に伴う恐れは宿命だ。
消えることのない荷は王である以上降ろすことは出来ない。
幸せじゃないとは思っていなかったが、満たされてはいなかった。
それが今。
たったひとりの女性がいるだけで満たされている。
これからも続く道を共に生きてくれる女性ができ、愛に満たされている。
背中にあった荷が軽く感じ、心から安らぎを実感している。
「泣くとは思わなかった。情けないな……」
ミシェルはアスランの涙の意味を聞かずとも理解した。
アスランの首に腕を回し、ゆっくりと自分の肩にアスランをもたれさせ抱きしめた。
「支え合って分けあって、生きていきましょう。あなたの傍にわたしは必ずいます」
世界最強の国の王は、世界最高の幸せな王でもあった。
湯につかりながら、これからしなくてはならない事のために。
結婚式が終わり、祝宴が終わり。今日から暮らす宮殿の自室に戻ってから、ミシェルは先ほどの緊張とはまた別の恐怖で緊張していた。
アスランに素顔を晒さなくてはならないからだ。
初夜の夜を化粧をして過ごすことも考えた。しかし一生そうして過ごすのか。
痣のあるそのままのミシェルを欲しいと言ってくれたアスランなのに。
ミシェルを湯舟に入れ、ルリーンはアスランの部屋に行った。
アスランに頼み事をするために。
「恐れながら陛下にお願いがあります」
「ミシェルのことか?」
「はい。ミシェル様は陛下のためにこれから自分自身と戦わなくてはなりません。もうずっとこの日を覚悟して来ましたが、それでも簡単なことではないとご理解いただきたいのです」
アスランは黙って頷いた。ルリーンの言わんとしていることがわかっているからだ。
化粧で痣を隠しても、ベールを外すことは簡単ではなかった。
今普通に化粧をした姿で明るい表情を見せられるようになっていても、それは痣が隠れていると確信が持てていたからだ。
大きな痣がある素顔はルリーンしか知らない。
愛する人の前で晒さなくてはならない時がきて、今ミシェルは必死で勇気をかき集めている。
「お時間をいただきたいのです。もしかしたらミシェル様は無理をしてでも陛下の前にお出になるつもりかもしれません。しかしわたしはミシェル様にこの日を最高の喜びの日としていただきたいのです。無理やりではなくきちんとお心を整えて陛下の前に素顔を晒して欲しいのです」
アスランはミシェルが無理なら今日を初夜にしなくてもいいと思っていた。
自分のために無理をして欲しくなかった。
「わかった。ルリーン、ミシェルの傍に付いていてやってくれ」
「ありがとうございます。ミシェル様のお心が整いましたら陛下をお迎えに上がります」
「オレは、今日を共に過ごせなくてもかまわない。そんなことはなんでもないということを伝えてくれ」
本心を言えば、この夜を待ち望んでいた。
素肌でふれあい、喜びを全身で感じ合いたかった。
でもそれはミシェルに無理を強いて成したいことではない。無理をしてでは絶対に成せないのだから。
苦渋ではあっても、ミシェルが戦うならアスランも自分自身の欲と戦うと決めていた。
そんなアスランの決意を見透かしてルリーンはため息を吐いた。
「恐れながら、陛下のそれはただの自己満足のやせ我慢です。ミシェル様を信じていらっしゃらないのですか? ミシェル様は必ずお心を整えられます。時間は必要ですが、ミシェル様も陛下と肌を重ねたい気持ちは同じです」
言いたいことを言ったルリーンは一礼すると、部屋を出てミシェルの元へ戻って行った。
アスランはひとり気まずそうに口元を押さえた。
ルリーンという魔法使いは国王にも遠慮なく図星を言い当てる。
ルリーンがオイルを手に浴室に戻ると、ミシェルは祈るように手を組み合わせて小さくなって湯に浸かっていた。
「ミシェル様、声に出して仰ってください。怖いですか?」
ミシェルの肩に触れバスタブに背をもたれさせ、縮こまった身体をほどく。
手でオイルを温め顔、肩、デコルテをマッサージしながら硬くなった身体をほぐしていく。
「アスラン様は、痣のあるわたしでいいと言ってくれたわ。すべてを恐れずにくれと、言ってくれた」
「はい。そう仰ってくださいましたね」
「だからわたしは、すべてをアスラン様に捧げるって……」
自分に言い聞かせるように話すミシェル。
ルリーンはマッサージをしながらそれを聞いていた。
充分に温まり浴槽を出ると真新しいネグリジェが用意されてあり、それを着せると寝室のソファーに移動して髪を拭く。
「怖いですか?」
「ええ……」
「あの美しいアスラン陛下の前で自分が醜いと思うのが怖いですか?」
「ええ……」
「陛下がミシェル様の痣を醜いと思うかもしれないことが怖いですか?」
そう思うだろうか?そんな人だろうか?
