人質王女の恋

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 緑の離宮を後にし林の手前にある橋でミシェルと別れたアスランは、後ろを振り返らないよう努力した。
 見送りに一歩後ろを静々とついてくるミシェルは身長百八十五センチのアスランの顎辺りに頭があり、少し俯くベールから花の香が風に乗せられ鼻をくすぐった。
 華奢な肩を腕の中に収めてしまいたい誘惑に駆られ、早く別れて遠ざかるべきだと思うのに。このまま並んで歩き続けたいという裏腹な感情がアスランの胸に共存した。
 ミシェルと過ごす時間の心地よさに離れがたく重くなった足もいつの間にか橋まで来てしまい、名残惜しさを悟られないよう帰路を進んだ。
 外はうっすらと黄昏色に染まっていたが、アスランの心は晴れやかだった。

「陛下、よっぽど楽しかったんですねー」

 テイラーにからかうように顔を覗き込まれ、アスランは緩んだ口元を手で隠した。
 否定はしない。
 三時間近くも長居してしまったのだ、話が弾んで楽しんだことは明白だった。

「プレゼントまですることになって、よっぽどミシェル殿下をお気に召したんですねー」
「そうじゃない。オレの無体を快く許してくれたことへの感謝を表したかっただけだ」

 テイラーの言い方に、すべて認めるのが癪に障り素直にはなれない。
 それにドレスがいいのではないかと言い出したのはミシェルの侍女のルリーンで。
 彼女はいい仕事をした。
 あの慎み深さではきっと自分でほしい物や必要な物は言わないであろう。
 ドレスがいいのでは? と言う話になったとしても、必要ないと言われてしまいそうだ。
 しかしヒューブレインの文化を体験してほしいと言えば、断ることは出来ない。
 どんなドレスを作るだろうか?
 今日のミシェルはグレーのドレスで、前回同様何の飾りもないものだった。
 シンプルな支度が国柄なのかもしれないしそれも悪いわけではないが、今はヒューブレインにいるのだからこの国の流行りを体験するのもいいことだ。
 しかもそれがアスランのプレゼントしたドレスでミシェルを美しく飾るなら。
 アスランは口元だけでなく、目じりまでだらしなく下がってしまうのだった。



 *****



 宮殿に戻ると私室の執務室にブロンソンを呼んだ。

「おかえりなさいませ、陛下。ミシェル殿下のご様子はいかがでしたか?」

 変わらぬ無表情に、アスランは片眉を上げる。

「わたしを謀ったな」
「何のことでしょう?」
「王女に聞いたぞ、そなたに叱責されてなどいないと言っていた」
「わたしはミシェル殿下を叱責したとは申しておりません」
「苦言したと言っただろう?」
「言っておりません」

 無表情で否定するブロンソンにアスランは苛立ったが、今は努めて冷静に対応する余裕がある。
 ミシェルとの楽しかったひと時のおかげで気分がいいままだからだ。

「言っただろ」
「わたしは『苦言申し上げねばならないと』と申しました。『苦言申し上げた』とは言っておりません」
「……なに?」
「苦言申し上げねばならないと、と思ったのですが。ミシェル殿下はとても緊張しておられましたし、人質というお立場で恐ろしいかもしれない大国の王におひとりで逢わねばならなかったのです。おかわいそうになり、お気になさらないようにと申し上げておきました」
「おっ……、ま……」

 アスランは言葉を失った。
 たしかに。よーく思い出してみれば『言った』と明言はしていなかった気がする。
 が、誤解をさせる気がある言い回しだった。

「わざとだろ……」
「何のことでございましょう?」

 とぼけるブロンソンに心の中で悪態をついたが、やはりブロンソンもミシェルに詫びるべきだと思っていたことがわかり、焦って飛び出すように仕向けられ懲らしめられた気はしたが自分が蒔いた種でもあるのでそれ以上突っ込まないことにした。

