人質王女の恋

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 私室で刺繍をしていたミシェルの耳に、ドタバタと階下からの音が飛び込んできた。
 なにかあったのかと思い手を止めると、今度は階段を駆け上る音がして身構える。
 ノックの音と同時にドアノブが回され、返事を待たずにルリーンが飛び込んでくる。

「ミシェル殿下、お着替えください!」
「ルリーン、何かあったの?」

 用事があると出かけていたはずのルリーンが息せき切っているので何事かと心配したが、次の言葉を聞いてミシェルも思わず立ち上がった。

「国王陛下がいらっしゃいます! あと二分後くらいに!」
「陛下が?! どうして?」
「それはお支度しながらご説明いたします。突然とはいえあまりお待たせするわけにもまいりませんので、お急ぎください!」

 言いながらルリーンはクローゼットに飛び込んでグレーの外出用のドレスを持ってきた。
 今着ている部屋着用のこげ茶のドレスとさほど違いはないが、外出用の方が生地も良く袖もスカートも少しは膨らんでいる。
 コルセットをきつく締め直しドレスに袖を通していると、小さなノックと共に小さい声で「陛下がいらっしゃいました」というメイドの報告がドア越しに聞こえた。

「了解!」

 ルリーンも小声で返事をし、急いでミシェルの背中のボタンを留める。
 昨日と同じように朝の湯浴みの後ルリーンは髪をハーフアップに結い上げてくれていたので、ドレッサーの前に座っても毛先を梳かし直すだけだと思っていると。

「時間がないのでお粉と紅だけにしますけど、昨日作ったのを家から取ってきたのでさっそく付けますね」

 グルシスタではミシェルが自分でベールを外すまで侍女は手を出さなかったのだが、ヒューブレイン三日目にしてもうルリーンにベールを外されても何の動揺もなくなりミシェルはされるがままになった。
 頭の天辺に止めていたピンを抜いてベールを取ると、顔にクリームを簡単に塗ってから粉をはたきベリー色の口紅を引く。
 その上からベールを被りピンを留めるのかと思っていると、ルリーンはカチューシャを取り出した。
 グレー地にブルーのリボンが巻かれ、真珠のような飾りが散らばって留めてある。

「ピンだけだと味気ないので作ってみたのです。これならベールも落ちないよう留められますし、見た目もかわいらしいです」

 ベールの上から乗せて両サイドの耳の後ろでピンを固定すると、味気ないグレーのベールが華やぐ。
 昨日のリボンといい、ルリーンはミシェルを飾りたくてしょうがないらしい。

「毎日秘密兵器が出てくるわ」
「お気に召しましたか?」
「もちろんよ」

 ベールは痣を隠すためのもので飾るという発想がミシェルにはなかった。
 なのでこうしてルリーンがすることは新鮮で楽しいのだが、今は楽しんでいる余裕はあまりない。

「それでは簡潔にご説明いたします。家に荷物を取りに戻った帰り、林のところにある橋で陛下とばったり遭遇致しました。で、連絡も入れずに来てしまったのは良くないと思ったらしく引き返すところだとおっしゃるので、ミシェル殿下は昨日から気落ちして泣き疲れて食事も満足にお取りになっていないと申し上げました。そしたらやっぱりお越しになることになって……」
「ルリーン! それは嘘だわ!」

 確かに気落ちはしていた。
 ブロンソンに謝罪の機会を賜れるよう頼んでみようと思ってはいた。
 しかし。ルリーンのおかげで笑うことが出来、食事も『悲しいことがあった時は、絶対に空腹になってはいけません』と言う彼女の言葉に従って頑張って食べた。
 おかげで泣き疲れてもいないし、食事がのどを通らないなんて嘘だ。

「嘘ではありません。ミシェル殿下が涙されていたのは事実ですし、その流れで食事の件は少し話を盛りましたが。わたしは陛下がミシェル殿下に昨日の行いを詫びに来たのだと思うんです。だったら、目一杯反省して詫びていただかなくては! 多少大げさにお話ししておけば、反省も深くなりましょうと思って」
「ルリーン……。多少ではないわ。殆ど嘘だもの……」
「許容範囲です。背中に『あほー!』って叫ぶよりこちらの方が良くありませんか?」

 どちらも良いとは言えないが、ルリーンは言ってしまいアスランは来てしまったのだからもう後には引けない。
 もう一度きちんと詫びねばならないと思っていたのだからと、ミシェルは覚悟を決めた。

「どのようなご用件かははっきりとわからないのよね? とりあえず、下に行かなくては」

 全身を鏡で確認してから、ミシェルは大きく深呼吸をした。

「とってもお綺麗です」

 多少どころかだいぶ盛り上げた嘘に近い話を国王にしたというのに、ルリーンはまったく悪気なくにっこり笑った。
 神様どうぞお守りください。
 胸のなかで呟いて、ミシェルは階段を下りた。






 サロンではすでにアスランに茶と菓子が出されていたが、アスランは立ったまま窓辺で外を眺めていた。

 「お待たせをして申し訳ございません、国王陛下」

 ミシェルが入り口で膝を折り挨拶をすると、アスランは近くまで来た。
 心臓が掴まれるような気分だったが、自分を叱咤する。

「突然来てすまない」

 低くハスキーな声が上から降ってきて、それが謁見の時と違い柔らかく感じた。

「とんでもございません。陛下におかれましては本日もご機嫌麗しくあらせられ……」
「あ、いや、堅苦しい挨拶はいらない。顔を上げてくれ」

 ミシェルは顔を上げベール越しにアスランを見る。
 その表情も謁見の時とは違い、ミシェルを伺うような表情だ。
 少し遠慮がちに小箱を差し出される。

「あの、これは?」
「チョコレートだ。好きだろうか?」
「はい。好きでございます」
「それは良かった。土産に持ってきたのだ」
「ありがたく、存じます……」

 箱を受け取るとアスランの表情が一気にほぐれた。
 ミシェルは胸が高鳴り見とれそうになったが、昨日の失敗を繰り返すわけにはいかない。
 再度膝を折り、頭を下げた。

「昨日は陛下に大変失礼な振る舞いをしてしまい、申し訳ございませんでした」
「あ、それは……」
「本日もこのように顔を隠したままで申し訳ございません。しかし、ご存知のようにお目汚し以外のものではございません。どうかこの姿でいることをお許しいただけませんでしょうか」

 この美しいアスランの前で再度痣の顔を晒すのはどうしてもいやだった。
 どうか受け入れてもらえるよう願いながら頭を下げたミシェルだった。

「座って、少し話がしたいのだが。いいか?」

 穏やかな声に顔を上げる。

「もちろん。そのままでいい。そのままでいてくれ」

 アスランの眉が下がり、困ったような表情でミシェルを見つめ手を差し出してきた。
 自然の流れのままミシェルはアスランの手に自分の手を重ね、エスコートされてソファに座った。
 後ろのドアからクロウが入ってきてミシェルの分の茶を用意する。
 ミシェルはアスランの反応を待ったが、アスランはクロウが出ていくのを待っているようだった。
 叱責するのか、ルリーンの言うように詫びようとしてくれているのか。
 沈黙が続くのが居たたまれずミシェルから口を開いた。

「あの……陛下、いただきましたこちらを開けてもよろしいでしょうか?」

 手に持っていた箱を見せて言う。

「ああ、気に入るといいのだが……。よかったら食べてみてくれ」

 ふたを開けると小さくて丸い平らなチョコレートがバラバラと入っており、アスランを見ると口に手を当て心配そうにミシェルを見ているので一枚取り出し口に入れた。
 甘味が口に広がる。香りが鼻を抜ける。

「とても、美味しゅうございます」
「そうか! それは、よかった」

 アスランが頷きながら口元を緩めたので、ミシェルの口元もわずかに緩んだ。
 クロウがミシェルの分のカップを置くと、アスランは「下がっていてくれ」と退室を促しふたりきりになった。
 アスランの言葉を待ってミシェルは心を構える。

「昨日のことなのだが」

 チョコレートの箱をテーブルに置き、スカートの前でぎゅっと手を握る。
 それに気が付いたアスランはまた眉を下げ、咄嗟に手のひらを上に向ける仕草をした。

「怖がらなくていい。力を抜いてくれ。今日は王女に謝りに来たのだ」

 ルリーンの予想した通りだった。
 彼女の嘘を思い出し、ミシェルの手にさらに力が加わる。
 その意味が解らないアスランはミシェルの手がさらに握られて焦ったように先を続けた。

「わたしは考えが至らなかった。女性の顔に傷があれば見られたくないのは当然だろう。それをあのような形で晒すことになってしまい、無体なことをしてしまった。自分の浅はかさを悔いている」
「とんでもないことでございます。最初にご説明を忘れたわたしが……」
「いや、ちがう。女性に対して有るまじき行為だった。しかも、帰り道でブロンソンにも叱責されたと聞いた。ブロンソンにはわたしがきつく叱っておくので、彼の事も出来れば許してほしい」
「ブロンソン伯爵……?」

 アスランが止め処なく詫びの言葉を並べるので、自分の失礼が先な上にルリーンの嘘で罪悪感を深めてしまっているかもしれないことにミシェルの罪悪感も増すばかりだった。
 更にブロンソンに叱責などとアスランが言うので、混乱してきてしまう。

「ブロンソン伯爵からは、ご叱責を受けるようなことは……ございませんでしたが……」
「昨日の……謁見後のここまでの帰り道で、ブロンソンに何か言われなかったか?」
「伯爵には、陛下は疑ったのではないから気にしないようにと言われたと記憶しております」

 アスランの眉間にしわが寄り、黙ってしまった。
 何かを考えているようだったが、ミシェルは早く誤解は解きたかった。

「あの、わたしは失態を恥じて自国の恥になったことを申し訳なく思い、確かに少し泣いてしまいましたが、ずっとではありませんでした。食事も、ちゃんといただきました。侍女はとても優しくて、わたしを大変心配して大げさと言うか……彼女の感じたままに陛下にお伝えしてしまったようで……」
「それは本当か? 食事はちゃんと出来たのか?」
「はい。陛下にはこのようなご心配をいただき、心苦しく思います」

 座ったままで頭を下げると、アスランは安心したようにため息をついた。

「それなら、わたしの昨日の行いを許してもらえるだろうか?」
「もったいないお言葉にございます。侍女の大げさな物言い心よりお詫び申し上げます」
「いや、それもよいのだ。王女を心から心配してのことなら罪はない。それに、王女の侍女に話を聞かなくとも、詫びに来ていたのだ」

 ミシェルは心から安堵した。
 アスランに欠礼をきちんと謝罪が出来たこと。ミシェルを思ってやったことだがルリーンが嘘をついてしまった事も。すべてをアスランが許し、更にはアスランからも詫びてくれたのだ。
 前を見るとアスランの表情も柔らかく戻っている。

「せっかく我が国に来てくれているのだから、この機会にグルシスタの話などを聞いてみたかったのだ」
「それは、嬉しいお言葉です。陛下の広いお心のおかげで国交が成されました。お互いの国の理解が深まることはありがたく、素晴らしいことです」

 ミシェルはアスランが自分と話しをしたいなどと言うので、舞い上がりそうな気分になった。
 地位があっても格下の者にも詫びることのできる謙虚さと寛容を持つ美しい男性に優しく話されたら、冷静でいるのは難しい。
 グルシスタの気候や地理、特産物の事などを聞かれ。ミシェルはこれを外交で公務だと自分に言い聞かせ、努めて冷静にそのすべてになるべく詳しく答えた。
 出来るだけ興味を持っていただきたいと、歴史や言い伝えなどの話も交え。アスランはそれを感心して聞いてくれた。
 長い脚を持て余すように組み穏やかな笑みを浮かべ、低くハスキーな声は男らしいのに甘く優しい。
 グレーの瞳がベールの中にある視線を探すようにまっすぐ向けられるのでのぼせそうになった。アスランからは見えないとはわかっていても見返すことは難しかった。
 話は弾み、時間を忘れて語らってしまった。
 クロウが二度目のお茶の交換に来て、日が暮れ始めていることに気が付いた。

「長くお引止めしてしまい申し訳ございませんでした」

 ミシェルが言うとアスランは目を細め、頭を下げようとするのを手で制した。

「なにを言う。こちらが勝手に長居を決め込んでしまった。つい話が楽しくて。疲れさせてしまったであろう」
「いいえ、疲れなど。わたしも楽しくお話しさせていただきました」

 ミシェルは本当に楽しかったのだと、アスランに伝わるといいと願った。
 
 アスランはミシェルの言葉に更に目を細め、茶器を下げるクロウに「テイラーと王女の侍女を呼んでくれ」と頼んだ。

「ミシェル王女。わたしは今日そなたに詫びに来たのだが、突然来た上に持ってきたものはチョコレート一箱だけ。わたしの行いを許してくれたことを感謝しただけではなくとても楽しい時間まで過ごしてしまった。これではわたしの気が済まない。なにか欲しいものはないか? 詫びと礼のプレゼントさせてくれないだろうか?」

 ミシェルは胸に込みあがる喜びに震えそうになった。

「と、とんでもございません。もともとお詫びいただくようなことはなく、それなのに陛下はお越しくださいました。そしてわたしと侍女の非礼を許し、素敵な時間を過ごさせてくださいました。十分過ぎることでございます」
「そうか、しかし王女ならそう言うであろうと予想して侍女を呼んだ」

 ミシェルの後ろに控えるルリーンに目を向ける。

「ルリーンと申したな」
「はい」
「王女になにか贈り物をしたいのだが、そなたなら王女の欲しがりそうなものがわかるだろうか?」

 ルリーンはスカートを摘まみ、頭を下げて返事をした。

「恐れながら申し上げます。ミシェル殿下の欲しがりそうな物はわかりかねます。ミシェル殿下は質素を好まれ、欲がとても少ないようなのです」
「そうか、そなたにもわからないのでは困ったな……」

 ルリーンはこの時、これはチャンスと目を輝かせていた。

「しかしながら陛下。ミシェル殿下の欲しいものはわかりませんが、ミシェル殿下に知っていただきたいことがあるのです。これは陛下のご希望にも沿うことが出来るのではないかと思うのですが……」
「申してみろ」
「ミシェル殿下のお持ちになりましたお仕度は、すべてグルシスタ王国の物でございます。せっかくヒューブレインにお越しいただいているのであれば、ぜひヒューブレインの文化を知っていただく機会となってほしいのです。それにはまず、女性である殿下にはドレスなど、ヒューブレインの流行を体験していただきたいと思っておりました。しかしながら殿下はわたしが進めても慎み深いご性格からきっとご遠慮なさってお求めにならないでしょう。しかし、陛下からのプレゼントであればミシェル殿下もお受け取りになられますし、ヒューブレインを知っていただく一歩となります」

 ミシェルはルリーンの役者に目を剥いたが、ベールで隠れているので誰にも気づかれてはいない。
 アスランはルリーンの提案に手を打った。

「それはいい考えだ。わたしも王女にヒューブレインをもっと知ってもらいたい。その一歩がドレスなら、女性としては一番親しみやすいだろう」

 アスランはルリーンにミシェルの好みをまとめてテイラーに伝えるよう指示し、テイラーにデザイナーの手配を伝えた。
 ルリーンの思惑が叶い、ミシェルはアスランからドレスをプレゼントされることが決まってしまった。
 早い展開に呆気にとられ、口をはさむ余裕もなかった。

 帰りはミシェルがアスランを橋まで送った。
 アスランは玄関まででいいと言ったのだがミシェルは名残惜しく、橋までお送りしたいと言ったのだった。
 アスランを見送り、後ろに控えていたルリーンにドレスの事を怒ろうと思ったが。

「背中に『あほー!』って言わないであげました」

 そう言って無邪気に微笑むので、吹き出してしまった。
 ミシェルは観念した。
 明るくてかわいらしいこの侍女を、ミシェルはたった三日で愛してしまったようだ。

「わたしの魔法使いは、どんな手を使ってもほしい物を手に入れるのね」
「ちょろいものでございました」
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