ミシェルの心を読めるルリーンは、黙るミシェルの顔を覗き込む。
「ですよね? 思うわけないことはわかっていますもんね?」
「ええ……。きっとアスラン様はそんなこと思わないわ」
「はい。わたしもそう思います。それに、ミシェル様の方がアスラン様よりもずーっと美しいので、自分が醜いと思うのも大間違いでいらない恐怖です」
「それは……」
「わたしがお世辞やおべっかを言わないのはご存知でしょう? 国王陛下に向かっても平気でため息つける女ですよ?」
当然だが国王の前でため息などしてはいけない。そんなことをしたのかとミシェルはルリーンを振り返った。
ルリーンは微笑みながらミシェルの横へ移動し、許されているのでそのまま隣に座って手を取って握った。
「陛下が『今日を共に過ごせなくてもかまわない』とかって心にもないことをおっしゃったので、それは自己満足のやせ我慢だって、言っちゃいました」
「ルリーン……なんてことを……」
「本当のことですもの。だって陛下ったらおでこに『ミシェルを愛してる』。右頬に『ミシェルが欲しい』。左頬に『ミシェルを抱きたい』。あごには『今すぐに』。で、顔の中央鼻筋には『我慢できない!』って、書いてあるんですもの」
実際に書かれていたわけではなかったが、アスランの心中を言い当て顔をなぞり解説した。
「ルリーン……」
ミシェルは思わず笑ってしまった。
少し照れて、でも。
「嬉しいですよね?」
ルリーンに聞かれ、顔を赤くして口元を押さえた。
実際に書かれているわけではないが、ミシェルの頬に『嬉しい』という文字が書かれているのがルリーンには見えてしまっているのだ。
ルリーンという魔法使いはに隠し事は無理だ。
「ミシェル様、目に見えるものはあまり重要じゃありません。例えばわたしを見てわたしを裕福だと思う人はあまりいません、実際持っているお金だけを見ればわたしは裕福ではないからです。しかしわたしは裕福です。ミシェル様にお仕えして、愛していただき、上司や同僚にも恵まれ毎日が楽しくて充実しています。ものすごーく幸せです。だからわたしは胸を張って裕福だと言えます。間違っていますか?」
「いいえ。間違っていないわ」
「ね、目に見えるものは真実ではないでしょう? ミシェル様には確実に痣があります、でもその単純な真実は重要ではありません。この痣は愛だということが重要なのです。ミシェル様が国民を愛していなかったら出来なかったもので、ミシェル様がわたしを信じて愛してくださらなかったら薄くならなかったもので、陛下を愛さなかったら出さなくてもいいものです」
愛が無かったら、出来なかった。薄くならなかった。出す勇気も必要なかった。
「愛があって出来、愛があって薄くなって、愛があるから見せるのです。愛は怖いですか? 愛がなければよかったですか?」
あの兵士を助けられてよかった。ヒューブレインに来てルリーンと出会ってよかった。痣が薄くなってよかった。アスランを愛してよかった。アスランに愛されてよかった。
「思わないわ……。愛を後悔しないわ」
ミシェルが穏やかに微笑み自信を持って答えたので、ルリーンも釣られて嬉しそうに微笑んだ。
「ミシェル様のもう一つの不安は、残念ながらわたしではお力になれないので。そこも愛と根性で乗り切って下さいね」
「もうひとつの不安?」
「そりゃー、初夜ですから。痛いとか痛くないとか? 花火が目の前に打ちあがるなんて話も……」
「ルリーン!」
侍女の身分でしていいことではないが、ルリーンが助平な顔をしてミシェルを肘でこつくのでミシェルは耳まで熱くなる。
「大丈夫ですね? わたしが手を握って一緒に陛下をお迎えするわけには行きませんよ? 興味はあるのでそうしたい気持ちはありますけど」
「もう! ルリーン! なんてことを!」
ルリーンのからかいにミシェルは吹き出して笑ってしまった。
いつでも、どんな時でも。ルリーンはミシェルを笑わせることにかけては天才なのだ。
いつもミシェルはルリーンの想像を超えてくれる。想像していたよりもはるかに早く、ミシェルは心を整えられた。
もちろんそれはルリーンの力だけではなく、ミシェルが自信を持てるよう努力し成長していたからだ。
「では、陛下をお呼びしてまいります」
