人質王女の恋

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 初めての国交交渉の時。
 ブロンソンはモローからミシェルの話しを聞き、素晴らしい王女だと思った。
 そんな王女がヒューブレインの王妃になってくれたら……つい口から零れた言葉だったが、モローはこんな光栄な話はないが現実的ではないと言った。
 痣が消える奇跡でもない限りミシェルは誰とも結婚しないだろうと。
 痣が問題だとしたら、もしかしたらそんな奇跡は起こせるかもしれない。
 ブロンソンはモローに自分の妻の話をした。
 落馬で酷い傷を負って痣になり最初にかかった医者には治らないと言われた。しかし諦めずに治せる医者を探しているとテイラーからルリーンの父を紹介され、痣を消すことが出来た。
 ミシェルがヒューブレインに来れば治療が出来るかもしれない。
 もちろん、治るとは言い切れない。
 モローから知りうる限りのミシェルの状態を聞き、ルリーンの父クリス医師に連絡を取った。

 痣以外にも問題はある。治ったらミシェルを迎えられるのか? という問題だ。
 アスランに嫁を見つけてきたから結婚しろとは言っても無理だ。
 素直に聞くようなアスランではない。グルシスタのような小国の王女ではなく国益になる国の姫たちから何度も妻にもらって欲しいという話しが来たが、その度にアスランは『したくない』と一言で断り続けているのだ。
 アスランも結婚は務めの一つだとわかっているはずだが、妻にしたいと思うほど心惹かれる女性も現れず結婚を現実的に考えてはくれない。
 自国の自慢の王女を割り増しで話しをしている可能性もあるがモローと会談をしていて正直で誠実な人柄を感じたし、欲目かもしれない分を差し引いても国民一人の為に己を顧みず行動出来る下地があるというのは称賛に値することだ。
 国王とも会談し、この方の娘であれば間違いないのではと思った。
 そんな女性ならば惹かれずにはいられないのではないか?
 自分自信も、そんな王妃であれば仕えたい。
 治療と。アスランの結婚。
 人質の預かり期間に決まりはないが、一年ほどが慣例になっている。
 勝率の低い賭けのようではあるが痣が治らなかったらそれも仕方のないこと。アスランが興味を示さなくても仕方のないこととして諦めるだけだ。
 当初の会談で人質にはモローが来ることで了承していたが、ブロンソンは自分の魂胆をモローに包み隠さず話した。
 その上で、この何とも結果の予測がつかない魂胆に乗って客人と言う名のお妃候補としてミシェルをヒューブレインで預かりしたいと伝えた。

 モローは当然困惑した。
 ブロンソンの魂胆が上手く行けばミシェルは最高の幸せを手に入れることが出来るかもしれない。
 アスランに望まれてヒューブレインという大国の王妃となれば、これ以上の良縁はミシェルにとってだけではなくグルシスタという国にとっても大変な慶事だ。
 しかし、痣が本当に消えるという確証はない。
 ミシェルほど素晴らしい女性はそうはいないと叔父の目からは思っていても、アスランがそう思うかも未知数だ。
 実際痣を見て嫌悪するかもするかもしれない。治ったとしても人の心は簡単ではない。良い娘だとは思っても、妃に望むまではいかない可能性の方が大きい。
 魂胆が上手く行くかはわからないのに、ミシェルには国を離れ単身で人質として行かなくてはならないという辛さが確実にあるのだ。
 ヒューブレインの対応やブロンソンの人柄を見れば酷いことはされないと、きっと大事に預かってくれるだろうとは想像できるが。それでも物見遊山の旅行とは違う。
 辛い思いを強いて、ミシェルの幸せを賭けにしていいのか……。
 しかし、このまま何もせず修道女のように一生を過ごす姪をかわいそうだと思わずにいられるだろうか?

「アスラン国王陛下は多くの国から恐れられていますが、実際は穏やかでお優しい方です。側近としては手のかかる部分がないとは言いませんが、国を豊かにすることに尽くし、戦争の無い平和な世を目指していらっしゃいます。見た目も、悪くはないでしょう。多くの女性から好まれております。もし上手く行かないと判断した場合、ミシェル殿下は一年でお返しすることをお約束します。わたしは我が国王が良き伴侶を持ちお幸せになっていただきたい。それと同じように、貴国の素晴らしい王女もお幸せになっていただきたく思うのです」

 この話はブロンソンとモローだけの秘密の作戦となった。
 モローはミシェルが人質として行くよう仕組み。
 ブロンソンは治療の相談やアスランがミシェルにどうしたら興味を持つか策を練った。

 ミシェルの治療のためにルリーンを侍女として貸して欲しいとクリス医師に頼むと、ルリーンの方から二つ返事が返ってきた。
 ミシェルの身の上を聞いて、力になりたいと言ってくれたのだ。
 そこでルリーンにブロンソンの魂胆を話すと、『こんな遣り甲斐のある仕事は腕が鳴りますねー』と力強い協力者になってくれた。
 妻の治療でルリーンの人柄や手腕をわかっていたので、この人選に間違いない確信がある。
 執事のクロウは元々妻の家の執事だったこともあり、こちらも人選に間違いはない。
 賭けの布陣は揃った。
 
 


 
 ルリーンは父親から『責任重大な大仕事だぞ。くれぐれも焦るなよ』と送り出され緑の離宮に入った。
 普通王族の世話は貴族がする。
 アスランは侍従に貴族ではない者を置いているが、人質としてやってくる王女が貴族ではないただの医者の娘、ど平民が侍女をやることに嫌悪を抱かないだろうか?
 ブロンソンから人柄は聞いていたが、実際には逢っていない状態で向こうの国の人から聞いた話だというから万が一に正反対という可能性もある。
 期待と不安でそわそわしながら支度をしていると、『先ほど正門を潜りました』と早馬で騎馬隊員の一人が伝えに来た。
 ブロンソンからのメモがクロウに渡され中を確認すると、クロウはルリーンに一言『間違いない方だそうだ』と伝えてきた。

 実際ミシェルと会話をし傍で様子を見てみると、なんともかわいらしい王女だった。
 年齢はルリーンより少し年下。頼りなさげに見えるのに、しっかりとした矜持を持って信念の通りに言動する。
 初めて痣を見せた時は小さく震えていて、その健気な姿に抱きしめたくなった。
 ルリーンが傍に仕えることを喜んでくれて、ルリーンはすぐにミシェルを好きになった。
 ミシェルが優しいのをいいことにルリーンはミシェルの為という名のもとにミシェルが喜ばないこともしたりして怒られることもあったが、そのたびにルリーンは清廉なミシェルを更に好きになった。
 ミシェルがルリーンを愛し、ルリーンもミシェルを愛した。
 この清廉で高潔な王女の痣を治し、幸せになれるようにどんなことでもして差し上げようと思った。
 しかし痣は濃く、治療の遅れから取り返しのつかない状態だった。
 ここからどの程度までこの痣を薄くできるかは難しい挑戦だった。

 一方お妃候補の魂胆の方は、思わぬスピードで進み始めた。
 初対面の謁見で、どうやらアスランがミシェルに興味を持ってしまったという話しだ。
 一目惚れだったのだろうか。翌日にはミシェルに逢いに来てしまうという猛スピードだ。
 このままだと治療が追い付かず、アスランが望んでもミシェルが受け入れられない可能性がある。
 ルリーンの心配はそのまま現実となった。
 なにがあったのか思い余ってプロポーズしてしまった。ミシェルの受け入れられない提案と共に。
 そのせいでお妃候補の策は壊れ、治療も途中のまま帰国まで決まってしまった。
 
 
 
 *****


 
「もう、本・当・に。本・気・で。どうかしてると思いましたよ陛下には。ここだけの話しですけどね。いい年して何やってんだって言いたくなりましたよ」

 ルリーンは目の前にいるブロンソンとクロウの眉間に皺が入ったことは気が付かないことにしようと決めた。

「わたしのミシェル殿下になんてことしてくれてんだって話しですよ。本当にもう、殿下がお気の毒で。あの夜の殿下の声にならない叫び……今思い出しても泣きそうになりますよ。ったく、二十八歳にもなって自分都合で恋愛しないでほしいですよ。本当にねこれ」

 ブロンソンとクロウの眉間の皺は増々深くなっているのだが、ルリーンは無視と決めているので無視をした。

「ルリーン、口が過ぎるぞ。弁えなさい。申し訳ございませんブロンソン伯爵。ルリーンの暴言はミシェル殿下を慕うが故ですのでどうかお許しを……。実際わたしも、殿下のお痛ましいお姿を思い出すと、今でも胸が締め付けられます。そんな時でさえ、わたしや使用人へのお気遣いがある方でした。心配かけぬよう微笑んで見せたりするのです。あんな健気な方を傷つけることを、我々はそれが誰であろうと怒りを覚えるのです」

 クロウの言葉にブロンソンの眉間の皺は更に更に深くなる。
 ルリーンを諫めているようで、しかしチクリと刺してくるあたり。クロウにとっても『わたしのミシェル殿下』のようだ。

 わたしの陛下が申し訳ない……。

 ブロンソンは心の中で二人のミシェルを苦しめてしまった事を詫びた。

「しかし、ふたりは本当によく頑張ってくれた。ふたりの手柄だ。我が国に素晴らしい王妃を迎えられる」

 ブロンソンが褒めるとルリーンとクロウは顔を見合わせてから、さっきからひとり下を向いて黙りこくっている男を見る。

「しかし一番のお手柄はテイラーでしょうな、ルリーン」
「ええ、そうですとも!最後の一押しをなさいましたよテイラーさんは。一番心細いところで殿下は放置され、誰かもわからな人に因縁付けられているのにも気付いてもらえず、袋小路に詰め寄られ。もうやるしかない状態にしてくれたおかげで、殿下は持っている力をすべて振り絞ることが出来たんですから。テイラーさんのお手柄ですよ!」

 ルリーンとクロウは話しながらも、首が折れるほど俯くテイラーに容赦ない冷たい視線を送った。

「もうしわけございません……」

 テイラーの声はルリーンの咳払いひとつで簡単に消えてしまうほど小さかった。

「人気のないところまで行って仮面を取ってから急いで戻ったんですけど……。その時はもうすでに陛下が膝を突かれていらして……」

 ブロンソンも混ざってテイラーに冷たい視線を注ぐ。

「っていうか! おかしくないですか? わたしは知りませんでしたよブロンソン伯爵! どうして作戦を教えて下さらなかったのですか! わたしだって最初からみんなと協力し合いたかったですよ」

 居たたまれず自分だけのけ者だったことを怒ってみるのだが、そんな攻撃はこの三人には効くはずがない。

 ブロンソンは最初からテイラーを数に入れていなかった。それはテイラーが使えないからではない。
 ミシェルを迎えに行き国に戻るまでの間、沢山の話をした。聞く質問の答えすべてが知的で迷いがなく親切だった。ブロンソンや妻のグレンが話をするときは、興味深く熱心に黙って最後まで聞く。王女という身分でありながら同乗しているブロンソンやグレンを気遣い、休憩で止まった時は従者や兵士たちにまで声をかけた。
 優雅な仕草に、柔らかい声。この女性を欲しがらない男がいるだろうか?と思うほどブロンソンはミシェルに惹かれた。
 ベールの下になにが隠れていようとも、ベールを上げたらバッファローのような顔であってもこの女性の素晴らしさは変わらないだろう。モローはなにも盛っていなかった。
 この女性を目の前にしてアスランがなにも感じないのであれば、その目は節穴だ。
 ブロンソンはアスランがミシェルに惹かれるだろうと確信していた。
 アスランには最初のきっかけだけ作れば、それでよかった。
 なのでテイラーに協力してもらう事などなかったのだ。

「っていうか。テイラーさんを仲間にしても大事な時にどっか行っちゃうんじゃ、話にならないですよねー」
「信じて託したはずがな」

 『わたしのミシェル殿下』に関することではルリーンとクロウは容赦がなくなる。
 しかし失態は失態、大失態なので。再びテイラーの頭が限界まで下がっていく。

 「そうだけど。でも、最初から作戦に加わってたら、ミシェル殿下との結婚に反対もしなかったし……、もっとうまくやれたかも……」

 つぶやくテイラーの言い訳に、クロウとルリーンの眉毛がつり上がる。

「え? テイラーさん、今なんて?」
「反対? していたのか?」

 テイラーは背筋に冷たいものが一筋流れ落ちた気がした。

「いや、だって! 無理でしょ? 顔を出せない王妃様だなんて! だから、こちらにいる一時だけ陛下と恋愛するのは賛成だけど、結婚は別の話っていう……。だって! 治るって知らないからオレ!」

 ここは氷点下だ。
 テイラーはクロウとルリーンの視線によって、極寒を味わっていた。
 ブロンソンも庇う気は、ない。

「まって。それすごく反省してます! だから思い直してミシェル殿下に顔を晒して欲しいってお願いに来て、それで……!」

 ブリザードの中にいるかもしれない。
 テイラーだけが感じる極寒の吹雪だ。

「引くわー。めっちゃ引きますよテイラーさん。いや、もうテイラーのヤロウですよ、テイラーのヤロウ。ね、クロウさん」
「主人の幸せのために尽くさず、そんな安易な考えだったとは。わたしたちは一時も諦めを考えたことはなかったなルリーン」
「最初っからそんな考えじゃー、話にならないですよ。二度と顔を見たくないレベルで不愉快ですよねクロウさん」
「がっかりだ。そんな人間に殿下をお預けしてしまったとは……ルリーン」
「はい。見抜けなかった私たちにも責任がありますよ。知らなかったわー、テイラーのヤロウだったとは、ねークロウさん」

 散々な言われようだが、今このふたりに反論出来るはずもなく。
 テイラーはこの先一生このふたりに頭が上がらないと思った。
 実際、そうなるだろう。

 ブロンソンも、こと『わたしのミシェル殿下』のことでこのふたりとは対立したくないと心から思った。
 
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