「それで、ミシェル殿下のご様子はいかがでしたか? 随分ごゆっくりしてこられたようですが」
「ああ、そなたの思惑通りきちんと詫びてきた。その後せっかくなのでグルシスタの話を聞かせてもらった。小さいが、働き者の民に支えられる良い国のようだ」
「それはようございました。国の民の良さが陛下に伝わって、ミシェル殿下もお喜びになられましたでしょう。ミシェル殿下は一兵士である名もなき民を庇い大けがを負われあのような痣が出来てしまったにもかかわらず、その民の無事を喜べるお方ですから」

 アスランは思わず身を乗り出した。
 事故で怪我を負ったと謁見の時に聞いたが。

「それは、どういうことだ? 知っているなら詳しく聞かせてくれ」

 打って変わって真剣な面持ちになったアスランに、ブロンソンはモロー公爵から聞いていたミシェルが怪我をした経緯を最初からすべて話した。

「目が覚めてすぐに、兵士の無事をご確認なさったそうです。その後ご容態が回復されて痣が残ってしまってもミシェル殿下は一言も後悔を口にせず、その時の兵士にも手紙で安心させる言葉をお送りになったそうです。おひとりで来られましたのも、こちらの国でどれほどの期間どのような扱いでの滞在になるかわからないため、お付きの者を家族と離れさせぬよう配慮されてのことだそうです。」

 話を聞き終わったアスランは椅子の背もたれに深く身体を預けた。
 ミシェルの清廉が胸を打った。

「そのような人徳優れた王女をお預かりしているのです」
「素晴らしいはずだ……」

 アスランの言葉を聞いて、ブロンソンは頷いた。

「ミシェル殿下はグルシスタでもほとんど城から出ずに静かに過ごされていたそうです。顔を隠す姿をあまり見られたくはなかったのでしょう。モロー公爵にヒューブレインでもそのように過ごさせてほしいと言われて緑の離宮をご用意しました。しかし、今日のように陛下が緑の離宮へ行くことを多くの人間に見られてしまうと興味を持った貴族たちが押し掛けてしまう可能性があります。ミシェル殿下と交流することはお止めしませんが、そのことはお心にお留置きください」






 謁見の時の第一印象は間違っていなかった。
 聡明で慎ましく、清廉さを感じた。
 今日話をしていてもその印象はまったく崩れなかった。
 むしろ好感は上がるばかりだった。
 聞くことにはすべて簡潔でわかりやすく即答し、自国の隅々までのことをきちんと勉強しているのがわかった。
 史実や伝説も交えながら飽きさせずグルシスタという国がどのような国なのかを話すので、つい聞き入っていつの間にか関心を持ってしまっているのだ。
 押しつけがましさもなく、自慢もなく。かといって自虐もない。
 グルシスタの王女である誇りがしっかりとあり、国と民を愛していることがよくわかった。
 国王相手なので話ながらもミシェルが終始リラックスしていなかったことはわかったが、時間が進むにつれ手の仕草が増えてかわいらしかった。
 華奢な手が開いたり形を作ったり、その動きがしなやかで目が離せなかった。
 目の表情は見えなかったが、柔らかい声は抑揚豊かで。笑う時、口をキュっと結んで口角を上げるのに誘われベールの中を見たくてたまらなくなった。
 アスランは謁見室では見えなかったミシェルの瞳の色が知りたかった。
 その目がどのように自分を見つめ返し、どのような表情で語るのか知りたかった。
 もちろん、もうミシェルにベールを取れなどと言うことは絶対にしないと決めている。
 だからミシェルの目を、アスランはもう見ることが出来ないのだ。
 それを寂しいことだと思った。
 しかし。ブロンソンに話を聞いてしまった今では、自分の中にある欲求よりもかわいそうなその姿を守ってやりたいと思った。
 ミシェルの痣は自国の民への愛の証ではあるが、暴かれずそのままでいられるようにしてやりたい。
 別れてまだ時間も経っていないのに、ミシェルに逢いたいと思った。
 思って我に返る。
 アスランは頭を振って考えを追いやった。

「なに考えているんだオレは……」

 ミシェルに驚かされ、同情し、感心しただけだと自分に言い聞かせる。
 それ以外の感情はないと。
 美しいと思うし、かわいらしいとも思った。
 一緒にいることが心地よく、触れたい誘惑に何度も駆られたことも事実だ。
 でもそれは他の女性に対してもあることなはずだとも自分に言い聞かせ、失敗した。
 今までどの女性にも感じたことのなかったものをミシェルには感じるのだ。
 だがそれを認めることは簡単じゃない。
 それではまるでアスランが……。