ルリーンはミシェルを残し部屋を出る。
アスランの部屋へ行き『ミシェル様をお願い致します』と伝えると、アスランは黙って頷いた。
自室からミシェルの寝室のドアを開けるとソファーに座っていたミシェルが立ち上がりアスランを迎えた。
白いネグリジェ姿で、薄暗い蝋燭の灯りにぼんやりと浮かぶミシェルの姿に息を呑む。
顔には微笑みと、少しの緊張があった。
茶色く染まった大きな痣が見えてアスランは嬉しくなった。
すべてを今目の前に見せてくれいていることが、堪らなく嬉しいのだ。
醜さは微塵も感じない。
むしろミシェルの美しさの証のように感じた。
化粧をして隠していた時よりも少し幼い顔がはにかむように微笑む。
お互い近づくと手を差し出し、握り合う。
ミシェルの額にアスランの額を落とすと、ミシェルは恥ずかしそうに眼を伏せた。
緊張で長いまつげが震えていたが、そこに唇を落とすと小さく甘い息を零した。
「幸せだ……」
「……わたしもです」
*****
ミシェルは胸いっぱいに塩の匂いを満たした。
カブコートの城に、初めての海に来て感動が全身を包んでいた。
見渡す限りの水が波となって押し寄せ引いていくことに感心し、水平線が遠く霞んでそこへ日が沈んでいく様の美しさに魅入った。
「ここに、君と一緒に来たいという夢が叶った」
「アスラン様の仰っていた通りです。本当に素晴らしい光景です」
嬉しくて横に並んだアスランを見上げると、その頬に涙が零れてミシェルは驚いた。
「アスラン様……」
ミシェルの見開いた目を見て自分が泣いていることに気が付きアスランも驚いた。
「あぁ、どうしよう。止まらない……」
アスランは手で顔を覆い隠した。まさか泣くとは思っていなかった。溢れて止まらないのだ。
孤独だったわけではない。心を許しているブロンソンもいる、テイラーもいる。
家臣たちは忠実で、国民にも愛されている。
決して揺るがない軍事力もあり、どこにも侵略などさせない。
国は豊かでこれからも発展して行ける。必ず発展させていく。
国王という頂点の地位にいて、誰もアスランを揺るがすことは出来ない。
責任と重圧が常にあり、使命に伴う恐れは宿命だ。
消えることのない荷は王である以上降ろすことは出来ない。
幸せじゃないとは思っていなかったが、満たされてはいなかった。
それが今。
たったひとりの女性がいるだけで満たされている。
これからも続く道を共に生きてくれる女性ができ、愛に満たされている。
背中にあった荷が軽く感じ、心から安らぎを実感している。
「泣くとは思わなかった。情けないな……」
ミシェルはアスランの涙の意味を聞かずとも理解した。
アスランの首に腕を回し、ゆっくりと自分の肩にアスランをもたれさせ抱きしめた。
「支え合って分けあって、生きていきましょう。あなたの傍にわたしは必ずいます」
世界最強の国の王は、世界最高の幸せな王でもあった。
15
お気に入りに追加
3,313
あなたにおすすめの小説
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
【書籍化確定、完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
[連載中]蔑ろにされた王妃様〜25歳の王妃は王と決別し、幸せになる〜
コマメコノカ@異世界恋愛ざまぁ連載
恋愛
王妃として国のトップに君臨している元侯爵令嬢であるユーミア王妃(25)は夫で王であるバルコニー王(25)が、愛人のミセス(21)に入り浸り、王としての仕事を放置し遊んでいることに辟易していた。
そして、ある日ユーミアは、彼と決別することを決意する。
冷徹義兄の密やかな熱愛
橋本彩里(Ayari)
恋愛
十六歳の時に母が再婚しフローラは侯爵家の一員となったが、ある日、義兄のクリフォードと彼の親友の話を偶然聞いてしまう。
普段から冷徹な義兄に「いい加減我慢の限界だ」と視界に入れるのも疲れるほど嫌われていると知り、これ以上嫌われたくないと家を出ることを決意するのだが、それを知ったクリフォードの態度が急変し……。
※王道ヒーローではありません
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる