人質王女の恋

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最後の勇気と最高の幸せ

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 ミシェルは勇気を貯めていた。
 湯につかりながら、これからしなくてはならない事のために。
 
 
 結婚式が終わり、祝宴が終わり。今日から暮らす宮殿の自室に戻ってから、ミシェルは先ほどの緊張とはまた別の恐怖で緊張していた。
 アスランに素顔を晒さなくてはならないからだ。
 初夜の夜を化粧をして過ごすことも考えた。しかし一生そうして過ごすのか。
 痣のあるそのままのミシェルを欲しいと言ってくれたアスランなのに。
 
 ミシェルを湯舟に入れ、ルリーンはアスランの部屋に行った。
 アスランに頼み事をするために。
 
「恐れながら陛下にお願いがあります」
「ミシェルのことか?」
「はい。ミシェル様は陛下のためにこれから自分自身と戦わなくてはなりません。もうずっとこの日を覚悟して来ましたが、それでも簡単なことではないとご理解いただきたいのです」
 
 アスランは黙って頷いた。ルリーンの言わんとしていることがわかっているからだ。
 化粧で痣を隠しても、ベールを外すことは簡単ではなかった。
 今普通に化粧をした姿で明るい表情を見せられるようになっていても、それは痣が隠れていると確信が持てていたからだ。
 大きな痣がある素顔はルリーンしか知らない。
 愛する人の前で晒さなくてはならない時がきて、今ミシェルは必死で勇気をかき集めている。
 
「お時間をいただきたいのです。もしかしたらミシェル様は無理をしてでも陛下の前にお出になるつもりかもしれません。しかしわたしはミシェル様にこの日を最高の喜びの日としていただきたいのです。無理やりではなくきちんとお心を整えて陛下の前に素顔を晒して欲しいのです」
 
 アスランはミシェルが無理なら今日を初夜にしなくてもいいと思っていた。
 自分のために無理をして欲しくなかった。
 
「わかった。ルリーン、ミシェルの傍に付いていてやってくれ」
「ありがとうございます。ミシェル様のお心が整いましたら陛下をお迎えに上がります」
「オレは、今日を共に過ごせなくてもかまわない。そんなことはなんでもないということを伝えてくれ」

 本心を言えば、この夜を待ち望んでいた。
 素肌でふれあい、喜びを全身で感じ合いたかった。
 でもそれはミシェルに無理を強いて成したいことではない。無理をしてでは絶対に成せないのだから。
 苦渋ではあっても、ミシェルが戦うならアスランも自分自身の欲と戦うと決めていた。
 
 そんなアスランの決意を見透かしてルリーンはため息を吐いた。
 
「恐れながら、陛下のそれはただの自己満足のやせ我慢です。ミシェル様を信じていらっしゃらないのですか? ミシェル様は必ずお心を整えられます。時間は必要ですが、ミシェル様も陛下と肌を重ねたい気持ちは同じです」
 
 言いたいことを言ったルリーンは一礼すると、部屋を出てミシェルの元へ戻って行った。
 アスランはひとり気まずそうに口元を押さえた。
 ルリーンという魔法使いは国王にも遠慮なく図星を言い当てる。
 


 ルリーンがオイルを手に浴室に戻ると、ミシェルは祈るように手を組み合わせて小さくなって湯に浸かっていた。

「ミシェル様、声に出して仰ってください。怖いですか?」

 ミシェルの肩に触れバスタブに背をもたれさせ、縮こまった身体をほどく。
 手でオイルを温め顔、肩、デコルテをマッサージしながら硬くなった身体をほぐしていく。

「アスラン様は、痣のあるわたしでいいと言ってくれたわ。すべてを恐れずにくれと、言ってくれた」
「はい。そう仰ってくださいましたね」
「だからわたしは、すべてをアスラン様に捧げるって……」

 自分に言い聞かせるように話すミシェル。
 ルリーンはマッサージをしながらそれを聞いていた。
 充分に温まり浴槽を出ると真新しいネグリジェが用意されてあり、それを着せると寝室のソファーに移動して髪を拭く。

「怖いですか?」
「ええ……」
「あの美しいアスラン陛下の前で自分が醜いと思うのが怖いですか?」
「ええ……」
「陛下がミシェル様の痣を醜いと思うかもしれないことが怖いですか?」
 
 そう思うだろうか?そんな人だろうか?
 ミシェルの心を読めるルリーンは、黙るミシェルの顔を覗き込む。

「ですよね? 思うわけないことはわかっていますもんね?」
「ええ……。きっとアスラン様はそんなこと思わないわ」
「はい。わたしもそう思います。それに、ミシェル様の方がアスラン様よりもずーっと美しいので、自分が醜いと思うのも大間違いでいらない恐怖です」
「それは……」
「わたしがお世辞やおべっかを言わないのはご存知でしょう? 国王陛下に向かっても平気でため息つける女ですよ?」

 当然だが国王の前でため息などしてはいけない。そんなことをしたのかとミシェルはルリーンを振り返った。
 ルリーンは微笑みながらミシェルの横へ移動し、許されているのでそのまま隣に座って手を取って握った。

「陛下が『今日を共に過ごせなくてもかまわない』とかって心にもないことをおっしゃったので、それは自己満足のやせ我慢だって、言っちゃいました」
「ルリーン……なんてことを……」
「本当のことですもの。だって陛下ったらおでこに『ミシェルを愛してる』。右頬に『ミシェルが欲しい』。左頬に『ミシェルを抱きたい』。あごには『今すぐに』。で、顔の中央鼻筋には『我慢できない!』って、書いてあるんですもの」

 実際に書かれていたわけではなかったが、アスランの心中を言い当て顔をなぞり解説した。

「ルリーン……」
 
 ミシェルは思わず笑ってしまった。
 少し照れて、でも。
 
「嬉しいですよね?」
 
 ルリーンに聞かれ、顔を赤くして口元を押さえた。
 実際に書かれているわけではないが、ミシェルの頬に『嬉しい』という文字が書かれているのがルリーンには見えてしまっているのだ。
 ルリーンという魔法使いはに隠し事は無理だ。
 
「ミシェル様、目に見えるものはあまり重要じゃありません。例えばわたしを見てわたしを裕福だと思う人はあまりいません、実際持っているお金だけを見ればわたしは裕福ではないからです。しかしわたしは裕福です。ミシェル様にお仕えして、愛していただき、上司や同僚にも恵まれ毎日が楽しくて充実しています。ものすごーく幸せです。だからわたしは胸を張って裕福だと言えます。間違っていますか?」
「いいえ。間違っていないわ」
「ね、目に見えるものは真実ではないでしょう? ミシェル様には確実に痣があります、でもその単純な真実は重要ではありません。この痣は愛だということが重要なのです。ミシェル様が国民を愛していなかったら出来なかったもので、ミシェル様がわたしを信じて愛してくださらなかったら薄くならなかったもので、陛下を愛さなかったら出さなくてもいいものです」
 
 愛が無かったら、出来なかった。薄くならなかった。出す勇気も必要なかった。
 
「愛があって出来、愛があって薄くなって、愛があるから見せるのです。愛は怖いですか? 愛がなければよかったですか?」
 
 あの兵士を助けられてよかった。ヒューブレインに来てルリーンと出会ってよかった。痣が薄くなってよかった。アスランを愛してよかった。アスランに愛されてよかった。

「思わないわ……。愛を後悔しないわ」

 ミシェルが穏やかに微笑み自信を持って答えたので、ルリーンも釣られて嬉しそうに微笑んだ。
 
「ミシェル様のもう一つの不安は、残念ながらわたしではお力になれないので。そこも愛と根性で乗り切って下さいね」
「もうひとつの不安?」
「そりゃー、初夜ですから。痛いとか痛くないとか? 花火が目の前に打ちあがるなんて話も……」
「ルリーン!」
 