「恋ですね」

 心臓を止められた。

「テイラー? 今なんと言った?」

 緑の離宮へ行った二日後の夜。
 私室のカウチで寛ぐアスランだったが、テイラーの言葉に飛び起きた。

「まるで恋のようだ。と申しましたが?」
「オレは……何も言ってない……」

 アスランはテイラーの顔をまじまじと見る。
 確かにミシェルの事を一昨日からずっと考えていたアスランだったが、それは認めていない。まだそうじゃないはずだと思っている。ましてや口にも出していない。

「ええ。わたしが言いました。陛下、わたしの話聞いていました?」

 言われて、上の空だったと気が付いた。

「な、何の話だ……。もう一度最初から頼む」

 テイラーがわざとらしいため息をつき、アスランは咳払いをしてテイラーのため息をやり過ごした。

「ドレスの話です。今日緑の離宮にデザイナーと生地屋と行ってきたんですよ。それでルリーンとデザイナーと生地屋で、このデザイン画を見ながら『ときめくわー』とか『胸が高鳴るわー』とか言いながら決めるので。女性は皆ドレスに恋しているみたいだ、っていう話をしたんですよ」

 テイラーは持っていたデザイン画をアスランに見せた。
 アスランは心の声が漏れていなかったことにとりあえずホッとした。

「ルリーンとデザイナーで決めたのか?」
「もちろんミシェル殿下もいらっしゃいましたが、グルシスタとここではまるでドレスの形がちがいますから。しかもあまり飾るのに慣れていらっしゃらないようで、ルリーンとデザイナーでミシェル殿下に似合うヒューブレインの最新のものを選んで決めました」
「そうか」

 ミシェルの着ていた袖の膨らんだデザインは、確かに最近のヒューブレインではあまり見ない。
 今まで飾りのないものばかりを着ていたなら、どのような物がいいかも分り辛いだろう。
 ルリーンに任せるのは正解だ。
 ミシェルが率先して選んだらきっとものすごくシンプルなものが出来上がってしまうだろう。

「生地もミシェル殿下の肩に何枚も掛けながらルリーンが決めていました。『せっかくの陛下からのプレゼントなので遠慮せずいい生地でたっぷり飾ったものを作ってもらいましょう!』とか言って張り切っていましたよー、ルリーン。それで、彼女から陛下にお願いがあって」
「なんだ? いいぞ、遠慮せずにいい生地でたっぷり飾ったらいい」
「そうではなくて。選んでほしいのだそうです。なんだかんだと結構な時間を費やしたのですが、決まり切らなくて。それで候補の中から陛下が選んだものに決めようってことになったんですよ」

 テイラーはデザイン画を三枚、テーブルの上に並べた。

「説明しますと。こちらの薄いベージュ色のドレスはルリーン曰く、ミシェル殿下のブルネットの髪が映える色とデザインなんだそうです。こちらの小花柄のドレスは、殿下の白い肌に花が咲いたようにかわいく見えるドレスなんだそうです。そしてこちらのグリーンのドレスは、殿下のヘイゼルの瞳の中にあるグリーンに合わせられるドレスなんだそうです。どういたしますか?」

 どうします?と言われても。
 そう説明されてしまえば、どれも見たいに決まっている。
 色の塗られたデザイン画を見ながらミシェルが着ている姿を想像する。
 そうなれば答えはひとつだ。

「三着とも作ってくれ」
「よろしいのですか?」
「ああ」

 アスランは声が弾まないよう注意しながら返事をしたが、目敏いテイラーにはその注意は無意味だった。

「かしこまりました」

 脂下がるアスランにわからぬよう、テイラーもにやりと笑った。
 これでルリーンから課された使命は果たしたのだ。
 ルリーンの思惑は三着すべて買ってもらえるようにすることだった。共布の小物付きで。
 テイラーにアスランが買いたくなるような説明を教え、テイラーはそれを全うし。
 かくしてルリーンの思惑通りになったわけだが。
 なんの説明もなくてもアスランは何着だって買っただろう。
 デザインを見て着ている姿を想像するだけでアスランの口元は緩みっぱなしだ。
 しかもルリーンがテイラーに教えた説明のおかげで、図らずもミシェルの瞳の色を知ることが出来た。
 謁見の時は伏せていてわからなかったミシェルの瞳がヘーゼルだと知り、想像がリアルになる。
 目をつぶれば緩いカーブの眉の下に長いまつげに囲まれたヘーゼルの瞳を想像できる。
 しかし、想像は現実への誘惑になってアスランの胸を苦しくする。
 実際には顔を見ることは出来ないのだから。
 それでもいいから逢いたい気持ちも募り始めている。

「一枚だったら来週には出来上がるって話でしたけど、三枚だとけっこう時間かかってしまいそうですね。出来た順に届けてもらいますか?」

 テイラーのおかげで出来た口実にアスランは飛びついた。

「早く着てみたいだろうから出来た順に届けてやったらいい。それに、せっかくだから着たところも見たい。ドレスの出来上がりに合わせて行っても良いか確認してくれ」

 アスランが送るのだから見る権利はあるだろう。
 本当ならすぐにでも逢いたい気持ちなのだが、口実が見つからなかったところに出来た理由らしい理由だ。

「そりゃ見たいですよねー。かしこまりました、出来上がりと訪問を確認しておきます」

 行くことが決まったらもう一つ大事なことをテイラーと相談しなくてはならない。
 ブロンソンが言っていたことだ。
 アスランが再び緑の離宮へ行くことを多くの人間に見られてしまうと、興味を持った貴族たちがミシェルの所へ押し掛けてしまう可能性があるということだ。
 それは避けたい。ミシェルの為に。
 宮殿にある隠し通路のことは把握している。
 なにかあった時に城をこっそり抜け出せるよう即位した時に父王がブロンソンに教えてあったのを教わった。
 隠し通路は王と王の側近、侍従、軍の最高司令官しか知らない。
 テイラーはアスランの侍従なので、知っている人間だ。
 普段は使うことはないが、王であるアスランが見られずに外へ出るには隠し通路しかない。

「テイラー。緑の離宮には誰にも見られずに行きたいんだ」
「それは賛成です。ミシェル殿下がご婦人たちの餌食になっては困りますからね」
「餌食は言いすぎだが……押し掛けられるのは防いでやりたい。隠し通路で緑の離宮まで行きたいのだが」
「緑の離宮まで繋がっている道はないですけど、隠れて行ける道は下調べしてあります。陛下の寝室の隠し扉から隠し部屋へ行き、そこから下がって貯蔵庫の方へ出て使用人通用口を使って外に出ます。そこから大回りにはなりますが塀伝いにある林の中へ入れば緑の離宮の林と繋がっています。使用人は通りますが貴族は通りません。馬車を出してもいいんですが頻繁に宮殿から緑の離宮に出入りする馬車も不審に思われるかもしれませんし、馬か歩きですけど陛下なら大丈夫でしょう。散歩くらいな感じで」
「使用人には見られてしまうな」
「それはまぁ、大丈夫でしょう。東側はキッチンで働く者や掃除をする者たちがほとんどですし、馬車道の側を歩きますから。わざわざ足元の暗い林の中は通りません。西側から出入りする者の方が多いので東はあまり人がいませんし。それに陛下が通られるとは思わないでしょう」

 アスランはテイラーに感謝した。

「それで行こう。よく調べておいてくれたな」
「そりゃ。前回の感じだと、陛下絶対ミシェル殿下にまた逢いに行くだろうなーって思っていましたし。ドレスを送りっぱなしってこともないでしょうしねー。でも見せに来いなんて言うようだったら、陛下を見損なうところでしたけど」
「そんなことは言わない。あのベールを着けた姿で中庭を歩かせたりはしたくない」
「それこそ、退屈なご婦人たちが挙って噂するでしょうしねー」

 さすがテイラー。アスランの思考はお見通しだった。
 アスランは気恥ずかしくなって眉をひそめたが逢いに行く予定が出来、逢いに行く道も確保した。
 あとは、早くドレスが出来上がるようにと祈るだけだ。
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