 侍女の身分でしていいことではないが、ルリーンが助平な顔をしてミシェルを肘でこつくのでミシェルは耳まで熱くなる。
 
「大丈夫ですね? わたしが手を握って一緒に陛下をお迎えするわけには行きませんよ? 興味はあるのでそうしたい気持ちはありますけど」
「もう! ルリーン! なんてことを!」
 
 ルリーンのからかいにミシェルは吹き出して笑ってしまった。
 いつでも、どんな時でも。ルリーンはミシェルを笑わせることにかけては天才なのだ。

 いつもミシェルはルリーンの想像を超えてくれる。想像していたよりもはるかに早く、ミシェルは心を整えられた。
 もちろんそれはルリーンの力だけではなく、ミシェルが自信を持てるよう努力し成長していたからだ。
 
「では、陛下をお呼びしてまいります」
 
 ルリーンはミシェルを残し部屋を出る。
 アスランの部屋へ行き『ミシェル様をお願い致します』と伝えると、アスランは黙って頷いた。

 自室からミシェルの寝室のドアを開けるとソファーに座っていたミシェルが立ち上がりアスランを迎えた。
 白いネグリジェ姿で、薄暗い蝋燭の灯りにぼんやりと浮かぶミシェルの姿に息を呑む。
 顔には微笑みと、少しの緊張があった。
 茶色く染まった大きな痣が見えてアスランは嬉しくなった。
 すべてを今目の前に見せてくれいていることが、堪らなく嬉しいのだ。
 醜さは微塵も感じない。
 むしろミシェルの美しさの証のように感じた。

 化粧をして隠していた時よりも少し幼い顔がはにかむように微笑む。
 お互い近づくと手を差し出し、握り合う。
 ミシェルの額にアスランの額を落とすと、ミシェルは恥ずかしそうに眼を伏せた。
 緊張で長いまつげが震えていたが、そこに唇を落とすと小さく甘い息を零した。
 
「幸せだ……」
「……わたしもです」
 
 
 
 *****
 
 
 
 ミシェルは胸いっぱいに塩の匂いを満たした。
 カブコートの城に、初めての海に来て感動が全身を包んでいた。
 見渡す限りの水が波となって押し寄せ引いていくことに感心し、水平線が遠く霞んでそこへ日が沈んでいく様の美しさに魅入った。
 
「ここに、君と一緒に来たいという夢が叶った」
「アスラン様の仰っていた通りです。本当に素晴らしい光景です」

 嬉しくて横に並んだアスランを見上げると、その頬に涙が零れてミシェルは驚いた。
 
「アスラン様……」
 
 ミシェルの見開いた目を見て自分が泣いていることに気が付きアスランも驚いた。
 
「あぁ、どうしよう。止まらない……」
 
 アスランは手で顔を覆い隠した。まさか泣くとは思っていなかった。溢れて止まらないのだ。

 孤独だったわけではない。心を許しているブロンソンもいる、テイラーもいる。
 家臣たちは忠実で、国民にも愛されている。
 決して揺るがない軍事力もあり、どこにも侵略などさせない。
 国は豊かでこれからも発展して行ける。必ず発展させていく。
 国王という頂点の地位にいて、誰もアスランを揺るがすことは出来ない。
 責任と重圧が常にあり、使命に伴う恐れは宿命だ。
 消えることのない荷は王である以上降ろすことは出来ない。
 幸せじゃないとは思っていなかったが、満たされてはいなかった。
 それが今。
 たったひとりの女性がいるだけで満たされている。
 これからも続く道を共に生きてくれる女性ができ、愛に満たされている。
 背中にあった荷が軽く感じ、心から安らぎを実感している。
 
「泣くとは思わなかった。情けないな……」
 
 ミシェルはアスランの涙の意味を聞かずとも理解した。
 アスランの首に腕を回し、ゆっくりと自分の肩にアスランをもたれさせ抱きしめた。
 
「支え合って分けあって、生きていきましょう。あなたの傍にわたしは必ずいます」
 
 世界最強の国の王は、世界最高の幸せな王でもあった。
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